夜の散歩
こちら側はとうに日も暮れたというのに、低い尾根ひとつだけを隔てた向こう側には人工の昼の中を忙しなく動いているであろう存在を感じる。
すぐそこの街灯では小さな音を立てて感電した羽虫が先を逝った同類の骸の上に落ちた。
帰路を急ぐ自転車のライトが残した軌跡はすぐに静かな闇に同化する。
緩い風に晒された草が僕の頬をくすぐった。
僕は家出中じゃないしここをきょうの寝床に決めたホームレスでもないけれど、背に大地を感じて風にあたっている。この時間にこの公園の辺りをお巡りさんが通らないのは知っている。
数日にわたって家に引きこもっていて息が詰まったから散歩に出た。
思い立ったのはたまたま日付の変わりそうな時間だったけれど、この衝動を抑えるには拙すぎる障害だった。
重力に引かれた身体が重くて膝が笑った。
運動不足の体が休息を求めていたからよろけるのに抗わないで草に手をついて、そのまま草原に倒れ込むようにして横になった。視界を埋めた空に満天の星でも輝いていればいいのだけれどきょうは生憎の天気で、短い間だけ雲の隙間から覗いた月はほとんど正円だと思えた。
冷たい大地が背に心地好いけれどいつまでもこうしてはいられない。起き上がらなくてはと、とりあえず体の向きを変えるものの、その先はなかなか力が入らない。
このまま夜に溶けて消えてしまいたい。或いは世界の一部となって全てを見届けるのも面白いかもしれない。
どんな幻想を抱こうと、夜はすべてを許容してくれる気がした。
さて、そろそろ本格的に起き上がらないと。
通りすがりのお節介さんに通報されでもしてお巡りさんに補導されたくはない。補導って歳でもないか。これでも社会を構成する歯車の一部に同化できている自負はある。
やっと上体を起こしたら背が濡れていた。
そういえば昨日は雨が降っていたし、また明日も降るらしいことを思い出す。
立ち上がると世界が揺れた。
風が吹いて木々が揺れたけれどそれだけではなくて、不摂生な生活のツケもあるのだろう。
伸びをすると張り付いていた葉がどこからか落ちた。それは踏み出した足の下敷きになったかもしれない。
帰路につく足は心なしか重みを増していた。