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ロタとイリカ 独居老人、彼女を造る。  作者: KIZOOS
第三部 クミマル編(ロボット外見の章)
57/83

56 イリカ、ディープラーニングを踏み越えて。

  百三十五、


 とりあえず、ロボイリカとサーバーとを外す作業が行われた。二つをつないでいた何本ものケーブルが抜かれたのである。

「また、明日とかに改めて実験するんですか?」

 ロタが尋ねると、台車のそばに立つハヤミは、両手でケーブルを束ねながら首を振り、

「いえ、今回はもう、これで終了といたそうと思っています」

 ロタは、

「酷使してしまったから、ということですかね?」

「そういうことです。もしかしたら、サーバー筐体きょうたいの内部が傷んでいるかも。もう、この機械は、いじらず持ち帰るだけにしたいです。

 いずれにせよ、このサーバーによって、つまり人工知能のイリカちゃんによってロボットを動かすという目的は達成されましたからね。

 人工知能が、自力でロボットを起動させ、首や手足も動かし、ロタさんのことも識別し、立ち上がって、短時間とはいえ歩行までしたわけですから。まあ、上々だと思いますよ」


 立った姿勢で静止したロボイリカを、リモリが見上げ、次にハヤミを振り向いて、

「ハヤミ先生、これ、イリカちゃんは立ったままでいいんですか?」

「いいえ。座らせようと思います。あと少し休ませてから」

 ハヤミが答える。

 ロボイリカは、電源を落とされる瞬間までロタを見下ろしていたため、今も下を向いた姿勢で止まっている。

(まるでオブジェだ。人々を見守るシンボル、警備ロボットみたいなおもむきもあるなあ)

 ロタが軽く感慨に浸っていると、

「後で、私たちのソフトウェアにつなぎ直せばいいね。一回、起動だけして、とりあえず椅子に座らせよう」

 リモリの方を見て、マノウが付け足した。


 クミマルがのんびりとした口調で、

「じゃあ、まあ、これで今回の最大の目標は無事達成ということですねえ」

 ハヤミはクミマルを振り返り、それから周囲を見回し、

「はい。あとは、私どもの研究施設へこのサーバーを運びます。そして、人工知能本体へ戻します。今の実験で得られた記憶、データは本体へフィードバックされ、人工知能は更新、バージョンアップされるのです」


「どうなりますかねえ」

「キャンプファイヤーの話とか、どこまで覚えてるのかなあ」

 クミマル、リモリの順で問いかけの声が上がる。

 ハヤミが答える。

「このサーバーは、あくまで運動機能をつかさどる部分をピックアップした物ですので、恐らく、ロタさんのお話の細部までは聞き取れていないと思われます。

 ですが、多少、コミュニケーション機能も入り込んでるでしょうから、何割かは記憶に残ってるかもしれません」


「どっちにしろ、悪い方へは転ばんだろうさ」

 ドワキの力強いコメントへ、

「悪い方?」

 ロタの問い返しに、ドワキは、

「そうさ。転びようがないよ。

 今、ロタとイリカちゃんは、あれだけ充実した交流が出来たんだから、きっとプログラムだって、どんどん成長してるだろうさ。

 物体としての目を通して、外を見た。で、物体としての脚で立って、床を踏んで、実際に歩いたわけでね。で、ロタの話を聞いて、手もつないで。

 人工知能としてのディープラーニングを何万回やったところで、ここまで届かんと思うけどね。データのみの状態ではとてもとても、なし得なかった経験だろ?」


 ロタもうなずいたが、それ以上に深くうなずいたのはハヤミであった。ハヤミはにっこりして、

「まさにまさに。ドワキさんのおっしゃることに尽きると思います。

 人工知能が、人間の気持ちにどれだけ近づくことが出来るのかというのは、私ども研究者の間では永遠のテーマと言っていいと思います。

 そして、大量にデータを覚え込ませても、結局のところ、自ら体を動かして様々な経験を積まない限りは、どこかで壁にぶつかるのです。人の気持ちというものは、どうしたって肉体性とは切り離せませんから」


 クミマルも、

「確かにねえ。痛覚や疲労を機械に分からせるのは無理かなあと思うけれど、外を歩かせるとだいぶ変わるでしょうね。

 目的地を一つ定めて、そこへたどり着くまでのルートを考えて。でも、いざ歩いてみると、障害物につまずいちゃったりするわけですからねえ、実際は。

 リハビリもそういう世界ですしねえ。思い通りに体を動かせるかどうかというね」

 クミマルのコメントも、実体験や専門性に基づいており、説得力があった。


 リモリが、ひょいと軽くあごを上げて、台車の上のサーバーを示し、

「じゃあ、これの中身を、人工知能のイリカちゃん本体へ戻したら、」

 一呼吸置いてロタへ顔を向け、

「イリカちゃん、ガラッと変わっちゃうよね。もはや、プログラムなんかじゃない、もっと別の存在になるかも。ほら、アニメとかでもよくあるじゃん。ババーンとか言ってさ、覚醒しちゃうの」


「おどかすない」

 フッとロタが苦笑いする。

 リモリはほんの軽口のつもりだったのかもしれない。あるいは、ロタを励ましたのかもしれぬ。

 が、何となく深刻な空気も場に漂い始める。

 しんと静まる室内へ、ロタはハーッと深呼吸し、取りなすように、

「だからといって、もう、後戻りはしないわさ。今日まで、こうやって、皆さんと歩んできたわけでね。

 色んな角度から、人間というものを機械でどこまで再現できるかというテーマで、真面目に真面目にやってきたんだからさ。

 俺は、そんな皆様とここまで来られたことがうれしいし、誇りだしさ。脳イリカは、もう、元には戻らんかもしれん。性格も、全然変わっちゃうかもしれん。自分を機械だと認識し、取り乱すかも。ロボットだと気付いて、バグるかも。

 でも、進みたいと思います。ハヤミさん、予定通り、お願いいたします」

 ロタは頭を下げる。


「承知いたしました。それでは、こちらのサーバーは、明日、研究施設に持ち帰ります。そして、プログラムに異常がないかどうかをもちろん精査の上、問題がなければ、脳イリカちゃんへ戻そうと思います」

 夜の工場内に、ハヤミのやわらかな高い声が響いた。

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