2. ワイルドターキー
■ 9.2.1
「小さな踊り子」という名前の落ち着ける雰囲気を持った地球式のショットバーだったその場所は、暴徒による略奪と破壊で見るも無惨な状態と成り果てていた。
落ち着いた中にも華やかな店の雰囲気を醸し出すのに一役買っていた、小綺麗に壁に沿って並べられていた酒瓶は、割られるか持ち去られるかしており、よく手入れされ磨き込まれていたバーカウンターも、傷付き割れて所々焼け焦げていた。
床には色々なものが壊れた破片が散らばった上に、さらに踏みつけられてそれらが砕け散っており、大小様々な障害物を避けながら足の踏み場を探して店内に踏み入った。
「これは、酷いな。マティアスは?」
「死んだよ。」
ここに来るまで散々軽口を叩いていたファルシャードが、店の惨状を見てから一切口を開いていなかったことに今更ながらに気付いた。
そうか。
死んだのか。
多くの荒くれ者達が集団を作り、互いにしのぎを削る無法地帯だ。
一度武力抗争が起これば幾つもの死体が転がることになり、そして誰もそんな死体に見向きしない。
ただ生前を知る者だけが僅かにその死を悼み、それさえもそのうち記憶から消えていく。
バーカウンターの奥に静かに佇む姿は、静かにジャズが流れ、ウィスキーの甘く香ばしく煙る様な香りと、薄らと煙草の煙がたなびくこの落ち着いた店が、そのまま人の形を取ったかの様だった。
いやむしろ、まるで旧家のベテラン執事の様な、何事にも動ぜず人知れず完璧な仕事をこなし、さりげなく客の要求を見て取って、客が口に出す前にいつの間にか手元に必要な物が置かれている。そんなあの男が店を切り盛りすればこのバーになる。
そんな店とバーテンダーだった。
この無茶苦茶に壊された店を、例えカウンターに付いた傷一つまでをも全て完璧に復元出来たとしても、あの男一人が居なければ絶対に元通りにはならない。
ジグソーパズルの絵柄の最も重要なところにある1ピースが永遠に失われてしまった。
マティアスが死んだ直接の原因は暴徒による襲撃だろう。
地球産の酒が沢山置いてある店だから狙われたのか、それともただ単に眼に付いた店を手当たり次第に破壊していっただけなのか。
だが、その暴動を発生させた間接的な原因は、俺がこの星系の多くの船を乗っ取ってジャキョセクションに喧嘩を売ったことだ。
大混乱の中で多くの組織が私兵を繰り出し、一触即発の状況がこの星系中のあらゆるところで発生し、そしてそんな火薬庫にちょっとした切っ掛けで火が付いた。
暴動という言葉が可愛らしく思えるような、星系内に存在する多くの組織が持てる武力を次から次に繰り出し、地上戦力限定ではあったが、全面的に衝突する事態が発生したのだ。
そしてその中で、あの男とこの店が犠牲になった。
間接的にではあっても、その原因は俺にある。
ファルシャードは店の中に散らばった色々なものをかき分けるようにして奥に進んでいく。
店の一番奥にはすこし引っ込んだところにトイレがあり、その脇にもう一つドアがあった。
ファルシャードがそのドアを開けると、ドアの奥には上に続いていく階段が見えた。
躊躇うこと無くファルシャードが階段を上っていく。俺とルナもその後に続く。
階段を上った先にもう一つドアがあり、ドアを開けるとそこはこぢんまりとした住居と思しき部屋になっていた。
「ここは・・・」
答えは予想が付いていたが、確認のため敢えてファルシャードに問う。
「マティアスの部屋だ。ここに住み込んでいたんだ。奴隷だったからな。店の上が色々と都合が良かろうと、ここが住居になった。」
そう、あの男は自分が奴隷だと言った。
そして、この街から出ることが出来ないのだと。
メンタルブロックがどれ程のものだったのかあの男が自分で口にすることは無かったが、例えば俺なら、その気になればいつでも太陽系に行く事が出来、実行に移したことはないが実家に立ち寄ることも出来る。
だがあの男は、この場所に縛られていた。
無法地帯と名高い星系の中で、数万年前の戦いの中で引きちぎられかろうじて生き残った断片のようなステーションの、そのまた小さなエリアの中に。
あの口ぶりから、数年のことではないだろう。
商売に失敗し、多額の借金を抱えた失意の中で奴隷落ちという屈辱的な扱いを受けながら。
遠い故郷に思いを馳せたのだろうか。
だからこれほどまで沢山の地球産の酒を集めたのだろうか。
そしてたまに訪れる同郷人を心待ちにしながら、日々ただ静かに堅実に働き続けたのだろうか。
部屋の中を見回す。
部屋の主の性格をそのまま表したような、生活に必要な最低限のものが隅に並べられているだけの、質素で良く整った部屋だった。
ベッドとは反対側の壁に寄せて置いてある小さなデスクに近寄る。
デスクの上には、小さなホロモニタ投影機と、少し上を見上げた姿勢でポーズを付けた踊り子の少女の小さなブロンズ像があった。
「Ein kleiner Taenzer(小さな踊り子)」という店の名は、多分この像から取ったものだろう。
なんだろうか。あの男の故郷に縁のあるものだろうか。
「これは? マティアスの私物かな。なんだろう。」
俺はその掌にすっぽりと収まる程の大きさのブロンズ像を手に取った。
どこででも手に入りそうな僅かな日用品だけのこの部屋で、その小さな像だけが異質だった。
「さあな。どこにでもありそうな像だが。」
他に何もないデスクの上にただ一つ、仕事を終えて部屋に戻ってくれば必ず眼に付く場所に何の意味もない物を置くとは思えなかった。
「マサシ。その像にはインターフェイスが付属しています。観光地のお土産物屋でよく売られているような、思い出を記録して取っておく為のものと思われます。」
不意にノバグが話しかけてきた。
例えばエッフェル塔であったり、ロンドン塔やコロッセオなど、観光名所の近くでは良くこういうものが売られている。
旅の思い出に買ったこの手の置物の中に格納されたメモリに、脳内のメモリから旅の途中で取ったビデオやスナップショットをコピーしておく。
家庭のホロ投射機にリンクさせるか、ものによっては小型のホロ投射機までが付いていて、旅の思い出を大勢で楽しめるようになっている。
旅行とは関係なく、映像や他の色々な情報を記憶させておいて、人にプレゼントする等と云った使い方もする。
この小さなブロンズ像の中にはマティアスの大切にしているものが詰まっているのだろう。
俺はブロンズ像をホロモニタ投影機に近づけた。
ブロンズ像とホロモニタがリンクし、さらに俺のチップとリンクした。
AAR画像として視野の中に開いたメニューには、メモリの内部構造が表示されるが、どのディレクトリもしっかりとパスコードロックが架かっていた。
「パスコードでロックされている。解除して良いか?」
無断で覗き見るのも気が引けて、ファルシャードに尋ねる。
「良いだろう。奴はもう居ない。遺品なら内容を確認してしかるべき処置をとるべきだ。」
マティアスの後見人とも言えるファルシャードの同意を得て、俺はパスコードロックを解除する事にする。
「ノバグ。パス解除出来るか。」
「はい。解除しました。」
一瞬だった。
机の上のホロモニタ投影機を使い、部屋の中央にホロ画像を開く。
そのブロンズ像の中身は、まさにマティアスの一生の思い出そのものだった。
幼少の頃の写真、船乗りとして宇宙に出て仲間達と撮った写真。そして階下で今は無惨な姿をさらしているバー。
別のディレクトリは、マティアスの日記だった。
ざっと日付を眺めるだけで、若い頃から几帳面にずっと日記を付けていたことが判る。
日記の見出しの日付は、五日前の暴動が起こった前日で止まっていた。
他にも船の運航ログや、色々なものがメモリの中に格納されていた。
「遺族は居ないのかな。両親はもう居ないとしても、子供や嫁さんは。」
「結婚はしなかったと聞いている。子供はどうか分からんが・・・ああ、妹が一人居るとか言っていたな。確か地球に住んでいるはずだ。」
誰か生きているなら、届けてやりたいと思った。
遺族のためというよりは、生前、例えひと目でももう一度故郷を見たいと思ってもそれが叶わなかったマティアスのために。
十分後、俺達は再び階下のバーに降りてきていた。
ファルシャードがガラクタを脇に寄せながら、バーカウンターの奥で何かを探している。
もう何もすることもない俺とルナは、どうにか使用に耐えそうな程度に生き残っているスツールをカウンター前に並べ、そこに座っていた。
店の奥の家捜しの音が止み、ファルシャードが酒とグラスを持ってやって来た。
カウンターの向こうから、グラスが俺達の前に置かれる。
ファルシャードは八年もののワイルドターキーの栓を開け、俺達の前に置いたグラスの中に注いだ。
「俺の酒だ。少し見つかりにくいところに隠してあったのが幸いしたな。」
荒れ果てた店内にグラスの合わさる音が響き、そして俺もファルシャードもグラスを一息に煽った。
空になったグラスを再びファルシャードが満たした。
また少し後ろを向いてごそごそと何かを探していたファルシャードが、次にカウンターの上に置いたのは、新しいマルボロのパッケージと灰皿だった。
パッケージを開け、取り出した煙草にライターで火を付ける。
俺がマルボロを押しやると、ファルシャードも同じように一本取り出して火を付けた。
明かりの落ちた薄暗い店の中に沈黙が下りた。
今はもう、あの静かに流れる気の利いた選曲のジャズが聞こえてくることも無い。
「マティアスは、地球に帰りたがっていたよ。」
グラスの中身を何度か飲み下し、盛大に煙を吹いた後に灰皿に押しつけるようにして煙草を消しながらファルシャードが言った。
俺のように自分の船を駆って思いのまま好きなところを飛び回っている間は故郷を顧みることなど無い。
だがマティアスは、その翼をもがれ、そして決して切れることの無い鎖でこのステーションに縛り付けられた。
己の翼で自由に飛ぶことが出来ないならば、せめて故郷にと思ったとしても不思議では無い。
「初めてこの店に来たとき、俺が地球人だと知って明らかに喜んでいた。俺が生まれたところは南の乾燥した砂漠地帯で、北の方の生まれの奴の故郷とは似ても似つかない所なのだが、それでも俺の故郷の話をすると喜んで聞いていた。メンタルブロックが掛かっていたからな。はっきりと喜怒哀楽を示すことは出来なかったんだが、それでも明らかに奴は喜んでいたよ。」
残りの酒を一息に煽って、空になったグラスをカウンターに叩き付けるように置きながら、ファルシャードは続けた。
「もう少し生きてりゃ、故郷に帰れたって云うのにな。それがこの何万光年も離れたところで、たった独りで。」
ファルシャードが睨み付けるように見つめているグラスに、俺は酒を注いだ。
地球連邦政府は奴隷を認めていなかった。
他国籍の奴隷が主人に連れられて太陽系を訪れることは黙認していたが、今や地球領となったこのアリョンッラ星系で、地球市民権を持つ者の身分が奴隷であることを許す筈が無かった。
暴動に巻き込まれて死ななければ、マティアスはそう遠くないうちに奴隷から解放された筈だ。
この残骸のようなステーションに縛り付けている鎖さえ解けてしまえば、後はどのようにしてでも故郷に帰ることは出来るだろう。
「行くか。」
そう言ってファルシャードは再びグラスを煽った。
「その像をあいつの故郷に届けてやってくれないか。奴は故郷に帰ることは出来なかったが、せめて奴の想いだけでも、な。」
勿論そのつもりだった。
ファルシャードに云われずとも、そうしただろう。
「仕事を依頼するときには、依頼料が必要だ。ST部隊顔負けのチームに頼むんだ。高いぞ?」
カウンターの上を、1/3程空いたワイルドターキーのビンが滑ってきた。
「引き受けた。」
ファルシャードが笑った。
寂しい笑いだと思った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
バーボンなんて安酒は、一番年数が浅い奴でいいんです。
それをストレートで一気に煽る。
それがバーボンの飲み方です。




