2話④
大変遅くなって申し訳ありません!
「雪、降らないね」
そう呟いて不機嫌そうに落ち葉を蹴る彼女を、僕は微笑ましく思いながら見ていた。
「そりゃあ、だってまだ十一月だよ? 天気予報でも今日は晴れだって言ってたし」
っていうか、だからこそ出かけたのに。
彼女は、どうにもそういう所がある。まあ、だから一緒にいて飽きないんだけど。
「うー、それは分かってるけど…………」
「ほら。それより見えてきたよ。あそこでしょ? まひるが言ってたの」
言いながら、僕は前方に見えてきた景色に指を向ける。
そうして、指差す場所こそが僕らの旅の目的地(と言っても家から二十分位の距離だったけど)だった。
そこは、なにもない場所。そう表現するしかないような、小さな公園。滑り台にブランコ。最低限の遊具と、辺りを仄かに照らす街灯の他にはなにもない、そんな殺風景な場所だった。
「……寒いね」
「そりゃあね。真夜中だし」
吹く風に思わずと言った様子で体を震わせるまひる。
携帯電話で確認すると、時刻は午前二時を回っていた。
「……それにしても、よくこんな場所知ってたね」
「でしょ? 私の秘密基地。一人になりたい時とか、よく来てたの」
「へぇー」
確かに、誰しも一人になりたい気分の時はある。そういう時、ここはまさにうってつけだろうと、僕は思った。
それに、
「ここなら大丈夫そうだね」
僕らの旅の目的にとっても、最適の場所だ。
「じゃ、準備しよっか」
「うん」
そう言って僕は持ってきた鞄からレジャーシートを取り出し、
「端っこ持って」
「はーい」
街灯の明かりが届かない場所を選んで手際よく広げると、上に二人分の荷物を置いて、“それ”の準備を始めた。
「私、“天体観測”って初めて!」
鞄の中身を広げながら星みたいにキラキラとした目をするまひる。
「まあ、そんな本格的なものじゃないけどね」
「いーいの! それに、こっちの方が二人とも見れるじゃない」
そう言ってまひるは得意気に首から下げた双眼鏡を構え、こっちを覗いてくる。
それがどうしようもなく可笑しくて、僕は軽く吹き出しながら彼女に同調した。
「確かにね。望遠鏡用意できなかったのは残念だけど、これはこれで、悪くないかな」
なにぶん経済的に余裕がなかったが故の苦肉の策だっただけに、そういうまひるの笑顔には救われた気持ちになる。
いや、今だけじゃない。僕はいつだって、彼女の笑顔に救われてきた。
夜の静けさのせいか、そんな感慨に耽っていると、
「ねえヒデ! 見て見て! すっごい綺麗! 」
「ん……」
もう見てるのか。
気が早いとは思いながらも、興奮する彼女の声に釣られ、僕も双眼鏡を構えて夜空を見上げた。
「…………」
言葉が、出なかった。
その瞬間、目の前にある景色を表現するのに相応しい言葉を、僕は持っていなかった。
「ね? 綺麗でしょ?」
「うん、すごいね」
満天の星空。それぞれが懸命に放つ色とりどりの輝きが、肉眼で見るそれよりも遥かに鮮明に映る。
――綺麗。
そんな言葉じゃ言い足りないけど、それしか言えない。
――本当に、綺麗だ。
散らばる星々を前に、僕は素直にそう思った。
「来てよかった?」
「うん」
「そっか」
神秘的で、例えようのない浪漫を感じる雰囲気の中、そんな何気ない会話がまるで映画のワンシーンのように感じられて……僕は思わず、
「ありがとう」
「え?」
突然向けられた感謝に、「どうしたの?」と言いたげな顔をするまひる。
「まあ、なんとなく。日頃の感謝を伝えたくなってさ」
「なによそれー?」
「いてっ」
照れ隠しにバシっと背中を叩かれ、軽く顔を顰める僕。
やりすぎたのを自覚したのだろう、咄嗟に「ごめん」と謝る彼女に、僕は笑顔で「大丈夫」と告げた。
「もう! いっつも突然なんだから」
「そうだったかな?」
「そうですー。毎回驚かされるこっちの身もなってよね」
「はは。ごめん」
「…………ま、嬉しいけど」
「え? なんて?」
「なんでもない! ほら、それよりお弁当食べよ? 折角作ってきたんだし」
殆ど僕が、ね。
そういうツッコミは無粋と胸の中にしまい込み、僕らは遅めの晩御飯を食べることにした。
「あー、もうお腹ペコペコ」
「まあちょっと歩いたもんね。はい、取り皿」
「ありがとー」
今日のメニューは卵焼きに唐揚げ、ポテトサラダ等々……至ってシンプルなおかずと、色々試行錯誤して、なんとか星の形に握ったおにぎりだ。
「ん、美味しい。さすが、我が家の料理長」
「はいはい、っと。まあでも……星空を見ながら食べるっていうのも乙なもんだね」
「ホントに。また夢が叶っちゃった」
「夢?」
呟かれたその単語に、僕は思わず反応した。
「うん、夢。こうやって、星空を眺めながら好きな人と一緒にご飯食べるの、一回やってみたかったの」
「そっか。なら、よかった」
なんとも言えない気持ち。それを誤魔化すように、僕は小さく微笑みながら、自家製のおにぎりを齧った。
「ありがとう」
「ん?」
「いつも傍にいてくれて」
「いえいえ、こちらこそ」
嬉しいような恥ずかしいような、そんなまひるの言葉に、僕は自分の表情を見られないよう、頭を下げて応じた。
そうした時、
「あ――」
突然の声。彼女のそれに反応して顔をあげたそこには、
「――流れ星!」
興奮した様子で空を指さすまひる。それに負けないくらいに高揚した気持ちで、僕は空を見上げた。
「テレビで言ってた通りだ。すごいねこれ……」
「ね。ホント、すごい」
今日は、数十年に一度、星が降る夜。
流星群。空に煌めく小さな光たちが落ちては消えて、落ちては消えて。テレビで知った、一生の内で何度見られるか分からないその景色に、僕らはすっかり心を奪われてしまった。
「願い事、願い事しないと!」
ハッとして言うまひる。その勢いに釣られて、僕も星空に手を合わせ、目を閉じた。
流れ星に願い事。光が消える前に三回願う。ちょっと難しそうだけど、これだけ沢山の流れ星があれば、どれか一つくらいはお願いを聞き入れてくれるかもしれない。そんなことを思いながら、僕らは願う。
束の間、静かに時間が流れていった。
「……なに、お願いしたの?」
そっと目を開けて、僕は聞く。
すると、少し照れくさそうにまひるは言った。
「えっと、まあ……二人で、ずっと居られますように、って」
かぁっと、耳が熱くなる。自分で聞いたくせに恥ずかしくなって、僕は思わずまひるから目を逸らした。
すると、そんなこちらの視線を追いかけるようにして彼女は、
「そっちは? なにお願いしたの?」
「うーん……内緒!」
「えー、なんでよずるい! 気になる!」
「あははっ!」
――そうやって、流れる星空の下で僕らは笑った。腹の底から、心ゆくまで。時間も忘れて……。
「……また、来ようね」
「うん、そうだね……」
幸せだった。これ以上なんてない、心の底からそう思えるほどに。「いつまでも、こんな日々が続きますように」って、流れ星に願うほどに。
(また、来れたらいいな……)
だけど……違ったんだ。
結局僕は、気付かないふりをしていただけだった。幸福な日常。その傍らで膨らみ続けていたその想いから。ずっと、目を背け続けていただけだった。
そして……それが無視できないくらい大きく成長するのに、時間はあまりかからなかった――