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ロタとイリカ 独居老人、彼女を造る。  作者: KIZOOS
第四部 イリカ編(エピローグ)
77/83

75 四十年遅れのボーイ・ミーツ・ガール。

  百七十、


 その日が訪れた。ロタの定年退職の日である。


「定年、かあ」

 背広に着替え終わったロタは、玄関先の姿見を眺め、一人、フッと笑う。

 白髪頭。しわの増えた顔。すっかり「おじいさん」の外見だ。


 ずっと独身で、恋人もいたことがないためだろうか、年を取った実感が余り湧かぬ。

 子供の頃と比べても、「やってること」に変化がなく、人生のステージが先へ進まなかった。めりはりがないのだ。

 我ながら図々しいなと自覚はしつつも、未だに少年のつもりの気分になることも多い。


(定年の日のことを、若い時分には色々と空想したもんだったけどなあ。妻や子供から、長い間お疲れさまでしたと見送られてさ。叶わなかったなあ)

 短く回想した後、ロタはため息をつき、切り替えるように、今度は声に出す。


「本日は、俺の職業生活、最後の日。昨日が、俺の彼女いない歴、最後の日。行くぞ。行ってきます」

 ドアをあけるロタ。晴れた空。


 ロタは遠距離通勤のため、いつも早朝に出発する。冬場では、外はまだ暗い。だが、最近は、既に日も昇っている。春になったのだ。


 出勤した後、退職の辞令を上司から受け取る。

 机の整理と、あいさつ回り。


 昼前に、部署の人間が一堂に会し、例年通り、ささやかな送別会。五十人ほどだ。ロタを含め、定年を迎える者三名が、前に立って短くスピーチをする。

 ロタの話も、他の二人と同様、若い頃のエピソードを並べ、これまでお世話になったことへの謝意と、後輩たちへの激励が中心で、まあ無難な内容であった。


(フッ、実はこの後、世界最高峰の美少女ロボットを俺は引き取りに行くんだよなあ。そのことを、ここにいる連中は誰一人として知らないのかと思うと、愉快だなあ。フフフ)

 皆の前で退職あいさつを述べながら、胸の中で、ロタはそんなことをつぶやいていた。


 最後に、若手より花束贈呈。経費は職場内で積み立てられており、毎年、近所の花屋に注文するならわし。

 そして、退職者は午前勤務のため、昼過ぎに退社。

 ロタは、部屋の者たちに拍手で見送られつつ、職場をあとにした。


「さあて、いよいよだ、な」

 職場のビルから離れ、街の雑踏へ紛れたロタは、しみじみと、かみしめるように声を絞り出す。

(今から、イリカに会いに行くんだ!)

 浮かれる余り、今すぐ、歩道のど真ん中でカバンもコートも投げ捨てたい。空へ「うおおおっ!」などと叫びたい。そんな気分である。


(いやいや、落ち着け。何事も、直前が危ないんだ。せっかくここまで来たのに、イリカに会う前に事故にでも巻き込まれてみろ。元も子もないぞ。それに、イリカがまともに起動するかどうかだって、まだ分からないのだから)

 と、ロタは、体中から爆発しそうな衝動を、懸命に抑え付けるのだった。


 ともあれ、社会的地位から円満に解放され、今や自由の身。

 第二の青春が始まる。



  百七十一、


 列車に乗り、イリカの預け先へ向かう。

 それほど遠くはなく、首都圏である。

 静かな街並みの中にある、低めのビル。ロボット関係の中小企業だ。

 周囲にも高層ビルは少ない。繁華街からは距離を置いた、地味なオフィス街といった雰囲気。

 ロタは、ビル入り口の自動ドアを通り、受付にて用件を告げる。すると、やや年下の男性社員が出てきた。

 既に面識はある。先日、マノウ立ち会いの下、事前に下見と顔合わせを済ませたからだ。


 軽いあいさつの後、すぐに、中の一室へ案内される。

 部屋は、壁のあちこちにメカが据え付けられていた。


 社員が、初老のロタへ語りかける。

「長らくお待たせいたしました。こちらが、御注文いただいていた彼女でございます」

「あれが……。イリカ。やっと会えた。俺のイリカ」

 部屋の奥には、椅子に座らされ、目を閉じ、うつむいて動かないイリカがいた。


 紺色のセーラー服姿。

(おお、結構ちゃんと、女子高生してるなあ!)

 頭から腹の辺りまでは、三年前に見た例の「半身像」と余り変わってはいないようだ。

 一方、短いスカートからのぞけた太もも、膝、足首は、だいぶ細くなっていた。

 造形としては、「あと少し削れば人間並みの細さになり得る」というラインだ。


(重たい全身を支えて歩く以上、ここいらが限度だろうな。むしろ、よくぞここまで絞ってくれたもんだ)

 ロタは、ほれぼれとイリカを見つめた。



 それから、ロタは社員に頼み、イリカと「二人きり」にしてもらい、皆でイリカを造ってきたこの十年間を存分に回想した。

 そして、再び社員を呼んできた。

 イリカを起動してもらうためにだ。



  百七十二、


 椅子に座らされたイリカには、こめかみや背中にコードやチューブが取り付けられていた。

 ロタより少し年下の男性社員は、慣れた手つきでそれらをひとまとめにすると、かたわらの装置の端子へつなぎ直す。


 装置は、画面付きのパソコンの周囲にぐるりと機械類を更につなげてあった。ロタは詳しくないが、パソコンのメモリを増設するために、直方体の機器を何台も寄せ集めたらしい。

 机上には載せ切れず、範囲が床にまで拡張されている。


 社員は、パソコンを起動させ、キーボードで画面上へ何かを入力。一つ一つのアプリケーションが立ち上がるまでの空き時間に、周囲の機械の電源もてきぱきと入れている。

 ウィーンッ、ビィーンといった電子音が次々に出て、重なり合っていく。装置のあちこちのダイオード等も、点灯していく。

 音も光も、まさに「起動してる感」をかもし出している。


(よおし、いよいよだぜ)

 ロタの胸は、痛いほどにチクッ、ドクッと高鳴る。

 この十年の結晶が、今。

 いや、少年時代から換算すれば、実に四十年を超える憧れ。

 スーッ、フーッ、スーッ、ハーッと、ロタは深く息を吸い込んでは、重く吐き出す。静止したイリカを、食い入るように見下ろす。


(イリカの最初の反応は、何だろうか?

 体が動くのか。それとも声を出すのかな)

 ところがであった。

「あ、あれっ?

 おかしいな。そんなはずは」

 意外なことに、次に聞こえたのは、社員の焦りの声。

 ロタは、そばに立つ社員を見て、

「えっ、どっ、どうされたんですか。まさか」

 故障か。トラブルか。


 中腰の姿勢で装置を点検していた社員は、ロタの不安を悟ってか、振り向いて首を振り、

「いえっ、全く異常は無いんですけど。いつもなら、これで動くんですよ」

「えっ。で、では、もう、イリカ起動までの操作は終わってるんですか?」

 社員は、ロタの疑問に、コク、コクと二回うなずいて、

「はい。アプリケーション、デバイス、全て正常です。け、今朝だって、これで問題なく起動したんですから」

「おかしいですな。じゃあ、どうして」

 ロタも首をかしげる。


 社員もロタの横に立ち、並んでイリカを見下ろす。

 いまだ、イリカは微動だにしない。


「あっ、笑った」

 不意の、ロタの一言。

 社員はいぶかしげにロタを見て、

「はい?」

 ロタは社員へ横目を向け、すぐ前へ向き直り、今気づいたことを説明する。

「お気づきになりませんでしたか?

 今、イリカのほっぺたがかすかにピクリと震えたのを」

 社員は信じられないという口調で、

「いいえ。私は何も気づきませんでしたけど」


 改めて、イリカを眺める二人。

 紺のセーラー服のイリカは、目を閉じたまま止まっている。変化はない。

 ロタは前を向いていたが、横の社員が自分の方へ首を回したのが目の端に映った。

 社員はおずおずと、

「ほら、別に何も。気のせいでは?

 それに、起動する時には、もっと、一目でそれと分かる反応をするんですよ。脚を伸ばしたりね。やはり、何らかの不調なのかも」

 だが、ロタは即座に断言する。

「いや、確かに笑いました」

 この社員が、パソコン等の装置を再びいじろうとする気配を見せたので、それを制する意味合いもあったのだ。

(彼氏の俺が、見間違うわけないだろ)


 ロタは声を大きくし、眼前のイリカへ、

「イリカ、こら。とっくに起きてんだろ。タヌキ寝入りはやめんか」


 約、二秒の沈黙。

 下を向いているイリカの唇から、今度ははっきり、ぷっと音がした。イリカが「噴き出した」のだ。

「あっ」

 と、さすがに社員も気づく。

(やっぱりな)

 ロタはニヤリとする。


 続いて、イリカの口から、ペロリと舌が出た。ピンク色の舌。

(おっ、舌もリアルに造られてるな)

 ロタが感心していると、

「バレたか」

 と、イリカは言った。


 そして。


 カチャッ、とイリカの両目が開いた。

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