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Eclipse  作者: 楪美
【2】-Ⅲ
40/41

【2】 Ⅲ-8,Dear



「済んだのか」

「ああ」

「ルナちゃんは」

「承諾してくれた」



部屋の外に警護の男女はおらず、征景が向かいの壁に背を預けていた。



「本当にいいんだな」

「諄いな、あんたも」

「他人事ではすませられないんでね」



言って差し出してきた煙草と火をもらう。慣れない味に舌が違和感を訴え、浅く吸っただけで吐き出した。



「いくら前もって覚悟をしていても、後悔を受け入れるのは容易くないぞ」

「後悔するかなんて、どうでもいい」

「投げやりにも聞こえるな」

「かも知れない。だが」



その先は言わずとも承知であるはずだった。決断に至るまでの過程を、征景には伝えてあった。



「あんたが辿らざるを得なかった道を、俺も辿るとは限らない」

「そうだね」



宙に呟くように、征景は天井を仰ぐ。



「それでも、いつでも誰にでも、同じ悲劇が訪れる可能性を、忘れないでほしい」



頷きもせず、ただ黙って聞いていた。



あまりにも突然に日常を、最愛の存在を奪われる悲しみなら、身に染みて知っている。



奪われるしかなかったその人たちを護れなかった、取り返せなかった絶望も、今でも消えずに巣喰っている。



あんな悪夢を再び正面から受け止める強さなど、持ち合わせていなかった。



「いつか とか、ずっと とか言うようなあてのない未来ありきで逃げるなら、今確かに存在しているうちに向き合うべきだと、俺は思うよ」

「でも、それじゃ護れない」



灰と煙になっていく煙草を、シガーケースに強く押しつけてもみ消した。匂いの混じった空気だけが、辺りを漂っている。



この決断は、罰だった。



激情に呑まれて自我を失い、聴取のために生かしておくべき襲撃者を殺しかけた俺に、ルナは脅えていた。



恐怖に染まった彼女の目を見た時に沸き上がってきた感情を、どんな言葉で表すべきかはわからない。動揺と苦痛、怒りも混ざっていたかもしれない。



一緒にはいられない という思いが、理性抜きで過ぎったのも確かだった。



このままでは彼女はまたいらない危険に晒され、この醜い本性を怖れ、やがては壊れていく。そんな最もらしい理屈を並べ立てて、待ち受けるであろう悪夢より、一瞬の痛手と、やがては消える喪失感を選んだ。



「今は、こうするしかない」

「傷つけて、傷つくのが怖いから」



傷つけるくらいなら、触れない。



失うくらいなら、去る。



悲しませ、泣かせるくらいなら、消える。



臆病で不甲斐ない、愛し方さえ知らない馬鹿な男が唯一選べる道は、逃げることの他にはない。



「情けないと、自分でも思う」

「情けないし、勝手だ」



心中で、そしてこうして自ら口にし散々繰り返したにも関わらず、率直に浴びせられた征景の言葉は、同じように刺さる。



「ルナちゃんの気持ちは、どうなる?」



聞こえるはずのない、押し殺した泣き声が、耳の奥で木霊している。



揺れる目が、流れた涙が、眼前に蘇ってくる。



「わかってるんだろ。ルナちゃんは、君を」

「やめてくれ」



吐き出した言葉は、呼吸よりも弱く掠れていた。



しばらくポケットを探ってから、自分の煙草もライターも持ってきていないことを思い出す。彼女といた時には、煙草など欲しくならなかった。



「そうやって情に蓋をして、本当に望み通りになるんだろうか」



メンソールの煙と一緒に、征景の呟きは答えを待たずに消える。その是非を導き出す難しさは、俺よりも本人の方がよく知っているはずだった。



道を選んで、進んでいく力となるはずのこの望みが、意志を持った情なのか、それとも理屈の産物なのか。後付けにしかならない過程に思いを巡らせるよりも、定めた道先を見据え、振り返らずに向かっていく方が、少しは掲げた希望へ近づけると思いたかった。



叶わずに終わるくらいなら、小さな悔いも、後ろめたさも振り切れる。



果たされさえすれば、他人の理解などいらない。



「護れれば、それでいい」

「結局、そうなるんだよな」



ふっ と息を吐き、征景は笑った。



この男もまた大きな、それでいてかけがえのないものを背負い、闘っている。



「そろそろ時間だ。行こう」



腕時計を見もせず、征景がエレベーターホールへと足を向けた。



部屋の方を振り向きそうになった首を押しとどめ、前を行く背中を追った。









「済んだのか」



エントランスホールで待ち構えていた俺たちのもとに現れた黒羽会長は、数分前の征景と同じ台詞を俺に向けた。



「彼女からの了解も得ました。以後、護衛任務から調査分析および対策実行任務へ正式に移ります」



秘書のように会長の横に並んだ征景が、すらすらと答える。その三歩程後ろを、俺はついていく。



「事務手続きは順次進めます。「ストラーダ」の方に籍は置きますが、指示は直接頂くということで、よろしいですね」

「問題ない」



堂々と、しかし颯爽と歩いていた会長が、歩みを止める。周りを囲むようについていた数名のスタッフも、号令がかかったかのようにその場に止まった。



「少し、話そうか」



目線で、ロビーに設けられた応接スペースに促される。床から天井までのガラスがはめられた窓際の席に、向かい合って座った。軍隊のようなスタッフたちと征景は、少し離れたところで待機している。



「あの娘とは、何を話した」



前置きもなく問われ、頭の奥に仕舞いこもうとしていた泣き崩れる彼女の姿が、呼び起こされる。



あれは、会話なんかじゃない。



一方的に別れを告げただけで、彼女の言葉も、気持ちも、聞こうとなどしなかった。



「浮かない顔だな」



答える前に、会長がまた口を開く。表情に出しているつもりなどなかった。表情を作ることすら、億劫だった。



「生まれつきです」

「数日前とは大分違う」



発言の意図が掴めず、苛立ちが募る。意識して呼吸を遅くし、抑える。



「新しい任務に支障は来しません」

「心中に何かしら障りがある以上、絶対にとは言い切れんのではないか」



鋭くかつ的確な指摘に、反論の余地などなかった。



腹を括り覚悟を決めたつもりであっても、綻びを放っておけば後々必ず仇となる。



見て見ぬ振りを貫き通しても、その存在を消すことはできない。



「もう一度訊く。あの娘と、何を話した」



最低な人間を演じた気になっていた。



冷酷な奴だと恨まれ、蔑まれても、彼女の記憶から抹消されても構わないと思っていた。



「何も」



屈辱が暴れ出さないよう、短く答えた。膝の上で拳を握り締め、血が上り熱くなった頭の芯を鎮める。



何も話さず、伝えず、残さずに来た。



言葉にできなかった心のうちは、以前のように抑え込まれ、潰され、曖昧になってやがて消えていく。



自分だけが憶えていればいい、一生忘れずにいられる なんて、甘い、都合のいい思い上がりだった。



忘れたくない。



なかったことになど、できない。



「私もだ」



一人自分自身と格闘している俺に、会長は呟いた。表情は変わっていない。だがその一言は、溜め息に似ていた。



「まともに話を聞いてやったことなど、一度もない」

「悔やんでいますか」



僅かに混じったその感情の正体を確かめようと、訊ねてみる。



「間違っていたとは思っていない」



答えになっていない。言いかけて、黙った。言葉になる前に、それは自分に返ってきた。



「君は、どうだ」



そう言って席を立ち、会長は窓ガラスの向こうの夜空を見上げる。



「何を欲している?何のために、あの娘から離れて、我々の元へ来ると決めた?」



狭い群青の遠くに、満ちた月が浮かんでいた。



「蹴りがついていないのなら、迎え入れるわけにはいかない。迷いを抱えたまま太刀打ちできるほど、相手は甘くないぞ」



立たずにいるままの俺に、力のこもった眼差しが刺さる。その視線が動き合図を送ると、待機していたスタッフたちが集まり素早く会長の周囲を囲んだ。去っていく背中を眺めながら、またポケットを探り、煙草を探す。掴む対象のない指は、狭い空間の中で無作為に縺れる。



「敵わないな」



知らぬ間に、征景が傍らに立っていた。ポケットから手を出し、重い身体に鞭打って、ソファから立つ。



「それで、どうする?」



聞こえるような距離ではなかったはずなのに、なぜか会話の内容は把握しているようだった。



「会長はこれから早稲田のホテルで打ち合わせだ。俺も同席する。所要時間は一時間弱、その後は白金の自宅へ直帰の予定だ。つまり」



意味ありげに間を空け、眼鏡を指で押し上げて征景は言う。



「会長が早稲田を出る前に俺に連絡を入れてくれれば、君を拾いにここに立ち寄れる」

「その間に頭を冷やし、腹を決めておけと」

「そうだね。それと、これ」



手渡されたのは一枚のカードだった。ただのカードではなく、このホテルのロゴと数字が書かれている。用途を悟り、俺はそれを征景につき返した。



「どういうつもりだ」

「頭を冷やしたら、別の結論が見えるかも知れないよ。部屋の前の警備連中には、事情は話してある」



微塵も動じることなく、征景は再び俺の手のひらにカードを握らせる。



「勘違いされても困るから、忠告しておく。俺たちが懸念しているのは、君の精神状態の、もっと先だ」



抑揚のない声が、冷たい言葉を淡々と紡ぐ。



「君の望みが俺たちの目的と一致しているとわかったから、会長は君がルナちゃんの護衛の辞退して、直接「クリスタ」を追う新しい任務につくことを認めた。生半可な気持ちでこっちに来られて戦力にならないんじゃ、話にならないからね」



手厳しい苦言にも関わらず、なぜか心が乱れることはなく落ち着いていた。少し前に去っていった会長の忠告の意図と、同時に征景の行動の意味も悟った。



それでも、礼を言う気にはなれなかった。



考えて、悩み抜いて、ようやく固めた決心が、たった数時間のあいだに、たった二人の人間に崩されかけたと思うと、無性にやりきれなかった。



少し考える とだけ伝え、カードを手の中で握ったまままた窓辺のソファに座った。征景は頷き、エントランスを出て行った。












重症だ。



つくづく、自分のバカさ加減に呆れずにはいられない。



結局未練がましく引きずって、流されっぱなしだ。



一方で、開き直りに似た諦めを受け入れたことで、開放感を覚えてもいた。音一つない静寂の中、胸の内は不思議なほどに穏やかだった。



征景から預かったカードキーを手に、先刻後にしたばかりの部屋へと戻った。



入り口を見張っていた男女は、俺の姿を見ると目礼しその場を離れた。扉をノックするまでの数秒が、途方もなく長かった。繰り返し戸を叩き、呼んだ。スペアのカードキーを持っていると告げても、返事はなかった。



逡巡と葛藤の後に意を決し、半ば勢いで入り込んだ部屋は暗く、その姿は見えなかった。ベッドの中にも、バスルームにもトイレにもいなかった。背中を、嫌な汗が伝った。最悪のシナリオが、頭を過ぎった。



玄関に向かおうと足を踏み出したところで、ソファの脇に覗く白い脚が目に入った。背もたれの影に隠れるように、彼女は目を閉じて横たわっていた。



「ルナ」



深く、静かな呼吸を繰り返すだけで、応えはなかった。その傍らに、音を立てないように膝を立てて座る。



青白い月明かりに照らされた頬に、涙の跡が線を描いていた。珊瑚色の唇にかかった黒髪を指で除け、肌に触れて、まだ乾ききっていない雫を拭う。



「今まで、泣いたことなかったのにな」



無意識に、声に出していた。記憶の中の、色とりどりの表情が、声が、仕草が蘇ってくる。




初めて会った日、初めて目が合った時、素直に綺麗だと思った。



深く、それでいて澄んだ眼にも、揺れる長い髪にも、一言一言を丁寧に紡ぐ声にも、言葉にも、魅せられた。



柔らかい微笑みにも、唇を尖らせた膨れ面にも、子供のように無垢な笑顔にも、何度も救われた。



孤独を抱えながらも、自由を夢見てただひたむきに、風のように駆け抜けていく姿は、ずっと封じこめて忘れていた、大事なものを思い出させてくれた。



夜明け前の澄んだ空気、ビルの隙間から吹く風、夕焼けに染まる街、都会の只中でも見つけられる星。



黒以外の服の着こなし方、大人数で食う飯の美味さ、紅茶を淹れるコツ、煙草のいらない時間。



目にも留めず、耳を傾けずにいた音楽、物語、逸話、伝説。



自分の脆さ。



押さえつけてきた情。



知らなかった、心の動き。



全部、君が教えてくれた。




数え切れないほどのものをくれた君を、何に代えても護りたかった。



だからこれからも、たとえ傍にいられなくても、護り続ける。



たった一つの、その望みのためなら、どんなものでも犠牲にできる。



一度は捨てた過去も、共に過ごす時間も。



この想いさえも。



君の、想いでさえも。




もし、君から扉を開けてくれていたら、すべてを打ち明けていたかもしれない。



きちんと目を見て話せていたら、今までのように、これからもずっと傍にいられたかもしれない。



それでも、こうして今もう一度会いに来て、確信した。



これが、君と俺が選んだ答えだ。




「さよならだ、ルナ」




細くしなやかな手をとり、そっと両方の掌で包んだ。



最後にくれた言葉を思い、小さく囁く。



「ありがとう」



拭ったはずの涙が光り、白い頬を伝っていた。



もう一度その涙に触れてから、ゆっくりと、その場を離れた。




振り向かず、音を立てず、何一つ残さずに、去った。






To be continued.


Part 1完結です。











....なんて、ね^^

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