狐に嫁入り
祝言当日。
家から焼け出されたマツリとその家族は、新しい家ができるまで、近所の火事の被害にあわなかった家に居候をしていた。
二人の巫女狐が狐姫の屋敷から見事な薄紅色の花嫁衣装を持って来て、マツリに着付けていく。マツリは想像以上に美しい衣装に緊張して、巫女狐にされるがままになっていた。
「いいねぇ、マツリちゃん。あんなに綺麗な神さまに嫁げるなんて、夢のようじゃないか」
家の持ち主の奥さんが、火事の際にマツリを終始心配して様子を見ていた狐さまの姿を思い出して、頬を染めた。
「アタシももっと若ければねぇ……」
「何を言うんだい。あんたなんかが相手にされるもんか」
マツリ達と同じく、焼け出されて厄介になっている別の奥さんが言った。
狐さまはマツリを助け出した後、雨によって火が消された家々の中を一軒一軒訪ね、逃げ遅れたものを助け出していった。助けられた村人は、狐さまに感謝し、たまに神社にまで赴き、供え物をするようになったという。
昨日、それを伝えに来た狐さまの、無表情の中の喜びを思い出して、マツリはふふ、と笑った。
神さまとは名ばかりの、お化け神社と呼ばれていた狐の神社が、少しずつ変わっていく。それを感じて、マツリは嬉しさと共に、少しだけ寂しさも感じた。
「うちの娘なんか、マツリちゃんがいなかったらお嫁に行きたかったとか言いだしてね」
奥さんが何気なく言った一言に、マツリは頬を引きつらせる。
「狐さまは気難しい人ですから」
わざとそう言って、牽制するのはもう何度目か。美形で、無表情だが性根の優しい狐さまに気付いた村娘が、口々にマツリを羨ましがって絶えない。
「マツリちゃん、狐さまが来たよ!」
件の娘が、マツリを迎えに来た。マツリが慣れない着物によろけながら戸口に向かうと、何故だか、伯母さんと伯父さん、テツが、狐姫と少年の姿の茶狸を連れだって訪れた狐さまを囲んでなにやらもめていた。
「コガネちゃん、サリくん」
「おお、マツリ!似合っておるぞ!」
「うん、狐姫ちゃんよりは劣るけど!」
マツリは茶狸の頭を黙って軽く殴ってやった。
マツリの来ている着物は、薄紅色の生地に白い桜が刺繍され、金糸で飾られた豪華なものだった。髪を結いあげられ、いつもはほとんどしない化粧をしっかりと施されたものの、マツリは己がこのような美しい着物に相応しくない外見であると自覚していたために、茶狸の言葉には軽く傷ついた。
「そりゃぁコガネちゃんのほうが似合うだろうけど、そんなにはっきり言わなくたって!」
「ごめんごめん。とぉっても綺麗だよ!」
茶狸の笑顔は正直だったが、全く説得力がなかった。
「………。サリくん、身体はもういいの?」
「うん。それよりも、白い狐さんを助けてあげてよ」
マツリは茶狸の困ったような目を受けて、狐さまを見た。
「――その、」
「なんだい?さっきからうじうじと面倒臭い男だね!はっきり言いなって!」
「そうだよ!おとこらしくないぞ。おとこならもっとびしっとしろってんだ!」
「だから、」
「テツ、あんた、いいこと言うじゃないか!それでこそあたしの息子だよ。ほら、何とか言ったらどうなんだい!」
「マ、」
「じこしゅちょうってだいじなんだぞ!」
「ああもう、こんな男にマツリをやって大丈夫なのかねぇ!」
「その、」
「二人とも、静かにしないと言えるものも言えないじゃないか」
「………」
狐さまは三人に囲まれ、困り果てていた。
「ああして、一向に話が進まないのじゃ」
狐姫が言って、頭を抑えた。隣の茶狸も小首を傾げている。マツリは履き慣れない草履を引きずるようにして歩き、四人に近づいて行った。初めに気付いたのは、こちらに顔を向けていた狐さまだった。
狐さまはマツリの姿を見るなり、目を僅かに見開いた。
「マツ、」
「あっ、マツリ、そのきものどうしたんだ!」
狐さまの言葉を遮って、テツが振り向いて叫んだ。
「コガネちゃんに見繕ってもらったの。綺麗でしょ?」
「き、きつねひめがっ?すっごくきれいだ!もちろん、マツリもいつもよりもかわいい!」
「ありがとう」
「さすがきつねひめだ!」
きらきらと目を輝かせて、テツは狐姫に駆け寄っていった。マツリは微笑ましくその背を見守った。腕を広げて待つ狐姫の腕に飛び込もうとしたテツだったが、茶狸がその頭を掴んで止める。
「なにすんだよ!」
「サリ、邪魔するでない」
「あは、あはは」
茶狸はにこにこと笑って、テツと狐姫を引きはがした。
マツリはその様子を苦笑しながら見ていたが、白い手がマツリの手に伸び、掴んできたため、そちらに意識を向けた。
狐さまはマツリの手を掴んで、伯母さんと伯父さんに真摯に向き合った。
「マツリを嫁にください」
すぱん、と狐さまの台詞が飛んだようだった。唐突な懇願に、伯母さんは戸惑って、いつもの剣幕を失くして口ごもった。
「どうぞ」
間髪いれず、伯父さんが和やかに微笑んで答えた。あっさりと帰ってきた答えに、狐さまは満足げに頷いた。
マツリはというと、伯母さん同様に言葉を失くし、あわあわと狐さまを見上げた。狐さまはそんなマツリを見下ろして、言った。
「やっと許しが出た。お前は正式に、私の花嫁だ」
マツリは鯉のように口を開けたまま、顔を真っ赤にした。
(なんて恥ずかしい人……!)
失礼ながら、マツリはそう思った。一部始終を見ていた狐姫や茶狸、伯母さん一家に、居候先の奥さんやその家族は、にやにやと含み笑いを浮かべる。
「見せつけてくれるじゃないか」
筆頭の伯母さんが、そう言って、顔を茹で蛸のようにしているマツリを笑った。
「これからも幸せにやんな。いつでも帰ってきていいからね。――あんたも」
「?」
狐さまに向かって、伯母さんは一層優しく微笑んだ。
「これからはあんたもあたしらの家族だ。いつでも帰っておいで。赤ん坊もつれてさ」
まだ紹介してもらってないからね、と言った伯母さんに、狐さまは瞬いた。
「――家族?」
マツリは、きょとんとしている狐さまの手を握り返した。
「はい。家族ですよ、皆」
狐さまは意味を理解して、目を笑みの形に細めた。
祝言の口上を終え、後は夫婦二人で家に帰るのみとなった。
神社へと帰る道すがら、提案された牛車を断り、ゆったりと歩く狐さまとマツリは、何を話すでもなく、心地よい沈黙を楽しんでいた。
「今日のお前は綺麗だ」
「!」
ぼそり、と狐さまが囁いた。マツリは頬を染めて、握られた手の温もりを感じる。
「狐さまは、どんな格好をしていてもお綺麗です」
ふ、と狐さまは笑った。いつも通りの白い着物を着た狐さまは、やはり、いつも通りに美しかった。
「……」
「……」
二人は穏やかな時間を、互いの手の温もりを感じるためだけに費やした。
やがて鳥居が見え、狐さまが立ち止まる。
「狐さま?」
「大事なことを忘れていた」
鳥居まであと一歩といったところで立ち止まった狐さまを、マツリは不思議に思って見上げた。
狐さまはマツリのもう片方の手をとって、向き直った。
「私はお前のことが大切だ」
「!」
「私の花嫁になってくれないか」
マツリは狐さまの顔を凝視した。マツリが答えないのを見て、狐さまの顔が徐々に薄紅色に染まっていく。まるでマツリの衣装のように、美しい。
「早く返事をしろ」
「あ、はい」
「それは返事か?」
狐さまが頬を染めたまま、胡乱な眼を向けた。マツリは焦って、俯きかけていた顔を上げる。
「はい。あたし、貴方の花嫁になります。なりたいです」
狐さまは微笑んだ。頬を薄紅色に染めたその顔は、未だかつて見たことがないほどに美しく――なんだか可愛らしい。
二人は照れ合いながら見つめあった。
「そんなところでいちゃつくな!」
二人の邪魔をしたのは、いつも通り、狐の姿の黒狐であった。
「黒狐……」
狐さまが低く、不満の声を上げた。
鳥居の下で二人を見ていた黒狐は、お座りの形で下ろしていた腰を上げて、ふんふんと怒る。
「早く入れ、馬鹿ども!狐金と茶狸が御馳走こさえて待ってるんだからな!」
「だぅ!」
「赤さま!」
赤は襷に支えられて、黒狐の背に負われていた。マツリが狐さまから離れ、黒狐の前にしゃがみ込むと、赤は久方ぶりの母親との再会に興奮して手足をばたつかせた。
「だぁ!だぁ!」
「あ、こら!俺様の毛を毟るな、禿げるだろうが!」
文句を言いつつも、黒狐は本気で怒っていない。マツリが笑うと、黒狐はむす、と黙った。
「コッコさん?」
「……」
ふん、と鼻先を背けて、ちらりと青い目だけでマツリを見る。
「悪かったな」
「え、」
「五月蠅ぇ、早く上って来い、いちゃつき夫婦!」
「だー!」
照れ隠しなのか、黒狐は脱兎の勢いで石段を上っていった。その勢いが楽しいらしく、背中の赤が嬉しげに笑う。
「本当に、騒がしい」
狐さまが呟いた。マツリは、社務所で待っているであろう御馳走と、狐姫、茶狸、黒狐や赤を思い浮かべた。
「楽しくて、いいじゃないですか」
それはマツリの本心だった。
「こうして邪魔されてもか?」
狐さまは少し不満げだ。
「はい。こういう生活が、幸せなんです」
狐さまは黙って、マツリの手を引いた。
鳥居をくぐる。
それは二人の幸せの日々の、本当の始まりであった。
完