18 魔女と王都の生活 3
ザザにとって、初めての街での生活が始まった。
街といってもこの国一番の都、王都パレスである。辺境の村や森の中とは何もかも訳が違う。
とはいえ、ギディオンの住まいがある冬門の付近は、華やかさや賑わいの少ない王都でも北の地区で、ザザが都会に馴染むのには適した街だと言えた。
ギディオンは王室直属の近衛騎士に所属しているが、近衛騎士の常駐する王宮主要部ではなく、冬門の外の一般兵士の暮らす屯所で生活をしている。それには彼なりの理由があるのだが、ザザは彼の過去や事情については、まだ何も聞けないでいた。
ギディオンはいつも朝早く起きてすぐ、練兵場で汗を剣術や体術の稽古で汗を流す。
それが終わると練兵場付属の食堂で朝食を食べ、家に戻って体を清めてから近衛の隊服に着替えて紅桜宮に出向く。普段は日没後に家に戻るが、三日に一度は夜警があり、その日は桜花宮に泊まり込みとなる。
つまり食事はほぼ兵舎か宮で取るから、家には寝に帰るだけだ。九日に一度の休みの日以外は、判で押したように規則正しい生活を送っていた。その休日も王宮外の視察に出たり、図書館で過ごしたりしている。
──つまりほとんど家にいない。
世話役のメイサはいつも昼前にやってくる。主人が外食ばかりなので、メイサはザザのために食事を作りにくるようなものだ。
ザザはそれが申し訳なくて、都風の料理をいくつか覚えた。また、掃除や洗濯の仕方も教わり、メイサの負担を少しでも軽くしようと努めた。
手先が器用で物覚えの良いところは、ザザの数少ないとりえだ。
「まぁまぁ、ザザさん。こんなに早くいろいろ覚えられたんでは、私の仕事がなくなってしまいますわ」
メイサは嬉しそうに言った。
「わたしも、あるじさまのお役に立ちたいのです。王都のことはなにも知らないので、色々教えてください」
都人との会話に慣れていないザザだが、おっとりした中年女のメイサにはあまり気を使わないで話せる。
「あるじさまってギディオン様のことですか?」
「はい。泉で溺れかけた時、わたしの命を助けていただきました」
ザザは真面目に説明した。
「まぁ、そうなのですか?」
「……あの、メイサさんはギディオンさまのお怪我のことを知っておられますか?」
ザザはずっと気になっていたことを尋ねた。
「ええ、大きな戦でお怪我をされたんです」
「アントリュースの……?」
「はい。三年ほど前、国境の街に外国の軍勢が押し寄せてきたんですよ。そのずっと前から強盗みたいなことばっかりしている、チャンドラっていう欲張りの国なんですけどね。その時はかなり大きな争いになって」
「はい」
この辺りは以前ギディオンから聞いた話と同じだった。
「ギディオンさまは王国きっての剣士で、ずっと国境警備の軍にいらしたんです。戦が始まった時も、すぐに駆けつけて最前線で指揮を取っておられたんですけど、最後の戦いで毒矢を受けられて半年間も病院でお暮らしになっていたと」
「毒矢!」
ザザは驚いて声をあげた。珍しいことである。
「ええ、見た感じではおわかりになれないでしょう? 私も詳しくは聞けないんですけど、左手に毒の後遺症が残って以前のようには戦えなくなられたようですよ」
「……後遺症」
ギディオンさまの左手が……ちっとも気がつかなかった。
ザザは己の迂闊さを恥じた。
役に立ちたいなどと偉そうに言っておいて、自分のことで精一杯だった。
ギディオンは普通に生活する分には、何も不自由はないように見える。彼は人前で素肌を見せたことがないし、自分の過去も語らないからザザも気づけなかったのだ。
……どんなにお辛かっただろう、お苦しかっただろう……わたしがもしその場にいたら、ほんのわずかでもなにかして差し上げられたかもしれないのに……。
せめてどんな毒かわかれば、今からでもできることがあるかもしれない……強力な毒だとしても。
「それで、国境軍の仕事をお辞めになって、どなたか偉い方の勧めで近衛に入られたと聞きました。ですが見ての通り、あのご様子ですから、近衛に入ったって少しも見劣りなどされませんけどね! 本来は右利きでいらっしゃるから、今でもお強いと思います」
メイサは大変誇らしそうだ。
近衛騎士は基本的に貴族の子弟しか所属できない上に容姿も重視されるので、長身で端正なギディオンの風貌なら見栄えがするだろう。
「メイサさんは、ギディオンさまを昔からご存知なんですか?」
「はい。わたしが伯爵家にご奉公に入った時は、十四歳でいらっしゃいましたから、かれこれ十年以上ですね」
「どんな……子どもさまだったのでしょうか?」
ザザはためらいがちに聞いた。ギディオンの事ならなんでも知りたかったのだ。
「文武両道で立派なおぼっちゃまでしたよ。ですが、いつも無口で遠慮がちで……それと言うのも、ご兄弟方とはお母様が違……」
そこでメイサははっとしたように、口をつぐんだ。
「え?」
「いえ、あの……まぁまぁ私ったら、つまらないことを……普段若い娘さんとおしゃべりなどしないから、興が乗ってつい口が滑ったんですわ。すみません」
「聞いてはいけないようなお話なのですか?」
困ったように、前掛けの裾をいじっているメイサにザザは重ねて尋ねた。
「いえ、伯爵家ではみんな知ってるお話ですけど……ザザさんはギディオンさまにお仕えして、まだ日も浅いようですし……こんなこと」
「あの!」
立ち上がりかけるメイサの腕を取ってザザは頼み込む。
「わたし、ギディオンさまのこともっとよく知りたいのです。あの方にもメイサさんにも、ご迷惑になるようなことは絶対に致しません。黙っていろとおっしゃるなら死んでも言いません。だから、教えて欲しいのです」
ザザの必死の頼みにメイサの心が揺らいだ。
「死んでもだなんて、そんな言葉を若い娘さんが使ってはいけませんよ……わかりました。でも、このことは、この家の外では言わないようにしてくださいね」
「決して言いません。血の誓いをいたします」
ザザは細い手首を差し出した。
「血の誓い?」
「体のどこかを切って、血を流しながら言葉に出して誓うことです。そうすると言霊によって縛られ、破ると自分の身に禍が降りかかります」
そういうと、ザザは屈むと革靴の隠しから小刀を取り出した。
「ちょっとザザさん! よしてくださいよ! そんな恐ろしい刃物お仕舞いなさい! いつもそんなものを持ち歩いてるんですか⁉︎」
いつも優しいメイサの剣幕にザザはたじたじとなる。女性に怒られるのは、師匠のドルカ以来だった。
「あ、えっと。いつもというか……そう言う風になっているので……でもこれは役に立つんです。薬草の採取とかに」
「いいからしまってくださいな! いったいどちらの風習ですか? そんな恐ろしいこと!」
「すみません。こちらでは誓いの方法が違うのですね。ごめんなさい。もう致しません」
ザザはメイサを安心させるために、刃物を紙で包んで屑かごに捨てた。小刀は魔女の必須道具なので、後で拾っておかねばならない。
「ああ、びっくりした。ザザさんが真面目なのはわかりますけど、それはちょっとやりすぎでしたよ。まだ胸がどきどきしていますわ」
「……ごめんなさい」
またやり方を間違えてしまった。
すっかりしょげかえったザザに、メイサは却って安心したようだ。
「わかればいいんですよ。では、お話しいたしましょう。まぁ、公然の秘密というか、貴族のおうちではよくあることですしね……実はギディオン様は、セルヴァンティース伯爵、つまりご当主様の庶子なのですよ」