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妄想論

アザーな人々と希少価値

作者: とびうお君

 テーマや目的の様なものがあるとすると、私はなろうファンタジーが正しく理解されて欲しいというのが有る。悪口を言われるのはまだ我慢できる。それはそう言われる原因がなんとなく想像できるから。でも全く話しにならない出鱈目な思い込みでなろうファンタジーを読む奴なんてそうとう好みが特殊でアホだって決め付けである。


 多くのこういった悪口の根本に一般という言葉がある。以前からこれ本当に馬鹿馬鹿しいから止めて欲しい。何故差別に神経質になるか?と言うと、人はそれをやってしまうからだ。その時多いケースがマジョリティ側からマイノリティ側を攻撃するケースだ。差別をやめようなんて話をするわけじゃない。マジョリティって幻想からマイノリティが攻撃されたらたまったものじゃないからだ。


 どこに存在するか?謎のマジョリティを使って、マイノリティとして攻撃されたら不快がさらに増す。バレーボールのファンが卓球のファンをファンの数の大小で攻撃したらおかしいと思うでしょう?今はこういう現象が起きてる。メジャーな集団なんて無く、どれも小規模のマイナー集団が細分化して乱立している。


 じゃ何故正しくこれを認識できずに一般と言う言葉を使ってしまうのか?ほぼ間違いなく、これを使う最初の人物は中年以上だったと私は見ている。過去一般と言う言葉は正しかったんだ。その時の癖だと見ている。若い人間もこういう部分だけは真似をする。悪口は廃れない。不思議なものだ。馬鹿やアホって言葉は全く変化が無い。馬鹿の故事なんて秦の時代の逸話から来ている。悪口は本当に廃れないんだ。


 ネットでこれに似た攻撃で信者と言うのが有る。はっきり言わしてももらって、今は信者を作る作品以外面白いと言えないと思う。誰もが面白い作品なんて意味の無い時代になった。意味の無い時代に意味の無い批判をする意味があるか?余程数が少なくない限り、信者と言う言葉は価値の無い言葉だと私は思っている。


 今回はこの話しを前提に進める。なろうファンタジーが理解されない根本は誰しもが持ってる希少価値についての認識がずれているからになる。深夜アニメは希少価値が重視される。何故か?と言うとやはりまだBDの売上げによるビジネスモデルが完全には配信に移行して無いからになる。


 配信がすごいって聞くがあれは嘘だ。考えれば分かるが、単価が全く違うので、数は過去より圧倒的に増えたが、儲けがかなり少ないんだ。今のびてるのは、海外で小銭を集めているだけになる。マイナーで広がらない好みも、全世界で集めればとても大きな数になる。世界に大集団に通用するものを作り出してるわけじゃない。日本と全く同じ構造を、全世界規模でやれば、単純に人口の分だけ倍化する。


 これが今アニメ業界が儲かってるからくりだ。日本国内ではまだまだBDにおんぶにだっこの構造が続いている。BDは希少価値を感じる受け手にしか売れない。深夜アニメもその外の集団からは、同じようなものばかりじゃないかといわれていたんだ。希少価値とテンプレが明らかに矛盾している。


 これがなろうと全く同じ構造になる。同じ方向性でその中で希少になるように価値を細分化させる。これが深夜アニメの正体になる。まったくなろうと同じなんだ。全く同質のタイプの集団になろうは攻撃されている。何故か?一番の理由は正しく理解して無いからだ。実際は規模が全く違うからなんだけど。


 規模だけが答えなのか?と言うと、私は好みが違うので、全く価値が理解できないだけと見ている。これは深夜アニメを外から見て同じものばかりじゃないかと言う批判とものすごく似てるんだ。ここで最初に戻る。その批判してる人は一般人?違う、深夜アニメに共通する好みを持ってないだけの部外者だ。


 以前書いたアザーな人々。その他の人々でしか無い。その他の人を勝手に一般だとして過去のような幻想を描いて、深夜アニメはなろうに較べてそれに近づくと思い込んで批判してるんだ。私はそう見てない。深夜アニメもテンプレ的であんまり変わらないが、高額なお金が絡むから仕方なく、希少価値の方向性が特定の好みより強くなってるだけ。


 ただ見てる人や、安価なDアニメ利用者はなろうファンタジーを見てる。ネットに書き込む人でBD購入者は少数派だと思うけど?ネットに作品について書く人は少数派になりやすい。それゆえの特殊な人達になりやすいのではないか?と見てる。同じ少数派同士、多数派とのずれがあるのと、後は同じ希少価値重視の集団だと見ている。


 ここで好みをもった人とその他の人は希少価値が似てくるとトンデモ理論を書いてみたい。これは理由が無い。なんとなく選ぶ作品が似てくる。確かにラブライブなどアイドル系なので批判も多い。だがデスマーチやスマホの様な扱いは絶対に受けない。顕著なのが、売れたオーバーロードとこのすばも全く違う。


 それは何故か?と言うと希少価値に対する価値観が一致するからだと見ている。BDが売れないなろうファンタジーは、無関心な人と好みをもった人が全く同じ反応をすると見ている。


 ここから飛躍になるが、深夜アニメの価値の世論形成にBDの売上げはおそらく深く関わっていると推測する。そこで結局は、好みが違う小集団が小集団を批判してるに過ぎないって見方に私はなる。その他の人々の言及には意味が無い。本来なら、似たような好み、日本人共通の好みから一般が形成されていた。過去の一般層は本物だった。あれは幻想ではない。


 だが好みが細分化されて、しかもそれに対して供給が整ってる。これが疑いようが無い事実なんだ。需要と供給どちらが先か?分からない。だがこの2つが密接に関係してるのは確か。需要は明確なデータが無くても供給は見れば分かる。昔と今じゃ全く違うんだ。その他の人々が何を言っても意味が無いと見ている。


 その中で意味があるのは、結局BD購買者と重なる部分だけになる。


 根本的になろうも深夜アニメも、特定の好みにしたがって細分化していくだけで、それをその他の人々が外から見てテンプレだと批判してるだけになる。なろうと深夜アニメは同じ穴のむじなだと私は見てて、大半の深夜アニメの視聴者のなろう批判を下らないと一蹴している。皆もそれに習って欲しい。なろうの中に居てなろうファタンジーを批判する物語マニアの言葉に惑わされないで欲しい。


 彼らの価値観もその他の人々やBD購入者の希少価値とほぼ一致すると見ている。関心が無い人ととても関心がある人の希少価値は似てくるというトンデモ理論で最後締めたい。

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