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狐に嫁入り  作者: すい
お守り狐太刀
17/20

あすら狐

鏡よ鏡。

 僕の願い事を聞いておくれ。

 僕の罪を雨で洗い流しておくれ。

 鏡よ鏡。

 僕は彼女に謝りたい。

  


 月がとても、とても細い夜。

 北山の外れで、黒狐は一人、鯉口を切る。影のように揺らめくものへ無言で斬りつけ、背後から迫ったものには黒い炎を放って焼き払う。空へ逃げたものには手下の鴉をけしかけて、それらを人里へ――狐の神社と清廉神社へ入らせぬように、痛めつける。

 斬りつけたものから飛び散る液体を浴びて、黒狐の髪と着物は赤く濡れていた。

 全て倒すと、さぁ次だと言わんばかりに、退魔刀が震えた。

 黒狐は踵を返し、退魔刀の反応を頼りに夜闇にまぎれる妖怪の居場所を探す。

 血に飢えた幽鬼のような風態の己を自覚し、黒狐は自嘲した。

(いつまでこうしていなければならない)

 刀が震えるたびに駆けまわる日々は、黒狐が望んだものではない。

(カグヤ)

 黒狐は一人の巫女によって、呪われているのだ。


 白狐が眠りについてから、黒狐はどうにか彼を起こそうと、封じの勾玉を持ち出そうとしたり、社の管理で忙しいカグヤの隙をついて殺してしまおうと襲ったりもした。しかし、そのたび諭され、時には退魔刀の力で抑えつけられ、何もできないまま数十年の月日を過ごした。

 黒狐は、はじめはただの狐だった。しかし、月日が経つにつれ、白狐の妖気とカグヤの神気を浴び続けた彼は、妖怪と神の中間の、なんとも中途半端な存在となった。完全な妖怪ではないから、人を化かすための変化の力が弱く、完全な神ではないから、妖怪を滅ぼすための力も弱い。いつ、消えゆくかもわからぬ霞のような存在。

 けれども、黒狐は己の存在に満足していた。ただの狐で終わるはずが、生きながらえて白狐の傍近くに存在できている、その事実だけで十分だった。

 ただ、できるなら、白狐が目を覚ますその時まで、存在し続けていたかった。

「黒狐さん」

 できるなら、できるなら――

「共に生き、共に逝きましょう。黒狐さん」

 カグヤはそう言って、優しく黒狐の毛皮を撫でた。黒狐は目を細めて、頭をその手のひらに擦りつける。出会ったころよりも痩せて、荒れた手は、黒狐の耳の裏を掻いた。

 彼女は神主として神社のためによく働いていた。けれども、白狐の罪は重く、いくら頑張ろうとも、多くの村人は神社に近寄ろうともしなかった。

 理不尽なことだと、黒狐は思う。誰のせいで白狐が妖怪になったと思っているのだ。

 黒狐が言うと、カグヤは困ったように眉を下げた。この話題になると、彼女はいつもこんな顔をする。

「仕方がありません。人は、弱いのです」

 そう言って、白狐のもとへ足を運ぶ。

 毎日、毎日。

「今日は、村の女の子から、花をもらったんです。白狐さま」

「今日は、いつもより肌寒いですね。白狐さま」

「――今日は、月がとっても綺麗ですよ……白狐さま」

 満月の夜、そして新月の夜、カグヤは必ず白狐のもとを訪れて、声を殺して泣いていた。日ごろ気丈にふるまっている分、その夜だけは気が緩むのだろうと、黒狐は思っていた。

「ごめんなさい。ごめんなさい、白狐さま」

 黒狐はそんな日はいつも、彼女の傍にすり寄って、甘えてやった。女はこうすると喜ぶ。カグヤもその例に漏れず、優しく笑って黒狐を抱き上げた。

 彼女の前で人間の姿に変化したことはなかった。その必要がなかったからだ。だから一度も、黒狐は泣いている彼女の頭を撫でたことも、肩を抱いたことも、抱きしめてやることもなかった。

 それでもカグヤは嬉しそうに、黒狐の背を撫でて、ありがとう、と言った。

 そのたび、黒狐は背筋がむずがゆくなるような、妙な感覚がしたものだ。

 いつものように、黒狐は狐の姿で、大樹の根元で眠る白狐の傍で丸くなっていた。

 白狐は日々、輝きを増していた。カグヤの贈る祈りと神気が、白狐の存在を妖怪から神聖な何かへと変えていくのを、黒狐は一番近くで感じていた。

 最近は、瞼を震わせて、何か寝言を言うようにもなっていた。黒狐はそれを聞き逃さないように、常に彼の傍に陣取っていた。

 白狐の覚醒の予感に反比例するように、カグヤの気配がだんだんと薄れてきた。

 黒狐は気まぐれに、カグヤの様子を見に行った。カグヤは社務所の奥の間で、布団の上に横になっていた。

「黒狐さん」

 黒狐の姿を見て、カグヤは嬉しそうに笑った。年老いてもなお美しさを失わない笑顔を受けて、黒狐は居心地の悪さを感じる。

「呼びに行こうと、思っていたのです」

 手を伸ばして、カグヤは枕元に置いてあった、朱色の鞘に収まった刀を手にした。退魔刀だ。

「これを、貴方に差し上げます」

 黒狐は受け取らなかった。

「――わたくしの気がかりを、聞いていただけませんか」

 黒狐の様子を見て、カグヤは何年も一人で胸に仕舞っていたことを、黒狐に打ち明けた。

「この地は昔――狐姫が神になるまで、都に巣食う大狸の子によって支配されていました。『狐狩り』はその狸の子の一声によって行われたこと――わたくしがこの地に来たのは、その妖怪の様子を都へ報告し、あわよくば退治するためです。加えて、都からこの地を奪い返そうとやってくる大狸の手下の妖怪を退魔刀で払うため……」

 カグヤは再び、退魔刀を黒狐に差し出した。

「わたくしはもう、お役目を果たすことはできない……。お願いします。わたくしの代わりに、都からやってくる妖怪を払ってください」

 なんで己がと、黒狐は憤った。

 黒狐は知っていた。カグヤはもうすぐ死ぬ。だから、自身の役目を黒狐に押し付けて逝こうと言うのだ。

 逃げようとした黒狐の尾を掴んで、カグヤは無理矢理、刀を黒狐に押し付けた。刀は一瞬、銀色に輝いたかと思うと、黒狐の体に溶け込むように消えた。

 なんてことをするのだ、と黒狐は思って、文句を言おうとして口を開いた。しかし、言いたかった言葉はすぐにのみ込まれた。

 カグヤは微笑んで、皺だらけの手を黒狐に伸ばした。黒狐は初めて、その手を掴んだ。

「初めてですね。黒狐さんが変化するのを見るのは」

「馬鹿が……っ」

 黒狐はカグヤの白い頭をかき抱くように胸に納めた。

「一緒に逝くんじゃなかったのか……っ」

 絞り出すように言って、きつく、彼女の細い体を抱きしめた。初めて感じた温もりが冷めていく。腕からすり抜けていくように、カグヤの魂は逃げ出していった。

「ありがとう」

 彼女はそう言って、硬く目を閉じた。

「嘘つきだ。身勝手すぎる。人間は、お前は、いつも裏切る」

 冷たくなった彼女の体を、黒狐はしばらく抱きしめていた。腰のあたりの重みで、朱色の鞘に収まった刀が己のもとにあることを知った。

 それから数日後、白狐が目覚めた。


 今夜の狩りはこれでお終いだ。黒狐は血のついた刀を振って、液体を飛ばす。

 狐の姿になると、不思議と血の匂いは無くなり、次に変化するまでに着物も刀も新品のように綺麗になっている。

(今回は短く終わったな)

 二日あまり、妖怪の討伐にかかりきりで、狐の神社に帰っていない。それでも短いほうで、長くなると三月も四月も退魔刀が鳴り続けることがある。

 短い間――そのはずなのに、惚けた顔の相棒と、その花嫁、赤ん坊の顔が懐かしかった。

 社に戻ると、夜も深まっているというのに、狐さまが拝殿の前に立っていた。

 狐さまは黒狐が夜、妖怪を払って回っていることを知っている。そして、それが時に、長い期間が必要になることも。わかっていて、狐さまは黒狐を待っていた。

 狐さまは黒狐の姿を見て、瞳を揺らした。いつも狐さまは、黒狐を出迎えるたびにこのような顔をする。

 一度、危険なことをするなと諭されたことがあった。だが、しなければ退魔刀が黙っていないのだからしょうがない。

「二日ぶりだな」

 皮肉をこめて、狐さまが言った。その中に含まれる、また戻って来てくれて良かったという安堵を感じた黒狐は、憎まれ口を叩く。

「お前さんは俺様の奥さんか。二日くらいでぐだぐだ言うな」

 狐さまは黙った。

 狐さまは社から出られない。本殿に安置されている封じの勾玉が、狐さまを未だ、社に閉じ込めている。だから、どれだけ心配して様子を見に行こうとしても、出られないのだから待つしかない。

 黒狐はわかっていて、狐さまに残酷なことを言う。

「気に障るなら、神さまなんかやめちまえよ」

 狐さまは黒狐に歩み寄り、その体を抱き上げた。黒狐はもちろん暴れた。

「おい!勝手に俺様を持ち上げるな!」

「五月蠅い」

 狐さまは一言、そう言った。

 黒狐は諦めて、大人しく狐さまの腕に抱かれた。昔から狐さまは心配症なのだ。一番年長で、黒狐と狐姫を見守ってきた彼は、無言で彼らの勝手な行動を責める。

 心配したなら、心配したと言えばいい。皮肉と無言で責める彼の瞳が、黒狐は苦手だった。

(マツリと赤には素直な癖によ。――?)

 気配を感じて、黒狐は身を捩って狐さまの腕の中から抜け出した。不満げな彼の視線を無視して、石段の下から現れた人物を見る。

「巫女狐じゃねぇか。どうしたんだ、こんな夜中に」

「黒狐様、白狐様。大変でございます」

 女房装束の女が、息を切らして現れた。彼女は黒狐と狐さまの前に跪き、書状を差し出した。

「狐姫様から、おふた方への書状でございます。詳細はこちらに書かれてあるはずですが、まずは私から手短にお伝えします」

「なんだ」

 狐さまが促すと、巫女狐は口をわなわなと震わせてから、言った。

「千里鏡が……清廉神社の御神体が、盗まれました」

 は、と目を見開く狐さまの横で、黒狐は冷静だった。

 ついに来たか、と思った。思い浮かぶのは気にくわない笑顔を浮かべる狸の姿。

「同じく三つの神具のうちである封じの勾玉、退魔刀も狙われるかもしれません。どうぞ御用心くださいませ」

「狐姫はどうしている」

「姫様は……とても気落ちしていらっしゃいます。姫様のお力の大半は、千里鏡によるものでしたので……」

 狐さまは考え込むように俯いた。黒狐はそれを見上げて首を傾げる。

「お前さんにできることなんてないぞ」

 意地悪く言うが、白狐は少しも堪えない。

「黒、しばらく社から出るな」

「嫌だね」

 つん、と鼻先を背ける。狐さまは屈んで、ぐいとそれを摘みあげた。

「ふんふんふう!」

「退魔刀が狙われるなら、お前も狙われるだろう」

 首を振り、前足で払おうとするも、狐さまは容赦なく黒狐の鼻を摘みあげたまま、目を据わらせた。

「出るな。いいな」

「ふんふ!」

 黒狐はやっとのことで狐さまの魔の手から逃げ出した。

「虐待だ!」

「心配しているのだ」

「!」

 立ち上がりながら発した狐さまの思いがけない一言に、黒狐は固まる。ふふ、と一部始終を見ていた巫女狐が笑った。

「でも、ようございましたわ。今、マツリ様は村にお戻りですし、危険なこともないでしょう」

 黒狐は巫女狐を見上げた。

「マツリ?あいつ、村に戻ってるのか?」

 巫女狐は頬を染めて、先程の狐さまのように黒狐の前に屈んで視線を合わせた。

「ええ。慣例では一晩ですが、マツリ様は昨日から七日間の里帰りに出られてますの」

「――安全だな」

(この平和ボケども……)

 巫女狐に首元を撫でまわされ、狐さまに冷たい視線を浴びせかけられながら、黒狐は呆れた。

 相手が何者かもわからないのに、根拠もなく安全だとは言えない。マツリを攫い、人質にして封じの勾玉を要求してくる卑劣な輩だったらどうするのだ。

(俺様も狸もそんなことはしないけどな)

 する必要もない。

 黒狐は人間の姿に変化して、巫女狐の肩を抱いた。

「黒狐様……」

「おい。私の目の前でにゃんにゃんするな。しかもこんな時に」

 狐さまの口端が引きつった。

「見たくないなら赤の様子でも見に行けよ。俺様は女とにゃんにゃんしたい気分なの」

「……」

 黒狐は狐さまの視線を無視した。

―――――

 もうすぐだ。

 もうすぐ願いが叶う。

 それなのに。

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