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Eclipse  作者: 楪美
20/41

Ⅲ-5,Ready



遠くの空に太陽が沈んでいくように、暗い、でも柔らかい闇に包まれた。



少しだけ、空気がざわめく。囁きの中の言葉まではわからない。



唇と指の感触を確かめて、計算した分だけ、息を吸う。



二酸化炭素を孕んだ僕の呼気は、簡素で、でもとても長い音になった。



追いかけてくるピアノのとドラムは従順で、僕のどんな気まぐれにもちゃんとついてきてくれる。



指も、肺の動きも、気になんてしなくていい。



安心しながら目を閉じ、まぶたに感じる光と、生まれてくる音たちに浸る。



酔というにはあまりに刺激的で、感激というにはあまりに大袈裟な束の間のこの贅沢が、塞がることのない僕の中の空っぽな穴を、優しくなぞり覆ってくれる。




もしも、僕がこの世界に産み落とされて、今この時まで送ってきた日々の意味が、刹那的であっても得ることのできる「喜び」にあるのだとしたら



きっと僕は、シアワセな生き物なんだろう










「いい演奏だった」



重いケースを下げてお店の裏口を出ると、路肩に停まった高級車を背にした人影が僕を出迎えた。ライトが眩しくて顔はわからなかったが、聞き覚えのある声だった。



「ここにはよく来るの?」



かつては色町として栄えた、都心から離れた下町のジャズバーだった。店主のおばさんとのよしみで不定期ではあるが演奏に呼んでもらっており、月に一、二度、こうして馴染みのメンバーと一緒にセッションをしている。戦前からある古いお店で、銀座や六本木が縄張りのセレブリティにはあまり似つかわしくない。



「初めてだよ。君がいるからって来たんだ」

「呼んでくれれば行くのに」

「一度聴いてみたかったんだ。君の演奏を」

「そう、ありがとう」

「よかったら、中で話さないか」



僕の馴染みとしてかお目に叶ってか、サービスよ とママは彼に高そうなお酒を出した。僕には、いつものように愛媛県産のオレンジジュースを出してくれる。ルーチェでシュウさんが出してくれる、シチリア産オレンジのジュースとはまた違う優しい味のこちらも、僕は好きだ。



「相模君が、ルナちゃんのボディガードについたよ。外出時に付き添ってくれている」

「そう。ようやく吹っ切れたんだね」

「彼が?」

「うん。磐城さんのこと、相当引きずってたみたいだから」



本当は今でも忘れてはいないのだろう。かつて護衛をしていた記憶の中の人物と、今護るべき彼女を重ねているのか、それとも自棄になっているだけか。



「どっちでもいいけど」

「そうか」

「あ、ううん。違う話。あの二人が仲良くしてくれるのは嬉しいよ」

「それは、どういう理由で?」

「おもしろいじゃん、組み合わせ的に」



陽の当たらない闇の中をひっそりと彷徨ってきた一匹狼と、自由な空を夢見ながら、綺麗な庭で放し飼いにされてきたお嬢様と。彼らが閉じ込められていた世界が押し流されようとされる時、二人はきっと手を携える。




「予想もできない、何かを起こす気がするんだ。それが僕らにとっていいことか悪いことかはわかんないけど」

「俺も含まれてるのかな。その「僕ら」には」

「もちろんだよ。レンケイしてるんだし」

「その割には、なかなか腹のうちを見せてくれないんだね」



オレンジジュースしかないよ とはぐらかすと、彼は自分もだ と、茶色いお酒のグラスを傾けて笑う。



「しいて言えば、うまくいってほしいと思ってるよ。彼らには」

「仲はよさそうだし、心配ないんじゃないの?」

「発展すればいいけど ってことさ」

「発展?」

「恋愛に、だよ」



僕が恍けていると思ったのか、彼は溜息をつくように言うと、持っていたグラスを口にする。



「あの二人は、そういう余裕を持てた方がいいと思うんだ」

「余裕、か」



少なくとも、恋愛に困ったことなど一度もなさそうなこの人にとって、恋愛は余裕の産物、もしくは息抜きなのだろう。



「それが目的でもあるんだね?」

「かもしれない。彼にルナちゃんの護衛を頼もうと決めた時、そうなればいいと思ったことは事実だ」

「ふうん」

「ルナちゃんは、前に恋愛で傷ついている。吹っ切れたようには見えても何の決着もついていない。きっとひきずっているよ」

「晃斗がそれを忘れさせてくれれば、と」

「ほぼ願望、というか妄想だけどね」



どこか愉しそうに語る彼とは対照的に、二人の恋愛事情については僕にはどうでもよかった。あの晃斗が色恋にうつつを抜かすのはなかなか見物かもしれないけれど、僕が描いているシナリオには、よくも悪くもあまり影響が出るとは思えなかった。



「大きな何かを動かす要因っていうのは、案外、まるで気の迷いのような情だったりすることもある」



そんな僕の内心を察してか、彼は探るように話を続ける。



「男と女の間柄なんて、その最たるものだよ」

「期待しているんだ?」

「まさか。無視はできないにしても、計画の遂行のために要因とするには非論理的すぎるだろう。個人的にそうなればいいなと思うくらいだ」

「人の心の動きを予測するのは楽しいけど、だいたいそうはうまくいかないんだよね」



友情、愛情、恋、義理、罪悪感。



僕の理解の範疇を越えているそれらが、誰かを、何かを、ゆくゆくは世界、あるいは時代と呼ばれる大きなカテゴリにすら変化をもたらすその一連のプロセスを間近で愉しむ、またとないチャンスがすぐそこまで来ている 。



「あまり興味なさそうだな」

「ううん。むしろおもしろそうな気がしてきたよ。先が読めないからこそ、ね」

「勝負師の血が騒ぐかい?」

「愉しいことが大好きなだけだよ」



僕の答えが可笑しかったらしく、彼は渇いた笑い声をあげる。



「理由なんて、考えるものじゃないんだろうな」

「欲しいの?」

「あるよ、ちゃんと。ただ、それが多くの人の人生を左右するのに足る正当な動機からなのかと問われると、どうもそうは思えなくてね」

「清さを求めるのは呑気な外野だけだよ。外観さえ綺麗に保っておけば、危険を承知で中を覗いてくる人間なんていない。仮にいたとしたら」

「もちろん、逃がしはしないさ」



若き統率者に悩みはつきものらしいが、うまく昇華しているようだ。品行方正な御曹司が覗かせる狩人のような鋭い目つきに、僕の中の深い穴が疼く。



「例のメモリカード、解析終わったよ」



脈絡のない話題だったが、あえて告げた。狩人の眼が、先の先まで緻密に見通すプレーヤーの眼差しに変わる。それから、声だけで笑って言う。



「さすが、早いな」

「お兄さんに伝えておいて。楽しかったよって」

「どれだけ厳重にロックかけてたんだ、あいつは」

「厳重、っていうよりもとにかくひねくれてたよ。一個終わったらまた別のに阻まれて の繰り返し」

「感謝するよ」

「表計算のファイル形式にしておいたから、見やすくなってると思うよ。ただ量が膨大だから直接カードを返すね」

「下手に回線を通さない方が得策だろう。頼むよ」

「また馨さん経由の方がいい?」



僕の問いに、彼は少し間を開けてから首を振った。それからまた少し間を開けて、もうその必要はない とも言った。



馨さんとさよならしたあの日にもらった餞別は、容量64ギガバイトのメモリカードだった。「よろしく」と書かれた小さな付箋がくっついていたので、厳密には餞別にもらったのではなく、託されたとい言う方が正しい。



「どうして?馨さんにも伝えるべきなんじゃないの」

「君は、何を意図してあの部屋から出た?」



質問に返ってきた質問は、僕ではない誰かに聞いてるみたいだった。



「自由にするためだよ。馨さんを。こんなぐちゃぐちゃした争いから」

「ならわかるだろう。彼女を巻き込まない為には、一切接触を絶つしか」

「だったらどうして馨さんを仲介役になんかしたの?今日みたいに、少し調べれば僕の居所なんてすぐにわかったはずだ。直接渡せばよかったのに」

「矛盾は承知しているよ。俺の落ち度だ」



苛めているつもりはなかったが、葛藤に苦しんでいる彼の横顔は、扇情的ですらあった。視線を逸らし、浮かんでくるままに追討ちをかける。



「馨さんを遠ざけようとしても、もう遅いと思うよ。僕や君と同じ、引き返せやしない」



迫り来る嵐のうねりに飛び込んで船を用意したのも、地図を作ったのも、僕ら自身だ。



「本当に巻き込まないつもりだったなら、そもそも日本に呼ぶべきじゃなかったんだ。例え、来日が彼女の意思でだったとしても」

「わかってる」

「そうかな?傍に置いておきたかっただけなんじゃないの。米軍とのコネクション目的だけじゃなくて、奥さんを亡くして寂しかった慰みとして」



最後の方は、口に出してから少し反省した。怒って、もしかしたら殴りかかってくるかも知れないと思ったが、彼は僕の方に見向きもしないままグラスを握り締めていた。開き直りも、否定もしなかった。苛立ちに似たもやつきが、お腹の中に広がる。



「もし、本当に馨さんを想っているなら、彼女がどうしたいかをちゃんと聞いてあげてよ」



返事はない。お互いが馬鹿みたいに思えて、できるだけ言葉を抑えて続けた。



「彼女の意思も省みず、傷つけたくないから、巻き込みたくないから引き離すなんてただの勝手なエゴだ。仮に、そのエゴが本心であるなら、どんな手を使っても馨さんをこの計画に関わらせないで。それができればの話だけど」

「俺にそんな権利はないよ」



黙っていた彼が、ようやく喋り出した。僕の方を一瞥した目に、一切のブレはなかった。



「俺の半端な行動があの人を振り回したのは自覚しているよ。結果、傷つけたことも。だけど、それでも」



茶色い液体を一口分だけ残して一気に飲み干し、彼は席を立った。



「それでも、守れれば と思ってたんだ」



ビルクリップから抜き取った千円札をコースターの傍に一枚広げて置くのを、オレンジ味の氷を舌で溶かしながら眺めた。緩めていたネクタイを締めて、彼はもう一度僕の方を見る。



「彼女はこの先彼女のしたいようにするはずだ。ただ、今まで頼んでいた調査や情報収集は、今後依頼するつもりはない」

「君から接触は、しないんだね」

「ああ。それに、もう会いに行くことも」

「もし」



舌に残っていた氷を噛み砕いて、僕は去っていく背中に告げる。



「もし、君がこれからも馨さんのところに行くって言ってたら、今頃君の背中は酒まみれだよ」



左手に握っていたグラスが、音をたてることはなかった。それ以上続けない僕に呆れたのか諦めたのか、彼は意味深な笑みを残して出ていった。








カウンターのテーブルに肘をついてしばらくぼう っとしていると、頼んでいないにも関わらず、ママがオレンジジュースのおかわりを置いてくれた。



「謝々、阿姨」

「いい男だったじゃない」



僕の向かい側に、同じように肘をついて座ってママがいう。自他共に認める面喰いのママが褒めるのは、容姿だけではない。



「そうだね」

「でも、あなた、ああいうタイプ嫌いでしょう」

「嫌いではないよ。彼は理知的だし、ちゃんとわかってると思うよ」



今になって、酷いことを言ってしまったなと自覚する。寂しさを和らげてくれる存在を求めるのは、何も悪いことじゃない。



「僕が嫌いなのは、欲を剥き出しにするのをかっこいいと思い込んでる勘違いニンゲンだよ。欲望を正当化しているような奴」

「あの子は、違うのかい」

「もしそうだったら、クリスタなんてほっといて真っ先に潰すよ」



冗談だと思ったらしくママが笑ったので、僕も声を立てず笑みを返した。



彼も、馨さんも、大事だった人を失って、それでも自分にできることを探して、今日まで闘ってきた似たもの同士だ。お互いがお互いをよく知っていて、それでも受け入れ合っていて、必要とし合っている。



「それでも、興味は湧くんだよ。理解できないからこそ。一歩離れて見てるぶんにはおもしろいんだ」



面倒な子だねえ と、ママは煙草の箱を持って僕から離れた。オレンジジュースを残したくなかったので、全部飲んでから二杯分のお金を置いて、相棒のサックスと一緒にお店を出た。









空は鈍色と紺色が混ざっていて、冷えた風が音をたてて吹いていた。追い風なのを確かめて、相棒を定位置の荷台にセッティングし帰り支度を急ぐ。



不意に、二杯分のオレンジジュースの入ったお腹がキリキリと痛んだ。少しずつ少しずつ僕の中身を抉るような痛みが、抑えても、蹲っても止まらない。



突如、可笑しさがこみ上げてきたので、笑った。声を上げても上を向いてもお腹の穴はどうにもならなかったけど、とにかく、アニメの悪役みたいに笑いまくった。



雨が、夜空を仰いだ僕の目をかすって、落ちた。風と一緒に踊るように吹き付けてきた雫たちは、ひんやりしていて、気持ちがよかった。





ごきげんよう。楪美です。


欲求不満の魔王様VSジレンマ御曹司の対決、楽しんでいただけましたでしょうか。

対決って程激しくも熱くもありませんが、

議論というか舌戦というかただの探りあいというか、

とりあえずこの二人は対立までは行かなくても同じ目線には立てない存在なんでしょうね。


征景ことヒロくんの馨さんへの想い、シンちゃんなりの、これから向かう先への想いを書いた回になりました。

とりあえずここで一区切り、第一部終了となります。


第二部は晃斗とルナをメインに、もう少しスピード感というかテンポを意識して、また内容もとろみの効いた濃いお話にできればと思います。


おつきあいありがとうございました!

そして今後ともよろしくお願いいたします!

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