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Eclipse  作者: 楪美
13/41

Ⅱ-3, Blood

制限するほどでもないえっちい表現あります。








「忍者?見たことあるよ、私。伊勢丹の裏の道を走って、ビルの壁をよじのぼってたの」




「びっくりしたよ。最初は撮影かと思ったけど、カメラも何もにないし」




「同僚の子でも見たことあるって言ってる子いたなあ。突然サザンテラスの柵から人が落ちてきて、そのままどっか走ってっちゃったって」




「よくは見えなかったけど、真っ黒な服着て、ホントに軽く、ひゅんっ って飛んでた」




「おもしろいね。現代に蘇りし忍者、か」

「でも都市伝説だよ?もしかしたら酔っぱらってて幻覚見たのかも」

「案外本当かも知れないよ。よかったら、もっと話聞かせてくれない?」

「いいけど、その前に、お腹空いちゃったな」

「もちろん、ご馳走する」

「ご馳走、だけ?」

「愉しみはあとに、ね?」











Eclipse 2ー③ Blood












ソプラノよりも一際高い声が壁に反響し、目の前の唇を、できるだけ優しく指先で塞いだ。




小さく繰り返される呼吸を聞きながら、重ねていた身体をそっと離す。少女から女性になったばかりのはずのその肢体は、少しでも力を入れれば壊れてしまいそうなほど頼りない。その細い腕を差し出す彼女を抱き寄せながら、うっすらと開いた瞼に口づけた。




「痛かった?」




ううん とかぶりを振る彼女がにっこりと笑ったので、俺も笑ってみせる。そのままあやすように、彼女の肩に置いた手でリズムをとる。




「今までで一番よかった」

「本当?」

「家じゃないからかな。雰囲気マジック?」

「気に入った?」

「次からもここがいい」




胸にすり寄ってくるその子は、金色のロングヘアという派手な見た目に反して素直で甘え上手らしい。ベッドに入る前は念入りな化粧に彩られていた顔立ちも、全部を取り払ったその表情だけで十分だった。しかし数秒後、その笑みがすっ と曇る。




「なんてね、ごめんね」




そう言って彼女は俺の左手をとり、薬指の指輪をそっとなぞった。




「奥さん?それとも恋人?」




伏せられた目元の睫毛がゆっくりと瞬く。視線は、絡まない。




「ごめんね」




触れていた手を握ると、彼女はううん と首を振ってから、もう一度俺の手の甲を撫でた。ささくれでかさつき気味のその手も、つけ爪を外して短く切りそろえられている爪も、街角で性欲と暇を持て余した男を狩るような女性というよりは、バイトや家事での水仕事をこなす健気な女の子が連想できた。




「謝らないで。私がバカなだけだから」

「バカ、って?」

「非日常への、幼稚な憧れ?」




くすっ と自嘲気味に笑ったその子は、俺の胸から離れて天井を仰ぐ。




「一回やってみたかったの。髪染めて巻いて、ばっちり化粧して、セクシーな服着て、かっこいい男の人と歩いて、美味しいご飯食べて、なんでもないお喋りして、それで」

「それで?」

「気持ちいいセックスして、こうやって抱いてもらいながら寝るの」

「俺で、よかったの?」

「というより、どうして私になんて着いてきてくれたの?思いっきり素人丸出しじゃなかった?」

「だからだよ。興味が湧いたんだ」

「演技がヘタすぎて?」

「もちろん、ぱっと見未成年だったら丁重にお断りしただろうけどね。何が、この子をこんな風に突き動かしているのかなあって」

「そんなにわかりやすかったんだ、私」




しゅん として瞼を閉じた彼女に、違うよ と否定しておく。




「よく言われるんだ。もともとそういうの得意みたいでさ」

「そういうのって?」

「人が何考えてるのか、とか、今笑ってるけど本当は寂しいんだろうな、とか、何となくだけどわかるんだ」

「なんだっけ、そういう人を見透かす…じゃ変か。見抜く能力って」






洞察力のかたまりね、貴方って






思案し始めたその子の髪を撫でながら、昔、言われた言葉を思い出す。




忘れもしない。あれは、初任給で買った腕時計を、洗濯機にかけられてしまった時だった。




隠し事などできないくせに明らかに俺を避けてみたり、かと思えば夕食に好物を出してくれたり。今思えば、気づかないふりをしてやっていたほうがよかったのかもしれない。バレバレだよ と指摘したあと、悪びれもせず唇を尖らせてすねる、彼女の膨れ面が浮かんでくる。




「でも、わかりすぎるのも嫌だよね」




ぽつん と、でも意味深に呟いた彼女は、もう一度俺の薬指を撫でた。




「人の気持ちが読めても、自分を見ていてくれなければ、辛いだけだもん」




彼女はそのまま一瞬だけぎゅ と指を握り、すぐに離す。




「優しくて、紳士でお金持ちなイケメンと寝たって言えば、少しはこっち向いてくれるかな」





顔を見なくても、小さく漏れる嗚咽で泣いているのがわかった。空いていた隙間はそのままに、音を立てないように、震える肩をあやし続けた。












外から見れば無機質な四角い建物の集まる副都心も、こうして地上60メートルから見下ろせば、光り輝く写真となる。硝子の向こうに濃紺をバックに広がる街と、静かに流れるジャズとシーバス・リーガルをお伴にひたすら時が過ぎるのを待っていた。ラウンジに人影はなく、唯一バーテンがカウンターの奥で気配を殺しながら、グラスを磨いていた。




眠気はなかった。部屋を出たのは真夜中15分前だったが、この暗いラウンジに入ってからは時が経つ感覚は削がれていた。敢えて時計を見ることはせず、石造りのカウンターに頬杖をつきながら、目を閉じる。それは、ここ数日間味わえなかった、ひどく贅沢な退屈だった。




限りなく眠りに近い意識レベルとアルコールのせいか、瞼の裏に、懐かしい景色を見た気がした。学生時代にことある事に通いつめていた公園に似ていたが、少し違う。陽光に照らされた緑色が溢れる広場で老若男女が思い思いの時を過ごす中、空中から地に降り立ったような感覚だった。




爆音に乗せて激しく身体を動かしダンスする若者やトランペットを練習している中年の男性、犬の散歩をしている老女が、視界の内で蠢く。その中に際立って、はしゃぐ子供たちと、少し距離を置いて歩く母親らしき女性が、目に留まる。口を動かしても、声は帰ってこない。かわりに、ウェーブのかかった栗色のロングヘアが靡くように揺れて、彼女は振り向いた。




唇からは、何も聞こえない。




それでも、彼女は笑っていた。




穏やかに、柔らかく、




大事にしまってある、写真の中と同じように








手は伸ばさず、閉じていた目を押し開けた。




シーバスを一口飲み込んでから、目線は変えないまま、口を開く。




「何気配殺してる?」

「職業病さ。っつっても今は実質無職だけどな」




カウンターを背にしてよりかかったその男は、梅酒 とバーテンに注文して煙草をふかす。程なくして、薄い琥珀色のグラスと灰皿が出てくる。




「おまえ、まだ禁煙してんの」




久々の再会という空気など微塵も匂わさず、俺の隣のそいつは天井に向かって吐き出した煙のついでのように言う。




「いや、最近サボり気味」

「やめちまえば?もう配慮する相手もいないんだし」

「おまえと一緒にしないでくれ」

「もう忘れられてたりしてな」

「週末はテレビ電話で話してるよ」

「週末だけかよ、冷たいねえ」

「女の子置いて失踪したおまえに言われたくないな」




鬱陶しく伸ばした長い前髪で、目元は見えなかった。煙草を咥えた口元は、上を向いていた。




「ちゃんと学校行ってんの、あいつ」

「自分で聞け」

「つれねえなあ」

「よく言うよ。わざとあの娘に自分を目撃させたんだろ」

「おかげでこうして感動の再会ができたんじゃんか」

「俺が感動してるのはおまえが遅刻したのがたったの36分だっだことだよ」

「いつからいたわけ、ヒロは」

「3時間くらい前、かな」

「女の子も一緒に、か」




おまえも相変わらずだなあ、とグラスの中の果実を弄び、そいつは笑う。隠すのも弁解するのも無駄なので放っておいた。シャワーで香りも痕跡も完璧に消した俺に落ち度はない。




「つきあってんの?そのヒトと」

「いや、今は誰とも」




一瞬脳裏を過った人は、恋人と呼ぶには距離が遠すぎた。今頃アロマを炊きながら、一人の時間を楽しんでいるのか。それとも、あの謎めいた隣人と一緒に晩酌でもしているのか。少なくとも、「今何してる?」なんていうメールを送るような、習慣も権利もあの人との間には存在しない。




「利口っちゃ利口だな。決まった相手置いとくより楽だろ」

「楽ではあるよ。淋しくもなるけどな」

「随分センチなこと言うようになったな」

「淋しいのを忘れようとして押し込めるよりマシさ。見てられないよ」

「どうしろってんだよ、俺に」

「全部、教えろ」




逸らされる前に、前髪の奥の視線を捕まえる。




「半年前に俺たちの前から消えた理由と、今日までどこを飛び回ってたのか。それに」

「それに?」

「ルナちゃんを、どうするつもりか」




正面に見据えた自分と同じ顔は、しばらく黙ったあと、グラスを持って光に彩られた窓辺へとゆっくり近づいた。明るい窓の外に、その姿は映らない。




「どうせ、わかってんだろ?」

「あくまで勘と憶測だ」

「やだねえ、そのカターイ感じ。そんなに確証が欲しいのか」

「そういう立場だからな。おまえと違って、適当に動くってことができないのさ」

「お褒めに与り」

「昔からそうだったろ。勝手に中学やめて旅に出てふらっと帰ってきたと思ったら、いつの間にかに007になっていた」

「ジェームズ・ボンドみたいにモテればいいんだけどな」

「そうやって、何人の女を騙してきた?」

「お互いにな」




悪びれもせずに言って兄貴は梅酒を飲み干し、グラスの底に沈んでいた果実をガリガリと音を立てて噛み砕く。




「そんなヤローに関わってもロクなことなんてない。アイツだって懲りただろ」

「自分で拾っておいて、目的が果たされたから捨てたっていうことか」

「仕込んだ甲斐はあった。アイツ、速くなってたよ」

「俺には言わないが、あの娘、ほぼ毎晩街を走り回ってたよ。目撃情報も出てる。おまえを、探してたんだ」

「違うね。トレーニングだよ」

「トレーニング?」

「一日サボればその分身体も勘も鈍って、いざ再開した時にほんの少しのズレで怪我に繋がる。最悪原型とどめないであの世行きだ。それを覚悟の上で、アイツは走り続けてるんだ」




薄暗い空間に擦れるマッチの音が燻ったあと、煙草が灯る。一口吸ったそれを差し出してきたのをいい と断り、シーバスをもう一杯注文した。うまい酒に、煙草はいらない。




「おまえこそ、いい加減アイツから少し離れれば?」




バーテンに同じの と告げてから、兄貴はようやく俺の方をまともに見た。




「せっかくあの家から出てっても、おまえが必要以上に干渉してちゃいつまで経っても自立なんてできねえだろうよ」

「そうだな。そろそろ俺もお役御免な時期だ」

「何、男できたのアイツ」

「だから、顔見に行くくらいなら自分で聞けって」

「ルナには、俺に会うとは言ってないんだろ」

「おまえが他言無用だって口止めしたんじゃないか」

「おまえも知ってるだろ。レオンの一件をきっかけに「クリスタ」が動き出す。CIAもソルトも、ようやく本格的に探りを入れ始めた。荒れるぞ、この先」




言って、四方5センチほどのケースを俺の手のひらに握らせる。おおかた何かの記憶媒体だと予想はできたが、一応質問しておいた。




「中は」

「自分らで調べろ。俺がこの半年でかき集めたネタだ」

「これをどうしろと」

「なくさないように持ってろ。あ、解析は使い捨ての端末にしとけよ。データぶっ飛んでも責任はとらん」

「また面倒押し付けて、今度はどこ行くつもりだ」

「そんなに気になるならGPSでもくっつけとけって、ジイさんにも言っといてくれ」

「ハル」




灰皿を使わず皮製のシガーケースに吸殻を突っ込み、こちらを向かないままカウンターを離れていった背中を呼び止める。




「おまえ、死ぬなよ」

「なに、突然。こそばゆいんだけど」

「馬鹿。飲み代、また俺に押し付けんのか」




一瞬立ち止まったあと、声に出さないまま兄貴は肩越しに笑った。




「頼むわ」

「嫌だね。これ以上は許さない」

「とか言いつつ、どうせこのあとも飲んでくんだろ」

「そうやって、いくら俺が出したと思ってる?この際全部返してけ」

「カードしかない」




十中八九返ってくるだろうと踏んでいた答えは見事に当たった。溜息にすらならない呆れが、音に混じって吐き出される。




「結局返す気ないんじゃないか」

「だから頼んでるんだろ」

「どこかで野垂れ死ぬんなら全額返してからにしてくれよ。6万7250円。あと今日の分もな」

「細かい上にがめつすぎて逆に心配なんだけど」

「利子取らないだけありがたいと思え」

「次期社長に搾取されるニート。資本主義社会の縮図だな」

「億単位の金を動かす人間をニートとは言わない」

「いいじゃないか。おまえは地に足つけて内を、俺はひとところに留まらず外を走り回る。ガキの頃からそうやってきたんだ。今更まっとうに働くなんざ、俺には無理だ」

「皮肉るか僻むかどっちかにしろ」

「シニカルにも僻みにもどっちにも聞こえるってことは、おまえにもあるんだろうよ。狭いところでじっとしていられない性ってヤツがさ」

「性、か」

「もしくは血ってところか。まあ逆らうのも従うのも、てめえ次第ってことだ」




じゃあな、と片手をあげ、ハルは薄闇に浮かんだ灯りに消えた。俺と同じ煙草の匂いと、空のグラスだけが残っていた。











電話に出たのは取次の秘書で、会長は現在香港で現地企業のお偉方と会食中だとのことだった。明日は早々に発ち、次はドイツだという。国境も時差もものともせずに飛び回る性質は、やはり遺伝子レベルのようだ。放浪癖の兄貴との対面が済んだ折の伝言を頼み、残りはメールを送ると伝えた。GPSをつけとけという注文は、やめておいた。




電源ボタンをスクロールして電話を切り、そのまま電話帳を呼び出す。相手の名前が表示されたところで、一瞬迷ってから発信ボタンではなくメール作成画面に切り替えた。




「近いうちに、会って話がしたい」




女の子に、ましてや恋人には間違っても送らない、そっけない文章を10秒で打ち込み、送信する。返事が返ってきたのは、チェックアウトが終わり駐車場へ向かう道のりの最中だった。




「明日12時10分、外苑前のスタバで待ってて」




彼女の方も、いつもと変わらないシンプルな文章だった。了解、おやすみ と送り、携帯電話をしまう。眠らせていたボルボをの運転席についてエンジンをかけようとしたところで、ふと手を止める。




数時間前隣に乗せていたあの女の子とは、おそらくもう二度と会うことはない。




ただ単に、想い人を探して走り回る健気な従姉妹の目撃情報を面白おかしく喋るような娘だったら、こうして一流ホテルで食事することも、抱き合うこともしなかった。




寂しさで震え、救いを求めながらも最後まで凛としていた彼女は、熱が出なければ弱音すら吐こうとしないあの人にどこか似ていた。たとえどんな理由を抱えていようと、純粋な興味と、束の間の甘い惑溺と、鮮烈で美しく、痛みの混じった瞬間を与えてくれる彼女たちを蔑むことなどできるわけがない。腕の中で火照る身体を抱き、柔らかさに包まれながら理性と本能の狭間で果てる瞬間、生かされているという事実と実感とを刻みつけられるのだった。




朝が来てあの部屋で目を覚まし、俺が残したメモを見てから、また彼女の日常へと戻っていくのだろう。金色に染めた髪を戻し、派手な化粧もつけ爪もせずに日々を過ごし、やがては俺のことも忘れるのだろう。




たとえ記憶の中から消え去っても移ろい続ける時の中での巡り合いは、決してなかったことになどならない。少なくとも、彼女のくれた情報のおかげで、ふらふらと覚束ない馬鹿兄貴に一撃をお見舞いすることはできた。




あの娘は、ルナちゃんは今日もあいつを探して、夜の街を駆けたのだろうか。




君の元同居人は、君を守るために姿を消したんだ と、いつか教えてあげられる日は来るのだろうか。





どんなに美味い酒を飲んでもしばらく消えそうにない憂鬱を抱えながら、丑三つ時を迎えた街に向かってエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。











どうも、楪美です。

えろい回にしようと思って見事に失敗しましたorz


ユキさんはあれです。いわゆるフェミニスト。女の人が大好きでえっちも大好き。

「好き」と「愛」は自分の中できっちり線引きをしている…はずなんだけど、その辺もお話が進むうちに変化していくかと。


それとハルさんの正体が明らか(?)になりました。ユキさんのお兄さん、自由人かつ放浪癖、そしてまだまだ明かせないウラあり。ルナとの関係とかも、おいおい。



あとボンボンユキさんを書くためなんか高価そうな単語をいっぱい出しました。

シャレオツなバーで夜景見ながらシーバスとか飲んでみたいなあ…



さて次回は馨さんのお話。心療内科のお医者さんの裏の顔に迫りますよ。



お読みいただきありがとうございましたー^^

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