2 人工知能の権威、ハヤミ登場。
八、
人工知能分野の権威、女性科学者ハヤミ。
そのハヤミとロタが面会したのは半月後であった。
土曜午前。サラリーマンのロタは休日。
面会場所は、ハヤミの勤務する研究施設。都会の一等地。高層ではないが、堅牢そうなビル。官民共同の運営だ。
ロタは、バスと列車を乗り継いで到着。周囲には商業施設もなく、人通りに乏しい。
ビルの警備は厳重で、ロタは身分証明書とドワキの紹介状を正門、ドア前、受付で計三回も提示させられ、ようやく入ることができた。
そこから先は、警備員の付き添いで中へ。
廊下の長さやエレベーターの広さの割に、ひっそりしていた。ここも、今日は休みの者が多いのかもしれない。
途中、広い部屋のドア越しに、ラック状の巨大な四角い機械が並んでいるのが見えた。演算サーバーという奴か。
ひとたび応接室へ通されると、待たされもせず、あっさり本人に会うことができた。
新聞や本で見た著名人と、一対一で向き合っているのが何とも不思議だ。
三十代後半で既に国際的な影響力を持つ女性。
「ようこそおいでくださいました。初めまして、ハヤミです」
丸眼鏡の似合う、大きな瞳の美人であった。
九、
ハヤミの笑顔は、にこにこではないものの、愛想笑いよりは親しげに見えた。
ロタの緊張も幾分かほぐれる。
「初めまして、ロタです。この度は、お時間を作っていただき、感謝申し上げます」
応接室は、たっぷりとしたスペース。
四角いテーブルもソファーも、つやつやで高級感がある。壁の大窓からは、晴れた午前のビル街が見渡せた。
ハヤミの体型はすらりとしている。スーツ姿だ。
長めの髪を後ろで縛り、ハイウエストのワンピース。スカートはタイトではなく、裾の長さも膝よりかなり下。
羽織ったジャケットの丈は短い。色は、いずれも紺。
(白衣じゃないんだな。漫画の見過ぎか)
もちろん、口には出さなかった。
ロタは、グレーの背広、シルバーのネクタイ。
ハヤミの左手薬指にはリングが光っている。たしか、外科医だかと結婚し、娘さんが二人いるはずだ。新聞記事で読んだ。
「結構すごい所ですよね、ここ。圧倒されました。もう、足が震える感じで」
ロタは、大きめの身振りで、ややオーバーに言った。
陽気な性格を隠さず、あえて第一声から前面に出す。初対面の相手に、ロタが時々使う手であった。
ちょっと不意を突かれ、一瞬ハヤミは目を丸くしたが、
「確かに、設備が大きいですからね。びっくりされました?」
ふふっと顔をほころばせた。
(あっ、笑ってくれた)
胸を撫で下ろすロタ。良い第一印象を持ってもらえただろうか。
挨拶の後、二人は斜めに向き合ってソファーに座った。
「本題ですが、ドワキ研究室の見積書をお読みし、私どもとして興味深く、参加したいと思っております」
と、ハヤミが切り出す。高めの柔らかな声であった。
ハヤミは続ける。
「ロタさんの御希望では、彼女となるロボットの設定は十六歳の女子高生でよろしいですね」
女性からはっきり尋ねられ、ロタはほほが熱くなった。しかも、相手は頭脳明晰な美人なのだ。
口ごもりつつ、
「え、ええ。年甲斐もなく、青春を取り戻したいなと。
人間同士なら、あり得んですよね。親子以上の年の差。お恥ずかしい」
しまった、少し自虐的に言い過ぎたか。ロタは悔やんだ。
だが、
「そんなことはありませんよ」
ハヤミはロタの目をまっすぐに見て、
「私だって、もし自分がロタさんと同じ立場だったなら、ロボットは若い男の子にしたはずです」
(この人、いい奴だなあ)
と、ロタは感激した。
十、
「では、人工知能は十六歳少女、年は取らない設定とします」
ハヤミは微笑を保ちつつ、事務的な口調に変わった。
ロタは、
「設定というのは、どう作り込んでいくのでしょうか?」
「ええ、まさにそこです。
まず、街角やウェブ、書籍を調査し、女子高生の話し方などの情報をコンピューターへ打ち込みます。
結果、女子高生っぽい雰囲気を有した人格的データが生成されるでしょう。言わば原型、プロトタイプですね」
ハヤミは更に続けた。
「と同時に、ロタさんに関する情報を多く覚え込ませます」
「つまり、私の顔とか年齢とか」
「そうです。御趣味や、好きな食べ物、生い立ちなども。後ほど、撮影や聞き取りを行いたいと思っております」
「喜んで協力いたしますよ」
「ありがとうございます。
一連の作業を経て、ロタさんに関する豊富な知識を持ち、かつ、自分を女子高生だとおぼろげながら認識しつつある回路、データが出来上がるものと思われます。
そこから先は、」
丸眼鏡越しの大きな瞳で、ロタをのぞき込んできた。
ぴんときたロタが続けた。
「もしかして、私がやることになるわけですか」
「おっしゃる通りです。作業は長期にわたると思われます」
二回うなずくハヤミ。結んだ髪も二回跳ねていた。
「要は、ロタさんにカスタマイズをしていただくわけです」
「カスタマイズ?」
「はい。最初はほとんど意思疎通ができない人工知能へ、何度も話しかけていただきます。ひたすら、その積み重ね」
「つまり、私が人工知能に話しかけ、人工知能が応答して、私が訂正して、を繰り返す感じ?」
「まさに。イメージ的には、そういった流れです」
ロタ最大の気がかりとしては、
「それで、最終的にはどれくらい自由な会話ができるようになるのでしょうか?」
すると、ハヤミの顔が少し曇った。
十一、
ハヤミは率直に答える。
「見当が付きません、こればかりは。今回、私どもが目指すのは、できるだけ人間の脳を再現しようという試み。
でも、これは強い人工知能と呼ばれるもので、世界中の研究者が憧れては、あきらめてきた分野なのです」
「えっ、それってどういう。
では、今、世間で盛んに話題になっている人工知能、あれは何ですか。つまりは、弱い人工知能?」
「はい、まさに。弱い人工知能です」
「強い、弱いは、どこで判定されるんですか?」
「人間のような意識を持つかどうかです」
「意識……」
いきなり哲学的な展開だ。ロタは口ごもる。
ハヤミは、
「自我と言い換えてもいいかもしれません。ただし、余り深くはお考えにならないでください」
「どういう意味でしょう?」
「意識とは何か、自我とは何か、まだ明確には定義されていないからです。
自分だけにしか感じられない世界を持ち、あれをしたい、これは嫌だ、などの気持ちや意志を、外部からの入力なしで持っている機械、とでも言いましょうか」
「ああ、なるほど、イメージはつかめたような。それが、強い人工知能?」
「はい。こちらは、まだ全く開発のめども立っておらず、この度の計画でもほぼ除外されております。
ただし、」
ロタはガッカリした声を出そうとしたが、最後の「ただし」でグッと飲み込んだ。
「た、ただし?」
ハヤミは表情を和らげ、
「それとは別に、汎用人工知能というものがあります。こちらも、現時点では開発されておりません。しかし、強い人工知能に比べれば、」
「まだ希望はある?」
ハヤミはうなずいて、
「はい、多少は。
順番に御説明します。まずは、既に社会で使われている人工知能について。
あれは、顔認識とか、囲碁の対戦とか、翻訳、接客等、あらかじめ機能が限定されている物です。あと、車の自動操縦や診察もそう。
このようなものは、それぞれ領域が専門的に細分化されており、人工知能というより、特化型AIと呼ばれるものです」
「特化型AI?」
「はい。特化型AIは、どんなに成長しても、一つの分野を愚直に究めるだけなのです。良くも悪くも。
矢印に例えれば、特化型AIは矢印が一本、多くても二本か三本」
言いながら、ハヤミは両手を少し上げ、握手よりやや高い位置で手首を止めた。
そのあと、左右の人差し指を立てる仕草をした。鬼のツノのように。
そのまま、説明を続行。
「しかし、汎用人工知能は矢印が無数にあり、方向もバラバラ。要は自由なのです」
今度は、人差し指を左右同時に様々な方向、角度へ何度も上げる仕草。
顔の前の空中をツンツンと上に何回もつつくように。
ハヤミは、
「このように、幾つもの作業や思考を組み合わせ、横断的に物事を行えるのが汎用人工知能です」
そういうことか。
最初は驚くばかりだったロタも、徐々に飲み込めてくる。
「まるで人間みたいですな」
「でも、意識はないですからね」
ロタはまゆを上げ、
「えっ、そうなんですか?」
ハヤミは強く首を縦に振り、念を押すように、
「汎用人工知能は、あくまで柔軟な発想が出来るだけです。もしかしたら、何らかの創造性すら持ち得るかもしれない。
しかし、やはり、そこに単体としての意識はないのです」
「はあ」
分かったような、分からないような。
ロタの浮かない顔を見てか、ハヤミは説明の角度を変え、
「少し別の方向から述べてみます。まず、そもそも論です」
と、手を膝へ下ろしたハヤミは、
「夢がないことを申し上げるようですが、」
と前置きし、
「よく言われる、人工知能が自我に目覚めるということは、そう簡単には起こりません。機械に欲望を持たせることは非常に難しいのです。人工知能が質問通り答えたからといって、分かり合えたわけではない。人間の側が、勝手に分かり合えたと錯覚しているだけ。
更に言えば、何をもって分かり合えたとみなすのかという定義すらないのが現状です。
さっき例に出した、将棋に勝ちなさい、接客をしなさい、というのも、あくまで人間が最初にプログラムした物にすぎません」
「機械が自ら進んで将棋に勝ちたいとか、人をもてなしたいと思ったわけではない、と」
ハヤミはうなずき、スカートの裾に覆われた膝を少し斜めに崩し、体勢をずらした。言いにくいことを一気に説明し、ばつが悪そうに。
そして、先を続けた。
「はい。
同様に、ロタさんの恋人として振る舞いなさい、人間らしくしなさい、女の子らしくしなさい、という命令は漠然とし過ぎており、プログラム設定が困難なのです」
「つまり、特化型AIには、命令のしようがない?」
「ということです」
しばし、沈黙が流れた。
十二、
応接テーブルに置かれたコーヒーに、ロタは口をつけた。話が込み入ってきたため、頭を整理したかった。
ハヤミはほほえんで、説明を続ける。
「例えば、済みません、少々言葉は悪いかもしれませんが」
「えっ。あっ、はい、どうぞ」
改まって何だろう。ソファーに座り直した。
「ロタさんが何を話しかけても全部肯定し、会話にならなくても、ひたすらおしとやかに下手に出て、御機嫌を取る従順な人工知能ならば、開発は難しくはないんです」
「ああ、なるほどね」
思わずつぶやくロタ。ハヤミの言いたいことに気付き、納得もしたからだ。
ロタが求めているものは違う。
それはハヤミにも分かっている。
「でも、ロタさんはもっと深い交流をしたいんですよね」
「それはもちろんです。何かを相談したり、雑談をしたり」
「時にはケンカもしたり」
それを聞き、ロタはふっと笑った。茶目っ気がある女性だな。ハヤミの目元も笑っている。
「そうですね、まあ、軽いものならばね」
「ですよね。そして、そのようなものを求めるほど、やっぱり特化型の人工知能では無理が生じるのです。命令を一つや二つに絞り込めないからです」
「そこで、汎用性……」
「はい。道は険しいのですが、汎用人工知能に近いもので行きたいと考えております。
そして、ほんの部分的にでも、強い人工知能のような雰囲気、それに近いものを目指せたらと考えております」
「分かりました。専門の方にお任せしたいですね」
ハヤミは小さく首を縦に振り、
「ひとまずプロトタイプをお造りしてみます。目処が付いたらまた後日、御連絡差し上げます」
「よろしく頼みます」
そのあとは、予告通り、ロタに対する「インタビュー」が別室にて行われた。助手三名が加わり。
人工知能へ覚え込ませるために、ロタの顔や全身の映像を録画し、声を録音し、その他、生い立ちや趣味なども詳細に記録されたのだった。