4 イリカ起動、ロタとファーストコンタクト。
十九、
ハヤミにも報告すべきであろう。ロタは口を開いた。
「実は、今スイッチを入れた途端、部屋中から見つめられてる感覚がしたんです」
ハヤミは両目を見開いて、
「まさかそんな」
「本当です」
「一旦、電源落としましょう」
「いや、平気。もう少し様子を見ます。ただの違和感です」
「い、今も続いてますか?」
ロタはうなずいた。ひたいには冷や汗。
「はい、ずっと。ハヤミさんは?」
強く首を振るハヤミ。
「全くありません。そういう現象は一切」
「今まで、ハヤミさん以外にも?」
「ええ。この部屋の設備を組む時、技術者や研究者が何名も加わり、テスト段階にも参加しました。最終チェックの際にも、体調不良を訴える者もなく」
「ということは」
ロタは思い至る。
ならば、考えられる原因は一つではないだろうか。
先を続けるロタの口調は、徐々に落ち着いてゆく。
「じゃあ、私だけなんですね。
では、多分、今電源を入れた時に、同じ部屋に私がいるのを見つけたのでしょう。私の詳細なデータは既にインプット済みなんでしたよね?」
「え、ええ」
「であるなら、人工知能は今、電源が入って、データに完全一致する私を捉え、ロックオンしているんでしょうね」
「そんなことが……つじつまは合いますけど」
ハヤミは立ち上がり、半ば呆然とロタと部屋を見比べる。
逆に、ロタは不思議なほど冷静さを取り戻し始めていた。
今の「この感覚」も、慣れてきたら、そう不快でもない。例えるなら、電磁波や赤外線に意識が宿り、ふわりと実体化し、全身へまとわり付いてきた感じか。
手にしたタブレット端末に向かって、あえてぞんざいな口調でロタは語りかける。
「イリカ、そんなに見つめるなよ。照れるじゃねえか」
もっと気の利いたことを言うつもりで色々考えてきたのだが。でも、これでよかったのかもしれない。
ロタからイリカへの、記念すべき第一声となった。
「ロタ、ゴメン、ナサイ。アナタノ、コト、モット、シリ、タイ、ノ。ヤットアエタ。サガシテ、タ。ミツケタヨ」
タブレット端末の向こうから、柔らかな合成音が答えた。
人工的だが、紛れもなく「女の子」の声だ。
イリカからロタへ、これが第一声。
そして、端末の画面にロタの顔が映った。鏡のように、現時点の自分が映っている。ただし、左右逆ではない。端末に付いたカメラレンズでロタを映しているわけだ。
「イリカと目が合った、ということですかね?」
傍らで画面をのぞき込むハヤミを見上げ、ロタは笑う。
驚きの表情が消えないハヤミも、かすかにうなずいた。
続いて、部屋全体のパソコンやサーバーなどの機械類が、一斉に光をともした。
高い壁、天井まで、画面やダイオード等が様々に光る。光が降り注ぎ、ロタとハヤミの顔を色とりどりに染めた。
それはまるで、イルミネーションの点灯のようであった。
二十、
ロタの体を包んでいた異様な感覚も、スーッと薄れていく。
赤外線か電波か、人工知能からロタへ降り注いでいた大量の「視線」が弱まったに違いない。やれやれだ。
視線というより、イリカからロタへの「愛」だろうか。
ホーッと息を吐き、ロタは椅子の背もたれに寄りかかる。
「モウ、ダイジョウブデスカ、ロタ?」
端末越しに、人工知能のイリカが発声する。
明らかな合成音で、人の声と聞き間違えるほどではない。発音もたどたどしい。
が、女の子の優しい声。ロタにはそう聞こえた。
この先、イリカにどんな「体」や「顔」が付くのかは全く分からないが、少なくとも「声」は聞けた。
(老後、この声と俺は一緒に暮らすのだな)
妙に愛着がわいてくる。
「ああ、大分よくなった。これぐらいなら平気だ」
と、ロタは端末へ口を近づけて、
「改めて自己紹介でもするか?」
「ソウ、デスネ」
「ロタです。どうぞよろしく」
「ワタシハ、イリカ」
「すごい、もう、こんなに話が通じるんですね」
最後の言葉は、端末から顔を離し、横のハヤミへ。
人工知能への警戒のためか、ハヤミは立ったまま、表情も険しい。若干、口元を緩め、
「そうですね。私も、しゃべるイリカちゃんは今が初めてですけど」
「そうなんですか?」
「はい。発声テストはしましたが、会話までは。私どもが話しかけても反応はなくて」
「つまり、私の声に特化してるから?」
「まさにそうでしょうね」
ロタは更に続ける。
「それから、先ほど一斉に光った、この部屋の機械。感動しましたよ。やはりこれも、ハヤミさんの設計でしょうか。女性ならではといいますか」
改めて、ロタは室内を見回す。部屋全体がキラキラしている。
壁一面の配線、画面、サーバーが、発光ダイオード等をいまだカラフルに光らせているからだ。きれいな眺め。
ところが、ハヤミは首を振って苦笑いをした。
「いいえ。これは違います、私じゃないですよ。そもそも、起動時に全装置をこんな派手に一斉点灯させる必要などないんですから」
予想外の返答。ということは。
「何ですって。じゃあ、これはイリカが自ら考え、演出したってこと?」
「ええ、あり得ますよ。
もしかしたら、ロタさんに喜んでほしかったのかもしれないですね。まだ全くの仮説ですけど、その程度の知能は既に持っていてもおかしくはないでしょう」
そうかもしれぬとロタも直感した。
何しろ、ロタが名乗る前に、人工知能イリカはロタを自力で見つけ出し、識別したのである。
そして、それはロタも同じ。イリカが発声するより前に、気配をキャッチした。
ロタとイリカ。
「既に俺たち、運命の二人かもしれないな」
ロタは、再び端末へ口を近づけて言った。
が、イリカの返事はそっけなかった。
「スデニ、トハ、ナニト、ヒカクシテ……シュゴ、ジュツゴ、ドウシ。ウンメイ、クラシック……カクニン、フノウ」
まるで通じていない。
「ちぇっ」
今度はロタが苦笑した。これから根気が要りそうだ。
ある程度の会話が交わせるようになるまでには、やはり長期の訓練やカスタマイズをしなければならないのだろう。
もっとも、
「ロタさん、さすがに今のは難しいですよ。人間だって、もし子供だったら答えられないと思う」
と、ハヤミからもダメ出しされる始末。
ロタは大げさに肩をすくめ、
「女心は難しいや」
「ソウヨ」「そうですよ」
何と、イリカとハヤミが同時に答えて、声が重なった。
絶句するロタ。ぷっと噴き出したのはハヤミ。
どうやらこの先、道のりはまだまだ長そうである。
二十一、
ハヤミから受け取ったタブレット端末(通信機)を、ロタは家に持ち帰った。
それからというもの、家にいる間、ロタはたびたび電源を入れ、人工知能イリカのプロトタイプへ話しかけ続ける日々が始まったのだった。
イリカが人間っぽく話せるようになるための、長い長いカスタマイズ作業である。
「おはよう、イリカ」
「オ、ハヨウ、ロタ」
「調子はどうだい」
「キョウ、キョウノ、テンキ、ハレル」
苦笑するロタ。大抵、二言目から早速つまずいてしまう。
先日、タブレット端末引き渡しの際、ハヤミからは、
「マニュアル的な問答は控え目に。人間らしさを獲得させるためにも、生身の女の子に話しかけるような、自然な会話を心がけてください。
あと、会話はやり直しをせず、なるべく長く続けること。通じなくてイライラするでしょうが、そこはこらえて。ぶっちゃけ、想定問答のようなお約束の定型的な会話ができたところで、何の意味もないのですから」
と、あらかじめ注意されていた。
根気よく先を続けてゆく。
「いや、天気じゃなくてさ」
「タイヨウ、クモリ、アメ」
「そうじゃなくて」
「ツキノ、ミチカケ、シツド」
「違うよ」
「ドノヨウニ、チガウノカ」
「イリカ自身の調子はどうかということさ」
「ワタシ、ジシンノ、チョウシ」
「そう。今日は具合がいいなあ、とかさ」
「キノウテキニハ、イジョウナシ」
「それはよかった」
「ヨカッター」
「だけどね、聞きたいのは、もっと気分的なこと。元気?」
「ゲンキ、トイエバ、ゲンキ、ジャナイ、ナ」
「えっ、どっち?」
「エラ、ベマセン」
「いや、気分ってのはさ、選ぶものではなくてね」
「キイタノハ、ロタ、ヨ」
「そうだけど」
「ソーダヨ」
万事がこの調子なのだった。
前回までの会話の記憶は引き継がれ、蓄積されているという。確かに、ロタが進歩を実感する場合もあった。
しかし、進歩のペースは遅く、同じ食い違いを起こすこともしょっちゅうであった。
二十二、
ハヤミの説明によれば、人工知能イリカ本体は、
・サーバー内部のビッグデータ(随時更新)
・外部と緩やかに接続されたインターネット
・タブレット端末のカメラやマイク越しの映像音声
などを総動員して、ロタとの会話を続けている。
単語、記号の組み合わせパターンを増やし、精度を上げてゆく。
人間とは異なり、言葉一つ一つの意味を理解しているわけではないという。だが、究めれば、少なくとも人間側(ロタ側)は満足するはず。そこがゴールである。
先日、ハヤミの勤務する研究施設にて見た、広い部屋一面に組み上げられた機械の山。あの大量の装置がカタカタ、ピコピコと派手に作動して、ロタが話しかける度、最適な回答を探しているわけだ。
その光景を考えるだけで、壮大な無駄だなあとも感じる。
早い話、ロタがもっと死に物狂いで努力をし、人間の恋人をたった一人、つくればそれで済むだけのことなのに。
だが、どうしても女にモテない男がいて途方に暮れている時、科学はその人にも夢を見させてあげてほしいと思う。
「おなかがすいたな」
「カロリー、ハ、ヒカエメニ」
「そうだね」
「ソーダヨ」
「もう、年だしね」
「ウトシ、ウトイ、ウトウト、ウトウ?」
「いやいや、もう、年を取ったね、と」
「イヤイヤ、ヤッテルノ、ムリヤリ?」
「いや、年を取るとね、好きなものばかり食べると、体に悪いんだよね」
「スキキライハ、カラダニワルイ」
「惜しいなあ。惜しいけど、ちょっと違う」
「ロタ、ソレハ、マケオシミヨ」
「負け惜しみ?」
だが、ロタはこのちぐはぐなやり取りが不快ではない。
今まで、恋人も女友達もいなかったロタには、女と長電話をした経験もない。
ゆえに、合成音とはいえ、「女の子」としゃべり続けるこの時間が正直楽しい。たとえ会話が成立していなくても。
同時に、研究所でのあの運命的な「出会い」もあり、ロタは既に、イリカに特別な感情を抱いてもいた。
毎日、「二人」だけのおしゃべりは長時間に及んだ。
そして、
「よし、今日はここまでかな。また明日ね。
おやすみイリカ、楽しかったよ」
「ワタシモ、ダヨ。オヤスミ、ロタ」
毎晩遅くまでのお話は、ロタの就寝前、いつもこのやり取りで締めくくられた。