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狐に嫁入り  作者: すい
狐っ子、世に憚る
13/20

げんきよくこんにちはをいいましょう

深夜。静寂に包まれる渡殿に似つかわしくない、大きなものが落ちる音と、同時に呻く声。

「ぐっはぁ!」

 胸から床に激突した男は、息をつめて咳をした。

「げっほ、テツてめぇ、思い切り投げやがって――」

 その場に居るはずの仲間を見るも、その場所には空虚ばかり。

 男は初めて、異常に気付いた。

 広い渡殿は見覚えがあるものの、何かが違う、と男は感じた。

(なんだ。どうなってんだ)

 空気がざわめいた。は、として腰に佩いた刀を抜き、襲ってきた刃を受け止める。

「!」

「お前……!」

 驚くように目を見張ったのは、両者同時だった。男は襲ってきた相手の顔を見て驚き、相手は男が抜いた刀を凝視する。

「お前、なんでそれを持ってる」

 相手の唸るような声に、男は頭が冷えていくのを感じた。急激に冷静になる。賢い男は、相手の問いには何も答えなかった。

 空虚だと思っていた暗闇に、次々と火が点っていく。狐火だ。

 狐火に照らされて、数人の女たちが、怯えた様子でこちらを見ているのが分かった。

「そなた、何者じゃ。なぜ妾の社に忍び込んだ」

 その中でもひときわ美しく、華美な着物を着た女が一人、物怖じせずに歩み出た。

 やはり、と男は確信する。

「忍び込んだわけじゃない。参拝しようと思って来たら、明かりがなくて迷ったんだ」

「こんな夜中にか。変な奴じゃの」

 女はあっさりと信じたが、襲ってきた男――頭に黒い三角形の塊をつけている――が、女をじろりと見やって言う。

「馬鹿。嘘に決まってる」

「なんでそう思う。あんただって参拝に来たんじゃないのか。ここは男子禁制だろう」

 男が言うと、襲ってきた男は顔を歪めた。女が、今初めて気付いたように、決まりの悪い顔をしている男に詰め寄った。

「そなた、また妾の大事な巫女狐を!」

「今はそんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!――お前さん、名前は?」

 男はなんだか物悲しくなりながら、名乗った。

「天狗」




 赤は今日もご機嫌だ。大好きな狐さまの腕に抱かれて、ゆらゆらと揺らされるのが大好きだ。

「あーう!」

「そうか」

 意味のない赤の一言にも丁寧に相槌を打ってくれる。赤はにこにこと笑った。

 本殿の階の上が、狐さまと赤の定位置だ。出会ったときは鬱蒼と生い茂っていた木々は、今では手入れされてぽかぽかとした陽光を逃がす。

 初夏の日差しは穏やかで、青空はいつもより澄んでいる。白い雲が流れて行くのを仰ぎ見ながら、平和な時間は過ぎて行く。

「狐さま、赤さま。昼餉の準備ができましたよ」

 社務所で昼餉を作っていたマツリが呼びに来ると、赤は嬉しくなって身を捩った。そんな赤の反応に、狐さまは何かもの言いたげだったが、す、と立ち上がって社務所へと歩いていく。

「だー」

 膳の前に座らされ、昼餉を頂いていると、社務所の戸が叩かれた。

「ごめんくださーい」

 狐さまとマツリは顔を見合わせる。聞こえた声は黒狐のものではなかった。

「誰かいませんかー?」

「はい、今参ります!」

 マツリが慌てて、膳に箸を置いて立ちあがった。狐さまが止めようとするが、マツリは気付かずに戸口まで走っていってしまった。

 ふぅ、と溜息をついて白飯を口に運んだ狐さまと赤の耳に、突然マツリの悲鳴が聞こえた。

「きゃぁ!」

 何事かと、狐さまは赤を抱いて立ちあがる。

 戸口まで出てみると、茶色い髪の少年が、赤の大好きなマツリに抱きついていた。

「マツリちゃーん!久しぶり!」

「サリくん!」

 顔見知りなのだろう。頬を赤らめながらも知人に会えて嬉しそうなマツリの顔を見て、赤は憤慨して狐さまに同意を求めるように仰ぎ見た。

「ひぅ!」

 とても恐ろしいものを見て、赤は目に涙をためた。

「す、すまない。赤」

 慌てて赤をあやす狐さまの顔に、先ほどの禍々しいものが消えたことを確認した赤は、ほ、と涙を止める。

「白い狐さん、こんにちは!」

 元気よく挨拶した少年は、マツリから体を離した。

「赤ちゃんもこんにちは!」

「……ぶふぅ」

 赤は少年の笑顔が気に入らない。むくれた様な顔をするが、少年は全く意に介していないようで、にこにこと笑いながら書状を狐さまに手渡した。

「狐姫ちゃんと黒い狐さんからの手紙を届けに来ました!」

 受け取った狐さまは、怪訝そうに少年を見やる。

「黒から?」

「読んだら全部わかると思いまーす」

 甘い声でそう言ってから、少年はマツリに顔を向けた。

「マツリちゃん、僕、マツリちゃんの作ったご飯食べたいな!」

 なんて図々しい。狐さまが頬を引きつらせたが、マツリは気付かずに少年に微笑みかけた。

「昼餉が余ってるから、食べていって」

「わーい!」

「駄目だよ、走ったら!」

「ごめんなさーい!」

 勝手知ったるなんとやらと言わんばかりに、少年は奥の間へ進んでいく。

 赤が狐さまの顔を見ると、狐さまは書状を握りしめたまま少年とその後をついていくマツリの背を見送っていた。赤からの視線に気付いて、ふ、と影のある笑みを浮かべる。

「いいさ。特に説明がなくとも」

「あうあう」

 赤が手を伸ばすと、狐さまはその紅葉のような手のひらを優しく握ってくれた。

「幼馴染ですよ」

「僕たち仲良しなんだ」

 膳へ戻ってから、結局耐えきれずに狐さまが関係を問うと、あっさりとした答えが返って来た。

「幼馴染……私と狐姫のようなものか」

 そわそわとしていた狐さまはあからさまにほっと息をつく。

「僕はマツリちゃんが大好きだけどね」

 空気が凍ったが、マツリはまたも気付かずに、少年へ椀に白飯を盛ってやっていた。

「うう!」

 赤は怒った。少年はマツリから椀を受け取って、つんつんと赤の頬をつつく。

「赤ちゃんは僕のことが嫌いなんだね」

「だふ」

「あはは!」

 やはり、意に介した様子はない。

「赤さまも人見知りをするんですね」

 マツリは見当違いのことを言っている。

「………」

 狐さまは黙して膳に向き合った。綺麗に食べ終えると、黙ったまま先程受け取った書状を開く。

 その間、マツリと少年は昼餉を食べつつ、久方ぶりの談笑を楽しんでいた。面白くない赤はむすくれて狐さまにすり寄る。狐さまは無表情だが目だけは優しく、赤の頭を撫でた。

「マツリ」

 狐さまは呼んで、狐姫からの書状を差し出した。

「え?」

「これはお前宛てだ」

 狐さまから書状を受け取ったマツリは、ちょうど食べ終った膳を片付けてから、それを丁寧に開いた。

「招待状……?」

「簡単に言うと、遊びにおいでってことらしいね」

 未だ食事をしている少年が付け足した。マツリの雰囲気が変わったのを感じて、赤は狐さまからマツリへと視線を移した。

「赤さまも一緒においでと書いてあります。赤さまも行きたいですか?」

 マツリは期待を込めた目で赤を見た。

「あうー!」

 赤はばたばたと両手を振って喜びを表した。

「そうですよね。コガネちゃんに会いたいですよね!」

 マツリは赤を抱いて微笑んだ。狐さまは微妙な顔をする。

「黒からの手紙を見るに、嫌な予感しかしないのだが……行きたいのなら行ってくるといい」

 え、とマツリは目を瞬いた。

「狐さまは行かないんですか?」

「無理だ」

 短くそう言った狐さまは、一瞬だけ目を伏せた。

「……」

「遠慮するな」

 狐さまは言って、少年に目を向けた。少年は頷く。

「僕が案内するよ。マツリちゃんは任せて!」

 狐さまは何かもの言いたげだったが、無表情のまま黙った。

「さて、早速準備だよ、マツリちゃん!今日はお泊りだ!」

「え、今から?ちょっとサリくん!」

 少年は食べきった膳をそのままに、マツリとその腕の中の赤を強引に部屋の奥へと連れて行ってしまった。


「それでは狐さま、行って参ります」

「ああ」

 石段を下り、鳥居の下まで見送りに来てくれた狐さまに、マツリは丁寧に挨拶する。

「だーあ!」

 赤は未だ、狐さまが一緒に来ないことに不満があったので、むすくれながら狐さまへ手を伸ばす。

「すまない」

 狐さまは無表情の中に少しの悲哀を滲ませて、赤の手をとった。そうしてすぐに離す。

「気をつけていっておいで」

 マツリは頷くと、鳥居の下から足を一歩踏み出した。

 生暖かいものが身体をすり抜けていったような気がして、赤はきょとんとする。

「うー?」

「え……?」

 マツリが振り向くと、鳥居の下にはすでに狐さまの姿はなかった。少年が呼びとめるのも聞かず、マツリは急いで再び鳥居の下をくぐる。

「どうした?」

 生暖かい感触の後、いつも通りの狐さまが小首を傾げて赤とマツリを見ていた。

「……」

「マツリ?行かないのか?」

 赤は、マツリの心臓が音を速めていくのを感じていた。見上げると、見たことがないほどに、マツリの顔が歪んでいる。

 狐さまも気付いたようで、マツリの頭に手を置いてその顔を覗き込んだ。

「どうした?」

 二度目の問いに、マツリは小さく答えた。

「もう、会えないのかと思いました」

 狐さまが僅かに目を開く。

「今までのことが、全部夢になってしまったのかと思いました」

 マツリはそう言って、俯いた。狐さまは苦笑する。

「私がお前を捨てるものか」

「……っ」

「安心しろ。ちゃんと待っているから」

「はい……っ」

 マツリはその言葉を聞いて、もう一度鳥居をくぐる。

 少年が笑顔で待っていた。

「さ、いこっか!」

 

―――――

 鳥居の下で一人になった狐さまは、そっと掌を前方に出した。何も無いはずの宙を触ると、固い感触が掌にあたった。

「……」

 瞳を伏せる。

(私がお前たちを捨てるはずがない。捨てていくのは、いつも私を置いていくのは……)

 木々が空を覆い、洞窟の中のように暗い石段を、狐さまは上っていく。

 木々の間からこぼれる日の光を眺めて、知らず呟いた。

「――待っている」


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