私の本が盗まれました
「私の本が盗まれました!」
謁見の間にてそう少女が訴えると、玉座に偉そうにふんぞりかえっている少々お歳を召したイケメン王様は無言で親指を自分の横に向けた。
王様が指差した方向を見れば臨時で用意したのか、いつもはなかったはずのソファに東王が座り床に少女の本を数冊散らかしながら寝転んで読んでいた。
「あー! 私の部屋から盗まれた本!」
「お前、こんな本描いているのな」
少女の悲鳴に、東王は本の隙間から呆れた顔を見せる。
「途中まで話はいいのになんで最後全部アレになるんだ?」
「仕方ないでしょ性分だもの! ……ってなんで子供が見てるのよぉぉぉおおおお!」
「子供言うな」
東王がペラリとページを捲ろうとした本を宰相がサッと奪い取った。
「アレになりそうなときはきちんと取り上げてますのでご心配なく」
無表情にたんたんと答える宰相とは反対に、無理やり本をとられる東王は少々不満げだ。
王様は肘をついて顎を支えながら二人の様子を眺める。
「我としてはどのページからどういうことになるのかすべて把握している宰相のほうが怖いが」
王様の呆れたような呟きにそりゃそうよと少女は言う。
「なんだかんだ新刊出たら宰相に一冊送れって言われてるから渡しているよ」
宰相は小さくため息をついた。その顔はどことなく疲労感が見える。
「アナタの本は良くも悪くも国単位で影響を及ぼしますから、一応仕事として目を通しているだけですよ」
「私、ただ本作っているだけなのにな」
「この世界にはアナタの本は刺激が強すぎるのですよ、いろいろな意味で」
一通り本を見終わった東王がソファから立ち上がった。
「余にはよくわからないが……こういう本が女子に多大な影響を与えるのだな」
「まだわからないでいい、いや一生わからないでいい」
「余をバカにしてないか?」
不機嫌になった東王が王様を覗き込むが王様はいつもの無愛想な顔で東王を見返すだけだ。
東王は自分の周辺に散らばった少女の本に視線を向ける。
「こんな危険な本、販売しなければよいものを」
「我が国では女性票と商人票の前に男性票は敗北した。女帝の国では男女関係なく国をあげて歓迎された」
「極端すぎるだろ」
さすがの東王も呆れ返る。
「それで? 東国はどうする?」
王様の質問にしばらく悩んでいた東王だが、やがて諦めた様子で首を振った。
「どうせ交易路から余の国に流れてくるのだから止めようがあるまい」
「なら」
「ああ、編集者とやらは解放しよう」
少女が黄色い声を上げた。
「本当!? 嬉しい!」
これでやっと仕事が進むわーと喜んでいる少女に東王は声を張り上げた。
「ただし条件がある」
「条件?」
少女は首を傾げた。
口の端を上げて笑う東王に王様が口を開く。
「婚姻の話ならまた新たに娘が生まれたときにでも――」
「その娘はいらん」
「なに?」
警戒感をあらわにする王様に東王はビシッと指を指した、少女を。
「本の娘を貰おう」
「……へ、私?」
思わず自分自身を指す少女に、東王は頷いた。
「お前の作る本は面白いくらい人を動かす。余は気にいった。お前を土産に余は国へ帰る」
慌てたのはもちろん指された本人だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は東国に行く気はないわよ!」
「平民が何を言う。王族直々の指名だぞ」
「その平民なんだから王族と結婚なんて無理よ!」
東王は小さく首を振る。
「何も余と添い遂げる必要はない。余の国でその本を描き続ければよい。生活と仕事する場所が変わるだけだ」
予想外の答えに少女は戸惑った。
「どういうこと?」
「そもそも余がこの国に来たのは余の母上に対抗する力をつけるためだ。だが発想を変えて戦うことはせず逆に母上を味方につければ?」
東王は落ちていた本を拾い上げた。
「あの本は母上にも影響を与えた。おそらくこれらの本は母上も気にいるだろう。その本を作った作者が余の味方であれば母上も少しは余を見る目が変わるはずだ」
唖然とする周囲に東王は不敵な笑みを浮かべる。
「心配するな。母上は気に入った人間を厚遇する人だからお前を悪いようにはせん。身の安全は余が保障する」
「で、でも」
「ならお試しはどうだ? しばらく余の国で生活し仕事をする。気に入れば永住、気にいらなかったらこの国に戻ってくればよい」
東王は小さな手を差し伸べた。来る気があるならこの手を取れということか。
少女の心は揺れた。ここまで選択の自由があるなら少し行ってみてもいいのではないかと。いくら好きなことが続けられているとはいえずっとこの王室に篭っているせいか少女は刺激に飢えていた。かなり遠い国ならきっとこことはもっと違うものが沢山見たり聞けたりできるはずだ。創作に刺激は重要だ。
無理やり結婚する必要はないし好きなことが続けられるのならば。
ふらふらと、まるで火に寄せられる虫のように少女はその小さな手に自分の手を伸ばし――。
「我は許さぬ!」
「!?」
鼓膜が破れそうなほどの大音声が謁見の間に響き渡った。思わず耳に両手を押さえる少女の、その腕を王様は引っ張り自分の胸にしっかりと抱きしめた。コロンだろうか、王様がつけている男のものらしき香水が少女の鼻腔をくすぐる。
「!? ……!?」
王様にしっかり抱きしめられ、尚且つ王様の鼓動をはっきりと感じるくらいきつく抱きしめられ少女の頭はもうパニック寸前だった。生まれて十何年。男の温もりなぞ小さいころに父親に背負われて以来経験なしの初心な少女なのだ。あんな本描いていても。
そんな少女の胸中なんてつゆ知らず、王様は少しずつ距離を開けながら東王を睨みつける。
「この者は我のものだ。我の許可なくして東国に渡ることは許さぬ!」
東王の顔が不愉快といわんばかりの怒りの表情になる。
「そんな話は聞いたことがないぞ。この娘は貴殿の娘でもなければ側室や妾ですらあるまい」
ぐっ、と王様が苦々しい顔をする。
「それに貴殿と少女はよく衝突していたのだろう? ならば貴殿にとっても少女はそこまで好いてはいない人間のはずだ。何をそこまで己のもの扱いする?」
「……この者の本は国の特権だ」
「ならばその特許料はそのままこの国において置けばよい。余はその女の身柄がほしいのであって金がほしいわけではない」
そうだ、東王の提案は少女にとってもこの国にとってもさほど悪いものではない。少女がこの国の人間でない限りどこへ行こうが少女の自由なのだから。
だが王様は嫌だった。考えれば考えるほどあのもやもやとした不愉快な感覚が胸の奥底からどんどん沸いてくる。理性ではなく本能がこの少女を手放してはダメだと訴えていた。
この手を放したら自分の中の何かが崩れていきそうで。
少女を抱きしめたままだんまりを決める王様に、東王はだんだんイライラしてきた。
「一体なんなのだ? 何が気に入らないのだ?」
「東王」
「なんだ」
声をかけられた東王はかけた本人である宰相のほうに振り向いた。苛立つ東王に宰相は丁重なしぐさで頭を下げた。
「申し訳ありません。この少女は我が国にとって大切な客人でございます。東国だけでなく他国に移住させる予定はありません」
「なぜだ? そんなにこの国にはあの本が必要なのか?」
頭を上げた宰相は真っ直ぐ東王を見据えた。
「陛下にとって本あるなしは関係ありません。少女自身が陛下にとってなくてはならない人ということでございます。胸中お察し下さい」
東王の目が大きく見開いた。王様の腕の中で話を聞いていた少女は東王以上に驚いた。同じく宰相の言葉を聞いているはずの王様は俯いたまま沈黙を続けている。
驚きから我に返った東王は少女を固く抱きしめ続ける王様を見て、やがて大きなため息をついた。
「そんなに大事ならば籠の中にでも閉じ込めておけばよいものを」
「それでは彼女が彼女でなくなりますゆえ」
東王は何度か瞬きしたあと、やがて小さく笑った。
「なるほど、今のままが一番のお気に入りというわけか」
「ご明察の通りでございます」
「まるで気に入った玩具を頑なに手放さない母上のようだ」
どこの国でも同じなのだなと東王は子供らしくない表情をする。
「ならば仕方あるまい。余も大国の王を敵に回す気はない」
「ありがとうございます」
再度頭を下げた宰相は突如現れたメイドから書類を受け取り、それを東王に差し出す。
「例の本と人質を含めたもろもろの条約でございます。内容をご確認の上、問題なければあとで陛下とご一緒に調印をお願いします」
受け取った東王はサッと目を通し、書いてある内容に目を見開いた。
「いいのかこれは?」
「陛下の許可は頂戴しております」
驚きの内容に東王が思わず尋ねると、宰相は口元に小さく笑みを浮かべた。
「今は必要なくとも後先を考えると必要でしょう?」
「う……」
「それにこれは授業料込みです。陛下には良い勉強になったことですから」
「授業料?」
なんだそれはと疑問符を浮かべるが宰相は笑みを浮かべたまま答えなかった。
まぁ自分に都合がいいならばとそれ以上追求せずに東王は貰った書類を懐に仕舞った。
「あとで家臣の者と相談の上、返答する」
「承知しました」
謁見の間への扉へと歩き出した東王は、ふと足を止めると振り向いた。
「大事なら大事と最初からそう言え」
東王の言葉に顔を上げた王様はやがてそっぽを向いてこう言った。
「……我も驚いている」
目を見開いた東王は、やがて小さく吹き出した。
東王が扉の向こうに消えたあと、王様はようやっと少女を解放した。解放された少女は王様から距離をとると思いっきり背伸びをした。
「んー! ちょっと苦しかった」
「……すまん」
ぶっきらぼうに謝る王様に少女は微笑む。内心嬉しかったような、少し残念だったかのような複雑な気持ちを隠しながら。
「大事に思ってくれて、ありがとう」
王様の目が見張る。少女は笑った。
「でもせっかくの長距離旅行がなくなったのが辛いところかな」
「そんなに行きたかったのか?」
「ずっと王宮に篭っているんだもん。ネタ作りのためにもたまには刺激があるところに行きたいよ」
少女の願望に王様はそれならと提案する。
「我が連れて行ってやる」
少女の瞳が大きく見開いた。
「本当?」
「ああ、どことなりともだ」
それで少女を自分の下に繋ぎとめておけるなら安いものだ。
真面目な顔で頷く王様に少女は嬉しそうな顔をしてじゃあ、とお願いを口にした。
「オカマバーかニューハーフのお店!」
「は?」
王様どころか宰相以下家臣一同の目が点になった。
「この前、東王が男の娘してたときにピンと来てさ」
頬を痙攣させる王様に少女はニコニコと笑う。
「今度の本のネタに王様が女装する話を取り入れてみようと思って参考までに一度行ってみたかったんだよね。それに創作意欲のいい刺激になると思うんだ」
それは確かに十分刺激になるだろうが。
「普通男女が出かけるとなったらデートスポットか観光地だろう!?」
「私は本のネタになるようなところに行きたいの!」
「それならひとりで行け! あと女装は我ではなく元国王か弟にしろ!」
少女はキッと王様を睨んだ。
「ひどい! おネエに囲まれる王様の反応も見てみたかったのに!」
「嫌に決まっているだろうが!」
王様の怒声はもはや悲鳴だった。
頬を膨らませた少女はそれならと違う提案をする。
「いかなくていいから化粧してドレス着た姿をスケッチさせて?」
「首を小さく傾げて可愛らしく言ったってやらんもんはやらん!」
「減るもんじゃないんだしいいじゃない!」
「減る! 我の中の何かが確実に減る!」
またもやギャーギャー言い争いを始めた二人に家臣一同はやれやれと首を振る。
少しは進展するかと思ったのですがね、と宰相はこっそり嘆いた。




