2話⑤
「――必ず、また会おうね! 約束!」
そう言って微笑んだ彼女の顔を、僕はまともに見ることができなかった。
『間もなく列車が発車いたします。閉まるドアにご注意ください』
無機質なアナウンスと共に、響くベルの音がその時を告げる。それに追い立てられるように、僕は一歩を踏み出した。
何万歩よりも遠くて、重い一歩。
「それじゃまひる、元気で……」
俯いたままだったけど、なんとかそれだけ言えたのは我ながら僥倖だ。
「そっちこそ、体に気を付けてよ? これからまた寒くなるみたいだし……それに、目を離したらすぐ無理するんだから……」
「ははっ。うん、気を付ける」
不安そうな顔のまひる。まるで母親のように心配性な彼女に向かって、僕は今できる精一杯の笑顔で答えた。
「ね、まひる」
「ん?」
「愛してるよ」
衝動的に、そう言った。
「な、なによ急に」
「いやまあ……なんとなく、かな」
「ばか」
なんとも言えない空気に笑うしかない二人。お互いに照れ隠しが下手なのは、ずっと変わらない。
そしてそういう時、先に口を開くのはいつだって彼女の方だった。
「……私も」
「ん?」
「私も、愛してる。体は離れても、ずっと心は傍にいるから……、だから、頑張って!」
「うん、頑張るよ」
なんの飾り気もない、素直な言葉。
だから僕も、素直にこう思ったんだ。
――彼女に……まひるに出会えて、本当によかった、って。
「……また、会えるよね?」
「うん、迎えに行く。いつか、必ず……約束だ」
それが、最後の会話になった。
ポンと音が鳴って、電車のドアが閉まる。そうして、ゆっくりと車輪が軋むのと共に、僕とまひるの距離は、徐々に開いていった。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
もう声は届かなかったけれど、目を合わせれば、それだけで僕らには聞こえた。
僕は、手を振り続けた。まひるも、手を振り続けていた。お互いの姿が米粒みたいになっても。どこまでも、いつまでも……。
景色が滲んでいく。ありふれた日常が遠ざかる。もう、止まらない。戻れない。
(馬鹿だな、僕は……)
本当に、馬鹿野郎だ。心から、そう思う。
(でも……)
こうせずにはいられなかった。どうしても、捨てることができなかった。幸せだった時間を置き去りにして、大切な人と離れ離れになって……それでも、叶えたいと思ってしまった。小さな頃から頭に描いて、追い求めた……その“夢”を。
結局僕は、最後まで彼女に甘えてしまってたんだ。
(まひる、笑ってたな……)
遠くなっていく顔。見えなくなるまで、彼女は笑顔で、僕のことを見送ってくれた。
本当は、彼女だって寂しかったはずなのに。悲しかったはずなのに……。最後まで、彼女は優しい彼女のままだった。
「ありがとう……まひる」
もう本人に届くことはない。それでも、思わず口ずさんだ。そうせずにはいられなかった。
――いつか……いつになるか分からない。でも、必ずまた、会いに来るよ。
心に固く誓って、僕は進む。
世界中でたった一人だけになってしまったかのような気持ちになりながら、それでも、前を向いて。
そして――
*
「――そうして、僕は君に出会ったんだ」
うん、知ってるよ。
だって、酔っ払う度にその話をするじゃないかあんたは。お陰様で、こっちは耳にタコができそうだ。
全く、突然目を覚ましたと思ったら長々と……これだから酔っ払いっていうのはタチが悪い。相手をするのも大変だ。
……なんてね。
ボクは別に、嫌いじゃない。
「元気にしてるかな……まひる」
そうやって、どこかにある故郷を見つめている時。そこで待ってるその人の名前を呼ぶ時。どこか寂しそうで、でもとても優しくなるヒデの瞳が、ボクは嫌いじゃなかった。
「もっと頑張んないと」
また、その人に会うために。
そうしてヒデは再び筆を取り、熱心に絵を描き始めた。こんな真夜中、しかもさっきまで酔い潰れてたくせに、よくやると思う。
(どれどれ)
何を描いてるのかな?
見ようと思って起き上がろうとした時、
「あ、待って。そのまま!」
制止の声。どうやら被写体は、またボクみたいだ。そりゃあ、他に描けそうなものもないしね、この家には。
(ま、頑張れ)
応援する。
ヒデの夢。ボクにはただ、それしか出来ないから。
もどかしい。けど仕方がない。猫のボクには、そうする以外、なんにも出来やしないんだから。
(せめて動かないでいてやろう)
そうやって、ささやかながらヒデの夢に協力するのが、今のボクの日常だ。
(まあ、黒猫の絵なんて、誰も見ないだろうけどね)
でも、いいんだ。
今更ボクが嫌われようが、そんなのはどうでもいい。
この、とても穏やかで幸せな時間をあんたと過ごせるなら、ボクは満足だ。
(そうして、いつか……)
いつになるかは分からないけど、あんたが故郷に帰るその日に、ボクも一緒に行ってやる。独り、帰りを待つその恋人に、一緒にただいまを言ってやる。あんたがボクにしてくれたように、ボクがあんたにしたように、お互いの孤独を埋めてやるんだ。
それが、ボクに出来る、せめてもの恩返しってやつだと思うから。
(だから、頑張れ)
心の中で声援を送る。
黙々と、ボクの姿を紙に写し取るヒデの姿を見ながら、ボクは眠りの体勢をとった。
「おやすみ、いつもありがとね。ホーくん」
いいんだよ。あんたも、無理はし過ぎないようにな。
そう言うように一声鳴いて、ボクは目を閉じた。
第二話・完。
猫成分控えめ、ヒデ中心のお話でした。
次回、第三話も完成し次第投稿しますので、どうぞお楽しみください。




