3話④
朝、いつものように窓際で外の光を浴びながら、ヒデが布団から出てくるのを待っていた。
でも、いつまで経っても部屋は静かなまま。耳を立ててみるけど、ヒデの動き出す音――いつもの布団を畳む音やキッチンに向かう足音――が聞こえてこない。
(おかしいな)
ボクは少し不安になって、寝室に近寄った。
毛布が膨らんでいて、その下にヒデがいるのは分かる。でも、動く気配がない。時々、小さく息をする音が聞こえるだけで、いつもみたいに起き上がってこない。
ボクは布団の傍に寄って、ニャーと小さく鳴いてみた。
「……ん……ホーくん……?」
ヒデの声が、毛布の下から微かに聞こえた。
いつもより弱々しくて、掠れてる。
顔を覗かせたヒデの目は半分しか開いてなくて、額には汗が浮かんでいた。ボクが近付くと、ヒデの手がゆっくり伸びてきて、頭を軽く撫でてくれる。でも、その手はすぐに力なく落ちてしまった。
「ごめんね……今日は、ちょっと起きられないみたい……」
ヒデがそう呟いて、また目を閉じた。ボクは胸がモヤモヤして、その顔をじっと見つめた。
昨日まで元気そうだったのに、どうして急にこうなったんだろう? 薬を飲んで、ちゃんとご飯も食べてたのに……ボクには分からないけど、ヒデがまた元気をなくしてるのは確かだった。
(治ってなかったのか?)
ボクはヒデの傍に座って、じっと様子を見守ることにした。
時々、ヒデが小さく咳き込んだり、寝返りを打ったりするたびに、耳がピクッと動く。
外から差し込む光が部屋を照らしてるのに、ヒデの顔はまた青白くなってきていた。
絵の具の匂いが薄れた部屋の中、ボクにはどうすることもできなくて、ただ傍にいるしかなかった。
時間がゆっくり過ぎていく。
昼を過ぎても、ヒデは布団から出てこない。
ボクは我慢できなくなって、もう一度ニャーと鳴いてみた。少し大きめに、ヒデに届くように。
「……ホーくん、ごめんね……心配かけて」
いいんだよそんなことは。
ヒデが目を細めて、ボクの方を見た。
その声は小さくて、笑顔も弱々しい。ヒデの手がまたボクの頭に触れたけど、すぐに毛布の中に戻ってしまった。
「もう少ししたら……起きるから……あと少しだけ……」
ヒデがそう言って、また目を閉じた。
ボクはその言葉を信じたいけど、胸のモヤモヤが消えない。
昨日まで大きな絵を描いて、笑ってたヒデが、今はこんなに弱ってる。
ボクは毛布の端に丸まって、ヒデの小さな息遣いを感じながら待つことにした。
夕方近くになって、ヒデがやっと少し動き始めた。
毛布を少しずらして、顔を出してきた。でも、その動きはぎこちなくて、起き上がろうとした瞬間、フラッと体が揺れた。
「おっと……」
ヒデが小さく呟いて、床に手を突いた。ボクは慌てて近寄って、ニャーと鳴いてみる。
ヒデはボクを見て、力なく笑った。
「大丈夫だよ、ホーくん。ちょっと立ち眩みが……寝過ぎただけ……」
そう言ったけど、ヒデの声には力がなかった。
ボクは心配でたまらなくなって、ヒデの顔の傍に鼻を近付けてみた。薬の匂いがする。額に触れると、少し熱い気がした。
(やっぱり、治ってなかったんだ)
ボクはヒデの傍を離れず、その姿をじっと見つめた。
目を閉じたまま、小さく息をするヒデ。時々、眉間にシワが寄って、苦しそうな顔をする。そのたびに、ボクの胸が締め付けられるみたいだった。
どうにか立ち上がったヒデは、フラフラ歩いてボクのご飯を用意してくれた。
自分は、なにも食べないのかな?
コップ一杯の水を飲んで、力なくソファに体を投げるヒデ。
辛そうだ。
早く、良くなるといいな。
夜が近づいて、外が暗くなってきた頃、ヒデが突然小さく呻いた。
「うっ……」
ボクの耳がピクッと動く。
また布団に戻ったヒデが毛布の中で体を丸めて、額を押さえている。
呼吸が少し荒くなってきて、ボクは慌ててニャーニャーと鳴いた。
どうにかしてヒデに伝えたかった。
病院だ。
起きて、もう一度病院に行ってくれって。
「ホーくん……ごめんね……なにもできなくて……」
ヒデがそう言ったけど、その声は殆ど聞こえないくらい小さかった。
ボクはもう我慢できなくて、部屋の中を走り回った。
なにかできることはないか? 誰かに知らせられないか?
でも、ボクにはなにもできない。
電話をかけることも、外に出て助けを呼ぶことも。
畜生……なんて、ボクは無力なんだ……!
結局、ボクはまたヒデの傍に戻って、毛布の上に丸まった。ヒデの手が震えながらボクに触れてきて、
「ありがとう……傍にいてくれて……」
呟かれたその言葉が、なんだかすごく重く感じた。
夜が深まって、部屋は静かになった。
ヒデの呼吸が少し落ち着いてきたけど、まだ荒くて弱々しい。ボクは目を閉じずに、ずっとヒデの顔を見ていた。外から聞こえる風の音と、ヒデの息遣いだけが部屋に響いている。
(頼むから、元気になってくれよ)
ボクはそう思うしかなくて、なにもできない自分がもどかしかった。
ヒデの布団に潜り込んで丸くなる。
親友の温もりに触れながら、いつしかボクは眠りについていた。




