54 イリカは、青春と夢の輪郭。
百三十一、
ロタは、謝罪の理由を一同へ述べる。
「俺のいびつな願望を何とか具体化してもらうために、多大な御苦労をおかけしたことに対して、です」
今、イリカ「本人」も聞いている以上、機械とか人工知能とかロボットとか、具体的な単語を出すわけにはいかぬ。
どうしても、やや遠回しで抽象的にならざるを得ないが、ロタは話をつないでゆく。
「元々、無茶でした。この俺が、やり残した青春を取り戻すために、今さら女子高生と付き合うなんてことは。現実世界では、あり得ないこと。ファンタジーですよね」
「うーん、それを言われちゃあ、まあね」
言いにくそうに小声で答えたのはリモリだ。
リモリの苦笑が妙に「女の子らし」かったので、ロタも思わず笑い顔になった。こういう自然で常識的な反応が、ロタの気分をなぜか和ませたのだ。
「俺だって自覚はしてるんですよ。今さら何言ってるんだ、もうあきらめろよ、そんなことは一人で夢でも見てろ、妄想してろよ、って話でね」
ロタは、おどけた口調になる。
だが、ハヤミがたしなめるように真顔で首を振るのが見え、
(おっと、調子に乗って自虐ネタに走っちゃったな)
と反省し、しゃべり方を修正の上、
「だけど、老後の最後の夢ということで、チャレンジしてみることにしました。
望んだ形とはちょっと違うかもしれない。かなり違うかもしれない。それでもいい。たとえ理想とは程遠くても、構わないと私は思ったのです。
イリカとの会話がだんだん成立するようになり、イリカも自己主張のような発言をするようになってきました」
ちらりとハヤミへ目をやるロタ。
視線が合う。
ハヤミは微笑を浮かべていたが、それ以外は無反応。
ハヤミによれば、人工知能には自我はない。したがって「自己主張」という概念も成り立たぬ。分かった上での発言であり、もちろん、それはハヤミにも伝わっているはずだ。
ロタは「演説」を続けていく。
「そうしたイリカのしゃべりを聞いているうちに、私も、自分の人生観を再確認できた気がします。イリカが発する言葉からは、随分と多くのことを学ばされました。
また、イリカの体が具現化してくるにつれ、やはり、私にとっては自分の人間性やら哲学やらを見つめ直す機会となりました」
言いながら、今度はマノウたち親子を見るロタ。
面白がるような反応は一切見せず、真剣な眼差しでマノウは聞き入っている。
対照的に、リモリの反応は明るい。感心した表情で笑い、「うん、うん」とうなずきながら聞いている。
ロボットは、製作が困難な二足歩行にするのか。するとしたら、脚の細さはあきらめるのか。さんざん悩み、マノウ、リモリにも苦労を掛けたものだ。
ロタは二人へも会釈をし、
「イリカの体がどんどん形として見えてきて、外見も整ってきて。愛着がわくのと同時に、何か、客観視できる気もしてきました」
「客観視?」
マノウが聞き返してくる。
ロタは、
「はい。ああ、俺が欲しかった物、行きたかった所って、これなんだなあと。おぼろげだった輪郭が、だんだんはっきりしてくる感じといいますか。
何度も申してるように、元々、無茶な夢ですから。甘過ぎる憧れ。しかし、です。その無茶さ、甘さも含めて、こうやってイリカの全身が見えてきた時、そうか、ここから先は手に入らないんだなと現実を知らされて。
でも、ここまでなら手に入るのかと。じゃあ、自分はどこで納得し、イリカをどう愛せばいいのか。自分の気持ちを整理し、何といいますか、憧れを自分の生活にうまく落とし込み、溶け込ませることに成功しつつあります。
そして、今回、イリカの手を握ることが出来た。やわらかな手のひらです」
ここで、ロタはクミマルを見る。
目が合ったクミマルは、細い瞳をほころばせ、小さく「ふふ」と笑う。ロタの視線の意味を理解したのであろう。
イリカの手の皮膚は、主にクミマルが作り、先ほど取り付けてくれたのだ。心のこもった仕事に、ロタは感謝する。
さらに、ロタは述べる。
「れっきとした、女の子の手です。やわらかくて、優しくて、温かくて。さっきも言ったとおり、中学時代のあのフォークダンス以来です。
あの時に芽生えた青春への憧れや夢が、今、こうして、四十年越しにつながったのです」
百三十二、
その時であった。
「ぬおっ!」
ロタが叫び声を上げた。
ギョッとして、後ろで見ていた者たちが二名ほど、体がビクンとなって、椅子がガタンと鳴り響いたほどだ。
口々に声を発する。
「何……」
「ロタさ……」
「ど、どうし……」
中腰で立っていたロタは、思わずイリカの右手を見やる。
「……」
突如、イリカの右手に、
グワンッ!
と力が入ったのである。
これまで、完全に「物」としてだらりと垂れていた手や腕だったのに、急に手が意志を持ったかのように、
「俺の手を握ってる!」
状態となったのだ。
ロタの今の言葉に、
「何っ!」
「本当?」
一同も立ち上がり、ロタの周囲へ集まる。彼らの座っていた位置からは、ロタの手元まではよく見えなかったからである。
「ほ、ほんとだー」
リモリが目を丸くしてつぶやく。
「握ってますね、明らかに」
マノウの声もうわずっている。
ロタが両手でそっと持ち上げていたロボイリカの右手は、今までは開かれたままであったのに、この時にははっきりと五本の指を曲げていたのである。
そして、イリカの手のひら側にあったロタの右手を握り返していた。
イリカの腕にも、力が入っている様子だ。たとえロタが手を離しても、下へは落ちない気がする。
イリカの手は、人間に比べると相当に大きいため、ロタの右手はすっぽりと包み込まれている。
マノウが続けて声を出す。
「痛くないですか、ロタさん」
「大丈夫です。ちょうどいいくらいで」
ロタの返答に嘘はない。子供に軽くつかまれた程度であり、容易に振りほどけそうな弱さである。
「よかった」
マノウの顔に安堵の色。
「けど、まだ、頭と手しか動いてない感じねえ」
「ですね」
クミマルのコメントにうなずくロタ。
確かに、その通りだ。椅子に座ったロボイリカは、いまだ、顔を上げてロタを見詰め、右手でロタの手を握っている以外は、ほぼ静止したままの状態を保っている。
しかし。
ある気配を察知したロタは、
「なんだ、イリカ、立つのか?」
イリカの顔を見つめ、不意に言葉を放つ。
「えっ?」
「今の、イリカちゃんに言ったの?」
などと、ロタ以外の五人が困惑するのをよそに、ロタは先を続ける。
「立ち上がるなら、慎重にな。ほら、俺が支えてるから」
ここで、ロタは一瞬だけ周囲をサッと見回し、声をひそめて解説。
「済みません、突然。実は今、イリカの脚に力が入る感じがしたんです。体も前かがみになろうとしてるのが伝わってきたん……」
ロタは、終わりまで言えなかった。
「わっ!」
「きゃああ!」
「オイオイ!」
ロタも含めた一同が、驚きの声を上げる。特にハヤミ、リモリの声は高く、悲鳴に近かった。
イリカが立ち上がったのである。
上半身を前へ倒し、膝を伸ばして立った。本当に、一瞬の出来事であった。意表を突かれた感じである。
イリカは急に立ったため、辺りが暗くなったように感じた。
ロタ以上の長身。頭も大きく、横の幅も広い。ゆえに、部屋の照明をさえぎってしまったのだ。
ロボイリカは、若干猫背ではあるが、椅子から完全に離れ、二本の脚で立っている。
ロタのそばに、そびえるように立っている。
しかし、そのあとは特に次の動きはなく、ひとまず静止。歩いたり揺れたりすることもない。
「お、おい、ロタ、ロタ!
こっち向けこっち!」
ドワキが叫ぶ。
イリカを呆然と見上げていたロタが、その声に振り返ると、何と、ドワキがスマホを構えていた。写真を撮るつもりらしい。
ほかの皆と同じく、ドワキの顔も明らかに動揺していた。だが、一方では冷静な判断もしていたのだ。
ドワキは興奮を抑えた口調で、
「撮るぞ、ロタ」
「あ、ああ」
ロタも、のどから声を絞り出しつつ、かろうじてうなずく。
「これは、科学史に残る一枚になるぜ」
と言いながら、ドワキはスマホのカメラ機能の撮影ボタンを押した。
カシャリ。
さて、これは今回の件が一段落してからの後日談となるが。
その後、この写真は大きめのサイズにプリントされ、ロタの部屋の壁に飾られることとなる。
グレーのブレザー姿のロタ。
少し緩んだネクタイ。写真の中で、ロタははにかみ笑いを浮かべてカメラ目線だ。
一方、紺色のワンピースを着たロボイリカ。
スカートからのぞけた膝下は金色で、太い。肩幅も、体の厚みも相当にあり、まだまだ人間にそっくりとは言い難い。
しかし、今まで試作されてきた形態と比較すれば、多少「美少女的」だと思えなくもない。
そんなイリカの、うりざね顔の、頭部は金色、顔面はベージュ。そして、ボコッと飛び出た、透明の両眼。電球のように光る、青い右目、緑の左目。
二つの大きな目は、カメラ目線などではなかった。
横に立つロタを見下ろしている。
この時にも、イリカはロタを見詰めていたのだった。
ロタの両手と、イリカの右手は、固くつながれたまま。




