04
【前回のあらすじ】
憲二は晋川という新たなダチ(オッサン)を手に入れ、一緒に叫んだのであった。
【今までの登場キャラクター】
塩谷 憲二 己に関する記憶を全て失った少年。夕ヶ裏高校の生徒で、能力者の一人……らしい。
ユイ 料理スキルを持つ美少女。憲二のことを吟と呼んで慕っているが、問題行動も目立つ。
晋川 拓馬 雑貨屋カルパンディーナの店主。憲二とは記憶を無くす以前からの付き合い。
そこは木々生い茂る山に挟まれた、山間部にある建物だった。
私立夕ヶ裏高等学校。上那市最南端に位置する学園であり、かつて田園都市開発の一環で建てられながらも、企業誘致の失敗による計画頓挫から置き去りにされた最初で最後の遺物―――というのが事前に調べたこの学校の情報だった。
他にはこれといって特殊と呼べるような事情もなく、それこそ普通でありきたりな学校のようであった。といってもネットにある情報を過信することは避けるべきであるし、だからこそ、こうして百聞は一見に如かずの精神に則り、実際に赴いてみたわけである。
俺は周りにいる生徒たちと同様、制服に身を包み、坂の上の校舎を目指して歩いていた。頭上には開発に先行して開通したモノレールが走っており、もっぱら坂を上りたくない生徒たちのための登校手段となっているらしい。今日は直に登校経路を確認するため利用しなかったが、言われているほどきつい坂ではないように思える。時としてネットは当てにならないこともある、ということだろうか。
学校の正面にはバロック調の装飾がなされた大きな門が開かれており、そこを抜けると改札口のようなセキュリティゲートがいくつも立ち並んでいる。そこで生徒たちは慣れた手つきでカードを読み取らせ、校内へと姿を消していく。
自分もそれに倣って後に続いた。なるほど、この学生証は学校へ入るためのパスカードにもなっているらしい。昨今叫ばれているセキュリティ対策にも、重点を置いているということなのだろう。
俺はまず一番に塩谷憲二が在籍する教室へ―――は向かわず、授業前に学校施設を見て回ることにした。
夕ヶ裏高校は私立というだけあって、その設備はなかなか充実しているようであった。本校舎、食堂、グラウンド、体育館―――どの施設も小奇麗さを残しており、まだまだ出来たての新品であるということが見て取れた。
だからだろうか? 自分には全くと言っていいほどこの学校に見覚えがなかった。仮にもこの学校の生徒であるならば、郷愁に駆られたり、何かしら思い出す兆候のようなものがあっても良いように思える。しかしそんなものは一切なく、ただ思い出せないことへの感傷だけが胸の内に巣くっていた。俺の記憶は完全に失われてしまったのか、あるいは生前(別に死んではいないが)の自分はそれほど学校に関心を持たず、通うこともほとんどなかったのか―――いずれにしてもそれを確かめることも今となっては難しい。
俺はポケットからあるものを取り出すと、折りたたまれた状態から開いて目の前にかざした。
それは携帯電話だった。
光沢あるボディを持つそのガラケーをどこで手に入れたかといえば、何を隠そう今から電話をする人物から返してもらったものなのである。「返してもらった」と表現したのは、その携帯は元々塩谷憲二の所持品であり、それを本人から預かっていた―――という事情を後になって聞いたためである。それならば再会したときに教えてくれてもいいように思えたが、そうした俺の問いに対する彼女の答えは「聞かれなかったから」であった。
ともかくとして、せっかく手元に文明の利器が戻ってきたのだから、使わないのは宝の持ち腐れというやつだろう。そんな気持ちで俺は通話ボタンを押したのだった。
『ユイだよ~』
「あ、俺だよ。オレ、オレ」
『ん~? 誰?』
「あれだよ。君の生き別れのお兄さんだよ」
『なんとっ! 私には兄がいたのか!』
「そうとも。つきましては供託金を用意する必要があるから、今から言う口座に振り込んでくれないか」
『わかった。お兄ちゃんのためなら全財産を投げ打つ覚悟だよ』
「うん、頼むからやめてくれ。……ごめん冗談だよ、ユイ。俺は吟だ。君のお兄さんじゃない」
余談だがこの前確認したところ、俺には自分の口座がちゃんとあって、しかもなぜかそこにはぶっ飛んだ桁のお金が入っていたりする。さらにはその暗証番号をユイが把握・管理していたからして、先の冗談はわりかし笑えない話なのだ。
『な~んだ、吟か。なら初めからそう言ってくれればいいのに……。というか、なんで家にいないの~! 私を一人にして出かけるなんて、ひどいよ吟!』
『ぷんぷん』とわざわざ擬音を口にするあたり、なかなかにご立腹らしい。念のため電話を入れておいたのは、結果として正しかったようである。
「……悪かったよ、ユイ。でも昨日の時点で俺は話しておいただろう? 今日は学校に行くから留守番はお願いって」
『私は許可してないも~ん! 吟が行くなら私だって学校行く~!』
「それはちょっと……。来ても校内へは入れないしなあ」
聞いてみたところ、ユイはそもそも学校に通っていないらしい。それはそれで考えなければいけない問題かもしれないが、本人に行く気がない以上、それ以上踏み込むのは野暮というか、立ち入るべきではないように思える。別に無理して高校に行く必要もないだろうし、義務教育も終わっている年齢だろうから問題はないだろう。……たぶん。
「学校終わったらなるべくすぐ帰るからさ。今日はいい子にして待っていてくれないか」
『………わかった。ユイいい子にして待ってる。その代わり帰ってきたらなんでも言うこと聞いてね』
「ああ。じゃあまた後で」
電話を切ると、少しばかりため息が漏れた。
「やれやれ、子供をあやすのは骨が折れる」
というかユイって今何才なのだろうか。まあ同い年くらいだとは思うのだが、仮に年下だったら色々とまずいことになりそうである。いや、そもそも彼女は何者で、どうして同棲しているのかも未だわからずじまいではないか。
一度考え始めると気が重くなりそうな予感がしたので、俺は思考を切り替え、まだこの学校で訪れていない唯一の場所へと向かうのだった。
目の前には重くずっしりとした扉があった。
いや、取り立てて重い扉などあるはずがない。教室のドアなどどれも同じ材質のはずなのだから。けれども、そこに手をかけ、開いて中に入る―――その一連の動作を目の前の扉に対してだけは、どうしても実行に踏み切れない。
白状すると、俺は何度も教室へ行こうと試みたのだが、足がすくんで中に入ることができなかったのである。そのため向かうたびに、素知らぬふりをして教室の前を横切る羽目になった。傍から見れば怪しいことこの上ないだろうし、授業前の学校探索も、クラスへ向かうことから逃げるための方便にすぎなかったというわけだ。
そうしていつの間にか、一限の授業も終わりに近づいていた。
今ここで入らなければ、さらに状況は厳しくなる。そうやって理屈で体を納得させて、俺は勢いよく扉を開けた。
派手な入室音に、クラス中の視線が一点へと集まった。
俺はあらかじめ用意したレパートリーの中から、どれを選ぶかで苦心する。ここで間違えればすべてが台無しになる可能性だってある。だから、失敗はしたくない。
しかし、選ばなければ失敗すら始まらない。俺は即座に決意を固めて、非常に分の悪い賭けを敢行する―――してしまう直前だった。
「あー憲二じゃん! めっちゃなつー、というか遅刻乙ー」
クラスの男子生徒の一人が、そんなことを言いながら笑いかけてくれたのだ。
予想外の反応に、もちろん驚きはあった。けれども、そのおかげで俺の言うべきセリフは自然と定まった。
「……いやー実はずっと自分探しの旅に出ていましてねー。この塩谷憲二、ようやくの帰還であります!」
敬礼も添えてそう宣言すると、クラスからどっと笑い声があふれた。
「自分探しって、なにそれ?」
「最近ずっと音信不通って、そのせいか」
「いやいや、いつもの言い訳でしょ。私、さっきから教室の前を何度も通り過ぎるの見てたんだから」
それぞれクラスメイトたちが話したてる中、「いやーばれちゃったか!」と俺はおどけてみせて、一つだけ空いている席へと座った。
―――よかった。このキャラクターで正解みたいだ。
内心で安堵しきった俺は、授業が終わるのを今か今かと待ちわびていた。
授業が終わると、俺はすぐさま教壇に立つ教師の元へと向かった。
「塩谷。授業残り五分で来ても、出欠点はやらないからな」
「わかってますよ、先生。それよりも出席簿を見せてもらっても?」
「ん? 別にかまわないが」
「……それと話は変わりますが、今の座席は出席番号順で間違いないですか?」
「何を言ってるんだ、塩谷? この前席替えしたばかりじゃないか。そんなことより一週間も無断欠席した説明を………と、時間がないな。あとで職員室へ来て事情を話してもらうから、そのつもりで」
そう言い残して、先生は教室を後にした。
欠席した期間を正確に把握しているということは、今の教師はこのクラスの担任なのだろう。とすれば、彼が椢原勝馬ということになる。出席簿の名前一覧を思い返しながら、俺は情報を整理する。
クラスに在籍する生徒36名のうち、携帯の電話帳にあったと名前と一致するのは27名。つまり以前の俺はクラスの皆とそれなりに親交があったということなのだろう。あとは顔と名前をそれぞれ合致させることができればいいが……。
そう思いつつふと横を見やると、黒板の隣の掲示板に貼られた座席表を、運よく発見することができた。これで当面の問題は全て片付く―――と、思われたのだが。
「憲二ー! どしたー?」
最初に声をかけてきた男子生徒が、自分に気付いてやって来たのである。
「……いや、別に。なんでもないよ」
やはりそううまくいくものでもないだろう。とりあえず座席表は後回しにするとして、さて、どう対処すればいいものか。話し方からして、それなりに仲のいい友人のようではあるが。
「んー? さては座席表を見ていたな? ……なんだよー、別に席替えなんてしなくていいじゃんかー。 ミキが隣にいるんだから、良いことずくめじゃんよー」
「ミキ?」
「あ、こっち見た。おーい、ミキー! 久しぶりの憲二だぞー。しっかり塩谷ナトリウムを補給するんだー」
「そんな塩分とっとけみたいに言わないでよ、ユウキ」
ユウキに呼ばれて来た女子生徒はミキと言うらしい。文脈からして、彼女とも距離が近い間柄のようである。
「やあ、ミキ。久しぶり」
「ぶっ! ……な、なっなんで急に名前呼び捨てッ!? いつもは名字で呼ぶのに!」
「あれ、そうだったかな? ……でも、今日は名前で呼びたい気分なんだ」
俺はそう言ってミキの手を両手で包みこむと、間近で見つめ合うように顔を寄せる。
……動揺して思わず手を掴んでしまったが、さて、どうしたものか。………あ、顔が赤くなった。なかなかにシャイな少女のようではあるが、そんなことよりも彼女の苗字を思い出さなければならない。
「おー。今日の憲二は、いつもより積極的だなー」
まずい、これ以上は怪しまれてしまう。早く思い出さなければ―――と、内心では焦っていたのだが、幸いにも「ミキ」という名前は、電話帳にも出席簿にも一人しか当てはまらなかった。
ゆっくりと手を離して、俺は彼女に軽く頭を下げる。
「すまない。ちょっとからかいたくなってしまったんだ……。許してくれ、神山」
「……か、からかい半分で、そういうことしないでよ」
「その割には口元がへにゃっとしてうれs…………っと痛ってぇ!」
神山は目にも留まらぬ速さでユウキの太ももを引っ叩いた。
顔を赤くして怒る神山と、必死に逃げるユウキ。
追い駆けっこの次は口論を始める二人を前にして、俺は笑いながらも両者の仲裁に入ることにした。
……ああ、記憶をなくす前の自分も、こうして三人で笑い合っていたのだろうか。
――いいか。お前が能力者だってこと、ほかの誰にも知られちゃいけねえ――
不意に、昨日の晋川の言葉が頭をよぎる。
………わかっている。能力者であることを隠すためには、記憶がないことを誰にも悟られてはならない。
今自分の前にいるクラスメイト。彼らが知る友人はかつての塩谷憲二であって、ここにいる自分ではない。この関係もいわば以前の塩谷憲二の持ち物であって、所詮は借り物―――決して今の自分のものではないのだ。
「………………」
正直に言って、俺は彼らのことを何も知らない。
名前という記号を除いて、彼らがどんな人間であり、何が好きで何が嫌いか、友人・家族・恋人といった他の人々と、どのように繋がり、過ごしてきたのか―――まるでわからない。
そしてなにより、自分のことすらも………。今の俺はただ相手の反応を観察、そこから推測をして、適切と思われる行動を選んでいるに過ぎない。つまりは虚像だ。
こんな空虚な自分では、本当の意味で彼らの隣に立つことはできないのかもしれない。無意味な行いなのかもしれない。
それでも―――、
「だーかーらー、ごめんって言ってんじゃん! そんなぷりぷりぷりぷり怒ると、将来しわが増えるぞー?」
「うっさい! あんたが余計なこと言うから、いつまで経っても神北コンビとか呼ばれて私は―――」
「はーいはいはい。ごめんな美樹ちゃん」
「最後まで聞けえ! それと美樹ちゃん言うな!」
……これが偽物の関係だとわかっていても、手放したくない。たとえ仮初めの形であったとしても、今の自分にとっては、かけがえのない友人たちなのだから。
「憲二―、何とか言ってやってくれよー? しつこい女は嫌われるってさー」
「塩谷くんならきっとわかってくれるよね! 幼馴染みだからって、女子に対してこの態度、限度があるわ!」
この時間を守るためなら、自分はかつての塩谷憲二を演じよう。
たとえそれが、みんなを騙すことになろうとも。
*
俺が再び学校に通いだしてから、三日が過ぎた。
当初の不安とは裏腹に、学校生活は比較的順調に事が運んだ。
クラスメイトの顔と名前は一致し、それぞれの交友関係も大まかに把握することができていた。残念ながら別クラスの生徒に関しては、交流の少なさからなかなか照合作業が進んでいない。しかし少なくとも、誰と出くわしても当たり障りなく会話をこなせる程度には、俺もこの学校に順応していた。……正確には、元から塩谷憲二というキャラクターは、何をしでかしても違和感がないような、それでいてどこかつかみどころがない、そんな漠然とした人格の持ち主であったらしい。
「憲二―、数学の範囲ってここまでだっけー?」
「そこからさらに7ページ後までだな」
「なんでずっと授業に出てた勇希がわからないの?」
「るっさいなー。いいだろ別に。……そうだ、憲二は今日も勉強会来るよな?」
「もちろん。神山も付き合ってもらって悪いな」
「気にしない気にしなーい。……というか塩谷くんはすぐ理解できちゃうから、結局は勇希のための補習授業になるんだけどね」
「いいじゃんかー。教える側だって勉強になるんだから」
「それを自分で言うなって」
チャイムの音が鳴り、神山と勇希はそれぞれ席へと戻っていく。俺は机の上に教科書を広げ、次の授業に備えた。
学校生活に関しては、ほとんど慣れてきたため問題はないだろう。……むしろ最近気がかりなのはユイのことである。
放課後も友達といることが増えたため、必然的にユイとの時間をあまり取れなくなっていた。そのため今朝の電話でも、『ぐおおお今日もユイを置いてきぼりかー‼ 学校とユイどっちが大事なんだー!?』と大変ご立腹の有り様だった。
そろそろ構ってやらないとますます機嫌が悪くなるのは必至だった。それこそ本当に『私も吟と学校行く‼』と教室まで乗り込まれかねない。………まあ、次の休みにでもどこか息抜きに連れて行こう。そう心の内で決めて、授業に臨んだ。
それこそ、その時までの自分は、この穏やかな時間が当たり前のように続くと思っていた。
今日という日が終わり、明日が始まる。変わり映えのない生活であったかもしれないが、それでも楽しくて仕方のない、そんな日々を。
しかし、それが崩壊するのは一瞬だった。
ダンッ!と扉を乱暴に開け放つ音に続いて、黒ずくめの人間たちが一斉に教室に入ってくる。
突然の来訪者に困惑する者、驚きの声を上げる者など、様々な反応があった。しかし次の瞬間、それらは一つに統一される。
―――バアアアァンッ!!!―――
耳を塞ぎたくなるほどの大きな音が、しかし塞ぐまもなく教室内に響き渡る。
それは一人の男が手にする、拳銃から発せられたもの―――すなわち銃声だった。
クラスメイトは一様に沈黙していた。けれども事態を呑みこめた生徒から、圧倒的狂乱が恐怖と共に伝染する。
阿鼻叫喚とは、まさにこのことだった。
「黙れ! 喚くな!」
男は叫ぶと同時に、連続で天井へ向けて発砲する。
耳をつんざくような悲鳴をさらにかき消すように、発砲音が蹂躙した。
火薬のにおいが立ち込める中、あたりは暴力による静寂が敷かれた。
「これより夕ヶ裏高校は我々が占拠する。死にたくないものはこちらの指示に従ってもらおう」
先ほどまでの日常が、あっという間に非日常に塗り替えられる。
友人たちと過ごす学校生活は、一瞬にしてテロの渦中へと放り込まれた。
……これから、どうなってしまうのだろうか。
そんな当たり前の疑問は、黒光りする銃身を前に、何の意味も持たなかった。
2015/04/03:誤字訂正