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狐に嫁入り  作者: すい
月夜の狐火
9/20

満月

一夜のうちに、村は焼け野原となった。

 焼け出されて途方に暮れる村人たちを、その女性は一人ひとり話しかけて元気づけていく。

 新しく建てられた神社――清廉神社を視察するべく訪れたその都の女は、村人たちに生きる希望を思い出させていった。

 女は神に仕える巫女だった。それも、強い神力を持つ、神に愛された高位の巫女であった。

 巫女は村人に乞われて、彼らの神に会いに行った。

 それが、己の運命を大きく変えることになるとも知らずに。

 


 今宵は望月だ。珍しく夜更かしして、マツリは社務所の縁側から月を眺めていた。

 赤は社務所の奥で、狐の黒狐の毛皮に包まれて寝ている。黒狐が赤の面倒を見てくれていたので、マツリは一人の時間を静かに過ごすことができた。

 ふと、夕餉を終えて立ち去る狐さまと、黒狐のどこか不機嫌そうな顔が思い出された。二人が喧嘩をするのはいつものことだが、今日はどこか様子が違った。己が夕餉を用意している間に何があったのだろう、と月を見ながら考える。

 本殿へ帰る狐さまの背中は、いつもよりも頼りなく見えた。

 マツリは立ち上がって、縁側から外へ出た。

 蟇の鳴き声のする参道を通って本殿へ向かうと、そこに狐さまはいなかった。予想していたことだったので、マツリはさほど驚かなかった。

 狐さまは満月の夜、御神木の根元で赤を見つけたのだと、聞いた。ならば今宵も、狐さまは御神木の近くにいるのだ。マツリは何故か確信していた。

 本殿の裏へ回って、御神木の根元に立った。始めは誰もいないと思ったが、頭上から声がして上を見上げると、狐さまが太い幹の上からこちらを見ていた。

「何かあったか」

「いいえ。何も」

 狐さまはそう答えたマツリの顔をまじまじと見つめると、幹から軽やかに地面へと降り立った。マツリの横で身をかがめ、そして起こす。ふわりと浮遊感を感じたと思った一瞬で、マツリは御神木の幹の上に上っていた。

「あ、ああああの、」

「臆病なくせに、よくここまで来たな」

 何かあったかと思った、と狐さまは言って、マツリを横抱きにしたまま幹の上に腰を下ろした。

「離して下さい!」

「離したら落ちるぞ。お前は鈍いからな」

「じゃあ、降ろしてください!」

「私はここで月が見たいのだ」

 高いところが恐ろしいのか、狐さまに横抱きにされているのが恥ずかしいのか、はたまた、唯我独尊な狐さまの発言に怒りを覚えているのか、あるいはそれらのどれもか、己の気持ちが分からなくなるほど、マツリは動揺していた。

「騒ぐと落とすぞ」

「……」

 脅すような狐さまの一言で、マツリは強制的に落ち着いた。

 月の光で、狐さまの秀麗な横顔がいつもより近くにあるのが分かった。白い着物に力強く押さえつけられているのが分かって、恥ずかしさとは別の意味で頬が火照った。

 収まらない動悸を誤魔化すように、マツリは狐さまの視線の先の月を見た。木の上で見る月はいつもよりも近く、大きく見えた。

「満月がお好きなんですか?」

 マツリが問うと、狐さまは曖昧に頷いた。答えにくそうな態度に気づいて、それ以上問えなくなったマツリは、未だどきどきと煩い胸に気づかないふりをしながら、しばらくじっと月を眺めていた。

 水面をたゆたうように薄い雲が月にかかっては、ゆらゆらと流れていく。時間を忘れて、二人は満月に見入っていた。

「お前は、」

 狐さまが、どこか躊躇う様にして口を開いた。

「お前は、どんな月が好きなのだ?」

 マツリは月から視線を外して、狐さまの横顔を見た。

「どんな……?」

「月は毎日、表情を変える」

 マツリは少し考えて、「やっぱり、満月が好きです」と答えた。

 狐さまは「そうか」と答えて、目を細めた。

「昔、同じ質問に新月が好きだと答えた女がいた」

 マツリは狐さまの横顔を見上げたまま、首を傾げた。

「新月……?」

「おかしいだろう。――月が、嫌いなのだそうだ」


 黒狐はふぅ、と溜息をついて、己の腹を枕にして寝ている赤子を見やった。

 満月の夜に現れた赤子に、運命を感じないわけでもない。だからと言って、人間を愛すなどという感情はいらないもの。まして、己は未だ、人間を許すことができずにいる。

 黒狐は赤子を見ているうちに湧きあがってくる感情を、胸の奥深くに仕舞いこんだ。

「ぁー……」

 眉を寄せて小さく呻く赤子の頬を、ちろりと舐めてやる。擽ったそうに笑った赤子は、再び静かに寝息を立て始めた。

「可愛いね」

 静寂の中に落ちた声は、この場に居てはならない者の声だった。

「――っお前……」

「こんばんは。黒い狐さん」

 気配もなく現れたのは、茶色い髪の少年だった。少年は見上げてくる黒狐に微笑みかけて、ぎし、と畳を鳴らせて歩み寄り、黒狐の傍に腰掛けた。月も星も見えない真っ暗な部屋の中でよろめきもしない少年の様子に、黒狐は警戒する。

「何しに来やがった。よくあいつに見つからなかったな」

「僕が狐なんかに見つかるわけないでしょう?」

 目を細めた黒狐に「ごめんごめん、君も狐だったね」と悪びれなく言ってから、少年は小首を傾げた。

「用も無いのに来ては駄目なの?僕と君はもうオトモダチじゃないか」

 黒狐はふん、と鼻を鳴らした。これ以上付き合っている義理もないと、今のところ無害らしい少年を放って赤の頬に鼻先を押しつけて目を瞑った。

「寝ちゃうの?じゃあ、寝ながら聞いてね」

 寝ながら聞けるか、黙って出ていけ。黒狐はそう頭の中で罵倒した。赤が寝ているので、声に出して怒鳴るわけにはいかない。

「かぐや姫って知ってる?」

 黒狐は無言だ。一生懸命寝たふりである。

「ねぇ、ねぇ。知ってる?」

 少年は無邪気に黒狐の首に手を当て、ゆらゆらと揺らした。黒狐は寝るに寝られず、苛々と耳を震わせた。

 その可愛らしいともいえる仕草に、少年は笑う。

「起きてる癖にー」

「お前が寝ながら聞けって言ったんだろうが!」

 黒狐は思わず怒鳴った。

「あぁうー」

「げ」

 赤がぱちりと目を開けて、不満げな顔で黒狐を見た。夜中に大きい声出すんじゃねぇよとでも言いたそうな視線だ。

 少年はしてやったりと口元で笑って、指先で赤の頬を突っついた。

「五月蠅い保護者だよねー。ねぇ、赤ちゃん」

「むふぅー」

 赤は苛立たしげに手をばたつかせて、少年の指を払った。少年はあらら、と苦笑する。

「嫌われちゃったかな?」

「出てけ」

 黒狐は短くそう言って、顎で赤の頭を撫でてやった。そのうちに赤の目がとろん、と解けて、再びすやすやと寝息を立て始めた。

 黒狐は未だ出ていかない少年をじろりと見やった。少年はどこ吹く風である。

「かぐや姫。知ってる?」

「……」

 黒狐はあえて沈黙した。

「竹の中から見つかった女の子が、お爺さんとお婆さんに育てられて美人さんに育つんだ。五人の男に求婚されて、ついには帝にも求婚されるんだけど、ある日月からきた使者と会って――」

「お前は何が言いたい」

 黒狐は少年の言葉を遮った。

「君たちって、この物語に似てると思わない?」

「……」

「また、だんまり?」

「……」

「それとも、忘れちゃった?」

 暗がりの中で、少年は闇に溶け込むような黒い狐に微笑んだ。

「そんなわけ、ないよね」

 今宵は満月だ。けれどもこの部屋は暗く、月の光は届かない。

―――――

 巫女は山に分け入ったまま、一生戻ってはこなかった。

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