22 リモリ慰労会、うなぎの部。
六十三、
夕方になり、先ほど下見をしておいたモニュメントの前へロタは向かう。駅前広場である。マノウ、リモリとの待ち合わせ場所。真夏なので、まだ空は明るい。
金色のモニュメント周辺では、学生や家族連れが談笑し、たむろしていた。少し離れてロタも立つ。
約束の二十分前にロタは着いたが、マノウたち二人も十五分前に現れた。
ロタが二人に気づいた時、リモリはマノウの数歩先を歩いていて、
「ロタさーん」
と、右腕を高く上げ、左右に大きく手を振った。
親子とも、私服に着替えて来ていた。
リモリは、白いロングギャザーのワンピースガウンを羽織っていた。もし、そのまま前を閉じれば、普通にスカートにもなりそうに見える。裾の下部はレース地。袖は太めで、ひじまでの丈。
ガウンの中は、水色と白の横じまシャツ。風でガウンがずれ、左肩が一瞬あらわになった。ノースリーブだと分かる。
下は黒いショートパンツ。
マノウも小ぎれいな服装。
勝手な想像だが、娘のリモリが選んであげているのではないだろうか。
編み目の粗い、夏用の半袖ニットセーター。白。
ズボンはスキニーパンツ。カーキ色。マノウのようなやせ形でなければ履けまい。
自然と、ロタの第一声も服装への賛辞となる。
「良いですね、お二人とも。親子しておしゃれで」
ふへへとリモリは笑い、
「さっきイリカちゃんに、同じ女の子として気持ちは分かる、とか言っちゃった手前もあるしね」
「どういうこと?」
真意がつかめないロタへ、リモリは、
「ほら、ロタさんは作業着の私しか見てないじゃん。女子っぽい服、持ってるのかなとか心配してるんじゃないかなって」
予想外の言葉にロタは首を振り、
「えっ。そんなこと。作業着も十分、女性らしかったですよ」
「その割には、男と間違われた気もするけどねえ」
「面目ない」
ロタは指でほほをポリポリかく。リモリが吹き出した。マノウもほほえんで見守っている。
何となくその場にとどまり、しばし立ち話。
品のない目付きにならぬよう気遣いつつも、ロタはリモリの服装を軽く眺め回す。
シャツやショートパンツ越しに体のラインも出ていて、これなら女性としか見えない。
リモリのアッシュブラウンの髪はとても短く、外の風が当たっても前髪が跳ねる程度だ。首筋も耳も完全に露出している。
(おしゃれするとしたら、出来るのは髪留めとピアスくらいかな)
などと考えるロタ。今のリモリは、どちらも付けていないが。
「イリカちゃんは、長い黒髪だっけ?」
ロタの視線に気付いてか、リモリが指先で自分の前髪をつまみ、軽く整えながら聞いてきた。
「えっ。あ、ああ、うん。そうです」
突然の問いかけに少々ロタは面食らう。
「ドワキ教授の見積書にそう書いてあったから」
「なるほど、そこで見たのか」
ロタは納得した。
リモリは横目で、明るくニヤッと、
「黒髪ロングが好み?」
今度はもう、次の会話へ心の準備が出来ていたロタは、余裕を持ってゆったり答える。
「んー。どうだろね。何か、青春って感じがするでしょ。懐かしさ、みたいなさ」
無難な回答だが、実際、そのくらいしか考えていないのだ。
リモリもここは軽く流し、
「なるほどー」
また風が吹く。
リモリは、風で腰に巻き付いたガウンの裾を、片手で元に戻しつつ、
「こんなに脚出したの久々」
と、右膝を上げ、左手でするりと撫で上げる。確かに、顔の日焼けの割に、太ももから下は肌が白い。
ロタは尋ねる。
「普段は余り着ない?」
「着ないです。仕事着と、あとは家で勉強」
「勉強?」
「ずっと頑張ってるもんな」
マノウが口を挟む。リモリは、
「うん。資格を取ろうと思って」
「情報処理系の。あと、法律も」
と、マノウが付け足す。
お世辞抜きで感心したロタは、
「理系も文系もか。すごいですね」
「父の会社で早く働きたかったし、仕事も好きなんだけど、理論も学んでおきたくて」
「高校出て、すぐ働いた感じ?」
「そうです。大学も考えたけど、単位とか面倒かなって」
そんな会話を交わしつつ、三人で繁華街の方へ向かった。
六十四、
一軒目はうなぎ店。
リモリが「行ってみたい名店が近所にある」とのことだったので、席の予約は任せておいた。
繁華街の少し外れ、川沿い。武家屋敷のような赤い瓦屋根の二階建て。
入り口には、高い位置に、覆い被さるように斜めに取り付けられた大看板。年輪が太く浮き出た、つややかな木製だ。引き戸のそばには、低い石碑も建っている。
分厚い紺色ののれんをくぐる。炭火焼きの香り。
夕食にしてはまだ早めだからか、客の入りは三割ほど。
靴を脱ぎ、お座敷席へ。
磨き上げられた四角い黒テーブル、繊細な刺しゅうの座布団、いずれも見るからに高級品。周囲は障子。
「すごいな」
高級店のたたずまい。ロタの表情が引き締まる。
「ちょっと、子供同士じゃ来れないでしょ」
言いながら、リモリも座布団に腰を下ろす。ロタの真向かい。マノウはロタの左斜め前。
「大人でもびびるよ」
ロタの本心だった。
豪華な二段重ねのうな重を食べる。評判通りのおいしさ。
肉厚だが、脂っこさはない。口に入れた瞬間はやや固いものの、やがてうまみが舌へじんわり移ってくる。
細かな骨のようなチクチクした歯触りもあるが、ギュッとかむと、歯が一瞬弾むような弾力。瞬間、炭火で焦げた香りが、上品に鼻をくすぐる。適度な野性味が、かえって食欲を刺激する。
なお、料金は、リモリの分もロタが支払う約束になっていた。
当初、三人分を全てロタが払おうとしたが、マノウがかたくなに断ったのだ。
食べながら、話題はイリカに関するものへと移っていく。
「ロタさんの声しか聞き取れないのって、よくない気がするんだけどなあ」
うなぎへの箸を休め、お吸い物を持ちながらリモリが言う。
「どうして?」
ロタは首をかしげる。初めて聞く論点。
六十五、
リモリはお椀の汁を一口すすり、
「だって偏っちゃうじゃん。話せば話すほど、ロタさんのコピーが出来上がるだけだと思う」
「イリカがそうなる、と?」
「うん。いろんな人と会話ができたら、思想的なものとかもいろいろ混ざるでしょ。でも、ロタさんの声しか聞こえないんじゃ、ロタさんの人格が注ぎ込まれる一方だもん」
「なるほどな……」
ロタの語尾がよどんだ。
「ですが、」
マノウが会話に加わりながら、口の中のうなぎを飲み込み、
「必然性があってのことなんですよね。ロタさんと自由な会話ができるようになるために、他人の声を拾わせない、ひたすらロタさんへ意識を集中させる」
ロタはマノウに視線を移し、
「はい。それと、ハヤミさんの説明では、他人に勝手な命令を出させないためのセキュリティー上の理由もあるそうで」
「ふーん」
リモリは箸の先をくわえたまま、上目使いに考え込む。
そして、箸をお重に渡すようにして置いた。
ロタとマノウを交互に見て、
「まあ、じゃあさ、当分は、今日やったみたいに、私がしゃべってロタさんが繰り返す方法しかないか。
なんにせよ、私は関わらないとね。男性陣に任せておくと、すぐ、メカの性能がどうとか、そっちの話に夢中になっちゃって、女の子の気持ちが置いてきぼりにされちゃうから」
ロタ、マノウは苦笑して顔を見合わせ、順に言った。
「昼の件もありますし、まあ正論、」
「でしょうね。確かに、ええ」
「ふっふふー」
本日最大の功労者は、ニマニマ笑うと、お重を持ち上げ、得意げにうなぎの続きへ取りかかるのだった。