3. 夜の女神Ⅱ
■ 8.3.1
晩飯を食って一段落してから、俺達は行動を開始した。
南スペゼの連中の縄張りの中に固まっている、バペッソの事務所と幹部達の住居の位置確認と、周辺の調査だ。
ぶっつけ本番で襲撃すれば、思わぬトラブルでまた大騒ぎになる。
そうならない為に、最低限周辺の状況を確認しておかなければならない。
流石にルナを夜の街の中一人で歩かせるわけには行かず、煌びやかな表通りの光の差さない、裏通りを二人で一緒に伝い歩く。
街灯も寂しく、路上に様々な障害物が転がっており、夜の闇の中で歩き回るには少々困難を伴う場所ではあるのだが、それを見越して旅行鞄の中には眼鏡型の暗視スコープを入れてあった。
アデール曰く、普段アデールが掛けて居る眼鏡に仕込まれた機能の一部を搭載したタイプであり、レンズ部に画像を投影するのでは無く、チップに直接画像を送り込み、眼球から伝達される視覚情報の上に暗視スコープ情報を上乗せするタイプの優れものだった。
チップ操作一つで視野を肉眼とスコープ視野と、その混合画像の間で瞬時に切り替えることが出来、暗視スコープ画像を全くの違和感なく使えるというのはとても有り難かった。
更にスコープには測距機能と、簡単なスペクトル分析機能が付与されており、焦点を合わせて捉えている対象までの精確な距離と、対象の表面物質組成を知ることが出来る。
例えば建物の表面組成と表面温度分布をメイエラに解析させ、簡単な内部構造や、壁をぶち破るなら何所が最適か、といったような情報をフィードバックして貰うことが可能だ。
少々面食らったのはルナの対応で、彼女は暗闇の中を歩くのに暗視スコープが不要だと言い切った。
どうやら眼球の受光部の機能や、視覚情報の処理機能を改造して向上させてあるらしかった。
ニュクスほどでは無いが、どうやらルナも自分の身体のパーツを少しずつ改造しているようだった。
勿論ルナ自身の身体であり、俺はすでにルナを成人したものとしてみているため、その様な改造を行うのに俺にいちいち断りを入れる必要など無い。
だが普段レジーナの中では保守管理や料理配膳を担当しており、小さくか細い少女の外見を持つルナがその様な改造を自らの身体に施していることを知って少々驚いたのは確かだった。
よく考えれば最近のルナの隠れた特技は、闇に紛れて音も無く対象を襲撃して無力化することだ。
その程度の改造を行っていて不思議では無かった。
そこでようやく俺は、ルナが完全な暗闇に閉ざされたフィコンレイドのステーションの中で自由に動き回って多数のHASを着用した陸戦隊兵士を始末していたことを思い出した。
超高感度の眼球の他にも、あちこち色々と手を加えていそうだった。
そんなルナと、治安の悪い歓楽街の裏通りでの暗闇デートだ。
重武装した一個大隊のHASと暗闇の中渡り合ったルナが、たかだか歓楽街の裏通りの闇に怯えるはずも無い。
その足取りはレジーナの通路を歩いているときと同じように迷いが無く軽やかで、勿論表情には何も表さないものの、今まで訪れることさえ出来なかった市街地を俺と共に歩くことを楽しんでさえ居るようだった。
そうやって数時間裏通りを歩き回り、そろそろどこかの店に入って一休みしようかと考えていたところで、レジーナから連絡が入る。
「前方からアデールとニュクスが接近しています。マーカー付与しました。誤認無きよう願います。」
二人は俺達とは別の定期便でパイニエ入りした様だった。
南スペゼで現地集合することを示し合わせていたわけではないが、狭いバペッソの縄張りの中で下調べの為にあちこち動き回っていれば、当然顔を合わせることになってもおかしくない。
ルナがレジーナを離れて銀河種族達の領域に足を踏み入れようとしたとき、ニュクスも同様にパイニエに出かけたがった。
当然だろう。
この世の中をその眼で実際に見て歩くこと。
それがニュクスがレジーナに乗っている理由だった。
しかしながら、ストレートの黒髪ロングヘアと深い緑色の眼を持った小柄な美少女が、全身ゴスロリの格好に身を包んだその容貌は余りに目立ち過ぎた。
太陽系では知らぬものは居ないほどで、太陽系外にさえ聞こえているその特徴的な格好は、機械を代表する個体であるという彼女の存在の特殊性と相まって、すでにそれなりに有名になっていた。
そんなニュクスが銀河種族達が大勢居る中を歩き、万が一機械であるとばれたなら、どのような大パニックになるか分かったものでは無い。
パニックになるだけならまだ良い。
機械達のことを悪魔か悪霊か、はたまたこの世の始まりの時から定められた仇敵かと嫌悪し、機械達がこの世に存在すること自体を許すことが出来ない銀河種族の群衆が、どのような狂気の行動に出るのかまるで予測が付かない。
その様な勝率の低い危険な賭を行うわけには行かなかった。
彼女が太陽系外でレジーナ船外に出る事を認めるためには、その特徴的な服装を変えてニュクスと同定できないようにすること、という条件を俺は提示していた。
どうやら彼女はゴスロリ服にそれなりのこだわりがあるらしくかなり抵抗していたが、最終的にはニュクスは俺の条件を受け入れた。
俺はその後すぐにレジーナを離れたため、ニュクスがどのような服を選んだのかは見ていない。
彼女がどんな格好をしているのか、少々楽しみではあった。
そのまましばらく裏通りを歩くと、街灯の光が全く当たらず、暗視スコープ映像でさえなおほの暗い、まるで闇が澱んだ様な裏路地の入口に二つの人影がある事に気付いた。
二人のマーカーが立っていることから、姿は上手く捉えられずとも、その二人がアデールとニュクスである事は間違いが無い。
近付いていくと向こうもこちらに気付いたのか、AEXSSで黒ずくめの格好をしたアデールが暗がりから歩み出てきた。
「無事に到着している様で何よりだ。目立たず地味に行動することを覚えた様だな。少し賢くなった様で喜ばしいことだ。」
現れるや否や、失礼なことを正面から言ってくるところは相変わらずだ。
とすろと、アデールの後を追って今暗がりから出てこようとしているのはニュクスだと思うのだが・・・
「なんの、心配には及ばぬ。どうせ次回にはコロリと忘れて大暴れじゃ。」
暗がりから、170cm位の背丈のすらりとした女が歩み出てくる。
漆黒の髪、深緑の双眸、白磁の肌、鮮血に塗れた様な唇。
サイズが大きく変わったが、古フランス語を使うところまで、全ての身体的特徴はニュクスのものと一致していた。
成る程。
常識的に考えて、今俺の眼の前に立っている美人と、あのちっちゃいゴスロリ少女を同一人物だと思う者はいないだろう。
俺でさえも、ニュクスに何が出来て、どういう悪戯を好むかを知っているのでこれがニュクスだと認識出来ているのだ。普通は無理だ。
「ふふふ。儂の余りの美貌に見とれて声も無い様じゃの。無理も無い事じゃ。」
そう言うと、暗がりから出てきたニュクスは裏通りの真ん中でポーズを決めた。
身体の線がはっきりと見えるAEXSSに似た黒いスーツを着ているので、その姿はまるでアダルトサイトから飛び出してきたモデルの様だ。
全て無視する事に決めた。
「そういうのを持っているなら、最初から言え。」
「なんじゃ、反応が薄いのう。つまらぬのう。思わず惚れてしもうても良いのじゃぞ?
「いや、それがのう。思うたよりも資材が必要で、時間がかかってしもうたのじゃ。これを作るのに予備の生義体を四つも潰してしもうたわ。」
それはつまり、潰せるだけの数の義体の予備がニュクスの自室の中に確保してあったという事か。
部屋の扉を開けると、部屋中に並んだ数十人のニュクスが一斉にこちらを見る映像を想像してしまい、慌ててそれを頭の中から追い出す。
「大丈夫じゃ。まだ沢山残っておる。いつぞやの一件以来、すぐに取り替えがきく様にしておるのじゃ。誰かさんがまた半べそで船内を走らぬでも良い様にのう。」
やっぱりまだあるのか。
船内の一部屋だけ、徐々に魔界に侵食されていっている様な気がする。
「路上で立ち話もなんだ。下調べをしていたのだろう? 歩いて腹が減っていないか? こちらは夕食が早い時間だったので少々空腹だ。」
アデールの提案に引きずられる様にして俺達は近くの薄汚れた店に入った。
もちろん、周囲のカメラやセンサーを切る様にノバグに頼んである。
黒ずくめだらけのこんな集団が闇に紛れて裏通りを歩く姿など、目立ちすぎて隠密性も何もあったものでは無い。
その店は、通りから見える間口はそれ程大きくなく、ただ薄汚れただけの小さな店という風に見えたのだが、中に入ると存外に大きなスペースを持っていた。
多分、治安が悪化したこの裏通りから逃げ出す様に出て行った両脇の住人のスペースを、法律も強度も外見も何も構わず適当にぶち抜いて店を広げたのだろう。
店内の床や壁や天井は、途中で色も意匠も大きく変わって統一感など無く、とにかく雑然とした印象を与えて、そして暗かった。
そして店内には、思いの外多くの客がおり、俺達が店に入ると同時に多くの視線が集まってくるのを感じた。
「ブラソン、スペゼで食える名物料理は何だ?」
絡みつく様に集まってくる視線を無視して、俺達はフロアの上に転がっている六人掛け位の大きさのテーブルに真っ直ぐ進み、壊れていない椅子を適当に選んで着席した。
「昔ミリと話していたのを聞いていなかったのか。どこに行っても安定した同じ味とメニューで、最高品質のものを政府が提供してくれる完璧な食料の管理供給だ。まあ、スペゼなら地元の流通があるか。強いていうならば、魚か? 海が近い。その店にあれば、な。」
パイニエの食糧事情は、ハフォンのそれよりも相当ましなはずだった。
とは言え、政府公社から食糧供給を受けている店はどこも同じ様に、多分中央の食糧供給センターの様な所で調製されたパッケージを開けただけの、「料理」と呼ばれるものを出してくるらしい。
逆に、その様な正規の食料供給を受けているとはとても思えないこの店の様な所の方が、一風変わった料理を出してくる可能性があった。
エイフェを売り払ったバペッソの名前に俺が辿り着いたのは、ダバノ・ビラソという地元の商会が市内の人気レストランに卸した食材の偽装問題か何かの情報からだったと記憶している。
多分その様な地元の食材の流通は、リゾート地であるスペゼに特有のものなのだろう。
俺達が席に着き、ブラソンに対するグルメリサーチが終わった頃、店内に背を向けて壁際のカウンターで作業をしていた大柄な中年の男の店員が、ゆっくりとした重い足音と共にテーブルに近づいて来た。
「何にする? 飲み物だけのオーダーは無しだ。この店のルールだ。」
愛想も人相も余り良いとは言えないホール係だった。
テーブルのオーダーを全て男が取り纏めて店員と交渉するのは地球式のテーブルマナーだろうが、このテーブルは地球人が多数を占める。
「ああ、腹が減っている。お勧めは何がある? 魚か?」
「阿呆。そんな高尚なモン置いてねえよ。初めてで外国人か。しょうがねえ、メニュー見せてやる。」
男がそう言うと、視野の中にAAR映像のメニューが浮かび上がった。
店の見てくれと店員の愛想の割には案外親切なメニューで、政府の食料公社から提供されたものと、この店で調理するものが分けて書いてあった。
もっとも、この店で調理する料理など数えるほどしかなく、そして全てが食料公社提供の料理の数倍の値段が表示してあったが。
その他には何種類かの飲み物がある様だった。
「この店の料理を上から四つ頼んでおけ。無難だが、間違いが無い。値段もそれ程悪くない。」
俺の視覚情報を共有しているらしい現地人のアドバイスが聞こえて、俺はその通りにした。追加で一人ひとつずつの蒸留水を頼んだ。下調べはまだ残っている。酔っ払う訳にはいかない。
オーダーを取りに来た男は、胡散臭げな眼で俺達をもう一度眺め回すと、「分かった」とだけ言って向きを変え、厨房と思しきドアの向こうに消えた。
やる事がなくなり、俺はニュクスを見た。
肩の線で切りそろえた少しボリュームのある黒髪は、まるで絹糸の様に艶やかで、特徴的な緑の眼は切れ長になりよりきつさを増していた。
肌は小ニュクスと変わらず透き通る様な白さで、その中にまるでルージュを引いたかの様な真っ赤な唇が目線を吸い寄せる。
ニュクスと視線が合い、彼女はいつもの妖艶な笑みを浮かべた。
身体と雰囲気がまさにその様になっている分、その笑みの迫力は凄まじいものがあるが、俺は無視してそのままニュクスの観察を続けた。
表面に光沢のある真っ黒なスーツは、AEXSSに似ているが少し異なっている様だった。見た感じでは、AEXSSより少し厚みが薄い様に見える。
組んだ形の良い足先を包むブーツも同じ材質で出来ている様であり、あろうことか7cmほどのピンヒールが付いている。
「儂のこのセクシーボディにメロメロの様じゃのう。むふふ。」
古フランス語のため死語だらけの台詞にどこのババアだと突っ込んでやろうかと思ったが、よく考えたら確かに大層なババアだった。
もちろんそんな恐ろしい事を口にするほど俺は馬鹿では無い。
「AEXSSではないな。だが似ている。」
「ふふふ。聞いてくりゃれや。AEXSSをベースに、表面屈折層をより屈折率の高いハイブリッドポリマーに変更して耐レーザー性能を向上、そして装甲層に新開発のSAZ繊維を12.75%織り込む事で防弾性を向上してあるのじゃ。この配合割合を詰めるのがなかなか難しかったのじゃぞ? パワーアシストは逆に動きの足を引っ張る事になるので入っておらぬ。その分厚さが20%薄く出来たので、運動性も向上しつつ、保温性と耐久性は前のままじゃ。表面にテラ軍新開発のポリアリジノン層を形成して、ネックであった対重粒子ビーム耐性を一気に五割増しにしてあるのじゃ。このブーツがまたなかなか良い出来でのう・・・・」
しまった。武器オタクに武器の話題を振ってしまった。しかもどうやらAEXSSを改造した自作のスーツらしい。無理にでも止めなければ、このまま何時間でもしゃべり続けるだろう。
だが俺がニュクスを止める必要は無くなった。
俺の視野の中、少し離れたテーブルから五人の男が立ち上がりこちらに近づいて来た。
俺達が入店してから、先ほどあの無愛想なウェイターがオーダーを取っている間中ずっとこちらを見続け、時折仲間内で言葉を交わしていた事には気付いている。
五人の男達が、テーブルに着いている俺達四人の後ろに立って取り囲んだ形をとった。
「よう兄ちゃん、綺麗なネーちゃんいっぱい連れてんじゃねえか。三人くらい俺達に分けちゃくれねえか。オメエの分は残らねえケドよ。」
俺の後ろに立った男の声が頭上から聞こえてくると同時に、生身の首筋に固く冷たいものが当たる感触があった。
因みにだが。
その時俺は、首筋に当たっている多分ナイフであろうものを気にするよりも、後ろに立った男が発した破滅的にどうしようも無く陳腐な台詞に頭を抱えたくなっていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
異世界に行った主人公が最初に訪れた冒険者ギルド併設の酒場で発生する奴です。 (笑)




