私の王様
「これは今季の収穫量を示した報告書で――」
「ああ……」
謁見の間にて宰相がそう報告をすると、王座に気怠そうに腰掛けている少々お歳のイケメン王様は小さい声でそう返事をした。卓上に積み重ねられた書類に面倒そうに視線を向けながら、上の空で返事をするだけだ。
そんな王様の様子を宰相は気にすることなく、いつもの調子で粛々と報告を続ける。
「こちらは前の議会で提出された議案で――」
「うぬ……」
「これらは後宮の方々に献上する品々の一覧で――」
「うむ……」
「そしてこれはつい先日発売されたドキッ、陛下なんて大胆セクシー画集で――」
「ああ……。……――ぁあん!?」
一瞬うっかりそのまま返事をした王様は聞き捨てならない言葉に我に返ったようだ。目の前に置かれた画集にしては厚さがあるその冊子の表紙はどうみてもあの少女が描いた王様の絵である。
「ちょっと、いや待て、ものすごく待て」
無機質な紙束の上にどうみても場違いとしか思えない画集。画集があること自体知らなかったのだろう当の王様は混乱した様子でまじまじとその画集を凝視した。
驚きで固まる王様を予想していたのか、宰相はこれまた動じずに説明を続けた。
「大丈夫です。色々と際どいところもありますが最低でも海水パンツ程度のガードはあります。一部の人々からすべてをさらけ出しましょうとの意見もありましたが陛下の心情を考え棄却されました」
「それなら――……って違う!」
「なんと登場人物は陛下だけなのに百ページ以上。構図や色使いも大胆かつ繊細、そしてダイナミック。私服だけでなく様々な仕事着や民族衣装などを着こなし見るものすべてを魅了するその姿から今年のベストオブブックの首位を狙えるとの評判で――」
「何それ見たい……――ではなく!」
「ああ、加害者か被害者ですか? それも問題ありません。陛下しかいないのでどちらともなりたくてもなれません」
「どちらもなりたいとも思ったこともないわっ!」
王様は怒鳴りつつ、確認のため差し出された画集をパラパラとめくり――途中で手を止めた。
「……ところどころ服どころか布一枚しかまとっていない絵があるのだが……」
羞恥心なのか怒りなのか、俯いた王様の声はかすかに震えている。そんな王様を見て宰相は神妙な面持ちで力強く頷いた。
「削除するべきかギリギリのラインまで攻めるべきか、少女と編集者と王妃様との間で日夜白熱した議論が交わされた結果!……――が、それだそうです」
宰相はとても晴れやかな笑顔になった。
「よかったですね陛下。画集が出てからの陛下個人の支持率がどの地域でも元国王を越えて急上昇だそうですよ。主にご婦人の方々からですが」
「すっごく複雑」
王様は真顔になった。そしてそのまま黙って画集を睨む王様に不穏な気配を悟った宰相ははっきりと忠告した。
「諜報部隊を動かすのは却下します」
宰相の耳に小さく舌打ちするような音が届いたが聞こえなかったふりをした。
「それよりも」
王様は宰相に向き直った。
「なぜあれの新刊をお前が報告している?」
「さて」
予想していた質問であったのか、宰相は王様の問をさらりと流した。その反応に王様は眉間にシワを寄せた。
「報告するのはあやつの仕事のうちだ。そしてここ二ヶ月ほど一度たりとてここに足を踏み入れていない。忙しいのかと思いきや突如として報告するのが宰相ときた」
「呼べばいいではないですか」
宰相の言葉に「うっ」と王様が唸る。
「……何度招集命令を出しても拒否するのだ」
そうぼやいた後に王様は深々と溜息をついた。口にはしないがどことなく寂しそうな様子も見てとれる。
(自ら会いに……とは行けないお立場ですからね)
王妃や妾ならまだしも、ここら一帯なら知る人ぞ知る人物になった少女でさえ身分は未だ庶民だ。本来は雲の上の人物である王様が庶民にわざわざ会いに行くこと自体異例なのである。
そして何度呼んでも来ない。本来ならば不敬罪を通り越して首が飛んでもおかしくないが、相手があの少女なだけに誰もが納得の上、黙認している。前はどんなに忙しかろうが少しでも時間を作って必ず王様の前に来ていただけに、これほど長く会えない状況は王様にもかなり堪えているようだった。
「あの本を返してからというもの、まったく音沙汰がない。様子だけでも探ろうと諜報部隊直属のメイドを送り込んでもあやつが籠もっている仕事場には安易に侵入できない」
「自国領土内の、しかも貴族でもない平民が住む一室なのに不思議ですよね」
苦悩する王様に宰相は内心呆れつつ生暖かい眼差しを向けた。
「おそらく女王の孫の駒か元隣国国王の犬どものせいだろうが」
「いつの間にか世話係も代わってましたね」
「国外販売の三十冊初版が入手困難だったのでな……」
どこか遠い眼差しを向ける王様にそれでは仕方ありませんねと宰相も妙な気分で納得した。
「とにかくなぜそんな厳重警戒区域にお前が侵入できたのだ?」
「なぜって呼ばれたからですよ彼女に」
「んなっ!?」
サラッと答えた宰相に王様は驚愕の表情のまま固まった。
*****
「描いても描いても王様ばかりになる! 他の人が描けない! 漫画が作れない!」
部屋中丸められた紙ばかりの部屋に、少女が一人頭を抱えながら悶ていた。全然原稿が進まないとの知らせに仕事の合間を縫って宰相が少女の仕事部屋を覗いてみたらこれである。
「うう〜……王様の馬鹿ぁ!」
涙目で喚き散らす少女を一瞥したあと、宰相は一枚の紙を手に取り、そして二枚目、三枚目と落ちている紙を拾っては広げて中身を確認した。
それぞれネームかと思いきやまさかの人物画、そして少女の言うように王様だらけだった。下書き状態とはいえ様々なアングルから描かれている王様の表情は素人の目から見てもどれも生き生きとしているように思える。
ふと、このままゴミとして捨てられるのは勿体ないと宰相は思った。
落ちていたすべての紙を広げ並べると、宰相は大きく頷いた。
「せっかくなのでその紙に描かれた陛下の絵、清書して画集として本にしてみては?」
「えっ」
*****
発案者は宰相である。でもそれをやると決め、実行したのは少女ともう何代目なのか数えるのも面倒になった編集者である。私は悪くないと胸を張ってそう答える用意は本が出たときから常に万全である。
宰相が少女に呼ばれたときのことを思い出していると、突然首元を強く引っ張られた。いきなりなことに驚いてバランスを崩しそうになった宰相を支えたのは怒りでこちらを睨む王様であった。
「なぜ呼んでいる俺が呼ばれなくて、呼んでない宰相が呼ばれるのだ!?」
「陛下、驚きのあまり一人称が素になっていますよ」
「う、うむ……。いや、だがっ!?」
「それに前にも報告しましたが新刊が出れば本人から直接受け取っていますから、過去にも何度か彼女の部屋にも行っております」
実を言えばその過去にも時々お呼ばれしてお茶菓子をつつきながら本の意見など聞かれていたりしている間柄なので、宰相にとってはたまの挨拶みたいなものだ。だがそんなことを伝えると長らく少女に会えずに感情が荒ぶっている王様から何が飛んでくるかわかったものではないので宰相は黙っておいた。
感情をぶつけても冷静な宰相に王様も我に帰ったのか、短い謝罪とともに宰相の襟首から手を離した。
宰相は乱れた首元を正すと、どこか元気のない王様に一つ提案をした。
「文を書いてみてはどうでしょう。会いたいと、陛下の素直なお気持ちを書いて渡すのです」
「文……」
「命令ではなく気持ちを込めたお願いであれば彼女も心動いてくれるかもしれません」
ふむ、と王様は小さく唸る。
「そういえば宰相は今の奥方と恋愛結婚であったな」
「もともと許嫁ではありましたが」
「幼少期に顔合わせした瞬間に一目惚れをし、付き合い始めるまでほぼ毎日のように奥方に文を送っていたと聞いておる」
「筆まめですので、苦ではありませんでした」
これ以上会話を続けると調子に乗りだした王様に何言われるかわかったものではないので、話を変えようと宰相は王様の前に置いてある画集を指差した。
「陛下、最後のページをご覧ください」
「?」
宰相に言われパラパラとページをめくっていた王様の手が最後のページで止まった。
「これは……!」
謁見の間にて王様が一人、いつもの派手な衣装を着て画面の向こうの人物に向かい、真正面から不敵な笑みで堂々と佇んでいる。構図としてはただそれだけの絵である。だが他の絵よりもより細部まで丁重に描き込まれ色付けされたその絵は、王様の姿に見慣れた宰相でさえ時間を忘れて見入るほどの迫力であった。
「タイトルは私の王様、だそうです」
ちらりと王様を見ると、最初にこの絵を見た宰相と同じ反応をしていた。
「……良いな。とても良い絵だ」
そうポツリと呟く王様は先程までの憂いた様子はどこへやら。少し嬉しそうな、それでいてとても穏やかな表情をしている。それを見て宰相も自然と口元を綻ばせた。
「あやつにここまで画力があったとは知らなかった。印刷されたものではなく直で見たいものだ。これだけの力作ならば原画も部屋に大事に飾ってあるのだろう?」
「売りました」
「はっ?」
目が点になった王様に、宰相は淡々と答えた。
「なにせここしばらく新刊がなかったため、二ヶ月もタダ飯は申し訳ないからと少女から許可が出たので――あっさりと」
編集者も当初はすべて保管しておくつもりだったのだが、絵ならば額縁に入れて飾りたいとの問い合わせが多かったらしく、最終的にはオークション形式でいくつか売却をした。特にこの最後の絵はファンの間で一時取引ストップするほどの高値合戦が続いたという。
「ハハハ! あやつらしい。絵そのものではなく描きあげたことで十分満足したのか」
ひとしきり笑ったあと、王様は私の王様とタイトルがついた絵を覗き込んだ。
「だが……ククク。宰相、これは人の感情に鈍い我でもわかるぞ」
「というと?」
「あやつは得意の絵を使い全力で我にぶつかってきたのだ。ならば我もそれに答えねば男ではあるまい」
晴れやかな様子でそう言い放つと、王様は手を上げた。いつの間にか王様のそばに現れたメイドが持っていたのは一目で上質とわかる数枚の便箋と封筒である。
王様はメイドからそれを受け取ると、使い慣らした羽ペンを片手に持った。
「自分の素直な気持ちを書けばいいのだろう? 書き方を教えてくれないか筆まめ先生?」
そう言い放つ王様は真面目な顔ながら口調はどこか楽しんでいるかのような様子だったので、宰相は小さく息を吐いた。
「私の教えは生半可なものではありませんが」
「歓迎だ。大国を統べる我がたった一人の女を掴めないとは天下の恥だからな。ぐうの音も出ない完璧なものを仕上げてみせる」
「女性に送る恋文の心構えとしてはいかがなものかと思いますが」
宰相のツッコミにすっかりいつもの調子を取り戻した王様はあのふてぶてしい表情でニヤリと笑みを浮かべた。
「それが我の、この国の王の流儀である」
その様子があの画集の最後の絵と重って見え、宰相は目を見張った。




