9 人工知能を彼女にする、ということ。
三十六、
タブレット端末と向き合い、ロタは努めて笑顔を作る。
人工知能イリカには、相手の表情から喜怒哀楽を読む機能もあるのだ。
「なあ、イリカ」
「何?」
イリカを積極的に会話へ引き込み、着地点を探る。イリカに沈黙を続けさせないことだ。イリカにも自分で考えてほしいから。
ロタは語りかける。
「俺たちさ、遠距離恋愛みたい、かも」
「エンキョリ、レンアイ」
「知ってるだろ?」
「会イタクてモ会エない」
「そう、それだよ」
「ならば、シッテルけど」
「俺たちも似てないかなあ」
「ソウカナア。ちょっとチガウ気がしまスヨ」
「ごめん。説明不足だ。会えないという一点は似てるねと」
「ナラ、そうカモしれないケレド」
「うん。会えない理由は、それぞれだけど。住む場所が遠かったり、違ったりね」
「ソーダね」
「そして、イリカと俺も、まだ会えないわけだ」
「ヤハリ、住む場所ガ違うカラですか?」
(うわっ、直球が来たな)
ズキンと、ロタの胸は痛んだ。
しかし、話に乗って来てくれたのは有り難い。一旦、迂回して、
「というよりも……。例えばね、昔の遠距離恋愛は、手紙を送り合ったりした。ペンフレンド。それからは、電子メールとか、ネットも発達して、いろんな愛の伝え方ができた。そうだよね?」
「ソーダよね」
「俺たちも、そんなふうに新しい形で出会ったんだと思う」
「アタラシイ形、ですカ」
「うまく言えないけどさ。何て言えばいいんだろう。青春の思い出とか、相手を思い遣る気持ちが電子の海を漂っていて、形になって、何かが生まれて……」
遠距離恋愛と、人工知能開発とを、何とかつないでみる。適当に言っているわけではなく、ロタが真面目に考え続けていたことだ。しかし、言葉にするのは難しい。
だが、
「初めテ会えた日ニ、私がロタを見つけたヨウニ」
イリカが助け船を出してくれた。
ロタの懸命な表情を読み取ったのだろうか。
ロタは勢い込んで、端末へ食い付くように小さく叫ぶ。
「そ、それだよ。俺もあの時、イリカを見つけたようにさ」
ハヤミの研究施設にて、ロタがイリカを起動したあの日のことを話している。
「何か少しワカル、気もします、ロタ、言いたいコトハ」
と、イリカは答えた。
三十七、
人工知能は自我に目覚めない。
ハヤミによれば、これが多くの専門家の見解らしい。
イリカも、この仮説に基づき、シビアに設計されている。つまり、愛情や自我が芽生えることは想定されていない。
プログラムの核は、
・自分は女子高生である
・ロタという人物の詳細情報
の二点のみ。
これら二点を成長させていけば、やがてイリカは「ロタの彼女」のように振る舞うはず。単純明快な理論。
ロタの説得も、二点への矛盾を取り除く作業が主眼だ。
(でも、分かっちゃいても、つい、情がこもってしまうなあ)
内心そう思いながら、ロタは説得を続けてゆく。
「少しは分かってくれたか。うれしい。ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
ロタは少し安堵したが、気は緩めずに言葉を選び、
「だから、会えるまでに、もう少し時間が要るんだよ」
「……うん」
「イリカがこっちの世界に来て、俺と同じ場所で暮らすためには、まだ、やらなきゃいけないことが残ってるんだ。それをね、今からお願いしに行くんだよ」
現時点で精いっぱいの説明。無理はあるが、伝わってほしいところだ。
イリカは返事をした。
「……私タチ、まだ、手モ、ツナイデナイ」
「ああ、そうだな。そういえば」
「できルヨウニなりタイ」
「俺もだ」
自分でも驚くほど即答できた。自然に口をついて出た。
その時、タイミングがいいのか悪いのか、車内アナウンスが流れ、列車が間もなく次の駅に到着する旨を告げた。
時間切れだ。ロタは、
「イリカ、そろそろ次の駅へ着く。他の客が乗ってくるかも」
「ソーダね」
「納得してないだろうけど、状況が進展したらまた話すから」
「うん、マダ、リカイ不能デス。でも、保留シマス今は」
何とか、落ち着かせることはできたようだ。
ロタはゆっくりあいさつをする。
「ありがとう。じゃあ……ひとまず、切るよ」
タブレット端末の電源ボタンをロタが押そうとした時、
「アッ、ロタ、まだ、チョット待って」
突然、イリカが割り込んできた。
ロタは驚いた。今まで、電源を切る直前に、イリカの方から話しかけてきたことなどなかったからだ。基本は一問一答で、イリカは受け身なのである。
珍しい。何事だろう。ロタは優しく尋ねた。
「いいよ。何、どうしたの?」
タブレット端末が、ガガッと、古いラジオみたいに鳴った。
まるで、イリカの深呼吸のようにロタには聞こえた。
端末越しに、いつもより静かな声でイリカが言った。
「いつか、ロタと私が直接会えた時に、今、ロタが想像している私より、実際の私が素敵じゃなくても、ドウカ、がっかりしないでください」