1. マンデリン・フレンチ
■ 9.1.1
「ちょっと付き合えよ。」
ヌクニョワIIIにある民間交通会社のビークルに乗ってレジーナに近づいて来たファルシャードが言った。
ファルシャードが乗ったビークルが近づいて来て、接舷要求を寄越す。
元々ビークルは船に接舷できる様な構造を持っていない。
大型の船であれば、格納庫や貨物スペースにビークルを飲み込んでしまえば良いのだろうが、レジーナの貨物スペースはビークルを格納出来る程大きくは無い。
仕方が無いので船体脇エアロックからエアシールドを展開すると、エアシールドの中でビークルのキャノピを開いたファルシャードが、車体を蹴ってこちらに向かって飛んできた。
その口ぶりから、俺をそのビークルに乗せてどこかに行くのかと思いきや、どうやらレジーナで移動したいらしい。空車になったビークルは、くるりと向きを変えて来た方向に戻っていった。
レジーナはそれ程大きな船では無い。
ファルシャードがビークルを乗り捨てたのを見てからダイニングテーブルを離れたが、エアロックの与圧が完了する緑のサインが点灯する時には、俺は彼を迎える為にエアロックの内扉の前に立っていた。
エアロックの内扉が開き、中からAEXSS姿のファルシャードが姿を現す。
「船舶間の移動に民間ビークルを使うとは、面白い奴だな。何の用だ?」
「ちょっとした用で俺一人移動するのにシャトルを動かすのもパイロットに悪いだろ。」
ヘルメットを格納したファルシャードが、エアロックの前で船内を見回す。
「思ったより普通の船なんだな。」
「失礼な奴だな。この船をなんだと思ってるんだ。」
「いや逆だ。金持ちの間でこの船での移動が快適だったと噂になっているのを聞いた。あちこち装飾された金持ち向けの豪華な船かと思っていた。」
配管むき出しの通路や、グレーチングをひいただけの床などといった軍艦並みに行き過ぎたシンプルさを追求する気は無い。壁や天井は小綺麗に見える様に、表面塗装を施したコンポジットパネルが張ってあって、その様な無骨な構造物が眼に触れない様になっている。
とは言え行き過ぎた装飾をするつもりも無い。主通路の壁に壁画を描いたりタペストリーを掛けたりする様な趣味も無い。
機能的で整然としていて、且つ質素になりすぎない。例えるならば、少し高級感のあるモダンなホテルの様な内装を目指している。
それにしても、快適な旅だったと噂が立つのはありがたいことだ。単価の高い客が寄ってくる。
ファルシャードを連れてそのままダイニングルームに戻る。
昼食の時間が終わって少し経ったばかりのダイニングルームには、ミスラやミケ、タマ達を含めて偶々だがレジーナの全員が揃っていた。
この星系内での待機を命じられて既に数日、皆暇を持て余しているのだ。
ミスラはロングソファの上でアルとじゃれ合って遊んでおり、ニュクスは仲間達と通信でもしているのか椅子に座り中空を見つめて、床に届かない脚をブラブラさせている。
それはブラソンも同じで、マグカップからコーヒーを時々啜りながら、中空を見つめている。ビデオを見ているのか、プログラムをチェックしているのか。
ルナはダイニングテーブルの通路側に一番近い端に座って、クッキーか何かを摘まみながら紅茶を飲んでいる。
そしてアデールは、殆ど彼女の定位置になりかけているシングルソファに深く腰掛け脚を組んで、膝の上に乗ったタマを左手で撫でながら大きめのマグカップでコーヒーを啜っていた。
ミスラが部屋にいるのが少し気になるが、この男であればミスラを見なかった振りをする様な気がしていた。
「客だ。こいつがかのゴールドマンだ。本名はファルシャードだそうだ。」
皆がこちらを向いた。
ジャキョセクションにゴールドマンという地球人がいて、バペッソをけしかけて俺達を消しに掛かろうとしていたというのは皆が共有している情報だ。
そして先日俺がジョリー・ロジャーに呼びつけられた際、ゴールドマン=ファルシャードに遭った事も。
ミスラ以外の全員が、ファルシャードがこの船を訪れたという情報もすでに共有している。
「なんなんだこの部屋は。貨物船の中に随分豪華な部屋があるな。というより、見事なカオスっぷりなんだが。」
ダイニングに足を踏み入れたファルシャードが感想とも驚嘆とも付かない言葉を漏らす。
地球産の木製のテーブルセットや、本革製のソファなどは、太陽系外ではそれだけで贅沢品に区分けられ、ものによっては目の飛び出る様な値段がする。
ここに置いてあるものは太陽系内でシャルルが調達してくれたものなので、それ程とんでもない値段がする訳では無いのだが、それでもこの部屋に豪勢な雰囲気を与えるのには大きく一役買っている。
他にも、部屋の隅に幾つも置いてある観葉植物の鉢植えや、ダイニングテーブルの下のペルシャ絨毯風のカーペットなど、本来宇宙船の中で見かけることが珍しいものがこの部屋の中には沢山ある。
そんな部屋に、猫が三匹、五歳位と十歳位の幼女が二人、十五歳くらいの少女が一人、そして大人は俺を入れてもたったの三人しか姿が見えないとなれば、それは確かにカオスな部屋だろう。
「人員構成は知っているのだろう? 自己紹介が要るか?」
俺の認識では、相手は軍情報部よりもさらにもう一枚上手の組織だ。
そしてシャルルは、アデールがその一員だと言った。
レジーナの中の事ならば、何から何まで知らない訳が無かった。
「不要だ。こんな有名な船の人員構成なんて、誰もが知っている。」
そう言いながらファルシャードはダイニングテーブルに近付いた。
惚けて誤魔化しているのか、それとも本当のことなのか。
「在地球大使付武官殿。こちら宜しいか?」
そう言いながら、ニュクスの向かいの席の背もたれを持って引いた。
「テランはそういうのが好きじゃのう。儂もセイレーンも少々食傷気味じゃぞ。大仰な物言いなぞ要らぬわ。座りたければ座るが良かろう。」
少し睨め上げる様に向かいのファルシャードの顔を見たニュクスが言う。
「そうか。それは助かる。実は俺も得意じゃないんだ。」
そう言ってファルシャードは破顔し、引き出した椅子に腰掛けた。
「コーヒーで良いか?」
「ミントティーがあると嬉しいんだが。」
「贅沢言うな。マンデリン・フレンチのドリップだ。軍艦じゃ飲めないだろう。」
軍艦は、かさばらず廃棄物も出ない軍用インスタントコーヒーを使っている。
以前どこだったかで飲んだことがあるが、二度と飲みたいとは思えない味だった。
あれを日常的に飲むくらいなら、焦げた大豆を煎じて飲んでいる方がましだ。
その余りに酷い味のコーヒーを飲むごとに、自分がどこに勤務しているかを思い出し、自分は何の為に働いているか自覚することが出来る、そういう味なのだそうだ。
会計係か誰かが後付けで付けた屁理屈だろう。
「知ってたか? ジョリー・ロジャーは何と軍艦じゃ無いんだ。艦内のキオスクでまともなドリップコーヒーが飲める。ガンルームにはブルーマウンテンまで置いてある。あんたが飲んだのもそうだ。」
ファルシャードが得意げに言った。
「ルナ。客人は重水を所望だ。γ線のスパイスが良く効いたホットな奴にしてくれ。」
ルナは既に席を立ち、向かいのキッチンに立っている。
重水は飲んでも無害だ。勿論、放射能化していなければ、だが。
水自体は放射能化しないが、水に溶け込んでいるイオンやその他不純物が放射能化する。
「実は俺は生まれた時から母乳の代わりにマンデリンを愛飲して育ったんだ。こんな宇宙の果てで大好物に出会えるとは、今俺は心から感動している。ぜひマンデリンにしてくれ。」
俺は先ほどまで座っていた席に再び座った。
マグカップの中の飲みかけのコーヒーは既にかなり冷めていた。
「で。何の用だ。」
冷めたコーヒーを一口啜る。
ファルシャードの前には、湯気の立つコーヒーカップが運ばれてきた。
ルナが俺のマグカップを回収してキッチンに戻っていく。入れ替えてくれるのだろう。ありがたい。
「ちょいとヤボ用でな。ヌクニョワVIに付き合ってくれないか?」
ヌクニョワVIは、ゴールドマンことファルシャードに最初に出会ったところだ。
「付き合え」と言うからには、一緒にヌクニョワVIに上陸しろという事だろう。
俺達が仕掛けたジャキョセクション一斉攻撃の時に、幾つもの暴動が発生したと聞いている。地球軍の陸戦隊が治安維持に投入されたらしいが、今でも治安は余りよろしくないだろう。
わざわざそんなところに何をしに行くのか。女でも残してきたのか。
「構わんが、ヌクニョワステーションはお前ヤバいんじゃないのか? 面が割れているだろう?」
「問題無いさ。AEXSSを着た地球人が二人も居りゃ、大概のことには対処出来る。」
「ここはもう昔のアリョンッラじゃないぞ。下手に暴れると地球軍の治安維持部隊が飛んでくるだろう。」
「大丈夫だ。俺もその治安維持部隊の一人だ。問題無い。」
俺は呆れて、得意げなファルシャードの笑顔を見つめた。
俺のゴールドマンに対する印象がどんどん崩れていく。
■ 9.1.2
惑星ヌクニョワの公転軌道上に停泊していたレジーナがヌクニョワVIに移動するするには、数十分あれば充分だった。
戦闘用艦艇によるテロ行為を防ぐため、アリョンッラ星系に存在する旧来の管制所やシステムは全てロックされており、今は惑星ヌクニョワ軌道上に停泊する地球軍の工作艦「ボクシトゴルスク(Бокситогорск)」と、惑星フドブシュ軌道上にある工作艦「トレジャリー(Treasury)」がアリョンッラ星系内の全ての管制をコントロールしていた。
地球軍による占領直後の停船命令は今も有効であり、非戦闘用船舶であると地球軍のライブラリに登録された上で、前述の管制に移動を申請しなければならないのが現状だ。
逆を言えば、非戦闘用船舶であると認められさえすれば、誰が乗っていようと移動申請は比較的簡単に交付された。
それは星系内だけで無く、貿易や旅客運搬などの正当な理由さえあれば星系外への移動も可能となっていた。
要するに今現在、星系内に棲み着き跋扈していた後ろ暗い連中は、船さえ何とかすれば星系外に逃げ放題の状態にあった。
どうやら地球軍はわざとそうしているらしかった。
地球連邦政府が支配下に置きたいのはこのアリョンッラという星系であって、そこに棲み着いた自称ビジネスマンというゴロツキや、同じく自称善意の市民である極悪人どもでは無い。
だから星系内の後ろ暗い連中がこぞって貨物船や旅客船をチャーターし、われ先にと星系の外に逃げ出している現状を地球軍は黙殺していた。
当然だ。
支配下に置くならば当然、手前勝手な事ばかりする極悪人ひしめき合う手が付けられない場所よりも、従順で飼い慣らされた羊のように云う事を聞く住人ばかりが住み着いた場所の方が良いに決まっている。
地球軍はわざと包囲網に抜け道を作り、目端の利く極悪人がそこを通ってわれ先にと星系外にトンズラするのを黙って見ているようだった。
多分そうやって、この地域での犯罪率を下げようとしているのだろう。
俺達はピアを出て、幹線通路でビークルを拾った。
「エーデリ6836通りまで。」
ビークルに乗るとファルシャードが行き先を告げる。
「エーデリ?」
「ここの街の名前だ。お前は街の名前も知らないまま飛び込み営業していたのか?」
返す言葉も無い話だが、街の名前や通りの名前など覚えずとも、レジーナやメイエラが誘導してくれるので道に迷ったりすることは無い。
と、ファルシャードに伝えると、
「一遍爆発してくるか? おめえ。」
と、親愛の印であるハンドサインを突き付けられる。
同行しているルナの眼から発射された絶対零度の光線を浴びて、ファルシャードは慌てて手を引っ込めた。
二十分も走らないうちに、ビークルはさほど広くない路地の入口で止まった。
キャノピーが開き、ファルシャードが降りるのに続いて俺達もビークルを降りた。
ここは、知っている。
メイエラに誘導されてここまで来たのだが、それでもあの特徴的な表の店構えと、木目調のドアにドイツ文字で綴られた店名はよく覚えている。
だが俺達の前にあるのは、レーザーか熱線銃で焼け焦げた店の入口と、真っ二つにへし折られ、通行の邪魔にならないように店の前の通路脇に寄せられたドアにプリントされた、剥げかけた木目調模様だった。
銀色のドイツ文字の「E」が路上でキラリと光った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
幕間章です。
最初は、「我が輩はネコである。名前はミケだにゃー」「タマだにゃー」「ポチだにゃー」
とかやろうと思ってたのですが。
それはまた次回にて。
 




