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K ~聖なる夜の物語~  作者: 夜長月虹
第一話「聖夜の出会い」
3/15

1話②

 みぃ、と鳴く声がする。

 これは、声の感じからして幼い……多分、子猫の声だ。

 親とはぐれでもしたのだろうか、とても不安げで寂しげな、その声。

 ――どこから?

 ボクは気になって、辺りを見渡してみた。けど、それらしい姿はどこにも見当たらない。

 ほどなくして、二回目。

 また、みぃ、と鳴く声が耳に響く。

 辺りを見渡す。

 やっぱり、いない。


(……? ……変だな)


 ボクは不思議に思った。

 声自体は近くから聞こえてくるのに、いくら探しても、その姿はどこにも見当たらない。まるでそこに透明な猫でもいるかのように、声だけがボクの耳に届く。


(どうなってるんだ?)


 分からない。

 ボクは頭に疑問符を浮かべて、その場にしばらく呆然と立ち尽くした。

 すると、そこへ、


『――みぃ』


 また、どこからともなく、声がボクの鼓膜を震わせる。

 三回目。

 でも、それを聞いたところで、ボクがその姿を探すことは、もうなかった。

 といっても、探すのが面倒になったとか、嫌になったとか、そういうことじゃない。

 ――“分かった”からだ。


(ああ、そうか)


 三度目にその声を聴いた瞬間、ボクは唐突に。そしてようやく、気が付いた。


(そうだった、これは――)


 なんのことはない。

 ――ボクだ。

 他の誰でもない。それは、紛れもなく、“ボクの声”だった。


『――みぃ、みぃ』


 これは――“夢”。過去の記憶。寝て、目覚めた時にはいつも溶けてなくなってしまう。けれど、ボクの中に確かに存在していた時間の断片。

 なんですぐに気付かなかったんだろう?

 これは、ボクが幼かった頃に見た景色そのものだ。

 夜の、この公園で。今となんら変わりのないこの場所で。ボクは呼び続けていたんだ。

 ――“誰か”を。

 薄ぼんやりとした街灯の下で独り、夜の冷気に体を震わせながらボクは、待ち続けていたんだ。

 ずっと一緒にいた、大切だった――“誰か”を。

 きっと迎えに来る。

 それだけを、信じて。

 でも、


『――みぃ』


 ボクは、知っている。

 この夢の……“結末”を。


『――みぃ、みぃ』


 結局、


『――みぃ、みぃ、みぃ』


 誰も、迎えになんか来やしないってことを……。

 そうだ。

 何度も見てきた。いつも、同じだった。

 この景色を、ボクはこれまで何度見てきただろう。何度、忘れてきただろう。


『――みぃ、みぃ』


 こんな風に、誰かを頼らなきゃ生きていけない。弱くて、幼かった自分。


(情けないな、我ながら)


 本当に滑稽だ。

 見る度に、そう思う。


(なんか、苛々する)


 なんとも言えない感情。

 やりきれない。

 もし伝えられるなら、自分に叫んでやりたかった。

 どれだけ呼んでも、どれだけ待っても、無駄なんだってことを。結局お前は、これからこの先、ずっと独りで、生きていかなきゃいけないんだってことを……。


(もういい)


 もう、十分だ。こんなの、これ以上見ていたってただ時間を消費するだけ。なんの価値もない。無意味だ。


『――みぃ』


 だって、ボクは知ってる。ボクはもう、あの頃の小さな子猫じゃない。たとえ独りでも、十分に生きていける。

 ボクは知ってるんだ。結局それが、一番自由で、気楽な生き方なんだ、って。

 だからもう……“誰か”なんて必要ない。ボクはこれからも、ずっと孤独に生きていく。

 それが今のボクの、たった一つの望みだ。


(さあ、帰ろう)


 “夢の続き”へ。ここじゃない、ボクの居場所――“今”という、世界へ。

 帰ろう。


 ――いつしか、“声”は止んでいた。





 夢を見ていた……ような気がする。でも、それがどんな内容だったか、あまり思い出せない。

 頭がふわふわする。

 まるで夢か現か、体がまだ迷っているみたいだ。


(……寒)


 通り過ぎた風に、ふとそんな感想を抱く。寝起きだからか、体中が冷えていた。別に我慢できない程じゃないけど、少し肌寒い。

 一体どのくらい寝ていたんだろう?

 ボクはゆっくり目を開けて、それを確認する。

 ――暗い。

 まだ夜は継続中らしい。どうやら、そう大した時間は眠っていなかったようだ。


(やれやれ……朝までは眠ろうと思ってたのにな)


 本来の予定とは大きく外れて訪れた覚醒。とはいえ、起きてしまったものは仕方がない。


(まあ、いいさ。とりあえず……どうしよう?)


 餌でも調達しに行くか? それとも、このままここで日の出まで過ごそうか?

 寝起きの倦怠感を白く染まった欠伸と共に吐き出しながら、ボクは今後の予定に思いを馳せた――


「あ、起きた!」


 不意に、そんな声が耳に飛び込んできた。

 ――空耳?

 分からない。

 突然のことに慌てて飛び起きたボクは、声のした方向へと即座に顔を向けた。


(――ッ!!)


 空耳じゃ、なかった。

 そこには確かに――“いた”。若い、人間の男が一人。いつの間に座っていたのか、ボクの隣でじっと、ボクのことを見つめていた。


(誰!? なんで、こんな場所に……!?)


 驚いた、なんてもんじゃない。心臓が飛び出るかと思った。なんだってこんな所に人間がいるのか、訳が分からない。その瞬間、ボクは完全に困惑してしまっていた。

 意外だったのは、男も同じような様子だったことだ。咄嗟に身構えたボクを見ながら、なんだか申し訳なさそうに、男は言った。


「えっと……こんばんは。ごめんね、せっかく寝てたのに。別に邪魔するつもりはなかったんだ」


 どうしていいか分からない。人間に話しかけられるなんて、今までなかった。いや、そもそも自分以外の誰かと接すること自体、これが初めてだ。

 どうすればいい?

 戸惑うボクをよそに、男は言葉を続けた。


「でも、こんな所で寝てたら風邪引いちゃうよ? ほら、まだ小降りだけど……雪も降ってるし」


 え? と思った。


(……雪?)


 思わず男から視線を外して、ボクは空を見た。

 本当だった。

 よく目を凝らさなきゃ見えないけれど、確かに細やかな粒々が、ふわりふわり、僅かながら宙を漂っている。

 通りで寒いはずだ。全然、気が付かなかった。

 そして、それだけじゃない。その直後、ボクは更なる驚きに包まれた。


(――わッ!?)


 突然、体が宙に浮いた。


(え? 何? え?)


 ――何が起きた?

 頭が真っ白になる。あまりの出来事に身動きがとれない。心臓ばかりが盛んに早鐘を鳴らし、息が、荒くなる。

 そうこうしている内に、頭上から声が掛かった。


「ああやっぱり。ちょっと体、冷えちゃってるね」


 はっとする。

 言われて、初めて気が付いた。

 ボクの体を包む、今まで感じたことのない感触。微かな、温もり。

 目を疑う。ボクは、いつの間にか、彼の腕の中にいた。


(なんだ、これ……?)


 嗅いだことのない、匂いがする。聞いたことのない、音がする。

 ドクンドクン。確かに脈打つ、他者の鼓動。ボクはただ呆然として、それに耳を傾けた。


「どうかな? これで少しは温まるといいんだけど……」


 そう言って、彼はボクの頭を撫でた。

 優しい手つき。


(……なんだか、気持ちいい……)


 信じられなかった。

 もしかして、ボクはまだ夢を見てるんじゃないか? そんな風にさえ思った。

 だって、初めてだったから。人から受ける、優しさも、温もりも。


(ああ、なんでだろう? なんで、この人は……)


 ずっと、思ってた。

 どうせ人間なんて、皆同じだって。皆すべからく、ボクのことを嫌ってるって。

 それは、今だって例外じゃない。彼という人間が現れてから、ボクはずっと緊張してた。なにをされるか分からない。そんな風に思って、ボクは、密かに怯えていたんだ。


(それなのに……)


 そんなボクに、なんでこの人は……。

 一瞬、なにもかもがどうでもよくなった。

 そして、思った。

 できることなら、しばらくこうして、“ここにいたい”……って。

 でも――

 同時に、思ったんだ。

 “違う”……って。


(そうだ、違う……!)


 ここは、確かに居心地がいい場所かもしれない。でもだからこそ、ここは、ボクの居場所じゃない。

 ボクはこれまで、ずっと独りで生きてきた。誰にも頼らず、誰よりも自由に。そうやって強く生きることが、ボクのたった一つの望みで、誇りだったから。

 だから、今更、甘える訳にはいかない。ボクがボクであるために……認める訳にはいかないんだ。


(いらない……いらない、いらない!)


 優しさも温もりも。

 ここは――ボクの居場所じゃない。


「――うわッ!?」


 そして、ボクは暴れた。

 放せ、放してくれ、と。彼の腕の中、滅茶苦茶にもがいて、必死に爪を振るった。

 すると、驚いた彼は殆ど反射的にボクを放した。


(今だ!)


 その勢いに乗って、ボクはすかさず逃げ出した。


「あっ、待って――」


 後ろからそんな声が追いかけてくる。でも、決して振り返らなかった。


(さようなら……)


 心の中で別れを告げて、ボクは、走った。ただひたすらに。冷たい地面の上、段々遠ざかっていく彼の気配を、背後に感じながら……。


(これでいいんだ……これが、ボクの選んだ“道”なんだから……)


 そうして、ボクは再び、“独り”になった。

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