わるいこをやっつけましょう
赤は男の片腕に抱かれながら、狐姫の鎮守の森を訪れていた。
男はもう片方の腕を着物の中に入れ、手のひらに収まる大きさの笛をとりだした。
「だう?」
「まぁ見てろって」
男は笛を口元に持っていくと、唇が触れるか触れないかのところで息を吹き込んだ。唇と笛で奏でる振動が森に響き渡ると、ばさばさと何かがはためく音がした。
「だー!」
空が黒く染まった。無数の鴉が集まり、木々に留っていく。男は満足そうに頷いて、赤に彼らを紹介した。
「会ったことあるか?こいつらはこの辺一帯に住みついている、八咫鴉の子どもたちだ。ほら、よく見ると足が三本あるだろ」
「あうあう」
「今は黒狐の支配下にあるんだが……笛があってよかった」
男は言って、鴉たちを仰ぎ見た。
「退魔刀が反応してるんだ。反応源を調べてくれないか」
鴉は数羽を残して飛び立った。黒い羽根が赤の頭の上に落ち、男はそれを指でつまんで取り除く。
「いつも黒狐にくっついてる羽毛が親鳥で、一番賢くて力が強いんだ。俺はまだ、そいつらを使役することはできないから、こうしてあいつから貰った笛を吹いて子どもたちに頼るしかない」
男は眉を下げた。
「あんたに言っても分からねぇか」
「あう!」
馬鹿にするなと言ったつもりだったが、男は違う意味でとったようだった。
「そうだよな。赤子だもんな、あんた」
「ぶー」
一羽の鴉が降りてきた。男が差し出した腕に留ると、カァと一声鳴く。
「見つけたみたいだ。行こう」
鎮守の森から繋がる山道を行くと、丁度村の西側で子どもが何かをわめいている声が聞こえた。赤と男は目を見合わせて先を急ぐ。
草をかき分けて獣道に入ると、男の腹に体当たりしてきたものがあった。
「お、と」
「!」
男の腹にぶつかって尻もちをついた子どもは、男の顔を見て警戒して逃げ出そうとしたが、赤の姿を見つけて表情を緩めた。
「あーうー」
「に、にんげん、なんだな?」
年端もいかない子どもにしてはしっかりとした口をきく。男はしゃがんで子どもと同じ目線になり、笑ってやった。赤も笑って、子どもの警戒心を解く手伝いをした。
「小さいなりのくせに山の中で何してんだ?親御さんは?」
「おいら、ゆーかいされたんだ」
「にんげんじゃないものにか?」
子どもは頷いた。男は赤を抱く腕とは違う腕で子どもを抱き上げた。
「はじめはサリだったんだ。マツリにあわせてやるって。でも、やまにはいったらサリがいなくなった」
子どもが付け足してそう言ったので、男は瞠目した。
「お前、テツか!」
「?――うん。あんた、サリにいわれておいらをさがしにきたんじゃないのか?」
男は答えず、空を仰いだ。
「大鴉!」
一声かけると、先程までのものとは違う、巨大な鴉が降りてきた。
「こいつらを頼む。村まで……いや、狐姫の屋敷まで送ってくれ」
「だぁ!」
ひときわ大きな鴉の背に乗せられて、赤は抗議の声を上げた。男は苦笑して、赤の頭を撫でる。
「ついて来てくれてありがとな。心強かったぜ」
「あーう!ああ!うー!」
初めからこうするつもりだったのだ。男は鴉に指示を出して、赤と子どもに背を向けた。
周囲の空気が合わる。
木々の隙間に、ぎらぎらと獰猛に光る目が現れた。その数は数え切れないほどに多い。囲まれたまま男は朱色の鞘から銀色に輝く刃を抜いた。
高下駄が男の足元にあった石を蹴って、高い音が響いた。
赤は飛び立った鴉の背から、異形のものと男が切り結ぶのを見下ろした。
「わわ、わわわ!」
子どもは赤を落とすまいとしっかりと捕まえて、巨大な鴉の背にしがみついた。赤は子どもに向かってだう、と声をかける。
「なんだよ、だめだ!ころされる」
「あーああ!」
赤は下を見下ろした。子どもも赤の視線の先を見やる。
「あれは……」
「だう!」
赤が鴉の羽根を力強く引っ張った。
男が刀で異形の者たちを切り伏せる。
(手応えがない)
男は目を細めて、切り伏せた者を見やる。地に倒れた者は僅かに震えた後、姿が霧散して、真っ二つになった広葉樹の葉だけが残った。
(やっぱり、狸か)
男はそれだけの情報で全てを把握した。襲いかかる異形のものを切り払いながら、周囲を注意深く見回す。異形のものを生み出している張本人が、己の様子を近くで見ているはずだった。
(この様子じゃ、俺がここに来たことにも関わってんな?)
男は嘆息して、最後の一人を切り伏せた。その時、頭上からけたたましい悲鳴が聞こえて、男は驚いて上を見上げた。
「わああぁぁぁぁ!」
「うおぉっ!」
落ちてきた人物を慌てて受け止めた男は、その人物が潜んでいたであろう枝の近くを飛んでいる大鴉に気付いた。
「うわ、嘘だろ……」
「離せー!わーん!」
「あんた、赤ん坊に負けたのか?」
男の腕の中で暴れていた人物が、き、と男の顔を睨みつけた。
「僕が赤ちゃんに負けるわけないでしょ!鴉に落とされたの!」
「だふっ」
鴉が降りて来て、赤が得意げに笑った。その後ろで、鴉に乗ったままテツががくがくと震えていた。
「あー、憎たらしい!」
「んで?テツまで使って俺を誘き出して、何の用だよ。ていうか、なんで俺とテツのことを知ってんだ」
「もー、憎たらしい!全部わかってる癖にさ!」
少年は頬を膨らませた。
「僕が呼び出したのは刀だけのはずだよ?なんで君までついてくるのさ」
「あー。なるほど。やっぱりお前の仕業か」
己をこの地に呼び出した張本人を目の前にして、男は拳を握った。
「痛ったい!暴力反対!」
殴られた頭を押さえて、少年は涙目で訴えたが、男は意に介していない。
「な、なぁ。サリ、どうしたの?」
鴉から降りて、テツが心配そうに少年に駆け寄り、その顔を見上げた。少年はテツを見下ろして、口を尖らせた。
「見てわからない?この悪い子に殴られたんだ」
「え、え、このひとわるいひとなのか!」
「茶狸。変なこと吹き込むな。退魔刀で切られないだけましと思え」
男はもう一度少年の頭を殴った。鴉の背に乗ったままの赤が嬉しそうに笑ったのを見て、少年が頬を引きつらせる。
「ほんと、僕のこと嫌いだよね……」
「こそこそするからだろ。あんた、当然俺をちゃんと元に戻してくれるんだよな」
少年はにっこりと笑って、首を傾げた。男は再び拳を握る。
「待って!戻すから!」
「そうか。早くしろ」
「だー?」
赤がぱちぱちと大きな目を瞬いて、男を見た。男は赤に目線を合わせて、微笑む。
「今を逃したらいつ帰してくれるかわからないからな。俺はここでさようならだ」
「う、うぇ……」
「泣くな。多分もう会えないと思うけど、俺たちは一つだからな」
男は泣き出しそうな赤を抱き上げた。赤は目尻に涙をためながら、手を伸ばした。
男はその手に逆らわなかった。男の頭を覆っていた頭巾が、赤の手で肩に落とされる。
「わー」
テツが感嘆の声を上げた。
互いの額がつきそうなくらい近くで、男と赤は見つめあった。同じ色合いの瞳が絡んで、同時に細められる。
「なぁ、なぁ。おやこか?」
「てっちゃん、黙ってて」
少年がテツの口を手のひらで覆った。
男が赤に語りかける。
「あんた、結構物が分かってるみたいだから、言っておくな」
赤は男の瞳をじっと見返した。
「この先、何があっても、あんたは狐さんの子どもだ。なんにも、思い悩むことなんてない。迷わなければ、幸せはずっと、ずっと続くから。――実際、俺は今でも幸せだから」
男は顔を歪めた。
「狐さんと、あんたを護ってくれる人たちを、何があっても信じてやれよ?」
「だぁっ!」
「あと、寂しがり屋だからな。こまめに帰ってやれ。わかったな?」
「だふっ!」
赤は微笑んだ。男もつられて微笑む。
(どこまでわかってるんだか――)
男は赤を抱いて、後ろを振り向いた。
「あんたも」
木に背を預けるようにして、人間の姿の黒狐が腕を組んで佇んでいた。
赤はその姿に気付いて、喜んで手を伸ばす。男は無表情の黒狐の腕に赤を押し付ける。黒狐は表情を変えないまま、腕を解いて赤を受け取った。
「もう少し、狐さんを信じてやってもいいんじゃないか?あの人はもう、そう簡単には変わらない」
「人間の言葉なんて信じられるか」
黒狐の言葉には怒りも絶望もない。ただそれが、当然のように思っている。
「カグヤさんは、あんたに何をしたんだ?」
「……」
黒狐は答えない。赤が無邪気に黒狐の長い髪をつかんで引っ張るが、それでも無表情を崩さない。
「狐さんでも、そんな顔しないぞ」
ふん、と黒狐は鼻を鳴らした。頑ななその態度に、男は苦笑した。
「黒狐が禿げないようにちゃんと見てやれよ?」
赤に言うと、黒狐の表情がわずかに崩れた。それに満足して、少年に視線を送る。
「じゃあな。姫さんにお世話になったって言っといてくれよ」
「あぅ!」
手を振って、男の姿はかき消えた。
「きえた!」
「てっちゃん、突然大きい声上げないで」
少年がテツに言うと同時に、黒狐が動いた。
「っ――」
「てめぇ、何考えてやがる」
木に押し付けられる形で胸ぐらを掴まれた少年は、あは、と笑う。
「だってさぁ。黒い狐さんがなかなか、協力してくれないから」
「だから刀だけ盗れないかと、次元を崩してまで?」
少年は頷いた。黒狐は溜息をつく。
「もうするな。お前さんを庇ってやるのは今回だけだ」
「じゃあ、協力してくれる?」
黒狐はしばし沈黙してから、重々しく頷いた。
「やったぁ!」
少年は無邪気に喜ぶ。テツが心配そうに、木に押さえつけられたままの少年を見上げた。
「なにわらってるの!いぬみみ、サリをはなせ!」
「これは犬耳じゃねぇ」
少年を離して、黒狐は再び溜息をついた。
「あう……」
赤も、黒狐と同じく、溜息をつきたいような気持ちになっていた。折角仲良くなったお友達がお家に帰ってしまったのだ。そして、もう会えない。
赤の顔を見て、黒狐は眉を上げる。
「なんて顔してんだ。二十年くらい経って、鏡を見りゃぁ会えるだろ」
そういう問題ではないのだと、黒狐に言う者はその場に居なかった。
―――――
落ちる感覚がして、男は身構える。
「ぐぇっ」
地に降り立つと、聞き覚えのある声が呻いた。人の上に降りてしまったらしい。地面に倒れている相手から男がすぐに足をどけると、相手は怒るよりも先に驚きに声を上げた。
「あ、お前、どこに行ってたんだ!」
「よぉ。テツ。老けたな」
「四日で老けるか!」
テツは大きな体を起こして、立ち上がる。
「しかも、こんな時に!」
見渡すと、異形の者が周りを取り囲んでいる。既視感に男は笑った。
「なぁに笑ってる!お前がいなくておれ達がどんだけ苦労したか!」
「俺じゃなくて退魔刀だろ?」
男はすらりと刀を抜いた。銀色に光る刃を構え、首を傾げる。
「他の奴らはどうした?」
「団員は皆お前の捜索だよ、馬鹿!」
あちゃあ、と男は頭を抱えた。その隙を突こうと、異形の者たちが襲いかかる。それを切り伏せると、今度はしっかりとした手ごたえがあった。
「お前ら、俺を誰だと思って襲って来やがる?」
「あ、おい、赤!」
異形の集団に突っ込んでいった男をテツが声だけで止めるが、闘争心に火がついた男の剣は止まらない。
あっという間に全ての異形の者を倒してしまうと、腰に手を当てて宣言した。
「傍で隠れてる奴らも聞きやがれ。俺は麓の村の自警団長、赫天狗だ。この退魔刀で切られたくなかったら、とっとと都に帰りやがれ!」
ばさばさ、と鴉が赫天狗の背に集まった。大きな黒い翼のようにも見えるそれと、赫天狗という名に相応しく、光り輝く真っ赤な髪。
「俺の目の黒いうちは、村に手出しはさせねぇぞ!」
胸を反らして啖呵を切る赫天狗に、テツは控えめに嘆息した。
「昔からお前は、見栄を張りすぎる……」
「るっせー」
少々頬を染めて、赫天狗は言い返したのだった。