6. Assassination (暗殺)
■ 8.6.1
レズバル・ドテイセンは、急に決まり呼び出された幹部会が終わった後、本来の予定であったこのパーティーに真っ直ぐ駆け付けた。
それはこの地区で彼が管轄している主だった店のマネージャ達を呼んだパーティーだった。
パーティーという形を取っているが、実際の所は半強制参加で、そして組織と彼に対する忠誠を確認する為の顔見せ。
そもそもがこのパーティーへの参加の打診をどの様に表明するか。そして、パーティーの中でどの様な行動をとるか。
ご機嫌取りに終始する薄っぺらな奴は不要だ。翻意のある奴は、もっと不要だ。
場所柄、殆ど身体を隠す物を身につけていない女達が溢れるこのパーティーの見かけとは異なり、パーティーの中で彼はマネージャ達が自分にどの様な態度を示すか、どの様な考えを示すかを冷静に評価し、記憶していった。
何がどう作用しているのか自分でもよく分かっていないのだが、どうやら自分には人の信用を比較的短期に勝ち取り、この相手であれば本音を吐き出しても良いと思わせる話術の才能がある様だった。
そして相手の僅かな表情の動きや、言葉の選び方、ちょっとしたアクセントなどから、話をしている相手の本音を読み取る事が出来る特技がある事は自覚していた。
それらの持てる技術を駆使して、部下達の本音を引き出し、推測していく。
どいつが裏切りそうで、どいつならまだ信用出来そうか。
酒が入り、普段はなかなか手に入らない高級な食事が並び、美しい女達が溢れる煌びやかなこのパーティーで、ちょっとした言葉遣いや表情の流れ方で、僅かずつでもついつい本音を露呈してしまう部下達の間から、彼らの本音を濾し取り、そして次々と記憶の中に仕舞い込んでいった。
自分が所属している組織が、最近全般的に調子が悪い事が彼の悩みだった。
店を繁盛させる事は出来る。今まで幾つもの店を大きくしてきた。
だが、親組織に勢いが無くなり、同じ街の中でしのぎを削っている他の組織から舐められ、嫌がらせや引き抜きを受け、自分ではどうする事も出来ない所で店の勢いを削がれるのは堪らない。
自分が荒事に向いていないのは、子供の頃から自覚していた。
政府機関や軍で働くよりも割の良い仕事を探している内にこの夜の世界に入り込み、才覚を現したところを先代の頭に目を掛けられて、この街での性風俗関係を任された。
仲良くしておけば色々と良い思いが出来るという理由で、周りを固める男達には事欠かなかった。
それ故、自称「武闘派」の連中からは、自分の身も守れず女の尻に囲まれている軟派野郎と蔑まれていた。
呆れた話だ。
その武闘派の連中がしつこく拘り、例のテランをどうにかしようとして手痛いしっぺ返しを受けた。
そもそもそのテランがこちらに手を出してきた理由というのが、知り合いの娘が「商品」として売られたという事を突き止めたからだという。
テランにも、人身売買にも、どちらも手を出したのが間違いの元だ。
先代はそんな事はしなかった。
テランは、やられたら必ずやり返してくる。殺さない限りいつまでもしつこく付け狙ってくる。どちらかが全滅するまで手を緩めない。
そんな頭のおかしい奴らなど放っておけば良かったのだ。
実際、娘を取り戻した後は、こちらに何か仕掛けようとする素振りは見せていなかったという。
人身売買は、この街の中でやる分には色々な事について見て見ぬ振りをしている軍警でさえ、見つけたと同時に確実に介入してくるヤバい商売だ。
手っ取り早く儲かるからと、そんなものに手を染めた事自体が間違っている。
「周りの奴らに舐められない様なデカい組織になる」をスローガンの様に繰り返してきた武闘派筆頭の今の代の頭になって、思慮の足りない行動が多すぎる。
こんな部下の忠誠度を試すようなパーティーなど開催しているが、本当のところは自分こそがさっさとこんな組織を見限る方が良いのではないかと一瞬思い、自分でも分かるほど皮肉な笑みを顔に浮かべた。
他に出来る事も無い。
贅沢で、沢山の女に囲まれた今の暮らしを変える事も出来ない。
その程度の奴なら、この街に幾らでも居る。
他の仕事や組織に鞍替えするには「売り」が足りない。
せめてもう少し腕っ節が強ければ、人生の選択の幅もその分だけもう少し広がったのだろうか。
レズバルは、軽く息を吐いて席を立った。
暑い。少し夜風に当たりたい。
「兄貴、だからセムサコヤの奴にも言ってやって下さいよ。奴にとっても悪い話じゃねえんだって。」
隣で裸の女を侍らしたマネージャの一人が話しかけてくる。
全く話を聞いていなかった。
まあ良いだろう。必要であれば後日呼び出してもう一度話をさせれば良い。
酒が入っていないところでもう一度聞かせろ、とかそんな理由で。
「その件はちょっと考えさせろ。済まんが、ちょっと外すぞ。外の風に当たってくる。」
酒と食い物と男女の濃密な体臭でむせかえる様な部屋を横切る。
さすがに上役の彼がいるこの場でその様な行為に及んでいる者はいなかったが、ほぼ一歩手前の状態で二人の世界に入り込んでいる者達もちらほら見かける。
スライド式のガラス戸を抜け、庭に出る。
この店自慢の、地上三百メートルにある広い庭園が広がる。
レズバルは、他に誰も居ない静かな庭園を横切り、会場とは反対側の端に歩く。
沢山の明滅する明かり、その間を縫って飛び交うビークルのライト。
地上やその上の階層から届く街のざわめき。
夜風が、酒と人いきれに火照った頬に気持ちよかった。
庭園の端の柵に肘を突き、少し身を乗り出す様にして存分に風に当たる。
ふと、その夜風の流れが澱んだ様な気がした。
首を軽く傾けて風上の方を見る。
もちろん、何がある訳でも無い。
次の瞬間、世界が傾いた。
レズバルの頭部は、運悪く地上百五十メートル辺りに設けられた配管ラックに叩き付けられ、半ば潰れる様にしてこびり付いた為、結局誰に発見される事も無かった。
兄貴分がゆっくりと夜風に当たっているのを邪魔しては悪い、はたまた兄貴は庭でお楽しみ中かも知れないと、気を回した部下達がどうにも様子がおかしいとレズバルを呼びに来て、首の落とされた兄貴分の身体が手摺りにもたれかかっているのを発見するのは、数時間後、空も白み始める時間にパーティーが終わる頃だった。
■ 8.6.2
アッフェトゥロ・ヘブレスヘウは幹部会が終わった後、真っ直ぐに自分の事務所に戻ってきていた。
まだ今月の決算報告書の作成が終わっていなかった。
出来るならば明日の昼間で、遅くとも明日の夜には作成が終わっていなければ、来週の取引先との支払いに間に合わなくなる。
そういう切羽詰まった状況であるのに、いきなり招集された幹部会に出席せねばならなかった。
作業自体は雇った事務員達がやってくれてはいたが、それにしても各データがアップロードされた時に承認には彼自身のID認証が必要だった。
アップロードデータが承認されなければ、当然作業はそこでストップする。
元々が裏通りで徒党を組んでいた悪ガキどもが集まって、自然発生的に立ち上がった組織だったと聞いている。どいつもこいつもがこの手の処理に無頓着なのは想像に難くない。
しかし何代か前の頭が組織として再編成し、フロント企業とその子会社を立ち上げてからは、少なくとも表向きは幾つものファミリー企業を抱える企業集合体なのだ。面倒だろうと何だろうと、金の問題はついて回る。
そもそもがどいつもこいつも、金を稼ぐ事と使う事は大好きでも、その金をどう管理していくかについて誰も全く興味を示さないのがどうかしている。
まあもっとも、そんな奴らばかりが幹部をやっているお陰で、適当な額の使途不明金を落としても誰も気付かないのは役得と云ったところか。
こめかみを揉みながら、リクライニングしたシートの周りを囲んで表示されているモニタから視線を外す。
まだまだ先は長い。作業は多分朝まで掛かるだろう。
用を足して、軽い覚醒剤を飲んでおこうかと、席を立った。
自分以外に四名の事務員が作業している部屋を出て、同じフロアに設置してあるトイレに向かう。
ドアを開け、パウダールームを抜けて、その奥に並ぶ個室に向かった。
両側に二つずつ並ぶ個室の、右手の奥の部屋に入り、ドアを閉めようとした。
個室のドアが何かに引っかかって止まった。
何があったのだろう、とドアの向こうを覗き込もうとした時、視野の端に黒い何かが見えた。
黒いブーツを履いた脚?
視線を上げる。
全身を髪の毛と同じ真っ黒いスーツに包んだ女が、彼が閉めようとしたドアを右手で押さえて止めていたのだった。
さっき入ってきた時にこんな女がトイレの中に居たか?
そんなはずは無い。
目にも止まらぬ様な速さで女の右手が動いた。
喉を掴まれた。
余りに強い力で、声を出すどころか息をする事さえままならない。
気管を潰され、身体は咳き込もうとするが、その咳が喉を通って外に出て行かない。
女の右手にさらに力がこもる。
女の緑色の眼が妖しく光る。
ちょっと待て。そんなに力を入れ・・・
首の後ろ側で、ゴキリと嫌な感触があった。
手足の力がいきなり抜けて、女の右手に吊り下げられた形になる。
そんな、まさか。
女の右手がギリギリと締まっていく痛みだけが増す。
しかし声を出す事も出来ない。
すぐに視野が暗くなり、そして意識も途絶えた。
■ 8.6.3
バストッセク・ズェヘベは、幹部会が終わった後、自宅に戻っていた。
彼の自宅は、市街地から少し外れた山際にある一戸建てだった。
見栄や、広さに憧れてわざわざ一戸建てを選んだ訳では無かった。
彼の住居の地下には、広大な空間が広がっており、各種銃器の実弾演習場や、格闘技の訓練場を備えていた。
組織の中で彼に従う一派に属するものは誰も皆、彼と同じ様な武闘派と呼ぶ事が出来る者達であり、彼はこの地下の空間を手下達に解放していた。
訓練場には、重アサルトライフルから火薬式のハンドガン、暗殺用のナイフから儀礼用の長剣まで、ありとあらゆる武器が揃っている。
彼自身も含めて皆、己の得意とする武器の腕を磨き、他の組織との抗争で想定される状況に必要な武器の扱い方を習得し、武闘派と呼ばれる自分達の立ち位置の維持と、それに見合った実力を身につけ維持する事を喜びとしていた。
今日の夜予定していた手下達との格闘訓練の時間を、急遽決まった幹部会によって潰されてしまった。
身体を鈍らせない為という実用的な理由もあったが、身体を使って手下達と全力で戦うその時間が彼は好きだった。
その時間を丸ごと取り上げられてしまったのだ。
朝から楽しみにしていた時間が無くなり、物足りなさを感じていた彼は、深夜と言って良い時間に自宅に着いた後、既に皆訓練を終えて帰った後の誰も居ない地下の訓練場で独り汗を流していた。
ふと感じた違和感に、剣を振る手を止める。
入口のセンサーも、カメラも、何も異常を捉えては居なかった。
しかし今、一心不乱に剣を振り稽古をしていた事による研ぎ澄まされた感覚が、何か異常を訴えている。
妻や子供達がこの練習場に降りてくる事は無い。
手下達が挨拶もせずに練習場に入ってくる事は絶対に無い。
しかし、わざとその様にしてある練習場入口近くの嵌め込み式のタイルが、何者かに踏まれて軽い軋み音を立てた。
「誰だ。」
姿が見えないからといって、誰も居ないという訳では無い。
LASやHASの光学迷彩機能や、光学迷彩機能を持ったコートなど、姿を消す手段などいくらでもある。
だが、重量を消す事は出来ない。
ジェネレータを使えばたちどころにセンサーに検知されて警報が鳴る。
ジェネレータを使わずに忍び込んでくれば、練習場入口に仕掛けられたこの古式ゆかしい罠を踏みつけてしまうという訳だった。
一旦何者かが侵入しているという事が分かれば、例え光学迷彩を掛けていても幾らでも検知する方法はある。
移動する時に押しのける空気の密度を光学的に探知する、もしくはその圧そのものを検知する。移動時の空気の流れで発生する低周波を捉える。
光学迷彩を発生している事で、僅かに漏れ出てくる極小電磁波を探知しても良い。
いっそのこと全てのセンサーをカットし、自分自身が感じ取る事が出来る勘や気配と云ったものを頼るのも手だろう。
果たして、光学迷彩を解き姿を現したのは、真っ黒いスーツに全身を固めた茶色い髪と深い青の瞳を持った女だった。
黒いスーツと云えばしばらく前、そもそもがこの一連のゴタゴタの発端となった事件、南スペゼ一帯を舞台として、組で購入していた軍払い下げのHASと大太刀回りを演じて、軍警のHAS部隊までが出動する騒ぎを起こした女がいた。
全身を黒いスーツに包み、幾つもの事務所にグレネードを放り込んで爆破してくれた上に、軍警の包囲さえも突破してまんまと逃げ果せてくれたお陰で、巨大な経済的損失を抱える羽目になった上に、こちらの面子は丸潰れ、辺り一帯の弱小組織にまで舐めた口を利かれるようになってしまった元凶の女。
「お前か。以前ウチの者が随分世話になったらしいじゃねえか。」
この女が例の「黒いスーツの女」とは限らなかったが、しかし彼の台詞を聞いて口角を吊り上げた女の反応は、間違いなくこの女がそうである事を示していた。
「女が。随分舐めた真似をしてくれたじゃあねえか。のこのことこんなトコにまで入り込んで来やがって。無事に帰れると思うんじゃあねえぞ。」
そう言ってバストッセクは手にしていた練習用模造剣を捨て、すぐ脇の壁に掛けられていた実用的な多機能剣を手にした。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
拙作を読んで下さっている皆様には大変申し訳ないのですが、これから年末年始に掛けて更新が不定期となってしまいます。
年内にもう一度更新出来ると思っているのですが、自信がありません。
年末から年始に掛けて数千kmを車で走り回る予定があり、しかもそこに巨大寒波が襲いかかるという恐ろしい情報もあります。
色々とネタは浮かんでは居るのですが、この時期それを形に落とし込んでいく時間をどうしても取る事が出来ず、ご迷惑をおかけしますがご理解戴きたくよろしくお願い申し上げます。
 




