20. 敗北
■ 8.20.1
持てる最大の加速力でレジーナが空間を切り裂き疾走する。
第十惑星フドブシュから黄道面鉛直方向、星系北方に向けて、まるで天に駆け上がる龍の如く、その鏃の様な白銀の船体で暗闇を断ち切るかの様に突き進んでいく。
環アステロイドレースに出場してライバルに勝つというシャルルの依頼を受けたご褒美で強化されたレジーナの脚は、今や軍用艦と同レベルの3000Gでの加速を誇る。
同レベルの加速力を叩き出す貨物船など他に無く、また例え軍用船であっても重巡洋艦や砲撃艦などの足の遅い艦ではレジーナに追いつく事は出来ないだろう。
そんな俊足の彼女を駆っていても、俺は強い焦燥感に背中がざわつく思いをしていた。
重積シールドに包まれたジャキョセクションに動きがあり、外から見えない様に格納されていた何かが起動されようとしている。
「ルナ、後ろはどうだ?」
通路を挟んで右隣の、機関士席に座るルナに問う。機関士席ではあっても、ルナはレジーナとリンクしている為、レジーナが「知っている」事は全てルナも知っている。
「光学観察が難しくなり始めています・・・重力波探知しました。数三。重力アンカーとカタパルトの展開を確認、カタパルト動作しました。重力波増大。推定質量各200万t。戦艦です。」
ざわざわとする背中の感覚とは裏腹に、やはり居たか、と、その知らせを妙に冷静に聞いた。
ブラソン達にはネットワーク上で、レジーナには現実の空間で、戦艦の存在を示す情報を虱潰しに探してもらったが、見つけられなかった。
当然だ。連中も馬鹿じゃ無い。そんな痕跡を残す訳もない。
そして俺達は、戦艦はこの星系にいないもの、いつぞやのサテライトの様な人類の未踏領域に隠された軍事施設に係留されているものと推察した。
だがまさか、ステーションに格納して隠していようとは。
今にして思えば、簡単に想像が付くはずの事だった。
本来存在してはならない民間所有の戦艦を小うるさいどこかの国のパトロールなどに見つけられ、攻め込まれる格好の口実とされない為には、どこかに隠しておかねばならない。
同じ隠すなら、虎の子の戦艦は本拠であるフドブシュステーションにできるだけ近いところが良い。
フドブシュステーションそのものであれば、もっと良い。
それだけのことだった。
「御免なさい。戦艦が居ることに気付けなかった。ネットワーク上では、重巡洋艦がドック入りしていた事になってる。ネット上であれ物理的であれ、ジャキョセクション本体が何らかの攻撃を受けたら自動的にネットワークから切り離されて身を守るようになってる。多分、重積シールドが張られた時点でネットワークから切り離されてた。見つけられなかった・・・御免なさい。」
メイエラが少々言い訳がましく解説をしてくれているが、事ここに至ってはそんな事はどうでも良かった。
彼女たちでさえ見つけられないほど巧妙に隠してあった、フドブシュステーションに乗り込む訳にもいかなかったので、どうやっても見つけられなかった。
それだけの事だ。
戦艦は、ギリギリまで引きつけてホールドライヴで逃げれば良い。
奴らは惑星軌道間の移動に最低でも数時間かかる。俺達はものの十分もあれば移動出来る。
ジャキョセクションが壊滅的被害を受けるまで、戦艦が混成船団を攻撃できない様に上手く牽制し引きつけて逃げ回りながら船団を指揮して打撃を与え続ければ良いだけだ。
「マサシ、先に言うておくが、ホールドライヴを使った時点で負けじゃぞ。」
俺の代わりに操縦士席に座り、ずっと黙ったまま混成船団をコントロールしていたニュクスが突然思いも掛けないことを言い出した。
「ホールドライヴを使うと拙いのか? 何故だ?」
ホールドライヴは、戦艦に追われる今の状況でレジーナにとって最大確実な逃走手段だ。逆にそれを封じられると、生存自体が危うくなる。
「例え量子通信でも、ホールドライヴ中は通信が出来ぬ様になる。船団の指揮権は通信が切れた時点で自動的に儂のどれかのコピーに切り替えることが可能じゃが、如何せん容量が足りぬ。どの船も船内ネットワークにAIが存在することなど想定しておらぬ。色々な機能を切り飛ばしてようやっと収まっておるようなコピーに、操船と船団指揮の両方を行うような芸当は出来ぬよ。
「一時的にでも船団指揮が出来ぬ様になれば、それを機に切り返される切っ掛けとなり得る。少なくとも、船団の被害が大幅に増大する。」
「戦艦三、本船に向けて加速開始。4500G。480秒後に推定射程距離、520秒後に推定有効射程距離に入ります。」
ルナの冷たい声が冷厳な現実を読み上げる。
「センサープローブで中継できないか? お前はイヴォリアIXにも居るだろう?」
要は誰か一人が手綱を握っていれば良いのだろう。
「ほう。筋肉の脳味噌にしては良い思いつきじゃが、駄目じゃ。プローブで中継すること自体は可能じゃが、その様な多重チャンネルを持ったプローブの在庫が無いわ。イヴォリアIXから直接指揮を執るのは、IDの痕跡を辿られる可能性が否定できぬ。もっと駄目じゃ。他の儂らの船も同様じゃ。尤も、イヴォリアIXを含めて、今の状態で儂らが直接手を出す事自体が駄目じゃ。」
どうもここに来て機械達のポリシーが邪魔をしているようだ。
今回は協力的だと思っていたのだがな。
それも問題だが、先にやれる事をやっておく必要がある。
「レジーナ、ホールショット、目標戦艦三隻、標的選定は任せる。撃破出来なくて良い。時間を稼いでくれ。追跡する気を失わせる事が出来れば最高だ。」
「マサシ、残存燃料量低下の為、ホールショットは実弾体三十発程度が限界です。同様の理由で、センサープローブ放出も制限されます。直接照準でのホールショットでは、彼我の距離が1.5光秒程度になり、アウトレンジ攻撃可能な時間は120秒程度です。その後、相手側の有効射程距離に入ります。」
ホールショットとは言えど、着弾までの時間は存在する。
目標からこちらに光が届く為の時間と、それぞれ僅かな時間ではあるが、照準、発射からホールイン、ホール通過、ホールアウトから着弾までのそれぞれの過程に必要な時間。
全てを足せば、それなりの時間となる。
相手も戦闘艦であれば、こちらの狙いを外す為に頻繁に高速で位置を変える遷移運動を行う。
ホールショットの実体弾が目標位置に到達した時には、相手の艦は既に別の位置に移動しており、実体弾は的を外し、虚しく何も居ない虚空を飛び続ける事になる。
元々何発打ち込めば追跡を諦めてくれるのか分からない戦艦三隻に対して、使用出来る実体弾がたった三十発というのはいかにも少なすぎる。
命中率が1/3としても、各戦艦に三発ずつ。余程重要な区画を運良く撃ち抜かない限りは、あのでかい図体の艦に痛痒を感じさせる事すら難しいだろう。
そして戦艦三隻を止められないまま向こうの有効射程距離に入ってしまえば、後は時間と確率の問題だ。
そう遠くないうちにレジーナは命中弾を喰らい、運動性が低下したところに次々と命中弾を打ち込まれて、僅かな時間で蒸発し、この宇宙から消滅するだろう。
とは言え、何もしない訳にも行くまい。
「分かった。レジーナ、相手の有効射程距離に入る時間から逆算して三十発、撃ち切って良い。撃ち切った時点で教えてくれ。」
三十発。二門のGRGで釣瓶撃ちをすれば、一分もかからないだろう。
有効な攻撃だとはとても思えない。しかし、何もしないよりはましだ。
運良く当たれば、状況が多少改善する可能性がある。
「諒解しました。」
さて、話を元に戻そう。
「で、ニュクス。ホールドライヴが使えるようになる手立ては、やはり無いのか? シリュオ・デスタラは使えないか? 彼女は地球船籍だ。」
機械達が直接手を出すのが駄目だというなら、いつぞやのように地球船籍のシリュオ・デスタラが手を出すのは良さそうだが?
「済まぬが、駄目じゃ。事は船籍の問題だけではないのじゃ。レジーナは儂らのネットワークに接続して居るだけじゃが、シリュオ・デスタラは儂らのネットワークそのものの一部じゃ。詳しく説明して居る時間は無いが、儂らのネットワークから直接繋ぐ訳には行かぬのじゃ。レジーナや、レジーナが打ち出したプローブの様な中継点のワンクッションが必要なのじゃ。」
シャルルの造船所のチャンネルを使わせてもらうか?
いや、駄目だ。痕跡を辿られて特定されてしまった場合、シャルルに絶大な迷惑が掛かる。
大きな恩があるシャルルにそんな真似は出来ない。
地球軍なら要求通りのチャンネルを持っているだろう。
だが、量子通信中継器を使わせて貰える様に事態を説明している間にタイムリミットだ。
幾ら地球軍と機械達が親密な関係と言っても、全てを共有している訳ではないだろう。
シリュオ・デスタラは別の警備任務に就いており、その仕事はあと二週間は終わらない予定だ。
どのみち無理に呼んだところで、数分でやって来られるものでは無い。
死を覚悟して最期まで船団の指揮を執り続けるか、諦めて逃げるか。
逃げれば、今は生き延びられる。
だが、これだけの事をされたジャキョセクションは、今度こそ本気で俺を追いかけるだろう。
追いかけられ、追い詰められ、そして殺される。
逃げずに船団の指揮を執り続ければ、あと数百秒で後ろの戦艦が追い付いてきて、やはり死ぬ事になるだろう。
顎の筋肉が痛くなるほどに強く歯を噛み締めている事に気付いた。
握り締めた拳は、爪が掌の皮膚を破り突き刺さりそうに痛む。
・・・僅かでも可能性が残る逃走を選ぶべきだ。
例えジャキョから本格的な追っ手を掛けられようとも、僅か数分後にレジーナや仲間達もろとも蒸発するよりはましだろう。
生きている時間が長ければ、何らかの方策を打てる可能性がある。
「すまんみんな。ここまでだ。混成船団の指揮を放棄し、星系から脱出する。どこか適当なところで燃料の補給をして、次の手を考えよう。
「これだけの事をしたんだ。今度こそジャキョは本気で追っ手を掛けてくるだろう。俺を殺し、この船を沈めるまで手を緩める事はないだろう。俺に付き合う必要は無い。希望があれば、地球でもどこにでも寄港する。安全だと思うところで船を下りてくれて構わない。
「ニュクス、メイエラ、ノバグ。コピーの回収消去を始めてくれ。」
俺が撤退を決断し、話し終えてからしばらく口を開く者はいなかった。
ネットワーク上ではあったが、ブラソンのシステムのお陰で重苦しい雰囲気は伝わってくる。
「何か手は無いのか? あと一押し二押しで星系内の殆どのジャキョ船は片付くぞ。」
ブラソンが不満を滲ませた口調で言った。
その通りだ。
だがジャキョ船が片付く前に、俺達が片付けられてしまうだろう。
「すまん。使える中継ポイントが無い。量子通信だから星系内に無くても構わないのだが、それでも無い。プローブやQRB弾ではチャンネル数が足りなくて、千隻もの船を一度にコントロールできない。」
この船は、レジーナ自身が使う上に、ブラソン達ネットワークチームがストレス無く仕事が出来る様に、ニュクス達機械知性体が問題無く機械達のネットワークに繋がる様に、アデールが軍と問題無く秘密の通信が出来る様に、貨物船としては非常識に太い量子通信を備えている。
そんな船だからあれだけの数の船を一度に制御出来たのだ。
「戦艦の推定射程距離まであと200秒、推定有効射程距離まであと240秒です。本船の射撃開始まであと210秒です。」
レジーナの声が、徐々に切迫しつつある状況を告げる。
「その『もう一押し』をする為にこの星系に留まって、皆の命を極めて分の悪い賭けに乗せる訳にはいかない。今ならまだ生きて脱出出来る。皆の努力を水の泡にしてしまって申し訳ない。だが俺は皆を殺したくはないんだ。」
また少しの沈黙。
「分かったよ。お前が船長だ。船長の決定には従おう。」
ブラソンが、肩から力が抜けたかの様に明るい口調で言う。こういう時にこの男の性格の明るさはありがたい。
「済まない。他に異論はあるか?」
誰も一言も発さなかった。
無理もない。
なんだかんだと、これまで依頼を上手くこなし、何度もあった荒事の場面も自分達が勝ち抜けたと判断出来る様な結果で切り抜けてきたのだ。
これは俺達が初めて味わう、どうにも抗う事の出来ない明らかな敗北だった。
それでも、俺は生き延びる方を選ぶ。
「沈黙は同意と見なす。レジーナ、ホールドライヴ用意。ニュクス、ノバグ、メイエラは各コピーを・・・」
「マサシ、通信要求が来ました。」
俺の声を遮って、レジーナがどこかの船から入った通信要求を知らせる。
このクソ忙しいのに通信要求だと?
ジャキョの本部が何か言ってきたか?
「その空気読まねえ奴はどこのどいつだ?」
「地球軍です。地球軍第七基幹艦隊からの要求です。」
地球軍だって?
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
時々「今戦艦大和を作ったらどうなるだろう?」と考えます。
主砲を一つ取り払って大量のVLSを設置し、10.5cm砲の代わりに対空ファランクス。三番砲塔は多分対潜哨戒ヘリかオスプレイの格納庫。そもそも機関は原子炉で、副砲はレーザー砲でも良いかも知れません。
もちろん、今の時代にあんな効率の悪い船を作る事があり得ないことは理解しています。
・・・調子に乗ってカニ光線とか猫ビームとか乗せてしまいそうですが。艦首ドリルは必須です。
双胴戦艦にして、後部ヘリ格納庫はやっぱりV字航空甲板で・・・・久々にやりたくなってきました。
 




