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狐に嫁入り  作者: すい
狐姫と恋いくさ
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恋文

狐の命は短い。

 産まれてより幾年、野鼠を食べたり野兎を食べたり、必死に生きる。ただ子孫を残して死にゆくのみのその存在に、意味はない。思考することと言えば生きること。それ以外は何も無い。

 何も無い存在の中に生まれた一粒の有形のものは、狐を幸福にしたのか、それとも不幸にしたのか。

「おやまぁ、なんと美しい」

 その言葉に込められた大きな意味に、猟師は気付いていない。

「なんてこった。わしゃぁ、神さまを殺してもうた」

 その言葉が狐を縛りつけたことに、猟師は気付いていない。

 己が三匹の狐の運命を変えたことに、猟師は一生気付くことはない。


 三匹の狐の中に芽生えたそれぞれの感情は、誇るべきものか、蔑むべきものか。



 狐さまの神社でマツリが生活を始めてから、半月が過ぎたころ。拝殿の黒狐の像の頭の上で、赤と共に寛ぎつつ、マツリが雑草を抜いているのを見ていた狐さまのもとを、三日ほど姿を見せなかった黒狐がひょっこりと訪れた。

 狐さまはその姿を見るなり、像を蹴って地面に降り立った。肩に掛けられた薄紫色の布が、その拍子にふわりと揺れた。

「黒……またお前に会えるのは四月後かと思っていたぞ」

「無表情で皮肉を言うな。わざわざ俺様の気配を察して、その像の上に乗って待っていやがったな。俺様はお仕事だったの!」

 咥えていた巻物を放り投げるようにして狐さまに渡した黒狐は、ふんと鼻を鳴らして明後日の方角を見た。狐さまの腕の中にいた赤が、興味津津といった様子で巻物に手をかける。

「あーぁ!」

「赤さま、狐さまの邪魔をしちゃいけません」

 マツリはひょい、と狐さまの腕から赤を取り上げた。不満そうな顔をしたのは、赤ではなく狐さまだった。

「私は赤を邪魔だと思ったことは一度も無い」

「え……あ、すみません」

「わかったならいい」

 素直にマツリが謝ると、狐さまは巻物に視線を移した。マツリはなんとなく納得がいかなくて、黒狐に目で訴えたが、華麗に無視された。

「読んだらすぐに返事を書けよ。狐姫からの愛の書状だ」

 さ、と狐さまの顔色が変わった。聞き覚えのある名前に、マツリは思わず口を出した。

「狐姫って、清廉神社の神さまですか?」

 清廉神社はマツリが育った村の南の山の中腹にある。おばけ神社と呼ばれる狐さまの神社など比べ物にならないほど大きく、また、村人の強い信仰を集める神社である。

 清廉神社の神さまは黄金色の毛並みの雌の狐である。昔々、猟師が鉄砲で撃った大狐が黄金色の毛並みを持ち、大層美しかったことから、これは神さまに違いないと祭り上げられたという。

 黄金色は稲の色に通じ、村人は昔からこの神社の神さまを豊作の神として敬い、畏怖した。それが狐姫と呼ばれる由縁である。

 南の狐姫、北のおばけ狐さま。村人の間では、二つの神社の神さまはそう並びたてられている。

「そうだよ。狐姫は昔から白いのにお熱なのさ」

「黒」

 狐さまの声には叱責の色が混じっていたが、それは幾分迫力に欠けていた。狐さまは巻物を手にしたままそれを開かず、硬直している。

「あの、読まないんですか?」

「だぁ!」

 赤が手を伸ばして、狐さまの手の中の巻物を取ろうとした。狐さまは慌てた様子で身を引き、赤から巻物を遠ざけた。

「赤、これは危険物だ。無闇に手を伸ばすな」

「あうう!」

「あーあ。狐姫に言ってやろ。愛の書状を危険物扱いだってな」

 不服そうにばたばたと暴れる赤と、けけ、と笑って呟いた黒狐に、狐さまは意を決したように巻物の紐を解いた。マツリは何故そんなに緊張する必要があるのか分からず、書状を読む狐さまの顔色を窺っていた。

 狐さまの目が文字を追うのと同時に、段々とその顔色が悪くなっていく。その青さに、さすがに心配になったのか、黒狐が狐さまの肩に軽やかに上って、書状を読み上げた。

「なんだってんだよ、何が書いてあんだ?――なになに、『白狐の方へ、いかがお過ごしでしょうか……』」



 そなたの顔を見なくなって、早五十年が過ぎました。そろそろ妾を哀れと思うて、一度顔を見せに来てはくれませんか。あの事もあり、無理は承知の上です。全て分かっていながらこの書状をしたため、そなたの気持ちを確かめる妾をお許しください。

 妾は昔から変わらず、そなたを愛しております。

 風に乗っているのを漏れ聞き、そなたの噂は存じておりますが、それでも妾は五十年待ちました。今更諦めることはできません。

 正直に申しましょう。

 妾を五十年も待たせながら、人間の女子と契りを結び、子まで儲けるとはどうしたことじゃ。こうしてはおれぬ。今すぐ妾はそなたのもとへ行く。申し開きに納得できぬ場合、妾の神の力でそなたのぼろ社なぞ木っ端微塵にしてやるから、覚悟するのじゃな。

 狐姫の真髄、しかとその目に焼き付けぃ。



「『……日照る所よりかしこ。狐金』――これはまた、狐姫らしい脅迫文だな。書いているうちに怒りが抑えきれなくなったらしいぜ?」

 愉快そうに笑う黒狐とは対照的に、狐さまは頭を抱えていた。

 マツリは何とも言えなかった。ちらりと見た書状の字は、最初は美しく整えられていたが、最後の方は怒りにまかせて書いたのか、大きさがばらばらで、墨の跡が点々と散らばっている。

 まるで血文字のような有様に、マツリは久方ぶりに臆病風に吹かれた。

「あの。狐姫が、いらっしゃるのですか」

 マツリが怯えながら問うと、抱えた頭はそのままに、狐さまは溜息をついた。

「今回は無言実行でなかっただけましか……」

「五十年前は何も言わずに乗り込んできて言うだけ言って嵐のように帰っていったからなぁ。しかも、一体何に怒っていたのか、最後まで分からずじまい。残ったのは黒こげの白いのと瓦礫の山――再び神社として形を為すことができたのがその三年後だ」

 黒狐は己の桃色の肉球をすり合わせて項垂れた。

「肉球がボロボロになるまで働いたのに、白いのは何の役にも立たない癖に鳥居の色が薄いだの本殿が狭いだの井戸はいつでも使えるようにしろだの文句ばっかり言いやがって、すごく家出したくなった」

 マツリが狐さまの顔色を窺おうとすると、狐さまは、さ、と目をそらした。

(コッコさんの放浪癖の原因を知った気がする……)

「マツリ、赤を連れて社務所に引っ込んでいろ」

「え?」

「すぐに狐姫が乗り込んでくる。赤を引き合わせるわけにはいかん」

 一瞬己のことを心配してくれたのかと期待したマツリだったが、いつものごとく狐さまの意識は赤に向いていた。マツリはそのことに内心悲しみを覚えつつ、社務所に引っ込もうと足を踏み出した。

「待てぃ」

 涼やかで耳に心地よい声だった。すっかり雑草が無くなって、拝殿から参道、石段までを見渡すことができるようになっていたのがあだになった。

 石段の頂きから、金色の何かがにょき、と生えた。それが人間の頭だと理解した次の瞬間には、美貌の女人の顔が姿を現す。豪奢な袿の襟ぐり、華麗な合わせ、扇を持つ繊細で白く美しい指先、地面すれすれを不思議な力で浮いている足元――女人が石段を上りきってようやく、マツリは己が彼女の存在に魅入り、硬直していたことに気づいた。

「き、狐姫」

 黒狐が呟くように悲鳴を上げて、狐さまの背後にまわった。

(狐姫――この方が。なんて美しいお方……)

 流れる金色の髪は簡素ながらも品よくまとめられ、同色の瞳は太陽のように眩しく感じられた。一目見て、人ならざるものとわかる、狐さまとは別種の、異常なまでの美しさだ。

 狐姫はつり目がちの瞳を細めてマツリをちらと見た後、狐さまの青白い顔を眺めた。

「ご機嫌麗しゅう――とは言いがたそうじゃの。白狐」


「五十年ぶりだな。狐姫」

 その言葉のどこに狐姫の逆鱗に触れるものがあったのか。狐姫はつり目を一層吊り上げて、威嚇するように声を上げた。

「文を見たな、白狐!さぁ、申し開きをせぃ!」

「私はお前に申し開きをしなければならないことなどしていない」

「しておるではないか!この娘とやや子を作ったのじゃろう」

 言われて、マツリは頬を朱に染めた。赤はそんなマツリの顔を不思議そうに見ている。

「妾というものがありながら、浮気者!」

 マツリは自分が怒られているような気分になり、萎縮した。そんなマツリに、狐姫は歩み寄った。

「そなた、名はなんという」

「ま、マツリです」

「マツリ。正直に答えよ。どちらが先に言い寄った?」

「へ?」

「いい加減にしろ、狐姫」

 狐さまがマツリを庇うように二人の間に立った。

「マツリは私が望んでここに来たのだ。マツリに罪はない。無論、私にもない。私とお前は番いではないのだからな」

「!」

 狐姫は衝撃を受けたように目を見開いた。あちゃぁ、と黒狐が肉球で顔を覆った。

「わ、妾は、五十年も待ったのじゃぞ?」

 震える声が痛々しくて、マツリはおろおろと狐さまと狐姫を交互に見やった。

「そ、そなたが、あの者を忘れるまで、ずっと、ずっと、待っていたのに……」

 じわ、と金色の瞳に涙が浮かぶ。「白狐のばか!」

 狐姫はそう言い捨てて、泣きながら踵を返した。石段を駆け下りていく姿を、マツリは思わず追いかけた。

「マツリ?」

 赤を置いていけ、という声が聞こえたが、当然無視した。


 石段の一番下で、狐姫は顔を覆って泣いていた。マツリはその背になんと声をかけるべきか迷って立ち止まる。

「あう!」

 びく、と狐姫の肩が揺れた。赤は美人に振り向いて欲しいとでも思っているのか、さかんに手を広げて狐姫を求めた。

「……赤」

 振り向いた狐姫は、赤をじっくりと見るなり、そう呟いた。マツリが何かを言う前に、狐姫は袖で涙をぬぐった。

「この子は、そなたの子では、ないのか?」

 マツリは先ほどと同じく頬を朱に染め、ぶんぶんと首を横に振った。狐姫はそうか、と言い、しばし沈黙した。

「………。……あの」

「決めた」

「はい?」

「妾はこの子の母になるぞ。白狐の番いになれぬのなら、この子の母になればよいのじゃ」

「え、え?」

「この子の父が白狐なら、この子の母は妾じゃ。そうすれば番いも同然じゃろう」

 良い考えだとは思わぬか?と問われて、マツリは戸惑って視線を泳がせた。

(こ、根本的に、おかしい……)

 だが、マツリにはそれを言う勇気はなかった。





―――――





 こん、と言ってはこんと鳴き。

 こん、と鳴いてはこんと泣き。

 こん、と泣いてはこんと言う。

 それが日常、それが摂理、それが幸福。

 奪ったのは――

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