<1>訪問者
朝日が眩しい。
二度寝を試みるも、僕が起きた事に気付いたヴィネがペロペロと顔を舐めてきた。
「分かったよ。朝ごはんを用意するよ。」
「わん!」
嬉しそうに尻尾をふるヴィネの頭を撫でながら僕はキッチンへと向かった。
深い森の奥にポツンとある木造りの家。
愛犬のヴィネと暮らすのにはちょっと広いこの家は、僕が生まれた時に建てたものだと生前の母が教えてくれた。
母が亡くなってもう五年。
誰も支えてくれる人はいなかった。
誰も道を示してくれる人もいなかった。
ただ生きてきた。
辛い事も苦しい事もあった。
でも、死ぬ事はもっと恐ろしかった。
ちょっとストップ。
あまりにも暗い。
僕はそんなに卑屈な人間ではないし、今は幸せだと思っている。
ヴィネもいるから寂しくない。
そもそも、こんな森の中にある家を訪ねて来る人は少ない。
というか、今まで片手で数えられるくらいの人としか会ったことがないのだから、これが日常というか、普通なんだ。
ヴィネの餌を準備をしながらそんな事を考えていると、
ドン!
ドアを叩く音が聞こえた。
反射的に猟銃を手に取る。
ヴィネも臨戦態勢に入っている。
熊か、猪か、恐らくどちらかだ。
出来れば後者であって欲しいと願いながら全神経を次の挙動に集中させる。
ドカッ!!!
ドアが吹き飛ばされるのは想像していなかった。
さらに想像していなかったのはドアの向こうにアーマーを装備した男が立っていたことだ。
アーマーには双頭の獅子の紋章が彫られている。
この森の東に位置する大国、リドワン王国の紋章のはずだ。
190CMを優に超す巨体は実に猛々しく、強さを具現化した出で立ちといっても過言ではない。
「アリエス、この男か?」
「違う。でも、ここらへんから凄く匂ってくる。」
男の後ろから女の子の声が聞こえてきたが巨体のせいで姿は確認出来ない。
「お前、名前は?」
急に話しかけられ体が緊張で強張った。
「ア、アッシュです。」
聞きたいことが山ほどあるのに答えるのが精一杯だ。
「そうか。アッシュ、悪魔を渡せ。」
頭の上にまた新たな「?」が浮かんでしまう。
―――――悪魔を渡せ?
意味不明。理解不能。訳が分からなかった。
「すいません。ちょっと意味が分からないです。」
「面倒だな。」
男はそれだけの言葉を発すると腰に差していた両刃剣を構え、勢いよく薙いだ。
スイングしたと言った方が正しいか。
豪風一閃。
家の上半分が吹き飛ばされた。
僕もヴィネも呆気に取られる。
家の中にいたはずなのに青々とした空を眺める事が出来る。
人間技じゃない。
ヤバい!ヤバい!ヤバい!
この状況はマズい。
悪魔のことは本当に分からないけれど、それを伝えた所で意味は無い。
「なあ、アッシュ。この森には人間が住んでいるという記録は残っていない。どういう事か分かるか?」
分かりたくはないのに、即座に理解してしまった。
つまり、僕が死んでも何も問題は無いということだ。
生き残るための選択肢は一つしかなかった。
ここは逃げるしかない。
「ヴィネ!」
振り返ると同時にヴィネを呼び、裏口に向かって走り出す。
しかし、そう簡単には逃がしてくれない。
先程の豪風が家の残り半分を吹き飛ばした。
母との思い出と一緒に。
ヴィネを抱きかかえながら倒れこんだのでケガはなかったが、心に大きな穴がポッカリと空いてしまった。
理不尽に立ち向かうことの出来ない非力さに悔しくて涙が出てくる。
僕一人だったらここで諦めていただろう。
でも、今はヴィネがいる。
ヴィネを守るという使命感が僕を突き動かす唯一の力になっていた。
―――――死んでたまるか!
ここで生まれて18年。
ずっとここで過ごしてきたんだ。
土地勘がある分、僕の方が有利。
あそこに隠れられれば絶対に見付からない。
僕はヴィネと共に深い森の奥へと走り出した。




