私の本が発行されます
「明日、私の本が発行されます」
謁見の間にて少女がそう報告すると、会う度に玉座に偉そうにふんぞりかえっている少々お歳を召したイケメン王様は笑顔で数枚の書類を出した。
「王や王弟以下王宮の男性たち全員の中身アレな本発行停止申請の署名」
沈黙する少女に王様は勝ち誇った笑みを浮かべる。すると少女は無言で隠し持っていた袋から書類の束を取り出し、王様の目の前にドーンと置いた。
「城下の貴族の女性たちや商人およそ一万人の発行許可申請の署名」
謁見の間に沈黙が落ちた。
「じょ、城下……だと」
あまりの衝撃に王様は驚愕し、謁見の間にいた人たちは言葉を失っていた。
なぜか署名を出した少女の顔は暗い。
「はい、城下です……」
「そこまで広まっていたのか処女作はっ」
「王宮内だけだと思ってたのにぃぃぃいいいいいい」
少女が王様の襟首を掴んで絶叫した。
「私の処女作いつの間に城下に広まっていたの!?」
「我も初耳だ!」
「じゃあなんでこんな署名があるのよ! 漫画家初デビュー本はいろいろ趣味丸出しの処女作じゃなくて王宮内大評判の王様純愛ストーリーって決めていたのに!」
「やめろ、やめてくれ! 我が我でなくなる!」
王様の声は悲鳴を通り越してもはや懇願だった。
「というかこの署名の束はどこから手にいれたのだ!」
「今日王妃様から笑顔とともに渡されたんだけど!」
王妃と言われ、少し息苦しくなってきた王様の脳裏に雷鳴が走った。
「妃め、我が家臣を使い王宮内の男たちから署名を集めているのを見て先回りしておったな!」
少女も驚いて王様から手を離した。
「先回り!?」
襟首を直しながら、王様が神妙な面持ちで頷く。
「おそらく処女作の複製を密かに作り貴族や商人に流布して支持者を集めていたに違いない」
「何それ王妃様怖い」
作者もドン引きレベルだった。
「我も国のためと美しく聡明な貴婦人を王妃に迎えたことを後悔する日がこようとは」
王様は両手で顔を覆って俯いていた。心なしか背中が震えている気がする。周囲にいた人たちは王様に向かって心の中で合掌した。
少女はなんだか見ていられなくなって震える王様の肩に優しく手を置く。
「あの……頑張って、ね?」
「責任の半分はお前にある」
顔を上げた王様の視線は極寒のごとく冷え、背後からどす黒いオーラが漂ってくる。少女は安易に慰めたことを後悔した。
「さっさと処女作を返さない人だって悪いんだから」
互いに火花を散らす少女と王様を見やりながら、どっちもどっちですよと宰相は心の中で呟いた。
その時。
「この国の王に話がある!」
勢いよく扉が開き、少し歳若い声が謁見の間に響き渡った。
あれ何これデジャヴとか思いながら少女が振り返る。するとそこに王様にまったくこれっぽっちも似ていないイケメンの青年がわがもの顔で入ろうとして護衛の騎士たちに動きを封じられているところだった。
「ええい、離せ!」
「不審者を入れることまかりならん!」
「俺は不審者ではない!」
「待て」
暴れる青年を抑えようと騎士たちが武器を構えようとすると王様の制止が入った。
「この者は隣国の元王子だ。離してやれ」
「元王子」
少女が復唱すると王様の隣にいた宰相が口を開いた。
「隣国は我が国の属国となった際、隣国の王族は全員貴族へと格下げになりました」
「格下げ」
「これでも十分すぎる恩情です。普段なら敗戦国の王族は見せしめとして死罪か流罪ですから」
表情を変えることなくたんたんとした口調で説明する宰相に少女はこの異世界と自分との壁がうっすら見えた気がした。
王様の命令で解放された元王子は不機嫌そうな様子で鼻を鳴らす。
「ふん、別に格下げされたことに不満は持ってはいない。負けた国の王族として当然の覚悟は持っている」
「何用だ?」
「父上の国を惑わした悪魔の本について聞きたいことがあるだけだ」
王様と宰相の動きが止まった。
「国を惑わした」
「悪魔の本」
目が泳いでいる王様と宰相の言葉に、元王子が憮然としたまま頷く。
「そうだ、この国の秘蔵の品だと聞いた」
「秘蔵の、本」
少女の瞳が興味津々に輝いた。とても興味を引かれるキーワードだ。そんな少女を見て王様の背中に冷や汗が流れた。
「そ、その秘蔵の本がどうした?」
「なぜ秘蔵と言われる本が我が国に流れたのだ?」
元王子のしごく当然な質問に王様は眩暈を起こしかけた。
「秘蔵というからにはこの国で厳重に保管されて外部には持ち出されないようにしてあったはずだろう? なぜそれが父上の国に流れていた? この国はそんなに管理が雑なのか?」
雑という言葉が王様の胸に突き刺さりつい泣きそうになった。なぜ最近こう我を追い詰める質問が多いのだろうと。我が何をした。ただ単にアレな本を使って国内に居座っていた政敵や他国の隠密を一掃しただけなのに。
宰相が聞いていたらもはや口癖になっている自業自得ーとか言い出しそうなので、王様は愚痴りたくなるのを懸命に堪えた。頑張れ我、負けるな我、ここが勝負時だ、と。
王様は周囲にばれないように小さくこっそり深呼吸をして心を落ち着かせてから、王様らしい威厳ある態度をなんとか作った。
「その管理が雑な国の秘蔵に翻弄されて敗戦した王族の言葉がそれか」
「……何?」
台詞がもはや負け惜しみにしかならなかったが、騎士団総長の王弟に性格が似てそうな元王子には効果があったようだ。明らかに不機嫌な表情をしながら片眉を上げてこちらを睨みつけている。
「我が国の秘蔵をどう扱おうが我が国の勝手。隣国の、ましてや我が国に負けた者たちにとやかく言われる筋合いはない」
「ふん、悪魔の本を巡ってこの国の諜報部隊が次々と父上の国に来ていたことは把握している。大方あの本を使って惑わし隙ができたところを狙ったのだろう」
前言撤回。この元王子と王弟交換したいと王様は切実に願った。
「自ら戦争を起こすならば勝利を確信したときでないと兵や民の被害が大きくなる。こちらが少しでも有利になるならば当然の対策だ」
「……あの本は何なのだ?」
本音はそちらかと王様の表情が険しいものになる。
「俺の姉妹も母もあの本のとりこになった。従兄弟や義姉妹、王宮内に勤めている騎士たちの身内の女性やメイドまでもだ。内助の功を得られなくなった男たちは女たちの豹変した態度に困惑し、精神をおかしくして仕事がうまく回らなくなった。そこにこの国の諜報部隊が隙を突いて大混乱だ」
そこまでひどくなったのかと王様以下家臣一同は戦慄した。諜報部隊を使って片っ端から拘束したのは王様のせいだけど。
「もはや戦う前から戦いにならなかった。父上は早々に戦を放棄し素直に下った。父上は国の兵や民を何よりも大事にしている方だからな」
「隣国の王の判断は賢明で最上だ。同じく国を、民を思うものとして尊敬の念を抱いている」
「当然だ、俺の父上なのだからな」
心の底から尊敬しているのだろう、その自信満々な発言と態度が物語っていた。だがすぐさま余裕の表情に影が差す。
「しかしその父上でさえ制御仕切れなかったあの悪魔の本が恐ろしい。なぜあの本が存在しているのだ?」
それは我が聞きたいと内心で王様は激しく同意した。悪魔の本の生みの親は話についていけずただ聞き入るだけだ。
「あの本がなければ父上の国はまともに戦うことができた。勝敗はともかくこんなにあっさりと祖国を渡すことはなかった! 先祖代々長年守ってきた土地を、民を、国を!」
元王子の慟哭は謁見の間だけではなくこの部屋にいる一同全員の心にまで響き渡る。しばらく誰も何も言う言葉が見つからず沈黙だけが空間を支配した。
しかしその沈黙を破ったのは王様の一言だった。
「悪魔の本か、私はそうは思わん」
同じく被害者であると同時に加害者である王様は玉座から立ち上がると、虚ろな瞳で見上げる元王子をその高みから見下ろす。
「そうだな、私にとってはそう、女神の本だ」
「め、女神?」
元王子は顔にありありと困惑の色を表した。
「国内の政敵を一掃し、はては隣国まで手に入れ我が国はさらに富んだ。これを悪魔といったら罰があたる」
そう女神だ。生みの親が女性だから、この国に幸運を運んでくれる神のような本だから。
目を見張る元王子に、王様は優越感に浸り自然と笑みが浮かぶ。
「物は自らの意思を持たぬ。物の価値を決めるのは人。物は扱う者次第で悪魔にも女神にもなる」
女は気まぐれだ。気分次第で敵にも味方にもなる。その女が生み出した本も王様は散々翻弄してきたしされてきた。おそらくそれはこれからも続くだろう。
だが王様はこの国の王だ。何があろうと何がこようと決して逃げられない立場にいる人間なのだ。たとえ自らにとって悪魔の本であろうとこの国にとって富を運ぶ女神の本であり続けるならば王は喜んで悪魔にも魂を売ろう。
「隣国の王は女神を扱うにはまだ器が足りなかったのだよ。まだ、な」
心を、未来を見透かすかのような不可思議な視線に元王子は震え上がる。この国の王がいる位置が自分からはあまりに遠過ぎて元王子が悔しそうに唇を振るわせる。拳は痛いくらい強く握られていた。
「……足りるというのか、この国の王には」
王は背を向けた。
「それを判断するのはこの国の未来だ。我でも家臣でもこの国の民でもない、未来の国の姿だ」
うな垂れた元王子が騎士に連れられて謁見の間から出ていく。
「悪魔で女神でもある本か」
さきほどの話の内容を思い出し、少女の瞳は爛々と輝いた。
「これは創作意欲を刺激されるわね! ぜひ見てみたいわ!」
「!?」
王様が即座に我に返る。そういえばコイツもここにいたのだと。
「取り戻せたら私にも見せて下さい!」
王様の眼前に迫る少女にお前の処女作だとは素直に言えなかった。いや、どうやって言えようか。あんなにかっこつけて言った後ならなおさら王様のプライドが許さなかった。
「く、国の秘蔵だと言っているだろう!」
「本くらいいいじゃない、減るものでもないし」
少女の言葉はストレートに王様に突き刺さったが、断固として拒否した。
あまりにも融通が利かない王様に少女はだんだん頬を膨らまして不機嫌な態度をとる。
「ならどうしたら見せてくれるの?」
つい骨髄反射のごとく即答した。
「今すぐ我が被害者になっている本をすべて発行停止するのであれば」
「いいわ」
「……!」
あっさり承諾する少女に嬉しさのあまり王様の顔が輝きだす。
「加害者にするから」
「オイ」
女神のほうが一枚上手でしたね、と宰相はうな垂れる王様に生暖かい眼差しを向けた。