016 魔王の予兆
流れる雲は地球と変わらない。
つまりは、空気だとか、水の循環だとか、そういったものが限りなく近いのだろう。
イカダしかり、大まかではあるが以前の知識は役に立ちそうだ。
馬車に乗っている間はあまり話すこともない。
戦士長の弟の畑に猪が出たとか、そいつを鍋にして食ったとか。
俺の知っている動物と同じかどうかは分からないが、そんな他愛もない話を繰り返した。
そう、思ったよりも異世界感がないのだ。
横で寝ているドラゴン娘ことリズはとても異世界であった。
突然赤ん坊だった俺が少年に成長したのも異世界っぽさがある。
が、それ以外で異世界っぽいイベントがまったく起きない。
魔王とか王子とかがそれに当たると言えば当たるのだが。
「やっぱり魔物とか出ないんですか?」
「ん? んー……出ねぇなぁ。前も言ったが滅多に見るもんじゃない」
「例えばスライムとか、ゴブリンとか、オークとか……
あるいはでっかい虫とか蛇とか鳥とか、これから魔王を退治するらしいし、知りたいんです」
正直に言ってみる。
話によれば魔王と戦う時には魔物が出るらしい。
なら、本番の前に見ておきたい、知識としても単純な興味としても。
「そうだなぁ……俺もまだ実際に見たのは十もない。倒したのは一匹だけだ」
「どんな魔物ですか?」
「ドラゴンだな」
思った以上の大物であった。
隣のリズがぴくりと耳を動かす。
目を丸くするだけの俺に、軽く笑って続ける。
「もちろん一人でってわけじゃない。王国戦士団、百人近い数で、だ。
山から降りてきたドラゴン一匹を倒すのにな。それくらいの人数が必要だった」
「やっぱり強かったんですか?」
「矢が通じない、石は当たらない。槍だってほとんど傷つかない。
魔術師が魔法で動きを止めて、投石機で岩を投げつけて、何百と矢を射った。
俺は必死に盾と槍を振り回して近寄らないようにするので精一杯だったよ」
どうやらドラゴンはこちらでも知名度がある存在らしい。
リズと同じくらいの体格が標準なら、飛ぶだけでその威容は目立つだろう。
ということは、魔王が出現するとそういうのが集まってくる、ということか。
百人がかりで相手をした化物を自分が一人で倒せるようになるとは思えないが。
まず最初の夜は野営に慣れる、ということで開けた場所で用意を行う。
馬車に積んでいた柱を地面に立て、そこに布をかぶせて屋根を作る。
焚き火を用意し、川の水を鍋に汲み、火にかける。
米……米っぽい穀物と豆を煮て、おかゆのようなものが出来上がる。
最後に塩漬けにした肉を切って入れれば完成である。
「ん、割といける」
「城の食事と比べるまでもないがな。まぁ野営をするのは出来る限り少なくしたい」
「たったこれだけとは……」
「やっぱり嬢ちゃんは付いてこないほうが良かったんじゃないか?」
あっという間に一皿食べ終えたリズを見て、戦士長が声をかける。
確かに見た目はただの……亜人?の幼女である。
しかし、実際は戦士長が語ったドラゴンの一体である。
「案ずるでない。我はこう見えて強い」
「確かに亜人は俺らよりも力が強いことはあるが……」
食事を終えると、戦士長は見張りをするという。
朝になったら俺たちを起こし、仮眠の後に出発する予定だ。
というわけで、俺とリズは馬車の中で横になっている。
ここで、ようやく俺は落ち着いて自分の状況を理解できるようになっていた。
つまり、幼女と寝室を共にしているのだ。
大きくなった最初の日、王国へ行く前日、そして魔王退治出発前日の昨夜。
色々とイベントが立て込んでいてそれどころではなかった。
しかし、改めて考えると、以前の俺からは考えられない事態である。
隣で幼女が寝ている。
息遣いが聞こえ、目をやれば呼吸に合わせて胸のあたりが上下する。
もう少し大人になっていたら間違いなく危険なことになっていただろう。
この年齢になったのは、ここに来て正解であったと確信する。
「どうした主よ、眠れぬか?」
「そういうわけでは……」
「安心するがいい。事象書き換えは既に抑えた。
あと三日ほどで魔力も戻る、そうなれば最低限の魔法は使えるじゃろう。
完全に姿を戻すのは難しいが、一時的なら一ヶ月もあれば問題あるまい」
「出来れば姿はそのままがいいかな……」
思わず考えたことがそのまま出ていた。
だってのじゃロリドラゴンとかみんな好きでしょ?
俺は好き。
「ほら、魔王を倒さなきゃいけないらしいし、そのためには人の姿でいてもらう方がいいじゃん?」
「ふむ、そうじゃな。魔王を倒す者が魔王の眷属を連れているとなれば面倒じゃろう」
「そうそう、魔王の……はい?」
「ん? 知らなんだか?」
思わず起き上がった俺を見上げ、リズはふふんと鼻を鳴らす。
「我らドラゴンを含め、すべての魔物は魔王によって生まれた、あるいは変異した存在じゃ。弱い魔物は倒されたり寿命を迎えたりして消えてしまうが、我らのように強い力を持つ魔物は魔王の死後も生き続ける。
一部の魔物は繁殖なり分裂なりで生き残るみたいじゃがな」
「……ってことは、魔王が出てこないと魔物ってのは、増えない?」
「うむ。魔王降臨とともに魔物は増える、そうすれば国の一つ二つはさっくり滅ぶじゃろうな」
確かにそういうパターンもあるが、ちょっと想定外であった。
そういう話なら魔王を恐れて保険をかける王様の行動もなんとなく理解出来る。
なるべく早く魔王を見つけ出し、倒さなければ兵隊が動くような脅威が増え続ける。
「何、我は既に主に忠誠を誓ったのじゃ。他の魔物も新しい魔王に従うとも限らぬ。
気負うことなどないのじゃ。さすれば案外、次の魔王は主がなるのかも知れぬぞ」
「よくあるけどそのルートは回避したいなぁ……」
別に人間を滅ぼしたいとも思ってない、魔物のための世界を作りたいわけでもない。
どちらかと言えば人間のための世界がよい、出来るだけ幼女が幸せな世界だ。
福利厚生を充実さえ、働く世代の育児もサポート。
児童施設を拡充し、家族をなくした子どもたちも学べるように……
そう、支配とか魔王とかとは正反対である。
俺はそんな世界を見つめられればいいのだ。
子どもを悲しませ、子どもに手を出すような悪には決して……
そういえばこの世界の、この国の法や慣習は早めに調べておかねばならない。
特に結婚可能年齢とか。
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