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ロタとイリカ 独居老人、彼女を造る。  作者: KIZOOS
第三部 クミマル編(ロボット外見の章)
35/83

34 バイオニクス造形者、クミマル登場。

  九十一、


 二人は、それから一週間後に会った。

 ロタは休日。場所はクミマルの会社である。

 こぢんまりした規模で、一階が事務所・オフィス、二階はクミマルの自宅だ。

 家族三人暮らし。

 クミマルは既婚者であり、配偶者は一般の公務員。間に、中学生の息子が一人。


 場所は首都圏である。住所は、ロタの家から電車で三時間ほど。駅からしばらく歩いた住宅街。

 道順は分かりやすく、ロタはスムーズにたどり着くことが出来た。

 広い交差点がそばにあるため、自動車の音がひっきりなしに聞こえるものの、それ以外は閑静な住宅街と言えそうだ。

(どうやら、慎ましく暮らしておいでのようだな)

 社の外観を見たロタの、率直な感想。

 会社兼自宅は、大きめの四角い形状、外壁は白。築十五年は優に越えていよう。あちこちが古びている。

 門の近くに、縦長の看板。外壁に直接取り付けられている。

 社名のほかに、「整体」の文字もあった。電話でも話していたとおり、整体での収入の方が多いのかもしれぬ。


 看板の端には、「バイオニクス研究」の文字も。まさしく、イリカ製作への活用が期待される部分。

「バイオニクス、かあ」

 看板を見上げ、ロタはぽつりと独り言。

 バイオニクスとは、生体工学のこと。工学と生物学との境界を探求し、生物の機能を人工的に再現することを目指す。

 医療へ特化した分野はメディカルバイオニクスと呼ばれる。ペースメーカー、人工の網膜や関節などだ。

 クミマルも、様々なプロジェクトへ参画しつつ、いずれはそちらへ専門をシフトしたいと考えている様子だ。


「ふう」

 ロタは、息をつくというよりは、わざとらしく声に出した。緊張を紛らわせたかったからだ。

 一週間前の電話で打ち解けはしたものの、やはり直接会うとなると、また気分は違うものである。

 何せ、相手は元プロレスラーなのだから。

 本物の格闘家と面会したことなど、五十年の人生で一度も無い。気後れしてしまうのも無理はあるまい。


 入り口のドアわきの、呼び出しベルのボタンを押すと、

「どうぞ、あいておりますよ!」

 と、室内からクミマルの元気な声。インターホン越しではなく、直接叫んでいた。

 ロタは、片開きのドアをガチャリとあけ、中へ足を踏み入れた。



  九十二、


 靴を履き替えるスペースはなく、土足でそのまま入る方式であった。ほぼ、段差もない。

 目の前は、仕切りのない広い部屋。フローリング。床は、木目調のマイルドブラウン。

 受付、テーブル等、ごく普通の設備も配置されてはいたが、

「うわ、ええっ。これは……」

 目の前の光景に、ロタは驚き声を漏らしていた。

「ロタさんですか?」

 クミマルは、ロタを見上げて尋ねてきた。

「は、はい。そうです、先日お電話した……」

「ああ、ホントですねえ。その声でした、その声でした」

 クミマルは笑顔で言った。まだ、視線は低いままだ。


 自分より長身の人と会うのだ。当然、終始見下ろされることを予測していたのに、よもや、初っ端から見上げられるとは。それも、床に近い低さから。

 クミマルは、何と、仰向けに寝そべった姿勢だったのである。

 手には大きなバーベル一つ。クミマルは、ベンチプレスでトレーニング中だったのだ。

 背もたれのないベンチに横たわり、仰向けの体勢で、バー(シャフト)を首の位置で持ち、腕を曲げ伸ばしして、バーベルを上げ下げする運動である。


 ロタは、クミマルがバーベルを元のラックへ戻すまでは、黙っていた。話しかけたら気が散り、危険だと思ったからだ。

 バーベルを元通りにラックへ置いたクミマルは、むくりと起き上がる。汗だくである。

 上半身は赤いタンクトップ。たくましい肩がむき出しだ。下は、ゆったりとしたグレーのジャージ。


「な、なんか済みません。トレーニングの最中に」

 謝るロタへ、クミマルはカハハハハと豪快に笑った。

 まゆ毛はハの字の角度で、心底申し訳なさそうな苦笑い。その表情で、高らかに笑ったのだ。不思議な感じだが、陽気な善良さが全身から放射されている。

「いやいや、何でロタさんが謝るんですか?

 悪いのは百パーセント私でしょう。

 お客様がいらっしゃるのに、ちゃんとアポだっていただいていたのに、こんな失礼な格好でお迎えするなんて。申し訳ありません。思ったより早くおいでになったので」

 と、クミマルは言いながら、慌てたようにタオルで汗を拭く。顔、肩、首。だが、なかなか汗は引きそうにない。

「申し訳ございません、ちょっと着替えてまいります。あとシャワー……は無理ですね。ちょっと、ええ、体、拭いてきます、濡れタオルか何かで」

 と、クミマルは一旦別室へ去る。

 ロタの横を通り過ぎる際、横顔を見上げると、耳が平べったく「わいて」いた。長い格闘家生活のためか。

 クミマルの体の厚みは、横はもとより、縦幅も相当なものであった。


 この場に取り残されたロタは、所在なさげに室内を見回す。

 今、もし新たな来客があったらどうしようなどと困惑しつつ、

(いや、多分、そんなに客もいないんだろうな)

 失礼ながら、そうも思った。辺りは雑然としていたからだ。

 顧客を広く浅く集めるのではなく、常連や、明確な目的を持った者を呼び寄せたがっている様子。ロタも後者に属するわけだが。



  九十三、


 仕切りのない、広いフローリング。

 ベンチプレスの他に、トレーニング器具が数種。サンドバッグもある。恐らく、クミマル以外にも大勢が共同で使うのでは。一人用にしては立派だからだ。

 本棚も立派だ。高さはないが、横に広い。人体や機械の専門書。一冊ずつが高額そうだ。

 受付らしきカウンターの上には、腕の模型も三つ置かれている。先日のイベントで見た物ほどリアルではなく、簡易的なマネキンの腕を思わせる、柔らかなフォルム。


 腕の模型以上に目を引かれたのは、カウンターの向こう側の、やや低い位置に置いてある、人形の頭部。

「すげえな、あれは」

 見つけたロタは、口の中でつぶやく。

 二メートルほど離れているが、際立つリアルさ。

 そばに寄って触ってみたかったが、クミマルが戻るまではやめておこうと、身を乗り出して眺めるにとどめた。


 「髪の毛」部分は作られておらず、ベージュのつややかな地が(恐らくプラスチック製)むき出しであるため、一目で作り物だとは分かる。

 しかし、その下、ひたいからあごまでは、しわの細部に至るまで作り込まれている。目も、生きているかのように光を反射させており、唇の濡れた感じまで再現されていた。

 想定は、中年男性だろうか。

(映画の特殊メイクでも、これほどのクオリティの物はそうそうないんじゃないかな)


 足音がしたので、ロタはそちらへ向き直る。部屋の奥の方だ。クミマルが戻ってくる音であった。

 部屋の奥には、ソファーとテーブルセット。待合室みたいなコーナーだろうか、片隅にはポットとコップも並べられている。


「どうもどうも、済みません、お待たせして」

 大きな声と共に、再びクミマルが現れた。

 時間にして、三分少々か。

「おおっ」

 ロタは、思わず感嘆のうなり声。

 クミマルは上下とも着替えており、上は白シャツの上に水色の長袖を羽織り、下は濃紺のジーンズ。ラフな格好だが、不思議と決まっている。

 それはやはり、見事な肉体のためだろう。

 ロタは今、それに見とれてしまったのだった。


 ロタの声に反応し、

「えっと、どうかされましたか?」

 気のいい笑顔を見せるクミマル。

 ロタは、

「いや、つい。並じゃない体をされているなあと」

「ああ、体ね。私、太ってますから」

 ロタは首を大きく振り、強く打ち消す。

「いやいや、そうじゃなくて、鍛えてらっしゃるなあと」

「横に広いだけですよ」

 クミマルはのんびりと言う。

 太っていることを二度も自分で述べた以上、ロタとしても否定し過ぎるのは気が引け、

「いやまあ、確かに脂肪もあるのかもしれませんが、その下は筋肉でしょう。お体に脆弱さが見られませんから」

 と応じた。

 もちろん本音である。腹もせり出してはいるものの、緩んでもおらず、垂れ下がってもいないのだ。恐らくは、ガチガチに鍛え上げられた腹筋の上を、脂肪が覆っている感じなのであろう。


「ありがとうございます」

 クミマルがはにかんだ。

 ロタは付け足す。

「いや、でも、微妙な褒め言葉かもしれませんけど」

 真意を読みかねたか、クミマルは無言で首をかしげる。

 それに答えるように、ロタは言葉を続けた。

「……女性に対しては、ということです」

「ああ、なるほど、そういう意味ですね。ふふ、そんなことないですわよ。うれしい。鍛えた体は、誇りですもの」

 一度真顔へ戻ったクミマルは、歯を見せ、改めて笑顔になった。今度は、ふわりとした、柔らかなほほえみだった。

 そう、クミマルは元女子プロレスラー。

 公務員の夫に、中学生の息子を持つ、一児の母であった。

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