3話②
その日は、朝から大変だった。
風がビュウビュウうるさくて眠れない。窓から外を見ると、雪がちらちらと降ってきてた。
「うわー、予報より凄いね!」
はしゃぐヒデ。
テレビとかいうやつが、今日は記録的な大雪になるとか言っていた。
その通り、雪はどんどん積もって、いつもの景色が白に塗り潰されていく。
こりゃ外はとんでもなく寒そうだな。
そんな中だというのに、
「大事な用だから」
と、ヒデは身支度を済ませ、予定通りに出かけて行ってしまった。
(大丈夫か?)
さすがに心配だった。
でも、ボクにはコタツで丸まりながら無事を祈ることしかできない。
なんだか、胸がモヤモヤした。
ヒデが出て行ってから、どのくらい経っただろう。
ボクは相変わらずコタツの中で丸まったり、ご飯を食べたり、用を足したり……いつも通りの平和な日常を過ごしていた。
窓の外は雪で真っ白、風がビュウビュウ鳴るたびに耳がピクッとする。
ヒデが付けっぱなしにしていったテレビでは「不要不急の外出は控えてください」と繰り返してる。
(本当に大丈夫かな?)
雪と一緒に、不安も積もっていくみたいだった。
大事な用……か。
それがなにか、ボクは知らない。
こんな中で出かけるんだから、それなりのことだとは思うけど……ただ、最近のヒデがずっと机に向かってなにかを描いてたことは知ってる。
ボクが膝に乗ると、
『もうすぐ完成するよ、ホーくん!』
とか、楽しそうに言ってた。
その時にちらっと見えたのは――ボクにそっくりな黒猫の絵。
(そういえば……)
その絵の猫は、ただ座ってるだけじゃなくて、ちょうど今日みたいな雪景色の中にいた気がする。白い雪が舞う中、遠くにぼんやりとした街の灯りがあって、幻想的な印象を受けたのを思い出した。
もうすぐ完成する、って言ってたな。
(まさか……)
あの絵を完成させるために出かけたんじゃ……?
いやいやそんなバカな、と思う。でも、ヒデならやりかねない。
アイツ、変なところで頑固だからな。
ボクが膝に乗った時に見せてくれた笑顔が頭に浮かぶ。あの笑顔が、なんだか遠くに感じられて、不安がまた膨らんだ。
夜になった。
今は何時なんだろう?
時計の見方なんか分からないけど、腹具合でいつものご飯時は過ぎてるってことは分かる。
雪はまだ降り続けていた。
白い世界、視界がほとんど利かない。こんな中でヒデがどこかにいるなんて、想像しただけで体が震える。
(早く……早く帰って来い!)
そう思った時だ。
――ガチャッ。
玄関の方で音がした。
ボクは耳をピンと立たせて、反射的にそっちに駆け出した。
ドアがゆっくり開いて、冷たい風と一緒に雪が少し舞い込んでくる。
そこから入ってきたのは――
「――ただいま」
ヒデだ。
全身に雪を纏っていて、顔は真っ赤になってたけど、無事な姿でそこにいる。
手に持っていたカバンをドサッと床に置くと、ヒデは大きく息をついて笑った。
「いやあ、外は凄いことになってたよ。危うく帰れなくなるところだった」
ボクは我慢できずにヒデの足元に飛びついた。
ゴロゴロ喉が鳴るのを止められない。
遅いぞこの野郎! 心配させやがって!
安心したらお腹が空いた! 早く、ご飯!
いろんな気持ちが溢れてきて、それを訴えるように、ボクはヒデのズボンに頭を擦りつけた。
「はは、ごめんごめん。心配かけたね」
ヒデがしゃがみこんでボクの頭を撫でる。
その手はひどく冷たかったけど、なんだか安心した。
「……でもさ、行った甲斐あったよ。見て、これ!」
得意げに言うと、ヒデはカバンの中からスケッチブックを取り出した。
開かれたページには――あの黒猫の絵。
ハッと息を呑んだ。
(凄い……!)
芸術なんてものは、正直ボクにはよく分からない。
でもこの時は、素直にそう思った。
幻想的……って言うのかな?
前に見た時よりも景色が細かく描き込まれてて、特に雪なんか、まるで絵の中に本物の雪が降っているみたいに見える。そのお陰で、佇んでいる黒猫の存在感が増して、目が離せない。ボクによく似たそいつは、なんだか誇らしげに見えた。
(アンタ、やっぱり……)
これを描くために……?
そんなボクの反応に、ヒデは満足そうに笑った。
「この雪を見ないと、どうしても完成しなかったんだ。もうすぐ個展もあるし……それまでに、この絵だけは、ちゃんと仕上げたかったからさ」
呆れたような、ホッとしたような気持ちで、ボクは小さく鳴いた。
やっぱりヒデはバカだ。そんな理由で、あの雪の中に出かけるなんて本当にどうかしてる。だけど、そのバカさがヒデらしいとも思った。
「お腹空いたよね? ご飯にしよっか」
待ってました!
立ち上がってキッチンに向かうヒデ。その後について、ボクは歩く。
窓の外ではまだ雪が降り続けていたけど、もう不安はなかった。
ヒデが帰ってきた。
それだけで、十分だ。
(でも、次からはこんな無茶しないでくれよ……)
まったく、いつからだろう?
独りが怖いだなんて思うようになったのは。
(アンタのせいだからな)
ヒデがご飯を用意する音を聞きながら、ボクは思った。
キッチンから漂ってくる匂いは、いつものカリカリと、今日は特別に缶詰のツナの香りも混じってる。
ヒデが「ごめんね」の気持ちを込めて、少し豪華にしてくれたのかもしれない。
ボクは床に座って、じっとその背中を見つめた。雪で冷え切った手の感触が、まだ頭に残ってる。
絵のために命を懸けるバカな親友の背中を、ボクはじっと眺め続けた。
「――それじゃ、ホーくん。おやすみ……」
その後、ヒデはよっぽど疲れてたのか、ご飯もそこそこにソファで寝てしまった。
ボクはヒデの胸の上で丸くなって、一緒に眠りについた。
外の風の音も、もう気にならない。
ヒデが傍にいる。
それだけで、ボクの世界は平和だった。




