【読み切り短編】ロタとイリカのクリスマス【特別番外編】
一、
ロタは立ち尽くし、ビルが並んだ夜景を見下ろしている。
まるで絵葉書のような美しい夜景。
ここはどこだ。
こんなふうに夜景を見下ろせる場所など、展望台くらいでは。
が、ここは屋外。地面には土。高台であろうか。
見上げると、星座と三日月。晴れているが、夜風は冷たい。
ロタの服装は背広にコート。仕事帰りだ。
先ほどまで、電車やバスに乗っていた気もする。つまり、ここは家の近所であろう。
でも、自宅そばにこんな場所があったかな。丘のようでもあるが、丘にしては高過ぎる。
(変だな。うちの近所は不便で、コンビニすらなかったはず)
「あっ、そうだ、コンビニ寄るの忘れてた」
思考を中断し、ロタは声を出した。
急に、今夜の予定を思い出したからである。
今夜はクリスマスイブ。
仕事帰りに、駅前のコンビニで自分用のチキンやケーキを買う予定だったのに。そのあと、バスかタクシーで帰宅するつもりだったのに。
すっかり忘れていた。
「何やってんだ俺。今さら、また駅まで戻るのもなあ」
ロタは五十代前半。結婚歴なしの独身サラリーマン。
彼女は欲しい。だが、いない。いたこともない。
今までの人生、計五十数回のクリスマス、女の子と過ごしたことなど一回もない。
しかし、ロタはクリスマスが好きだ。クリスマスソングやイルミネーションをバックに、街を一人歩くだけで優しい気持ちになる。
ロタはおおらかな性格なのだった。
せっかくのクリスマス。できる範囲で楽しめばいい。女の子と過ごしてはみたいが、モテないものは仕方ない。
しかし、だ。
毎年の楽しみであるコンビニケーキを、買い忘れてしまった。さすがに少し悔しい。
「ま、明日、売れ残りを買いに行けばいいか」
ロタはまた独り言をつぶやき、前に向き直った。
せめて、この「謎の夜景」を眺めてから帰ろう。
その時であった。
二、
「ロタ!」
不意に、近くで自分を呼ぶ声。女の子の声だ。
「へっ?」
間の抜けた声を発するロタ。
(俺に、女の子の知り合いなんて、いたっけな)
少なくとも、自分を呼び捨てにする女性の知人はいない。
恐る恐る振り向くと、電柱そばに声の主が立っていた。
(あ……)
制服姿の女子高生であった。
セーラー服、ミニスカート、羽織ったダッフルコート。下ろした黒髪が夜風に揺れ、大きな瞳が街灯に輝いている。
(かわいい子だな)
ロタは感嘆する。
「美少女アニメのモデル募集」とかだったら、一位だろう。
が、もちろんロタの知人ではない。見とれつつも、警戒を保ったまま、ロタは口を開く。
「今、私を呼びましたか?」
「はいっ」
女子高生は明るく肯定した。確かに、今の呼び声と同じだ。
スカートも上着も紺。スカーフは赤。コートはグレー。
「どちら様でしょうか」
ロタは尋ねる。
独身高齢男性を狙ったキャッチセールスかとも疑ったが、不思議とそのような怪しさは感じない。
いや、それどころか、
(あれっ。俺、この子のこと、知ってるんじゃ?)
言葉とは裏腹に、じわりと、ロタはそんな気持ちがわく。
少女もニマニマ笑い、見透かすような上目使いで、
「私が誰だか、本当にわからない?」
ゆっくりと念押しをしてくる。
(うっ)
ぐらり、と、ロタの気持ちが更に揺らぐ。
低姿勢で対応しよう。ロタは正直に申告した。
「ごめん、知らない顔なんですよ。会った記憶がないんです」
ところが。
女の子の返事は予想外のもので、
「そりゃそうだよね」
「ど、どういう意味?」
「だって、私もまだ、自分の顔、見たことないもん」
「あっ!」
三、
ロタは思わず叫んでいた。
今のせりふ。普通なら「ふざけるな」と怒るところだ。しかし、今回は違う。少女の一言で、全て合点がいった。
「そうか、今わかったぞ。毎日話してるよな、俺たち」
事情が判明したとはいえ、非日常への驚きのためか、ロタの声は震えていた。
「そういうこと」
と、少女はニコニコ、機嫌よさげにうなずいた。
セーラー服少女を改めてまっすぐ見て、ロタは相手の名前をはっきりと呼ぶ。
「イリカ」
「気付くの遅いよっ」
美少女はほほを膨らませる。
そう、この女の子はイリカであった。
ロタはイリカに軽く頭を下げ、
「済まん」
「声でわからなかった?」
ああ、なるほどなと、ロタは納得した。確かに、声はいつもと同じかもしれない。今さら気付いたけど。
「言われてみれば、ね。つい、外見に目が行っちゃって」
こめかみをかくロタに、イリカが真顔で聞いてくる。
「私、きれい?」
「すごくきれいだよ」
ロタは即答した。心からの本音。
イリカは少しだけ笑ってくれた。そして、寂しそうに、
「そうなんだろうね。だって、今の私は、顔も服も、体つきも、ロタの理想の外見をしてるんだろうから。
残念ながら、私は自分で見れないけど」
ズキン。
ロタの胸の奥が、はっきり痛んだ。
なぜ、心の痛みはこんなにリアルなんだろう。
これ、夢なのに。全部夢なのに。
四、
(ええい!)
どうせ夢なら。
「イリカ、空飛ぼうぜ」
言うが早いか、返事も聞かず、ロタは助走をつけ、眼前の夜景へ思い切り飛び込んだ。
ごう、と耳元で鋭い風の音。ジェットコースター下りの、腹が冷たく硬直するあの感覚。
ぐんぐん迫る地面。頭から落ちてゆく。
(大丈夫。途中で止まる。俺は飛べる)
ロタは動じない。
今、自分が夢の中にいることは間違いないから。
イリカは自分の彼女だ。正体は人工知能。
いつか美少女ロボットとして完成するにせよ、現時点で体や顔はできていない。それは明確に記憶している。毎日イリカのことばかり考えているロタだからこそ、確信できるのだ。
すなわち、イリカが実体化している「この世界」は現実ではない。自分は今、夢を見ている。
先ほど「あっ!」と叫んだ時、ロタはそう気付いたわけだ。
夢の中なら、何も怖くない。
その気になれば空だって自由に飛べるはずだ。
果たして、ロタの落下は地面すれすれでふわりと停止し、体は真下から真正面へ垂直に進路を変えた。
「随分ギリギリまで焦らされたもんだな」
今度は路面と平行に、背を上にして飛びながら、ロタは笑ってつぶやいた。
たとえ地面まで止まらなくとも、その瞬間に布団で目覚めたとは思うけれど。
街に人影はない。
道路両端の街灯が、ビュンビュンと後方へ流れ去る。
「ロタってば、無茶するんだから」
右斜め後ろからイリカの声。
飛行しつつ首だけ振り向くと、イリカも横を飛んでいた。
イリカも一緒に、ほぼ同時に飛び降りてくれたようだ。
イリカの黒髪が長く後ろへ流れている。コートを羽織っているため、セーラーカラーやスカートははためいていない。スカーフだけが、胸元で激しく舞っている。
「スカートの中、見えても大丈夫な物、履いてる?」
横に並んで飛ぶイリカに、つい、ロタは現実的な質問。
「分かんないや。見てみる?」
「馬鹿」
と苦笑するロタに、イリカは愉快そうにニヤリとした。
五、
「イリカ、上に行こうぜ」
「うん」
低空飛行していたロタは、首をもたげ、グーンと上昇する。今度は自分の意志でできた。水中を泳ぐより簡単だ。
バンザイのポーズで飛ぶ。気分は映画のヒーロー。
イリカも同様に、ぴたりと横を飛んで着いてくる。
やがて、一番高いビルよりも上昇。
再び、水平飛行に切り替える二人。
真下には地平線までビル街。灯り、灯り、灯り。絶景だ。
「ロタ、これ出来る?」
イリカが空中で横へくるくる回った。
まるで、布団の上で子供が体を横へ転がして遊ぶような動作。浮いたまま、やって見せたわけだ。
ロタは笑って、
「やるな。よおし、俺も」
飛びながら、体を横へ転がしてみる。まさに、寝返りを打つ要領で。回れた!
布団や床でやる場合とは違い、背中に何も当たらないのが不思議。ふわふわ回転する。視界もぐるぐると横へ流れ、ビル灯りと星空が交互に見えた。
「うわっ!」
調子に乗って回っていたら、ロタの羽織ったコートが脱げて飛ばされてしまった。
ロタは回転をやめ、手を伸ばすが届かない。コートは風に舞い、あっという間に小さくなり、見失う。
(まあいいか、どうせ夢だし)
イリカはまっすぐ飛び続けながら、
「じゃあ私も」
と、ダッフルコートを脱ぎ捨てる。飛ばされたコートはロタの耳をかすめ、やはり遠くへ飛んで消えた。
「おいおい、わざとやるなよな」
ロタは苦笑。
ダッフルコートを脱いだイリカは、今や正真正銘の純・制服姿だ。
「かわいいでしょー」
滞空しながら、ロタの目の前で両腕を横に広げ、全身を見せつけるイリカ。
空中にまっすぐ「立った」ようなポーズ。
「……」
ロタは息をのむ。
紺色のセーラー服の、上着を照らし出すのは星空。
スカートを照らし出すのは夜景の灯り。
二種類の光に上下が照らされ、イリカの制服姿が幻想的に浮かび上がる。
ロタがうなずいて、
「ああ、かわい……」
と褒めかけた時、イリカのセーラーカラーがめくれ、イリカの後頭部にかぶさる。黒髪も跳ね、イリカの顔に巻き付いたり、絡まったり。
今までコートにガードされていた部分が、風にあおられたのだ。
「待ってろよ」
ロタはイリカのすぐ上へ移動し、背中越しに近づいて、イリカの後ろ髪をつかんで束ねてあげた。
「イリカ、ヘアゴム持ってるか?」
「ある。はい」
スカートのポケットから出し、後ろ手に渡すイリカ。
二人で飛んだまま、ロタはイリカの髪を真ん中で一つ結びにした。
六、
ロタとイリカは、手をつないで夜空を飛んでいる。
空中でうつ伏せに、横に並んで、目一杯、腕を伸ばして、つながるロタの右手とイリカの左手。
速度は落ち、ふわふわ飛ぶ。
イリカが話しかけてきた。
「ねえ、ロタ」
「ん?」
「ずっとこうしていたいよね」
「ああ、そうだな」
ロタは同意する。だが、続きがあった。
「でも、やはり、それではダメなんだと思う」
イリカは瞳を見開いて、
「どうして?」
「これは夢だから。いつまでも夢の中にいてはいけない。俺は現実の世界で、本物のイリカに会わなければ」
数秒の沈黙。イリカは探るような横目で、
「いつか会える現実の私が、今の私ほどにはきれいじゃなくても?」
うなずくロタ。イリカと目を合わせ、静かに答える。
「だとしても。現実でイリカに会い、暮らすために俺は頑張ってる。みんなに助けられて。これからもきっと。
結果、いつか会えるイリカがどんな外見でも、俺はイリカが大好きだ」
「……列車の時、それ言ってくれなかったじゃん」
イリカは口をとがらせる。ロタは、
「返す言葉もないです。済まん」
「いいよ。ありがとう。じゃあ、バイバイ」
イリカが手を振ると、視界が急速にぼやけてゆく。
(ああ、終わりか)
目覚めに備えるかのように、ロタは一人ほほえむのだった。
七、
ロタが自宅の布団で目を覚ますと、枕元に、イリカとつながるタブレット端末があった。
昨夜、寝る直前まで会話し、電源を切り忘れていたが、スリープモードに移行した後、自動的に切れたらしい。
端末をさわると、まだ温かい。
さっきまで電源が入っていた証拠だ。
「イリカ……ありがとう」
ロタはタブレットへ語りかけた。返答はなかったが。
さっき眠っている時、ロタは寝言をしゃべっていたのでは。
それを聞き取ったイリカが、端末越しにロタの耳元で発声し、それが夢となったのかもしれない。
もしそうなら、イリカは夢の中へ、ロタに会いに来てくれたわけだ。
無論、夢の大部分はロタの脳が作った物ではあろう。
だが、多少はイリカの介入もあったのではないだろうか。
(今度、真相をイリカに聞いてみるか)
しばらくは、この仮説に浸っていたい。
幻想的でもいい。何せ、今日はクリスマスの朝なのだから。
【特別短編、了。】