天才は間抜けに死ぬ
天才、それは努力を否定する言葉。それが幼なじみである天津杏の口癖。それは天才と周囲に評価されていた僕を擁護したかったのだろうが、とんだ的外れな言葉である。確かに天才と呼ばれる人種の中にも努力を続けた結果でそうなった人も居るだろうが、生憎僕は産まれてから死ぬまで努力をしたことなど一度もない。やり方さえ解れば、やれば、見れば、聞けば、何事もできてしまう。死ぬまでと言ったのは単に今後も努力をする予定がないからではなく、死が目前に迫っていることが一目瞭然であるからである。ジュースを買おうと自販機に小銭を入れようとして、しくじり、落として転がる小銭を追いかけ、その途中車にはねられた。重い体に、遠退く意識。走馬灯というものなのか、杏が例の口癖を言っている光景が何度も脳裏を過る。
死ぬことは怖くない、と言えば嘘になるだろう。しかし、生きることに未練はあまりない。何でもできてしまう僕にとって生きることは退屈で、世界は灰色に見えた。天才も程々が良いのだろう、度を越えた天才は何の目標も抱けない。端的に言ってしまえば、世界の頂点に居るのだからこれ以上上を目指すことができない。常人からしたら贅沢な悩みなのだろうが、僕からしたら上を目指すことでもがき苦しむことに悩む方が贅沢に思える。
さて、どうやらそろそろ限界のようだ。思考に費やす余力もなくなってきた。もし生まれ変わりというものがあるのなら、頂点に君臨する天才ではなく、常人にして欲しいものだ。
さらば、灰色な世界。次に見る世界が光輝いていることを祈っているよ。