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私の本を

「陛下は彼女という存在をどうお考えになっているのでしょうか?」


 一体何を言い出すのだと王様は言おうとしたが、宰相から放たれる気迫が普段とは違う様子に息を呑んだ。


「……どう、とは?」

「彼女を陛下のそばに――妾にしたいのか。それかただ友達ごっこを続けたいのか、それとも――」


 宰相の目がスッと細くなる。


「彼女の元いた世界に帰したいのか」

「!?」


 冷水を浴びたかのような心地に王様の全身に震えが走った。

 宰相を凝視したまま完全に動けなくなった王様を一瞥したあと、当の宰相はふと窓の外に視線を向けた。


「そもそも彼女は元々こちらの世界の人間ではありません。何が原因でこちらに来たのかはわかりませんが、突然来たのであればある日突然彼女の世界に返ることもありえない話ではありません」


 宰相の言葉は刃となって王様の胸に深く突き刺さった。

 少女が別れの言葉もなく突然いなくなる、そんな事態を想定しなかったわけではない。だが実際起こると想像するだけで王様の肝が冷え自然と息が浅くなった。


「彼女はこちらの世界に来たとき 『処女作が完成した瞬間』 と言いました。つまり」

「……この本が持ち主の手に戻ればいつ元の世界に戻ってもおかしくはない」


 王様の言葉に宰相は王様のほうに振り向いて頷いた。


「あくまでこれは私の推測ですが」


 視線を彷徨わせる王様に宰相はたんたんと話し続ける。


「彼女をこの世界に縛る未練は 『処女作を取り戻すこと』 でした。それが達成すればこの世界に未練はなくなります」

「未練……」

「推測ですので彼女が自分の手に処女作を取り戻した直後にいなくなるかどうかはわかりません。結局こちらへ来た条件も帰る方法も両方わからないままですから彼女は死ぬまでずっとこの世界に残り続けるかもしれません」


 少女がこの世界に来たばかりのときは宰相とて変わった女が来たとしか思っていなかった。

 だが今は違う。少女の価値、そして王様の少女への執着心を見た今としては。


「ですが覚悟はしておいてください。この本を彼女に返すというのであれば、この世界に彼女を縛るものがなくなりますから」


 忠告ではなくこれは警告だと宰相の目が語っていた。

 王様の唇が硬くかみ締められる。宰相の言葉が王様の脳裏に深く刻み込まれた。


「……わかった」


 本を受け取ろうと手を伸ばした王様の目の前で、宰相はサッと本を奪い取る。

 本を取り逃した王様は思わず宰相を睨みつけた。


「どういうつもりだ?」

「我々は陛下の家臣であり彼女の味方ではありません」


 宰相がいった意味が理解できず眉を潜める王様に宰相はもう一度口を開いた。


「彼女を自分の手元においておきたいなら我々は全力をもってこの本が彼女の手に渡ることを阻止します」

「!」


 いつの間にか宰相の背後には家臣一同、それだけではなく普段隠れているメイドたちまで並び一斉に王様に膝をついて頭を垂れていた。


「彼女が元の世界に戻る可能性がひとつでも生まれるのであれば、この本は彼女に返すべきではありません」


 宰相の言葉に思わず王様はうろたえた。


 それは……困る。

 王様は少女と約束をしたのだ。自分の誇りにかけてこの本を少女に返すと。

 だが宰相の提案は今の王様にとっては大変魅力的なものだった。

 王様とて少女を手放したくはない。手放したら、おそらく自分の中の何かが変わる。その恐怖に王様は耐えられるかどうかわからなかった。


 だが出会った当初から変わらない少女が唯一求めていたもの、それが目の前にあるという事実が王様の心に重く圧し掛かる。


「処分は、しないのか」


 王様の口の中はカラカラに乾いていた。


「この本を処分したら一緒にこの世界に来た彼女がどうなるか予測不能ですので処分はできません。……いや」


 したくありません、と宰相は答えた。

 王様はつい宰相の顔を見た。……そして口元に笑みを浮かべる。

 なるほど宰相も宰相なりに、というわけか。


「どうしますか、陛下」


 宰相は思わず見本にしたくなるような丁重なしぐさで頭を下げた。己の主へと。


「返答をお聞かせ下さい」


 王様の喉仏が上下に動いた。





「一日に二度も呼ぶなんて珍しいね」


 謁見の間に戻ってきた少女は、謁見の間に一人たたずむ王様に驚いた。

 いつも必ずいるはずの宰相以下護衛の騎士といった家臣一同が誰もいなかったのだ。ただでさえ広い謁見の間が余計大きく見えた。


「あれ? なんでみんないないの?」


 少女はきょろきょろと謁見の間を見渡す。


「人払いした」

「なんで?」


 首を傾げる少女に、王様は真剣な眼差しで見つめる。


「聞きたいことがある」


 普段とは違う、王様の鋭い視線が少女を射抜く。

 王様特有の威圧感に押され少女は思わず背筋を伸ばした。


「お前は自分の世界に帰りたいか?」


 一瞬反応できなかった。


「えっ?」

「お前は自分の世界に帰りたいかと聞いている」


 目を見張る少女に王様はもう一度口にした。

 突然の話に驚く少女に王様はフイッと視線を天井に向けた。


「お前が戻りたいと願うなら……我は、止めぬ」

「!」


 驚きで目をこれでもかと大きくする少女に、王様は俯いたまま拳を握り締めた。


「そもそもお前がこの世界にいること事態異常なことだ。お前と我がこうして会話すること自体本来ありえなかった。だが」


 こちらを向いた王様は笑顔を浮かべていた。だがそれはいつもの不敵な笑みとは程遠く、どこか儚いようにも見えた。


「なんの因果か、お前は世界を渡りこの場に存在し、我とこうして会話をしている」

「王様……」


 本日最初に会ったときのふてぶてしい様子とは違う王様の姿に少女は呆然と呟く。

 こんな顔を王様がするなんて少女は今まで一度も見たことがなかった。


「それが幸運だったのか不幸だったのか、今の我にはわからぬ」


 少女はその細くて小さい両手を硬く握り締めた。豆ダコとペンの黒い汚れが年中とれない手を。


「元の世界に戻る方法が見つかったの?」


 王様は首を横に振った。それを見た少女は自然と肩の力が抜けた。


「なら、なんで?」

「これだ」


 王様が懐から取り出した本を見て少女の目だけでなく口まで大きく開いた。

 そしてビシッと本を指差す。


「ああっ! 私の処女作!」

「これは――」


 王様が口を開いたとたん、少女は走り出していた。


「私の本を」


 少女はおそらく自己新記録のスピードで王様まで近づくと


「返して下さい!」


 呆気にとられる王様の腕から処女作を奪い取る。そのときフッと王様のコロンの香りが少女の鼻腔をくすぐった。


「ああーっ!?」


 王様の悲鳴のような絶叫が謁見の間全体に響き渡った。

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