03
【前回のあらすじ】
記憶を失った憲二はユイという謎の少女と出会い、イチャイチャするのであった。
【登場キャラクター】
塩谷 憲二 己に関する記憶を全て失った少年。夕ヶ裏高校の生徒であるらしい。
ユイ 憲二のマンションにいた謎の少女。憲二のことを吟と呼んで慕っている。
「ここか」
手元の地図と見比べながら、俺は目の前の店を眺める。
いや店と呼ぶには、一見そこはあまりに不釣り合いな場所にあった―――人が来るという想定を、故意に放棄しているかのような作りなのだから。
大人一人がかろうじて通れるくらいの幅しかない、ビルとビルの隙間にある小さな小路―――このわずかなスペースにその店はあった。かなりの暗がりに位置するドアは、どこかの飲食店の裏口にしか見えなかったが、申し訳程度に書かれた「カルパンディーナ」という店名によって、ようやく正規の入り口だとわかった。中に入るのにかなりの躊躇いを覚えながらも、「これも手がかりだ」と言い聞かせ、ついに意を決して一人で向かう。
もしかすると俺が一人で行動していることに対して、疑問を持つ方もいるかもしれない。そして、その理由に答えるには昨日にまで時間を遡る必要がある。
記憶をなくした俺が訪れたマンションの一室にてユイと名乗る少女と出会ったのが、昨日のことになる。その後、ようやく腰を落ち着ける場所を見つけた俺は緊張も解けて盛大に腹の虫を鳴かせ、それを聞いたユイが「私がご飯作るね!」と意気込み、絶品料理の数々を振る舞ってくれた。そこまではよかった。問題はそれ以降だった。
―――ケース1.
俺が風呂に浸かっていたときのこと。
「吟、一緒にお風呂はいろ~!」
「ギャー」
入浴中に裸で突撃された(通算二回目)。
―――ケース2.
俺がトイレに入っていたときのこと。
「吟、紙足しに来たよ~!」
「イヤ~ン」
鍵を開けて紙を届けに来られた(鍵開け突撃は通算二回目)。
―――ケース3.
俺が眠ろうとした時のこと。
「吟、一緒に寝よう~!」
「いやいや……ユイさん、さすがにまずいですよ! 年頃の男女が同じベッドで寝るなんて。俺はソファーで寝るから」
「え~! でも吟とは前から一緒に寝てたよ」
「え~? でもホントにごめん。それだと緊張して寝られなくなっちゃうから、主に俺が」
「ぶ~、じゃあユイが寝るまで絵本読んで!」
「え、絵本? まあそれくらいなら……」
―――といったことがあって、あまり休まる時間がなかったことは俺の個人的な事情である。
誤解無きよう補足をすれば、俺はユイのことを嫌っていないし、先の行動を迷惑に思ったこともない。………いや、正直に言えば鍵開け突撃だけはやめてほしいと思う。しかしうちのマンションのドアロックは、外側から硬貨を使って開けられる簡単な仕様であるため、ユイ本人に言って聞かせなければ解決しない当人同士の問題ではあるだろう。
……閑話休題。ここからが本題だ。
翌朝、つまり今朝のことだが、俺はユイの作った朝食を頂いた後、部屋中を調べて以前の俺の手がかりを探していた―――ユイにも改めて聞いてみたが、やはり要領を得ない答えしか返ってこなかった。そんな中見つけたのが、俺が書いたと思われる日記だった。
日記といっても、ほんの短い文や単語の羅列を日付と共に書き留めているだけであり、また書く日時間隔もバラバラのため、メモ帳と言った方が妥当かもしれない。その内容も『符様焼き肉店は柚子胡椒を置いてない』といったような、至極くだらないことばかりで、役立ちそうな情報は何も載っていなかった。
俺も初めて見たときには「知るか、そんなモン‼」と思わず床に投げ捨ててしまったのだが、おかげで偶然にも手帳に挟まれていたらしき紙切れを見つけることができた。
そこには手書きの地図と共に、目的地と思われる星マークに「カルパンディーナ」という名前が記載されていた。
わざわざ地図を残していたということは、以前に俺が訪れたことがあったのかもしれない。現状では唯一ともいえる手がかりを前に、俺が行動を起こさない理由はなかった。
そこでその旨を伝えてユイにも一緒に来てもらおうと誘ってみたのだが、行き先を告げると
「えぇ~ユイあそこ行きたくな~い」
とあっさり同行を拒否されてしまった。
『一緒にいる』という昨日のセリフは、一体なんだったのか。そんな嫌味を心の中で考えてしまうのは、俺の自分勝手というものだろう。しかしそれとは別に意外でもあった。ユイならばむしろ「吟が行くなら、私も行く~!」とか言いかねないと思っていたのだが……。いや、誰しも行きたくない場所の一つや二つあるのだろう。そう自分に言い聞かせて、俺はここまで来たのだった。
ドアを潜って中に入ると、目の前には地下へと通じる階段があった。登り階段もあったのだが、上の階は使われていないのか、仕切りが置かれて封鎖されていた。俺は案内に従って地下へと降りていく。外と違って灯りはあるのだが、天井が淡く照らされる程度のものであり、足元は依然として真っ暗で、そのため慎重に一段一段下っていく。
階段を下りると、そこには小さな通路があった。その奥へと進むと、通路に端に面して扉があり、俺はそのドアを開いて中へと入った。
その店は、どうやら雑貨屋のようだった。
おしゃれな小物を中心とした、様々なインテリアが並べられており、手狭ではありながら充実した品揃えを実現していた。
自分の家に置けばもう少し華やかになるかもしれない。そう思える品々にしばらくは目を奪われていたのだが、店内の奥のスペースに一人の男が腰かけていることに気付き、俺は顔を上げた。
男はどこの地域のものかも知れない民族衣装に身を包んでいた。汚く生やした無精ひげに派手な服飾は正直似合わず、センスの悪い中年男というのが第一印象だった。
男は突然の来客に驚いたのか、こちらを黙って凝視していた。……いや、驚きのあまり言葉を失った、と表現するのが適切なのかもしれない。それほどまでに男は目を丸くして、俺のことをまじまじと見つめていた。
けれど、ようやく驚愕し終えたのか、男は若干の平静さを取り戻した様子で声をかけてきた。
「……憲二? 憲二じゃねえか! どこ行ってたんだよお前!」
どこか興奮をにじませた声音に、当初、俺はまったく反応できずにいた。
しかし、その台詞を自分の中で反芻して、ようやくその意味を理解することができた。男の怪訝そうな視線を受けながら、俺はその言葉を口にする。
「………ああ。そういえば俺は憲二って名前だったな」
初めて呼ばれた名前によって、俺は自分が塩谷憲二であることを再確認した。
「はあ? 記憶がない?」
俺は店に来るまでの経緯を男に説明していた。
「そう、だから自分のこともあんたのことも覚えていないんだ。つまりだな、できれば自己紹介をしてもらえると助かるんだが……」
一方的に相手のことを忘れるなど礼儀知らずも甚だしいが、生憎として自分のこともわからない記憶喪失者であるため、ここは水に流してもらいたい―――という趣旨のフォローも入れて、俺はお願いした(というか、水に流せる過去が俺にはなかった)。すると男は「よし、わかった」と快活な笑みでこれを承諾してくれた。
「俺は晋川、晋川拓馬。この店の店主だ。よろしくな」
晋川はそう言って人懐っこい笑みを浮かべると、大きな手のひらを前に突き出してきた。
「では改めて……、塩谷憲二です。あと吟とも呼ばれてます。こちらこそよろしく」
「おう、よろしく! ……って吟ってなんだ?」
握手をしながらも晋川は不思議そうに尋ねてきた。
「あれ? ユイにはそう呼ばれてるんだけど、俺の愛称とかではないのか?」
「いや。……ユイってもしかして、お前と一緒にいる女の子のことか?」
訝しげに聞き返した俺だったが、晋川の確認に頷くと、彼は気まずそうに肩を落としてしまった。
「どうも俺は彼女に嫌われているらしくてな。一度お前と一緒に来て以来、まともに顔を合わせていないんだ」
「ということは、記憶をなくす前の俺はよくここを訪ねてたのか?」
「よくといっても、三、四回ぐらいだな。それでも憲二とはウマが合ったから、来る度に話をしたものだよ。だからお前が記憶をなくしたとしても、俺たちは今も変わらず友達さ」
初めは年上の晋川に敬語で話していた俺に「タメでいい」と言ったのも、そのあたりの事情から来ているのだろう。なにより友達という響きは、なかなか悪くない―――もっとも相手は三十代半ばのおっさんなのだが、それは些細な問題だろう。
「そんなわけで正直なところ、憲二の素性は俺もよく知らないんだ。けど、お前はよく話して聞かせてくれたよ。生活のこと、学校のこと、―――それから、能力者のことをな」
「……能力者?」
最後の聞き慣れない単語に、俺は思わず繰り返してしまった。
「そう、能力者。普通の人間には使えない不思議な業を扱える連中のことさ」
「待て待て! 漫画じゃあるまいし、そんな話を鵜呑みにできるか!」
「でも、お前は自分も能力者だって言ってたぞ?」
「………それは、いわゆる厨二病というやつでは?」
過去の自分が痛い人だったという可能性が浮上して、俺はどこか残念な気持ちになった。しかし晋川は「いやいや、これは真面目な話だ」と茶化しているわけではないと伝えてくる。
「お前がどんな能力者かは知らん。なんせ最後までその力の内容を教えてくれなかったからな。けど能力者自体は実在するぞ。俺も遠目だが見たことがある」
マジかよ、と驚きっぱなしの俺だったが、晋川はそれに畳みかけるように話を続けた。
「お前を合わせて十二人の能力者が存在している。そしてそいつらは全員、夕ヶ裏高校の生徒って話だ」
俺は慌ててポケットの名刺入れから学生証を取り出すと、同じ高校名がそこにはあった。
「……怒涛の展開でついていけそうにないんだが、要はその他の能力者って奴らに会えば、俺のことを教えてもらえるかもしれないってことか?」
なんとか理解を追いつかせ、俺は今後の行動の指針を導き出す。しかし晋川はその提案に浮かない顔で答えた。
「……いや、お前は能力者たちと接触しない方がいい。もっと言えば、お前が能力者であること、そして記憶を失っていることは誰にもバラさない方がいい」
晋川のその言葉が、その真意が、俺にはまったくわからなかった。それゆえ到底納得できるものではないと抗議の声を上げる。
「なんでだよ! そいつらなら俺のことを知ってるかもしれないんだろ? なら記憶を取り戻す手がかりだって、そいつらにしかないじゃないか!」
俺の目的は記憶を取り戻すこと。そして目の前にある可能性が否定されたことで、どこか感情的になってしまったことは自分でもわかった。しかし晋川はそれにも動じず、落ち着いた声音でゆっくりと弁明する。
「確かにお前の記憶について、そいつらなら何か知っているかもしれない。だが素直に教えてくれるとは限らないし、最悪の場合は殺される可能性もある」
その物騒な単語が出てきたことで、俺は思わず息を呑んだ。どうやら俺が考えている以上に事態は深刻のようだった。
「最近、どうも能力者同士でいざこざがあったらしくてな。しかも、そのせいで一人亡くなったそうだ」
既に犠牲者が出ていることに俺は驚きを重ねた。そしてなぜそんな争いが起きているのか、疑問に思わざるを得なかった。だが俺の表情からそれを察したのか、晋川は両手を広げて「さあな」と答えた。
「俺も詳しいことはわからん。以前のお前に聞いたことと、自分で調べてわかった情報を組み合わせて、今お前に話しているからな」
「………とりあえずはわかったよ。とにかく、今は能力者の奴らと関わらない方がいいってことだろ?」
俺は晋川の意見に従うことを示すと、「けどさ」と別の疑問を尋ねてみた。
「そいつらと距離を置くのはともかく、どうして記憶がないことまで隠さなきゃいけないんだ?」
記憶を取り戻すためには、以前の俺との知り合いを訪ねて回るのが、おそらく一番手っ取り早い。しかし自分が記憶喪失だと告げずに情報を引き出すとなれば、その難易度は大きく跳ね上がる。
「当たり前だが記憶がなくなるなんて異常事態、そうそう起きることじゃない。ならその原因は能力者絡みだと捉えるのが最も自然だ。……おそらく憲二はそいつらとの争いに巻き込まれた結果、記憶を失ったんだろう」
確かにそれならばこの状況にも筋が通る。もしかすると俺の記憶がないのは、他の能力者の力が及んだ故なのかもしれない。
「そう仮定すると、能力者たちの中に憲二の記憶がないことを知る者がいてもおかしくない。そうしたら記憶がないことからお前の正体がばれちまうだろ?」
「ちょっと待て。正体も何も、巻き込まれたというくらいなら、面だってとっくに割れてるはずだ。顔がばれてるとしたら元から隠す意味なんてないだろ」
「いや、以前のお前は顔は知られてないと言っていた。それに用心深い憲二のことだ、その辺はうまくやり過ごしたと思うぞ。だからお前の記憶がないことと、能力持ちであることさえばれなければ、能力者であることは誰にも悟られない」
「…………」
俺は今までの晋川の言葉を思い返す。
十二人の能力者。夕ヶ裏高校。一人の犠牲者。能力者の闘争。記憶の欠落。―――そして、俺もまた能力者の一人であるということ。それの意味するところは、俺にも何らかの能力が備わっているということだ。その力があれば、自分でも戦うことができるのかもしれない。そうすれば、いつかは己の記憶を取り戻すことも可能なはずだ。
「……まあ、そんなに落ち込むこともねえよ、憲二。別にお先真っ暗ってわけでもないしな」
晋川は黙り込んだ俺を落胆したと勘違いしたようで、前向きな言葉をかけようと、次々とまくし立ててくる。
「ほら、能力者以外にも学校には友達がいたはずだ。……まあ、どこから記憶喪失の件がばれるかわからんからそのことは言えないが、けど話しているうちに何か思い出すこともあるかもしれん。それに馴染みある校舎を眺めたり、授業を受けるだけでも、いい刺激になるはずだ。なにより学校は楽しいところだ。青春の七割は高校生活にあると言ってもいい。………ああ、能力者のことなら心配いらないぞ。連中は滅多に学校には来ないらしいからな」
放っておけばずっと話し続けていそうな晋川ではあったが(それも興味はあったが)、俺は手で制してそれを止める。「憲二?」と不思議そうな視線を受けつつ、俺は笑ってこう答えた。
「ありがとな、晋川さん。おかげで随分といろんなことがわかったよ。……本当にありがとう」
頭を下げる俺に「な、なーに畏まってんだよ! ダチのためならこのくらいお安い御用よ!」と晋川はこちらに背を向けながら言った。……鼻をすする音から察するに、涙もろくなる年頃なのかもしれない。
「とにかく、これでやることは決まった。明日からは学校に行くことにするよ」
俺の決意表明を受けて、晋川は鼻をかんでから「まあわかってるとは思うが、改めて言っとくぞ」と念押しして告げる。
「いいか。お前が能力者だってこと、ほかの誰にも知られちゃいけねえ。どんな経路で他の能力者の耳に入るかわからんからな」
……真剣な忠告であることは明らかだったが、どうにも鼻頭を赤くした状態で言われると、笑いたくなってしまう。けれど晋川に対してそれは悪いと感じたので、俺は吹き出すのを堪えつつ「了解」とだけ答えておいた。
「うむ。ところでお前の能力って、結局なんなんだろうな?」
「さあな。本人も忘れちまったから、誰も知らないんじゃないか? 以前の俺が誰にもばらしていなければ、の話だが」
「未知の能力……。まさに“神のみぞ知る力”か。カッコいいじゃないか」
「うーん。聞こえはいいかもしれないが、どんな力かもわからなきゃ使いようがないぞ?」
「そんなの気合でどうにかなるさ。ほれ、やってみろ」
晋川は腕を組んで必殺技を放つポーズ(?)を取るよう促すが、そんな簡単な所作で発動するならば苦労はない。しかし気乗りしない一方で、これが晋川なりの励ましであることもわかっていたので、付き合ってやることにした。
「ほら、こうだって」
「こ、こうか?」
「そうだ。そして声出していくぞ! たああああああああああああああああああああああああああァ!!! ……やってみろ」
「…………たああああああああああああああああああああああああああああああああァ!!!」
「オラァ! もう一回だあ‼」
その修行のような苦行は、俺が店を出るまで続けられた。
2015/08/02:誤字訂正