66 魔女と大魔女 3
「わかったか? だから妾はあの方を私から永久に奪ったパージェスが憎いのじゃ。妾の残りの生は、彼の国への復讐にのみ使う」
闇の瞳にぎろりと睨み据えられ、ザザは我に返った。
今の話によると、スーリカは視力をほとんど失っているはずだった。体の傷は治るが、視神経だけは癒しの魔法の効果が薄いからである。
しかし、彼女の洞穴のような黒い瞳は、激しい意思を持って憎悪に燃えている。
「あなたは以前にもアントリュースの街と関わりましたね。それはチャンドラ国の指示で?」
ザザはその憎悪を跳ね返すように鋭く尋ねた。
「ああ。目覚めかけた妾を発見して匿い、保護してくれたのは、かの国の太守だったのじゃ。だから恩はある」
「……」
魔女には受けた恩には報いるという不文律がある。
「何年か、妾はかの国で心と体を癒していた。その後、チャンドラの太守が技を見せてみよと言うので、いくつか試した。街を油断させて攻めさせたな」
「……人を苦しめて……」
ギディオンは、争いで受けた毒矢によって長い間苦しんでいたのだ。ザザの唇が歪む。
「小娘、魔女らしい良い顔になっているぞ。だが、妾は少し喋りすぎたようじゃな。久々に同朋に会うて興が乗ったらしい。だが、これ以上は邪魔をするな」
スーリカは街を見下ろし、両手を広げた。
「いけません!」
「邪魔をするなと言うたぞ。そなたをひねり殺すことなぞ造作もなきこと」
「お話は伺いました。ほんの少しですが、共感できる部分もあります。ですが、今の街の人たちは、あなたに何の関係もありません! 私怨で魔法を使うなど、禁忌ではありませんか!」
「禁忌など、命を捨てた妾にはどうでもよいこと。退け!」
「わっ!」
ザザは見えない力にふっとばされて、隠れていた灌木の茂みにつっこんだ。細い枝が絡んで引っ掛かり、抜け出すのに苦労している間に、スーリカは魔力を発動させていた。
細長い魔女の体から夜目にも赤い瘴気が立ち上る。呪いだ。
長い黒髪が逆立ち、風が巻き始めた。一陣のつむじ風が空間に湧き上がり、彼女が両手を振り下ろすのと同時にアントリュースの街の方向へ強風となって駆け下りていく。
恐ろしく強力な魔法だった。
これを一晩中続けるっていうの? とんでもない魔力だ。
でも、私が戦えるのはここでしかない。
胸の輝石を握りしめ、魔法を込めていく。石は既に熱を帯び始めていた。
ザザにはもうわかっていた。
この石こそが、グレンディルが生涯身に着けていて、そして母に託された石なのだ。額につなぎの印が輝き始める。
スーリカの作り出す呪いを含んだ風を少しでも拡散させようと、ザザも風を起こしてぶつける。第二陣の風は、それに散らされ薄まってしまった。呪いを含んでいないザザの風は軽いが、速度がある。
「ほう。そなたは風使いか。私を止めようとのかえ? おもしろい」
振り返った魔女の額には、真っ黒な五芒星が浮き上がっていた。
「その印は……!」
星や月など、天体に属する印は、あらゆる印の中でも最も強力なものだ。
「何十年ぶりかの魔法合戦じゃ。まいれ」
スーリカは広げた手の平の上で氷の礫を作ると、ザザに向かって放った。
当たったら死ぬ!
思わず思わず両手で自分を防御したザザの前に炎の壁が現れた。氷の礫はあっという間に蒸発して消えていく。
初めて使う防御の魔法だった。
この力はわたしが放ったものなの?
「……熱い」
ザザが自分の胸を見下ろすと、服の中で輝石が光と熱を放っている。ザザは自分の中に力が注ぎ込まれるのを感じた。
しかし、ザザには攻撃の魔法を使った経験がない。
魔力とは使える魔法の量だが、魔法というものの原点は、イメージの力である。人を攻撃したいと思ったことのないザザには、攻撃魔法の手段が思いつかない。
「ほう、炎の盾を出すか。そなたの印は……これは珍しい、つなぎの印だな。面白い!」
スーリカにはザザの印がわかるのだろう。
「だが、まだまだ使いこなせていない。これでどうじゃ?」
「うわっ!」
地面から突風が吹き上がり、ザザを再び空中に放り上げる。今度は灌木どころではなく、崖の上に投げ出された。落ちたら命はない。
急激な落下の感覚がザザを襲ったが、それに耐えて風の魔法で必死に自分を浮かせる。
「うううああっ!」
完全に持ち上げることはできなかったが、斜面に張り出した木の枝に、上手く自分をひっかけることができた。よくしなる枝には多くの蔓が絡みついていて、柔軟にザザを受け止めてくれる。
助かった! 石が私に力をくれている!
石は一段と輝き、熱を放っている。その力はどんどん増して、まるでザザを急かすようだ。
ザザは思わず掴んでいた丈夫な蔓に語りかけた。
縄目の草木よ、私を上まで運べ!
すると蔓草はするすると伸びてザザを支えながら、斜面を登っていく。
驚くスーリカの前でザザは地面に飛び降りると、再び念じた。
お前の手で巻きつけ! 足で絡め! かの者の動きを止めよ!
ザザから離れた蔓と、背後の草むらから伸びて来た蔓草がスーリカの体に絡みつく。
「ほう。見たことのない術じゃ。草木を使い、私を絡めとろうとしてか。しかし、力が弱い!」
スーリカは風を刃のように使って、自分に巻きつく蔓を次々に切り落としていった。
蔓草も数を増やして巻きつこうとするが、切断される速度の方が早い。その上自分の体には傷一つつかない。見事な魔法だ。
「ほうら、もう右腕を残すのみじゃ。ここまで我を邪魔できたことは褒めてやろう、小娘。したが、次は命を奪う」
スーリカは愉快そうに笑う。
魔女が左手を高く上げたその時、背後から銀光が走った。
「あっ……!」
ザザが見たのはスーリカの背中に深々と刺さった剣。それは脇腹を貫いて、剣先がわずかに飛び出ていた。
魔女がよろめくと同時に、藪からフリューゲルが飛び出して来た。
「ザザさんっ!」
「フリューゲルさま! 気をつけて!」
「……おっ、おのれ!」
ザザに集中していたスーリカは、思わぬ攻撃に大きく体を傾げた。しかし、手の中に風の塊を作ってフリューゲルに投げつける。
ザザの注意で身構えていたフリューゲルは、あわや直撃を受けずに済んだが、横に大きく倒れ込んだ。
「よくも……!」
傷口を抑えた白い指の間から、尋常でない血が滴り落ちるのが見えた。
「小娘と思うて油断したわ……」
スーリカは体を降りながらじりじりと下がっていく。
「スーリカ、もう悪い魔法を使わないで!」
ザザは苦痛と憎悪に歪んだ黒い影に向かって叫ぶ。
「これ以上はやめてください!」
「……できぬな、小娘。妾はまたすぐに現れる。そしてあの街を滅ぼしてやる。餞にお前の死を捧げてやろうぞ」
苦しい息の下でスーリカは言い放って闇に溶けた。
「ザザさん、大丈夫ですか?」
フリューゲルが駆け寄る。
「は、はい……怪我はありません」
そう言ったザザの手足は無数のひっかき傷に覆われている。藪に投げ込まれたときについたものだろう。中には血が流れているものもあった。
「それより、フリューゲルさんはなぜここに? ギディオンさまにあの者のことは伝わりましたか?」
「はい。山を降りる途中で、運よく警戒中のこの街の兵士に出会いましたので、急使を頼んで引き返して来たのです。デルスが伝令に走ってから、そろそろ一時ですから、もしギディオン閣下がこっちに向かっているとしたら、途中で出会っているはずです」
「そうですか……ですが逃してしまいました……わたしの力ではとても叶わない。フリューゲルさまがお助けくださらなければ、きっと殺されていました。命を救っていただき、ありがとうございました」
「あなた、なにを言ってますか?」
フリューゲルは呆れたようにザザを見つめた。
「俺はあなたが蔓草を使って戦うところを見ていたんです! あの恐ろしい真っ黒な魔女を相手に! 正直に言いますが、とても手出しができませんでした。魔法があんなに凄い物だとは……ザザさんは本当に魔女だったんですね」
「あの者に比べたら、とるに足らない存在ですけれども」
「それでも、今夜悪い風を吹かせることを食い止められたではありませんか! これは凄い……凄いことですよ」
「でも……あの者は傷が癒えたらまた直ぐにやってきます」
「ザザ! ザザどこだ!」
飛び込んできたのはギディオンだった。後ろにデルスと多くの兵士がついてきている。
「ギディオンさま」
彼は答えない。必死の形相で一瞬ザザを見つめると、激しく体をぶつけて来た。そのまま強く抱きしめる。
「……よかった」
「……」
「……知らせを聞いたときは心臓が縮んだ」
「すみません。でも無事です」
「この馬鹿娘!」
ぐいと引き剥がされた腕の先に怒りに燃える青い目があった。
「あれほど、無茶はするなと戒めただろうが!」
「ごめんなさい。でも、事態が変わったものですから」
「しれっとそんなことを言うな! お前に何かあったら俺が死ぬぞ!」
「それは困ります!」
「あの……ギディオンさま。お叱りはそのくらいにしてあげてください。ザザさんは怪我をしておられます」
「なにっ!」
フュリューゲルの言葉にギディオンは灯りを引き寄せ、ザザの体を確かめた。いつもの黒い服はあちこちが破れ、剥き出しの足や手首からは、小さな血の筋がいくつも流れている。
「……」
ギディオンは無言で腰の皮袋から薬を出して塗り始めた。
その間にフリューゲルが見たことを報告をする。ザザも自分が見たスーリカの目的や魔力のことをギディオンに伝えた。
「わかった。とにかく、お前が無事で本当によかった……俺はすぐに街に引き返してチャンドラ軍に備える」
ギディオンは立ち上がり、後ろに控えているのだろう部下達を振り向いた。
「アントリュース隊はこのまま残って索敵。何かあればすぐに伝令を出せ。場合によっては山を焼いても良い」
「は!」
「フュリューゲル達はすぐに山を駆け下りて市長と守備隊長に報告せよ! 俺もすぐに戻る」
「はは!」
がさがさと藪が動いて、大勢の男達が動き出したことがわかった。指示を出し終えるとギディオンはそっとザザを抱き抱える。
「お前がいてくれて本当によかった。まだ街を守れる。ありがとうザザ。だが……」
ザザの頬に大きな手が触れた。ざらざらした指先が引っ掻き傷がついた肌を撫でた。温かさと優しさが伝わり、ザザの心を満たした時。
「これからは俺の出番だ」
ギディオンは厳然と言い放った。




