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狐に嫁入り  作者: すい
狐姫と恋いくさ
6/20

狐姫の挑戦

狐姫は拝殿でぼぅとしていた狐さまのもとに戻るなり、マツリに宣言した内容をそのまま叫んで、傍で聞いていた黒狐を大笑いさせた。

「なんじゃ、黒狐。何が可笑しい!また尾っぽを焦がしてほしいか」

 狐姫がそう脅すと、黒狐は尾を巻いて狐さまの陰に隠れた。尻尾を庇うように丸くなり、頭だけを影からのぞかせる。

「馬鹿言うなよ。人間が社に住んでるのすら煩わしいってのに、さらにうざったいお前さんが白いのの番いになったら、俺様、もう家出して帰ってこないからな!」

「それは困るな。そういうわけだ。己の巣に帰れ」

「な、白狐!」

「そもそも、赤の母親は私の花嫁――マツリに決まっている」

 ぞんざいな扱いを受けて、狐姫は顔を真っ赤にして二人を睨みつけた。マツリは成り行きをはらはらしながら見守っていたが、狐さまが己の名前を出したので仰天した。

「あ、あたし、ですか」

「マツリは赤の母親ではないと言っておったぞ」

「何?」

 じろ、と狐さまがマツリを睨むような目つきで見た。ひぃ、とマツリはそれに怯えて赤を抱く腕の力を強める。赤は居心地悪そうに唸った。

「マツリ……まだお前は、赤の母親たる自覚に目覚めていなかったのか」

 呆れるような狐さまの口ぶりに、身をすくめる。狐姫が嬉々としてマツリの隣に立った。

「ほらの。良い機会じゃ。赤の母親がマツリと妾のどちらであるか、勝負をして決めようではないか」

(勝負っ?)

 話の内容が不穏になってきた。マツリが狐姫の言葉に驚いていると、狐さまも頷いてそれに同意した。

「良い機会かどうかは知らんが、マツリには赤の母親としての自覚を持ってもらう必要があるな。勝負――良いだろう。勝った者が赤の母親とする」

「えー!」

 不満の声をあげたのは、マツリではなく、黒狐だった。

「お前なぁ、もう少し考えろよ!人間のマツリが神さまの狐姫に勝てるわけねぇだろぉ!」

(そうです!コッコさん、もっと言ってください!)

 マツリは心の中で黒狐に同意した。

「なんだ、黒。お前、マツリを追い出したいのではなかったのか」

 含むような目を向けられて、黒狐は、う、とたじろいだ。

「だ、だってよぉ。だって……」

 黒狐はそれ以上何も言えず、耳を伏せてちらりとマツリを見た。マツリは首を傾げる。

「とにかく、もう決まりじゃ。マツリ、良い勝負をしようぞ」

(……逆らえない、よね)

 マツリはがっくりと項垂れて、首肯した。

 勝負の場は社務所に移された。

「まず一戦目は、どれだけ赤に好かれるか、だ」

 狐さまがマツリから奪った赤を抱きながら、無駄に厳かにそう告げた。げんなりするマツリの足元へ黒狐が寄ってきて、マツリの背を上って肩に落ち着いた。

「わわ、コッコさんっ?」

「マツリ、頑張れよ」

「へ?」

 耳元でごく小さく囁かれた応援に、マツリはきょとんとする。

「俺様は狐姫と一緒に暮らすのなんか嫌だからな。だから、応援してやってるだけだからな。別に、お前さんの稲荷寿司が食えなくなるのが嫌だから、言ってるわけじゃないんだからな!」

「え、食えなくなる、って」

「馬鹿だな。狐姫が白いのの番いになるってこたぁ、お前さんと離縁するってことじゃぁねぇか。そしたら、お前さん、ここから出てかなきゃならねぇだろ?」

 マツリは初めてその考えに行きあたって、ひどく狼狽した。

(それじゃぁ、負けたら、もう狐さまとは暮らせない?狐姫が、あたしの代わりに、狐さまと赤の傍にいることになって。それで、あたしは……)

 胸が締め付けられるように痛んだ。

「俺様は別に、お前さんにここに残ってほしいわけじゃねぇけど。まぁ、頑張れよ」

 マツリは肩から降りる黒狐に生返事をした。

「さぁ、赤。妾と遊ぼう」

 狐姫が秀麗な顔に笑みを浮かべて、蒲団の上に座り込んだ赤を呼んだ。赤は愛想よく笑って、狐姫が手に持った布切れを、はし、と掴んだ。

「布切れって……猫じゃあるまいし」

「黒狐は黙っとれ」

「あーうーっ」

「愛いのう、愛いのう。妾が好きかえ?」

「うーっ」

「うんっ!」と返事をするかのように、赤がにこにこと答えた。その様子に、マツリは軽い衝撃を受ける。

(こ、このままじゃ……)

 マツリは焦って、何か赤が喜びそうなものはないかと部屋を見回した。しかし、赤が喜びそうなものは全て狐姫の手に渡っていた。

 マツリは決意して、狐姫と赤が遊んでいる様子を面白くなさそうに見ていた黒狐をひょいと持ち上げた。

「のぁっ?」

 驚いて身じろぎひとつしない黒狐の脇腹を両手で持ち、赤の目の前に差し出した。

「赤さま、コッコさんですよ!」

「俺様はおもちゃじゃねぇ!」

 ゆらゆら揺らしてマツリが言うと、黒狐は首を仰け反って吠えた。

「あーーっ」

 赤はぱぁ、と表情を輝かせて、ゆらゆら揺れる黒狐の尾を掴もうと目で追い始めた。手を伸ばしてはし、と掴むと、黒狐が悲鳴を上げる。

「この、このくそがき!一度ならず二度までも!」

「赤さま、首のところの方がふわふわですよ!」

「お前もいい加減にしろ!」

 がう、と吠えて、黒狐はマツリの手から逃れようと暴れた。掴まれたままくねくねと暴れる尾が面白いのか、赤が喜んで笑い声をあげた。

「きゃっきゃ、あぅ!」

「愛いのう、愛いのう」

 狐姫は赤の様子を見て頬を朱に染めた。

「ほれ、こうするともっと面白いぞ」

「ひぎゃー!」

 狐姫が黒狐の頬袋を容赦なく横に引きのばしたので、黒狐は断末魔のような悲鳴をあげた。マツリがその隙に黒狐の首周りの毛をわさわさと撫でた。

「ふわふわー!」

「良い毛艶をしおってからにー!」

「あうあうあー!」

「助けてくれぇー!」

 わいわいと四人が騒いでいる中、一人ぽつんと取り残された狐さまが呟いた。

「……何の勝負だったか」


 結局勝負がつかずに、夜を迎えることになった。狐姫は泊っていくと言ってきかず、黒狐を激昂させた。

「お前、自分の神社はどうしたんだ!」

「今日は帰らぬと巫女狐に言いつけてある。だから大丈夫じゃ」

「それでも神さんか!」

「なんじゃ。黒狐は怒ってばかりじゃな。のぅ、マツリ」

 話を振られて、マツリは苦笑を返した。散々おもちゃにされて気が立っていた黒狐は、「付き合ってられるか!」と怒鳴って、ぷんぷんと社から出て鎮守の森へ入っていった。

「あやつ、折角マツリが作ってくれた夕餉を食べずに行きおった!」

「また家出か。今度はいつ帰ってくるだろうな」

「……」

 毎回、暴走する狐姫と自由奔放な狐さまに付き合っていれば、それは確かに家出もしたくなるだろうと、マツリは黒狐に同情した。先程黒狐を真っ先におもちゃにしたのは己であるということは棚に上げておいた。

 狐さまが赤を連れて本殿へ帰り、マツリが己と狐姫の分の蒲団を用意している時だった。狐姫がなにやらもじもじと話しかけたそうに近寄ってきたので、マツリは手を止めて首を傾げた。

「のう、マツリ」

「なんでしょう?」

「ここで生活している白狐について、教えてはくれぬか」

 マツリが嘘偽りなく狐さまの生活――朝は遅く起きて、本殿から社務所へと出張し、挨拶も無しに赤とだけ呟いて朝餉を食べ、働くマツリの横で赤と遊びながら黒狐が帰ってくるのを今か今かと待ち、昼餉を食べて赤と昼寝をし、少しだけマツリの仕事を手伝ってから夕餉を食べ、ぼそりとマツリに感謝の言葉を添えた挨拶をして本殿へ帰り、蒲団に入る。そんな穏やかで飾り気のない生活を語り終えると、狐姫はどこか悲しげに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。

「そうか。白狐は幸せなのじゃな」

 その笑顔に引っかかりを覚えたが、マツリは何も言わずに頷いた。狐姫はそんなマツリの態度を好ましく思ったらしく、マツリを手伝って蒲団の用意をしながら語り始めた。

「妾と、白狐と、黒狐は昔、ただの狐だったのじゃ。兄弟と言うわけでもないのに、物心つかないうちからずっと一緒で、今の白狐や黒狐のように、穏やかに暮らしていたのじゃ」

 狐姫は昔を思って、切なく目を細めた。マツリは狐姫の、神さまに祭り上げられた経緯を思い出して、何ともいえぬ悲しい気持ちになった。

「妾が神になって、白狐と黒狐は変わってしまった。妾と彼らの関係も変わってしまった。それでも――もう、あの頃のようには戻れないと分かっておるのに、今になっても挑戦してみたくなるのじゃ。白狐の番いになれば、また、あの頃のように、と夢想してしまう」

 こんな形で番いになったとて、上手くいくはずがないのにのう、と狐姫は笑った。

「そなたには悪いことをしておるの。明日には己の社に帰るから、今宵だけは許しておくれ。勝負というのは口実で――ただ、傍にいたかっただけなのじゃ」

 狐姫はそう言って、ぎゅう、と枕を抱きしめた。マツリは何も返すことができず、目を伏せる。

(狐姫は、本当に狐さまのことが好きなんだ)

 枕を抱きしめて狐さまを思う狐姫の姿は何ともいじらしく、可愛らしく見えた。けれどマツリは、胸の中に靄がかかったような思いに駆られた。

(どうしてこんなに、もやもやするんだろう。勝負で狐姫に負けたくないと思うんだろう。居場所がなくなるから?――それもある。けど……)

 狐姫が枕を抱いたまま、すく、と立ち上がった。

「こうしてはおれん!」

 いきなり叫んだ狐姫に、マツリは仰天して言葉も出ない。部屋を出ていこうとする彼女に慌てて追いすがる。

「ど、どこへ行くんですか!」

「白狐のもとへじゃ。今宵は一緒に寝ようと思う。――人の言葉で、ヨバイ、というやつじゃ」

 よよよ、夜這いだって?

「駄目です!」

 マツリは思わず、相手が神さまであることを忘れて叫んだ。狐姫は腰に手を当てて、挑むようにマツリを見下ろした。

「ならば勝負じゃ。母親試験第二段。どちらがより父親に好かれるか、じゃ!」

「えええ?」

「妾はヨバイとやらで白狐の気を引くのじゃ。邪魔するでない」

「だだだ、駄目ですってばー!」

 マツリは狐姫の着物の裾を掴んで絶叫した。

(コッコさん助けて!戻ってきてー!)

 本殿まで届く女子の声に、狐さまは嘆息した。

「仲がいいな」

「うー?」

「赤は、私よりも、女子と同じ部屋が良かったか?」

「あう」

 にこ、と笑った赤ん坊に、神さまは一人で傷ついた。

―――――

 一匹の白い狐が、焼け野原で佇んでいた。

 一匹の黒い狐が、鎖にかかり倒れていた。

 一匹の金色の狐は、社の内で死んでいた。

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