21. キャプテン・ドンドバック
■ 10.21.1
今レジーナは、パダリナン星系外縁にジャンプアウトした後、第四惑星ハバ・ダマナンに向けて星系内を航行している。
順調であれば、あと四十時間ほどでハバ・ダマナンの軌道ステーションであるエレ・ホバに到着する予定だ。
本来であればそこでイルヴレンレック商船互助組合に向かい、依頼の報酬をもらってからちょっと街に呑みに繰り出そうかというところなのだが、事実上依頼が失敗している上に、依頼者による重大な契約違反という二つの大問題を抱えてしまっている今回は、損害を最小限に抑えそして利益を最大限に拡大するためにイルヴレンレックで大太刀回りを演じなければならない予定だ。
飲みに出る時間などありはしないだろう。
行きつけの酒場に立ち寄る事が出来ない事も、精神的に疲れ果てる交渉事も、どちらもうんざりして頭の痛くなる様な話だった。
「マサシ。ドンドバック船長が恢復しました。レジーナへの移乗を希望しています。」
ああ言われたらこう言ってやろう、などと自室のソファに座って数十時間後に控えた世紀の大決戦に備えて戦略的シミュレーション演習を行いながら切り札の数を数えていると、前触れも無くシリュエから声がかかった。
「そうか。良かった。まあ待て。年寄りの怪我人にそう無理させるもんじゃ無い。もう何日かゆっくりしてもらっていて良い。ゆっくり養生してもらってくれ。」
「人を年寄り扱いするんじゃねえ。流石赤丸急上昇中の新興傭兵団は違うな。良い調整槽を持っていやがる。お陰で全部元通り、どころかあっちもこっちも新品に取り替わってお肌がツヤツヤのスベスベだぜ。」
聞こえていたのか。
ツヤツヤスベスベのジジイというのも余り想像したくないものだが。
「よう。ドンドバック船長。よく眠れたか? 余りに寝心地が良くて永遠に目を覚まさないんじゃないかと心配してたよ。」
「抜かせ。パダリナン星系まで戻って来てるんだろう? イルヴレンレックに顔を出すなら、俺も行くぞ。元々俺が取った話だし、船団長が行かなけりゃ格好がつかんだろう。」
まあ確かに、そうしてくれると色々と助かるのだが。
無理では無い様なら、頼むか。
「大丈夫か? 無理しないでくれよ?」
「大丈夫だ。前より調子良いくらいだ。先に互いに話しておくべき事もあるだろう。だからそっちに行くぞ。」
「分かった。シリュエ、レジーナ、頼む。」
「諒解しました。十分後にランデブーします。」
元々シリュオ・デスタラとレジーナは数万kmという近距離で航行していた。すぐにランデブー出来る距離だ。
果たして十五分ほどして、接舷したシリュオ・デスタラからソフトスーツを着たドンドバック船長がレジーナに移乗してきた。
「おう。外も別嬪な船だと思ってたが、中も随分綺麗じゃねえか。いい船だな、おい。こりゃちょっとテラ製の船の評価を見直さなきゃならんな。」
「旅客を運ぶ事もあるからな。お客様の快適な滞在のためには、小綺麗で清潔な環境が必要なのさ。
「ところで船長。この船だが、地球船籍の船なので機械知性体が搭乗している。」
「知ってるさ。シリュオ・デスタラの中じゃ遠慮して俺達にはあまり直接話しかけてこなかったみたいだが、声は聞こえてた。気にしてねえよ。お前ぇ上手くやっていってんだろ? なら問題ねえだろ。気にすんな。」
突然船に密航してきた原住民の小僧を取り立ててくれる程の度量を示した男だった、という事を思い出した。
ビルハヤート達にしてもそうだが、どうも俺の周りにはがさつなのかざっくばらんなのか、機械知性体の事を余り気にしない連中が多い様だ。
彼等の反応を見ていると、銀河中で機械知性体が嫌われているという禁忌など、本当は存在しないのではないかとまで思えてくる。
ならば問題無かろうと、ドンドバック船長をダイニングルームに案内した。
ダイニングルームに足を踏み入れた船長は、足を止めて絶句している。
船長の視線を辿ると、その先にはソファの上で猫と戯れる幼女とゴスロリが居た。
「・・・あれは、乗客か?」
「いや、乗員だ。」
ドンドバック船長が俺をジト眼で見ている。
タイミングの悪い事に、キッチンからいつもの超ラフな格好のルナが出てきた。
「お客様の飲み物はコーヒーで良いですか?」
今日のルナは、へその辺りで無造作に切り落とした様なゆったりとした鮮やかなオレンジのタンクトップに、これも緩いサイズの青いショートパンツだった。もちろん裸足だ。
ゆったりと言うよりもだぶだぶという形容の方が正しいタンクトップは、サイズが大きすぎて脇から彼女のささやかな胸が見える。
「それで良いか?」
これまたルナを凝視している船長に訊く。
この格好の少女を余り長時間見つめすぎると、エロ親父の称号を拝領する事になるが。
とは言え顔の表情と共に、羞恥心というものも殆ど持ち合わせていないルナはまるで気にした風でもなかった。
着替えが無ければ裸で居れば良い、程度の発想をする奴だ。
「どうなってるんだこの船は? なんであんな子供が居る? 何で動物が乗っている? 何で裸同然の格好をした子供がうろついている? 大人は? まともな船員はいないのか?」
「説明する。まあ座れよ、船長。」
そう言って俺はドンドバック船長の肩を叩き、椅子を引いて船長をテーブルに着かせた。
レジーナが新たな乗客を迎えた時のルーチン作業だ。
面倒だが、避けては通れない。
溜息を吐きながらドンドバック船長の向かい側に腰を下ろすと、部屋の向こう側から猫に遊ばれている幼女達の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
■ 10.21.2
結局ドンドバック船長はそのままレジーナに居座り、話をしている内に夕食時となった。
積もる話はいくらでもある。
主目的の今回の依頼に関する情報交換から、俺がハナタレ小僧だった頃の昔話まで、ついつい話し込んでしまった。
夕食のメニューはパイスープにした佛跳牆、照り焼きシークケバブ、チキンティッカのキノコクリームソースとロティという、相変わらずの独創的多国籍料理だった。
照り焼きシークケバブが美味く何回もお代わりしてしまったのだが、どうやらドンドバック船長も同じだったらしく、最後には串に付いた肉にそのままかぶりついていた。
歓迎会という訳でも無いのだろうが、夕食時にはミリアン、ブラソン、アデールもダイニングにやってきた。
ドンドバック船長の長い船乗りの経験に基づいた体験談を中心に、賑やかな夕食となった。
取り分けミリアンは、取材の対象としても興味や憧れの対象としてもドンドバック船長の話は興味深いらしく、熱心に聞き入り、会話が弾んでいた様だった。
「これまで何回かテラには行った事があるが、相変わらず食い物が美味いな。」
食後にのんびりとアイスクリームやコーヒー等をめいめいに楽しんでいる時、ドンドバック船長が言った。
船長は、バニラアイスクリームとエスプレッソというスタンダードなデザートにご満悦の様だった。
逆に俺達地球人からしてみれば、碌な食い物も無い銀河種族達はよく発狂する事も無く何十万年も過ごしているものだと感心するが。
「この船の売りの一つさ。速さ、安全、清潔さと快適な宿泊環境、珍しくて美味い食事。それで通常の十倍以上の運賃を取ってるが、充分やっていける。」
しかもこっちのコストは燃料代だけだ。食材を仕入れる手間も保存の手間も必要無く、常に素晴らしく新鮮な食材をふんだんに使う事が出来る。
「納得だ。俺にゃ無理だが、金持ちなら喜んで金を出すだろう。逆にこれを知ってしまったら、その後どんな船でも満足出来なくなってしまうのが怖いがな。」
もちろんそれも狙いだ。
以前、バペッソを叩き潰すためにルナと共にパイニエ行きの定期航路に乗った時、銀河種族達の船が地球の船、少なくとも俺達がレジーナで提供しているサービスに追い付くのは当分不可能、と感じた。
そもそも連中は、進歩や改善と云った行動の歩みが遅い。
数十万年もの間忘れていたものを取り戻すには、相当に時間がかかるだろう。
「俺も次の船はもっと小綺麗なのにして、乗客も乗せてみるかな。」
船を失ったドンドバック船長が、ぼそりと呟いた。
少し寂しそうな、力強さの無い声だと思った。
ここのところ考えていた話をするのに丁度良いタイミングかも知れない。
ドンドバック船長なら、信用出来る。
「引退するのかと思ってたよ。」
揶揄する様に、俺は少し笑いながら言った。
「バカ言うな。船乗りが船を下りちゃ何も残らねえ。とはいえ、借金こさえて船も一から仕立て直し、船員も一から集め直しだがな。」
ドンドバック船長は寂しそうに苦笑いした。
ゼブアラカナの船員は、ネルルカスという名の強運な若い男を除いて全員がシード襲撃の犠牲となっていた。
「なあ、船長。船長と船員を若干名募集している船があるんだが。どうだろうか。」
「船長を募集してる船? そんな船がある訳ねえだろう。船長が船を造るんだ。」
もちろん、運送会社の船などは別だ。会社が船を造り、船長を指名する。
ドンドバック船長が言っているのは、俺達の様なフリーランスの運び屋の船だ。
「それがあるんだよ。乗員は一杯いるんだが、皆船を動かす事には慣れてない。船長も一応いるんだが、もともと船乗りじゃ無い。出来れば代わってもらいたがっている。」
ドンドバック船長は黙って俺を見ている。
「仕事の内容は?」
「依頼に従って、乗組員達を所定の場所に送り届ける事。乗客を乗せる事はまず無いし、荷物を運ぶ事も殆ど無い。大概の細かい事は船が勝手にやってくれるし、分からない所も船が教えてくれる。そして飯も美味い。欲しいのはあんたの経験と判断力だ。」
「ふむ。」
ドンドバック船長は思案顔になった。
後で話が違うと言われない様にしなければ。
「先に言っておかなければならない事がある。その船には幾つか軍事的な秘密がある。もちろんそれを外に漏らすと困った事になる。それから、その船は元々機械達の船だ。俺達地球人が機械達と同盟を結んでいるのは知っているだろう?
「それでも良ければ、ぜひあんたに船長をやって欲しい。」
ドンドバック船長はそれきり黙って、コーヒーカップの載ったテーブルの表面を見ている。
ここまで言えばもうとっくにどの船の事か分かっているだろう。
やはり彼にこの条件は受け入れられないだろうか。
特に、フリーランスで無くなる事と、機械達の船である事と。
幾ら機械知性体の存在を気にしなかった船長とは言え、自分の乗船がよりにもよって機械達に造られ、今も機械達の知性体の一人が実質的に船全体の管理を行っているとあれば、流石に拒否反応を示すかも知れなかった。
しばらく経ってドンドバック船長は既にかなり冷めてしまったコーヒーを飲み干し、カップをソーサーの上に置いた。
「分かった。その話、乗ろう。自分が育てた船乗りが立派になって、歳食った後はその下で働く。悪くねえ。お前ぇなら信用出来そうだしな。」
「自分で言うのも何だが、機械達の船だぞ。良いのか?」
「それこそ、だ。ずっとお前ぇと一緒にやってきた船で、元ハフォンの陸戦隊も仲良くやっていってるみてえじゃねえか。お前ぇらテランが自慢する、AIで制御された船ってえのに一度乗ってみたいとは思っていたんだ。良い機会だ。」
「そうか。ありがとう。助かる。シリュエ、聞いていたか?」
ドンドバック船長と話しているままに、そのまま音声でシリュエに話しかける。
レジーナとシリュオ・デスタラは常に接続されているのだ。
レジーナ同様にシリュエも今の会話を聞いていただろう。
聞いていなかったとしても、レジーナのログを確認するのは、彼女にとって一瞬の筈だ。
「ええ。ビルハヤートが喜ぶわ。『俺には船の事は分からん』と、いつもぼやいていたの。」
ダイニングルームにシリュエの声が響いた。
太陽系外で活動する時、幾ら地球船籍を持っているシリュオ・デスタラとは言えども、ヒトが船長でなければ色々と面倒な事になるので、形だけとは言えビルハヤートを船長としていた。
もちろん殆どの事はシリュエが片付けてしまうので、特に取り立てて何かやらなければならないという事は無かっただろう。
今回の依頼の様に安全上の突発的問題が次々と発生する場合、もちろんシリュエでも対応は出来るのだが、その対応が常識的になりすぎて先読みされてしまう可能性がある。
経験豊富な船長が、その知識と経験を基に敢えて選ぶ非常識な対策というものが、実質上傭兵団として働く事が可能であるシリュオ・デスタラと、搭乗する警備部のために特に必要だったのだ。
俺は立ち上がって、ダイニングテーブルを回り込んで向かい側に座っていたドンドバック船長に近付いた。
「KSLCへようこそ。歓迎する、ドンドバック船長。」
そう言って右手を差し出した。
船長も立ち上がり、右手で握り返してきた。
色々な種族と付き合ってきた彼は、常識として多くの種族の挨拶に通じている。
「よろしく頼む。その呼び名を何とかしろ。」
「あんたの経験と功績に敬意を示しているんだ。変える気は無い。」
俺達は笑い合った。
「その話、私も混ぜてもらって良いかしら?」
ダイニングテーブル脇に立つ俺達に、横から声がかかった。
声がした方を見ると、ソファから立ち上がったミリアンがこちらを向いていた。
「混ぜる? どういう意味だ?」
ミリアンが何を言いたいのか良く分からなかった。
「そのままの意味よ。船員も若干名募集してるんでしょう?」
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
これで第十章を終わります。
登場人物紹介を経て第十一章に突入するのですが、十一章が終わったところで一時休載します。
以前から何度も後書きや本編に出てきました、近未来の地球における敵対的ファーストコンタクトである「接触戦争」を書こうと考えています。
ただこの作品のチーム、動かしやすい上に愛着もあるので、時々思い出した様に続きを書くつもりですが。一章読み切り式なので、中編小説として書きやすい、というのもあります。
いずれにしても第十一章、引き続きお付き合い戴きたくお願い申し上げます。




