65 イリカの顔、三つ。不気味の谷。
百五十三、
そこからは早かった。
脳イリカの機能強化や、サーバーの規模を縮小する作業は、ハヤミによって継続された。
一方、ロボイリカを人間らしくスリムに改造してゆく作業も、マノウによって進められた。
クミマルは、ロボイリカの外側へ人工皮膚を付けてゆく。
それら工程が一段落する度に、脳イリカの一部がコピーされ、マノウの工場にて、ロボイリカとの合体実験が行われた。
すなわち、一回目のドッキング実験で行われたことが、その後、数回にわたって繰り返されることとなったのである。
実験にはロタもなるべく立ち会ったが、スケジュールの調整が付かない時には欠席することもあった。
それは、ほかの者も同じであった。毎回参加したのは、立場上やむを得ないがハヤミとマノウ。あとは、来たり来なかったり。
結果的に、「イリカ製作チーム」とも言うべき関係者六名が、ああいった形で全員そろったのは、「あの夜」が最初で最後となった。
毎回、合体実験が終わると、その記憶は脳イリカへ戻され、人工知能はその都度更新された。脳イリカはそのたびにバージョンアップされ、ロボイリカの操縦もうまくなっていった。
また、人間には気付きにくい機能上の改善点も、脳イリカはロタへ次々に指摘し、それは次回以降の製作工程へ生かされた。
もはや、イリカは「人間の女子高生」ではなく、「女子高生を模した人工の機械、ロボット」であることを明確に自覚している。そのため、今や何の矛盾もわだかまりもなく、脳イリカ自身も開発に加わることが出来る。この点は大きかった。
人間たちと人工知能とが、共通のゴールを目指しているわけである。
かくして、美少女ロボット・イリカの開発は加速されていった。
百五十四、
やがて、イリカの「顔」についての検討も始まった。
クミマルには、イラストレーターやデザイナーの人脈もあり、また、クミマル自身にも顔を造形する技能は備わっている。
クミマルは美容整形分野も学んでおり、将来的には、顔部分も含め、バイオニクス技術へ発展させるのが目標なのである。
それらの絵や図案を組み合わせつつ、ロタの好みに合わせ、イリカの顔を描き出してゆくのだ。
細かな著作権等については書類を交わし、金銭のやり取りもした上で、一つ一つクリアした。
「まさか、美少女ロボットの顔に使うとは言えないわよね。ビックリされるに決まってるし、それ以前に守秘義務もあるしさ」
クミマルは、カカカカッと豪快に笑いながら、ロタに説明した。
「だから、イラストレーターなどへ発注する時には、いずれ私の医療器具への参考にしたいから、とか説明してます。まあ、うそは言ってないしねえ」
と、クミマル。
こうして、ネットなどを通じて、時々は直接会いもしながら、ロタとクミマルは調整を続け、ようやく、イリカの顔候補として三案が仕上がった。
時期としては、脳イリカとロボイリカの最初の合体実験を行った日から、およそ一年半後のことである。
季節は冬。年末になりかけていた。
ロタとクミマルは、最後の選択をすべく、二人で話し合っていた。
場所は、クミマルの自宅兼事務所である。
首都圏。ロタの家から、電車で三時間ほどの距離。近くもなく、遠過ぎもせずといった感じで、ロタも数度目の訪問。
広いフローリングの部屋にて、応接用のソファーの隅で、垂直の角度に向き合う二人。
間のテーブルには、人の頭を模した造形物が三個、並べられていた。
マネキン人形の頭部といえば、思い浮かべやすかろう。
もっとも、マネキンにしてはリアル過ぎる。ホラー映画の生首のセットにすら、流用が出来そうである。
「いやあ、三つとも見事な出来映えですな」
ロタが驚嘆の声を上げる。
どれも、下ろした黒いロングヘアという点では共通。あとは顔のつくりが異なっていた。
「ロタさんと私で、イラストとか立体の図案とかを見比べながら、ここまで絞り込みましたからねえ」
と、クミマルもほほえんで、少し身を乗り出して三個の「頭部」を眺める。
これら頭部は、クミマルの頭よりわずかに大きなサイズ。
クミマルの大きな体に、ソファーの布が深く沈み込んでいる。
クミマルは、ラフなセーター姿。ロタも私服である。
「それでも、まだ三案もあるわけで。まさか、これほど凝った模型を三つも造ってくださるとは」
とのロタの言葉に、クミマルは、
「だって、顔はとても大事でしょう。ちゃんと細部まで造って、慎重に選んでいただかなきゃ」
「有り難いことです」
座ったまま、ロタは頭を下げた。
「で、どれになさいます?」
尋ねられたロタは、三つをしばらく見比べ、クミマルへ幾つかの質問もした後、結論を出す。
「やはり、真ん中ですかね」
ロタが答えた。
頭部模型は、左から右へ「リアルな順」に並んでいた。
すなわち、左へ行くほど本物の人間っぽい顔立ちである。
右端は、漫画を思わせる顔。キラキラと「星」のような白抜きの照り返しが表現された、大きな瞳。まつげも長い。
顔のしわも鼻の穴もなく、デフォルメされている。
ロタはまず、これに対するコメントをした。
「右端もかわいいんですけど、若干、アニメ顔に寄り過ぎているかなと」
「アニメ顔、そうね。それは言えますよね。最近、ネットやテレビで、まさしく人工知能の美少女が活躍するキャラが人気だけど、あの子がもしも実体化したら、こんな感じかもしれませんねえ」
ロタも笑って、
「知ってます、知ってます。あのキャラも、髪型は同じですし。ただ、あのような子を連れて歩きたいかといえば、それはまた別問題ですからね」
「恥ずかしい?」
「んー、それもあるし、あと、まるで等身大の美少女フィギュアが歩いてる感じがね、私の求めてる物とはちょっと違うのかなと。
私は、青春をやり直したいわけでね。うまく言えない部分もあるんですけど」
「いいえ、分からなくもないですわよ。で、だからといって、左端のやつは逆にリアル過ぎるということ?」
ロタはうなずいて、
「ええ、そうなんです」
左端の頭部模型は、一見すると生身の人間の顔にすら思えるほどのリアルさ。耳の造形も細かい。かつて、あのホビーイベントで見た耳の模型と全く同じクオリティーである。
唇も作り込まれ、かすかに前歯ものぞけている。
顔つきは若く、確かに「少女」なのだが、少々怖い感じがする。
「これがいわゆる、不気味の谷というやつですかね」
ロタがつぶやく。
「そうかもしれませんねえ。まあ、不気味の谷にも諸説あって、顔自体の仕上がりというよりも、まぶたのちょっとした動き方で随分印象も変わる、という研究もありますけどねえ」
「そうなんですね」
クミマルの解説に、ロタが相づちを打つ。
不気味の谷。
ロボットなどが人間に似てくると人は親近感を抱くが、ある段階を超えると嫌悪感を抱く現象のことである。
その更に先へ進めたなら、再び親近感を覚える顔になるのだという。なお、その際には、ほとんど人間と区別が付かぬロボットになっているとされる。
いまだ仮説であり、確立した理論ではないが、人型ロボットを造る際には避けて通れぬ話題ではあろう。まして、自分専用の恋人ロボットを特注で造るような場合には、なおさらのことである。
ロボットに限らず、人形や人物画などにおいても「ほどほどのリアルさにとどめてくれた方がかわいい、見ていて心地よい」という経験は、多くの者が共有しているはずだ。
ロタにとっても、目の前に並べられた三パターンの顔模型を見比べ、今、その境目を自覚したわけである。
それがすなわち、真ん中に置かれた模型である。
アニメ顔でもなく、リアル寄りの顔でもない、その中間の顔だ。
仮に「不気味の谷」があるとして、その谷を越えるというより、かなり手前で引き返した形である。
真ん中に置かれたその模型を、ロタもクミマルも眺めている。
「じゃあ、今おっしゃった通り、イリカちゃんの顔は、この顔で
決まりね」
「はい、やはり」
ロタは言い切り、うなずいた。
ロタは改めて、その顔の模型と正面から向き合った。




