005 なぜ俺はおばさんと話しているんだろうか
女は短剣をこちらに向けたまま話す。
「ほんとは縛り上げて、そこの森の前に吊るして聞こうと思ってたんだけどね」
顔を向けた方に目線をやると、川沿いを続く道の先、森と山が見える。
遠くから不吉な鳴き声が聞こえてくる。
確かに、そこに置いていくと言われるのと今の状況はそう変わらない。
短剣を持った手が近づく。
「賢そうなガキだし、もう気づいたんだろう?
だったらさっさと話した方が身のためだよ? 今なら放り出すだけで勘弁してあげる」
「……話したら、本当に見逃してくれますか?」
姉ちゃんをぎゅっと抱き寄せる。
「ああ、見逃すとも。ま、生きて帰れるかは知らないがね」
女はもう一度振り返り、森を見る。
「あの森の奥、山の中には竜が棲んでるって言ってね。
来た人間はみんな食われちまうんだとさ。このあたりには他に村もないだろう?」
知ったことではない。
まぁ野犬なり熊なりはいるだろう、あるいは魔物とか。
いっそ森に逃げ込むかと考えたが、できれば避けたい。
とりあえず、姉ちゃんが目を覚まして一緒に逃げ出せるのにかけて、時間を稼ぐ。
「……あの子がその、王子様ってのは、本当なの?」
「ああ、そっちは本当さ。違うのは私が保護しに来たんじゃなくて殺しに来たってこと。
でもね、本当にあの子だけでいいんだ。私もね、子どもがひどい目に遭うのなんて見たくないからね」
女は手をひらりと振って首を切るジェスチャーをする。
いちいち自分が正しいみたいな言い方が気に障るが喋ってくれるのは都合がいい。
「私も一つ聞いていいかい? あんた、どこのガキだい?」
女はまた短剣を突きつけて続ける。
「リクオンに息子はいなかったんだよねぇ、近所の子かい?
それとも色気づいて、嘘までついて一緒に来たのかい? 泣かせるじゃないか」
いちいち人を苛つかせる。
やはり女は歳を取れば取るほど性格が悪くなるんだな。
「村から逃げたものはいなかった。今は部下たちが家の中を探している。
となれば村の誰かがかくまってるのかね? 例えば……あんたの両親とか」
それはお前の部下が殺したと言いたいがこらえる。
あの短剣がなければなんとかなるだろうか。
いや、もう一人男がいる。
二人が相手ではさすがに太刀打ちできそうにない。
「……私も気が長い方じゃない。そろそろ話してくれるかい」
馬車が止まる。
村からの道のりと違って、背の高い木々がどこまでも続いている。
もうこれしかない……だろうか。
「お、教える、赤ん坊……の、居場所は……」
「ん、そうそう、子どもは素直が一番だよ」
「居場所は……」
女が手を下ろして、顔を近づける。
「教えるかババア!!」
全力で踏み込んで頭突きを放った。
一瞬ひるめば、その隙に……
「ババア……だと……この、クソガキ、人が下手に出てりゃあ調子に乗って!!」
頭突きは女の腹に当たったが、浅かったらしい。
髪を捕まれ、鬼の形相の女に睨まれている。
また、うまく行かなかった。
今度こそはと思ったのに、また衝動的にやってしまって、また失敗した。
短剣を握る手に力が込められる。
ヒステリックに叫んでいる。
より一層強く髪を掴まれ、刃が突き立てられ――――
――
――――
「はろーわーるどーーーー。お元気ですか、人間」
女の手が止まる。
さっきまで聞こえた女の叫びも、森のざわめきもない。
素っ頓狂なあの神の声だけが聞こえている。
「元気に見えますか」
「質問に質問で返すとはやはりチーキュの人間は知性が低いですね」
やれやれと首を振ってみせる。
女の前にこっちの神を一発殴っておきたいと手を握ろうとするが、体が動かない。
目線だけが動かせるが、首から下がまったく動かない。
まるで産まれた時みたいだ。
「さて、あなたを送り出す時に私は言いました。
自殺とかつまらないことはやめてくれと。リメンバー?」
「お、覚えてます」
「ではなぜ? ホワイ? 誕生から366日で死ぬのは早すぎではありませんか?
まだ小説の一章も埋まらないペースですよ? それとも毎日の食事と体調の記録を載せるのですか?
それはつまらないです、日記どころかただの赤ちゃん手帳です。あ、そういうの好きなんでしたっけ?」
「違う! 俺は……また、失敗した、だけで……」
自分で言っていて情けない。
チートなんていらないと言っておきながらまた神様に助けられている。
いや、助けるつもりはあるんだろうか?
ただ説教されてるだけじゃないのか。
神様の顔が近づく。
「あなた、私があげたチート、分かってませんね?」
「は?」
神様はまたやれやれと頭を振る。
このやれやれポーズ、実際やられるとけっこうムカつく。
仕方ない、と言って神様はどこからか一枚のカードを取り出した。
両面真っ黒なカード。
「言いましたよね、私はあげると、チート能力。それが、これです」
カードを裏返すと、ピエロの顔が描かれていた。隅にはJOKERの文字。
くるりとそれを回すとハートの描かれたカードに、トランプのエースになる。
もう一度くるりと回すと今度は上下逆の黒いハート、スペードのエースへと変わる。
「アンダスタン?」
「わかりません」
神様は深いため息をついた。
「最近の人間はみーんなそれです、ちゃんと言わないとわからないなど。
そもそも言語を分かたれたのは自分たちのせいだというのに、神に楯突くのが性とはいえ」
話を途中でやめて、神様はにこりと微笑んだ。
神様、というだけあってその笑顔は美しく、厳かで、麗らかで、宗教画のように後光が差して見えた。
まぁ実際後光が差しているが。
「ここで教えてもいいですが、人間とはピンチの時にあがく様が一番面白いです。
どんなものかは見せました、ヒントを教えました。細かい条件なんてありません。
使いさえすれば文字通りにチートが出来る能力です。ですから」
指を広げてみせた。
どうやら神様も人間と同じ指は10本らしい。
「あと10秒で時を戻します。あなたのチートで見事切り抜けてください」
突然の死刑宣告だった。
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