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K ~聖なる夜の物語~  作者: 夜長月虹
第一話「聖夜の出会い」
5/15

1話④

(これ、は…………)


 我が目を疑う。

 だって……それはそうだ。そこに描いてあったのは、街道に佇む一匹の黒猫――紛れもない、ボクの姿、だったんだから。

 それも、一枚じゃない。

 彼がページをめくる度、そこには次々と、色んなボクの姿が浮かんでは消えていった。


「僕は、さ……」


 彼は語り始める。


「元々、この街の人間じゃないんだ。故郷はもっと遠い、山向こうの小さな田舎町でね……。まあ山と田んぼと、たまに降る雪の他にはなんにもない、そんな辺鄙な所なんだけど……」


 そこでクスリと微笑んで、彼は言葉を続けた。


「でも、そんな所だって退屈はしなかったよ。いつも家族や友人、沢山の大切な人たちに囲まれてさ。一緒に遊んだりして……だからあそこにいた時は、毎日それなりに楽しくて、幸せだったな」


 家族。友人。楽しい。幸せ。懐かしそうに言う彼。その口から溢れる、ボクには縁のなかった言葉たち。

 なんで彼は、そんな話をボクにするんだろう? そう思った。

 けど、それだけに不思議だった。

 そう思いながらも、それを大人しく聞いている、自分自身が。

 彼は、更に言う。


「でもね……それでも。こんな暮らしも悪くないとは思いながらも。やっぱりどこかで、僕には捨てられないものがあったんだ。大切な場所や、大切な人……それと同じくらい、大切なものが……」


 大切な人。大切なもの。

 よく、分からない……。ボクにはずっと、そんなものなかったから。持とうとも、思わなかったから。


「そう……ずっと、思ってた。ずっと、小さい頃から胸に抱いて、抱き続けて、夢見てた。――“画家”になりたい、ってさ」


 ――“夢”。

 きっと、彼が言うそれは、ボクが知っているものとは違う。そう思った。

 遠い言葉……だけど、なんとなく。よくは分からないけど、なんとなく。

 それが彼にとって、本当に大切なものなんだっていうことだけは、ボクにも分かった。

 だって……それを語る彼の様子が、どことなく幸せそうに見えたから。


「だから、ある時……なんというか、思い立っちゃってね。夢を捨てることができなくて……僕は、故郷を離れた。それまで持ってた繋がりも、生活も、なにもかもをなげうってさ。この街で、夢を追いかけようと思ったんだ」


 いつかどこかで、誰かに聞いた。

 ――なにかを得るためには、なにかを失わなければならない。

 自分の夢のために、温かい日常を、大切だった時間を捨てた彼。

 なんだろう……。ボクには、それがとても羨ましいことのように思えた。

 なにも持ってなくて、なにも得られなかった、ボクには……。


「いや~、最初はワクワクしたな。この街に来てさ。一歩を踏み出して……見たこともない景色に触れた時、目に映るもの全てが新鮮で……ここで僕は夢を叶えるんだって思うと、どうしようもなく楽しみな気持ちでいっぱいだった」


 そう言う彼の目は、キラキラと輝いて見えた。

 未来への希望。

 そんなもの、ボクは抱いたことがなかった。ただ生きて、ただ死ぬ。ボクにとっては、それが全てだったから。


(眩しいな)


 ボクは思った。

 だけど……。

 そこから先は、上手くいかなかったに違いない。それが分かったのは、次の瞬間、彼の表情が少しだけ曇ったからだ。


「ま、すぐに思い知らされたけどね……。現実は、そう甘いもんじゃないって。知らない街で生きていくことが、夢を追うことが、どれだけ大変で、孤独なことなのかって……。そして、そんな時だよ。キミと出会ったのは……」


 いつ、だろう……? 覚えてない。

 いや、きっと見えていなかったんだ。ボクは思った。


「まあ、出会ったと言っても、ちょっとすれ違ったくらいだけどね。……とにかく。住んでた家を出て、なんの当てもないままこの街に来て、右も左も分からなくて、頼れる人なんか誰もいなくて……それでも生活はしていかなくちゃいけない。これからどうやって生きていこう。そんなことを考えて途方に暮れてた時に僕は、初めてキミを見たんだ」


 温かい場所から冷たい場所へ。元いた場所とはなにもかもが違うそこで暮らす内、、いつしか胸に抱いていた筈の希望も失って、ただただ立ち尽くすしかなかった彼。まるで、世界が自分一人になってしまったかのような孤独の中で、瞳に移ったのは――自分と同じ、一匹で生きる黒猫。

 頭の中にそんな情景が浮かぶ。

 彼の語る、彼の物語。いつしかボクは、それに聞き入っていた。


「最初は、“似てるな”って思った。広い街の中で、お互い独りでさ……。でも、すぐに分かったよ……“違う”って。……だって、そうだろ? キミは、例え独りでも懸命に生きてた。来る日も来る日も……決して誰の助けも借りず、心無い人達からの罵声にも耐えて……胸を張って、堂々と生きてた。……正直、すごいなって思ったよ。自分と似たような境遇の中で、強く生きているキミの姿はさ。本当に、美しく見えた」


 尊敬。憧れ。初めて人から向けられる、嫌悪以外の感情。

 初めて、言われた。

 ボクの生き様が、姿が――美しい、だなんて。


「僕は、そんなキミの姿に勇気を貰った……キミのおかげで、僕はこの街から逃げることなく、夢を追いかけることができた。キミは、僕の恩人なんだ」


 ――ボクが、恩人?

 実感の湧かない言葉だった。

 だって、ボクはなにもしてないから。ボクは、ボクはただ……。


「大袈裟だって思うかな? でもね……本当に全部、キミがいたからなんだよ。キミが、僕の支えになってくれたから、僕はこの街で、ここまでやってこれた。……まあ、まだ全然駆け出しだけどさ。一応プロの画家にもなれて、なんとか今日まで生きてこれたんだ。だから、ずっと思ってた。ずっと、伝えたかった。キミに、“ありがとう”を……。それから――」


 ――そんなキミと、友達になりたい、ってことを……。

 そう言って、彼は言葉を締めくくった。


(……)


 知らなかった。想像さえも、したことがなかった。

 ボクのことを、ずっと、見てた人がいたなんて。ボクが、その人の支えになってたなんて。なによりその人に、こんなにも感謝されているなんて。

 ボクはただ……必死になって、生きていただけなのに。独りだったから、そうするしかなかっただけなのに……。


「嫌なら諦める。けど……友達になってくれたら嬉しいな」


 そして、彼は、ボクに向かって手を伸ばす。

 なるほど。

 それはきっと、返事をすることができないボクへの配慮なんだと思った。ボクが意思表示しやすいように、ボクのための譲歩。


(……)


 この手から離れてしまえば、この人はもう……ボクを追っては来ない。確証はないけど、なんとなくそんな気がした。

 時間が、何倍にも遅く流れているかのように感じる。

 ふと、気付いた。


(……震えてる……)


 ゆっくり、小刻みに震えながら近付いてくる右手。その奥にある、彼の瞳。それは、まるでなにかに怯えているかのようで……それを見て、ボクは思った。

 きっと、逃げるとしたら、今が絶好のチャンスに違いない。ここで逃げれば、今度こそボクは、彼から逃げ切れるだろう。また望み通りの毎日を送れる筈だ。孤独で、だけど誰にも自分の時間を侵されることのない。そんな、平穏な日々を……。

 分かってる。そんなことは、分かってるんだ。

 でも……なんでかな?

 なんで、ボクは――


「――ありがとう……おチビさん」


 頭に触れる、優しい感触。


(やっぱり、心地いい……)


 それに身を任せて、ボクはそんなことを思う。

 ボクは――“動かなかった”。

 いや……というより、“動けなかった”んだ。

 ――何故?

 きっと、理由は色々ある。

 彼のことが可哀想だったから? 寂しそうだったから? それも、あるかもしれない。

 けど、そうじゃない。それだけじゃない。

 同情や憐憫。それよりも、なによりも。その時はただ――


(――嬉しかった)


 ボクは誰かを“求めない”。それは、今でも変わらない。でも……それでも、生まれて初めて誰かに“求められた”ことは、どうしようもなく、例えようもなく、ただ素直に、嬉しかったんだ。

 だから――

 彼にとってボクが必要な存在だというのなら、ちょっとだけ、一緒にいてやろうって、そう思った。彼がボクを受け入れてくれるなら、ボクも彼のことを受け入れてみようって、そう……思った。


「雪……強くなってきたね」


 そう言う彼の視線を追いかけるように、ボクは空を見上げた。

 ――冷たい。

 彼の掌の隙間から、真っ白な粒がすり抜けてボクの目元を濡らした。


「あ、そうだ! なんだったら僕ん家においでよ。せっかくの“クリスマス”。一人じゃ、ちょっと寂しくてさ」


 思い出すように言う彼。

 その瞬間、


(あ……)


 ボクも、思い出した。

 今日は――“クリスマス”。人間が“聖なる夜”なんて呼ぶ、特別な日だってことを。


「……いい、かな?」


 そう尋ねる彼の瞳を、ボクはじっと見つめ返した。

 もう……逃げる気なんて更々なかった。

 それが伝わったのか、彼はそっと、ボクのことを抱き上げた。


「勿論、ずっとじゃなくていいんだ。今日だけでも、一緒にいよう」


 そう言う彼の腕の中は、とても暖かくて、居心地がよかった。


「とりあえず……これからよろしくね、おチビさん」


 ――こちらこそ、よろしく。

 そうして、ボクらは歩いていく。

 一人と一匹、白く染まり始めた夜の道を、互いの孤独を溶かし合いながら。

第一章 ~完~

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