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Eclipse  作者: 楪美
10/41

5,Shadow

Eclipse1-⑤ shadow





曲が変わり、瞑っていた目をゆっくりと開いた。





微睡みに変わりつつあった眠気を吹き飛ばしてくれたのは、ビックバン風にアレンジされた、日本のアニメソングだった。コンガとドラムの軽快なビートに、トランペットが割り込むように鳴り響く。サックスのメロディラインと、その後ろでリズムを刻むピアノが絶妙にミックスされていて、なかなかいい味を出している。




開いた瞼を、もう一度閉じる。睡魔はもういない。耳の中だけを澄まし、あとは全部、音楽にのせる。イヤホンもいいけど、こうして空気を通して響く音を聞く方が僕は好きだった。




好きな場所へ持ち運べるようになった分、音楽の価値がより日常的に、言ってみればチープになっていることは明白だ。楽器が発す音と、レコードとテープ、CD、そしてパソコンに落としたデジタルの音源は根本的に違う。時代を追ってクオリティは進化して、ますます身近になっているたくさんの音楽が、あまりにも当たり前になりすぎている。




それが悪いとは思わない。




ただ、いつか、なくなってしまったら。




たとえば僕の耳が壊れたとき、世界中の無数の音楽は、僕の記憶の中だけに残って、二度と新しいものと巡り合うことはできなくなる。




聴力がなくなっても曲を作り続けたベートーヴェンは、その出会いのないまま、どうやって、どんな思いで、新たな作品を産み出してきたのだろう。




二度と出会えなくても、頭と心の中だけで巡り合って、それを形にできるとしたら、きっとこんな非現実な俊巡などと無縁で済むのだろうか。





突如、肩を叩かれた。開いた目に、携帯電話が映る。左斜め前から伸びた手を目で追った。




「電話」




煙草を口にした、このバーのマスターだった。カウンター越しに、テーブルに置いておいた携帯の着信に気づいてくれたらしい。画面を確認し、無音で振動するそれを受け取った。




「ありがとう、シュウさん」

「出なくていいのか?」

「んー、どうしよっかな」




少し考えて、通話ボタンをタッチした。




「はい」




返事はない。電波の状態もバッテリーの残量も異常はなかった。黙ったままの相手の応答を少し待つ。やっぱり応答しない。




「こんにちは。初めまして、だよね」




僕が話しかけると、電話の向こうの人は、やっとそうだな と返してきた。思ったよりも柔らかい、だけど警戒した声だった。




「どうして非通知でかけてきたの?」

「君には無用なのはわかってたが、念には念を入れてね」

「慎重なんだね」

「損な性分さ」




噂通り、頭のキレる人なんだろう。何回か言葉を交わすだけでも、口調や語彙、話すスピードで、おおよその人となりは割と分かってくる。




この人は、それを微塵も感じさせない話し方を選んでいる。




情を隠し、人格を封じて僕に余計な情報を与えまいとしている。




「そんなに警戒しないでいいのに。僕は敵じゃないよ」

「味方でもない、だろう?」

「そうだね。だけど利害関係は一致してるはずだよ」

「今日はその件で連絡させてもらった。断っておくが番号はサーチした訳じゃない。きちんと君の知り合いを通じて教わったものだ」

「ぶっちゃけそっちのが早いと思うよ。それで、何を話せばいいの?」




そこまで聞いて、シュウさんがカウンターに置いてくれたオレンジジュースを一口飲む。冷たすぎずしつこすぎない甘酸っぱさが、口の中に広がって染み込んだ。




「話せる範囲で構わない。いや、話したい範囲で、と言う方が正確だな」

「その方が僕も助かるよ」




スマートフォンを耳に当てながら、ジーンズの後ろのポケットからポータブルのパソコンを取り出した。3、4年前のモデルだが鞄を持つ習慣のない僕には、タブレット型の端末より持ち運び、性能の面でともに気に入っていた。あらかじめスリープモードにしてあったそれを再起動させ、質問と言う名の尋問に備える。




「まず、忠告させてもらう。君がフリーランスである以上、俺に口出しする権利がないのは承知している。だがこの先は、少なくとも君の利になるような展開にはならない。手を引かないのなら、それなりの犠牲を覚悟してもらいたい」

「犠牲?」

「レオンの件に、“SIO(ソルト)“は関わっていない。だろう?」




ああ、と声が勝手に漏れた。続いて、笑い声も出てくる。




「何か可笑しいか」

「今のは忠告と見せかけた質問、ってとっていいの?」

「強いて言うなら確認だ。この説が間違っているなら、今この通話は時間と通話料の無駄になる。だがさっきの君の一言で確信した。君が“SIO“の指示で動いているとしたら、俺たちの利害関係が一致することはない」

「つまり?」

「ウィング陣営は、レオンのスキャンダルでアドバンテージを手に入れた。だが、レオンの失墜により利益を受けるのは、ウチのような国内企業と、日本にマーケット展開している他国の外資企業にとどまる。SIOにしては、景気操作を見込んでのプロジェクトであったとしても、さらに深くの、内政レベルの問題に干渉しなさ過ぎているんだ。レオンを落とす明確なメリットが、SIOにはない」




電話の向こうの彼は断定口調で言う。その間、僕は相槌を打ちながらこじんまりしたディスプレイに映ったウィングやレオン、その他大手総合電器メーカーの株式動向画面を目で追っていた。大幅な下げ株、とまでは行かずともレオンの株価は、サイバー攻撃の報道直後の下落から回復の見込みはないまま。対して、ウィングをはじめ電器メーカー各社の株価はほぼ平行線だ。




「あるいは、景気操作以外の何か別の目的の布石であったとする。だとしても、世界中のニュース番組でトップを飾るようなやり方は選ばないだろう。事件があったという事実自体を揉み消させるはずだ。サイバー攻撃を仕掛けた連中は、レオンという組織に、直接のダメージを与えることが目的だったんだ。経済的かつ、世間的なダメージを」

「それで、何で僕が上がってきたの?」




淡々と述べられる推測に、わざと言葉を被せた。




「なかなか鋭い推測だと思う。さすがは黒羽の御曹司だ」

「お誉めに与り」




如才なく返してくるその冷静さに、些か自嘲が含まれていたのは電話越しでもわかった。家の話をされるのは不本意なのかもしれない。




「そこまで推測を進めているからには、何か明確な証拠があるんだよね?」

「勿論」

「よかったら教えてほしいな」

「後戻りが利かなくなっても?」




株価のグラフで埋め尽くされた画面を閉じ、左手の指先だけでパソコンに次の指示を送りながら、電話口で唇を動かす。




「戻る場所なんてないよ」




一瞬間が空いてしまったのは、きっとパソコンの動作が遅かったせいだ。




「SIOに切られるとなると、相当の痛手になると思うが」

「そうしたらまた、僕を買ってくれる誰かを待つだけだよ」




Special Intelligence Office、通称SIO(ソルト)は、僕の正確なクライアントではない。仕事をくれるお得意様ではあっても、顔色を窺ってぺこぺこ頭を下げるようなことはしないし、必要以上に縋り付いたりもしない。全世界に市場を拡大しようとせめぎ合う企業、陽の当たらない場所でジリジリとシマを広げる非社会的組織、そしてかつて、いや現在も睨みあっている冷たい戦争の当事者たちとその、文字通り犠牲となってきた国家も例外にはならない。




「国境も派閥も越えて、色んな人たちに“協力“してきた以上、特定の組織に所属すれば、今まで築き上げてきたキャリアも情報網も無駄になるからね。僕がしてるのは、あくまで手伝い」

「ボランティアにはほど遠い、な」

「それが道理でしょ?お互いに欲しいもののために、対価を払っている。確定するはずもない善悪なんかより、よっぽど単純だ」





僕を欲しがるなら、僕の欲しいものを。




僕のことがいらなくなれば、僕の方もいらなくなる。




僕がいらなければ、僕の前から消えればいい。





「彼らのくれるメリットが、僕の手伝いと対等な価値なんだ。価値なんて、誰が決めたかは知らないけどね」




笑い声が聞こえた。電話の向こうからではない。カウンターの向こうのシュウさんだった。顔の前で片手を立てている。僕も声を出さずに唇と目だけで笑い返した。




「ごめんね。僕のことより、そっちの話だ」

「構わない。もとよりコンタクトをとったのはこちらからだ」

「興味を持ってくれてるんだ?」

「噂に聞いていて、お目にかかれればと思う程度だよ」

「テレビ電話でもしてみる?」




遠慮しておくよ と戸惑いの混じった声にも、やはり隙がない。ビジネスのプロたる所以か。




パソコンのディスプレイに映った、電話の向うで苦笑しているであろう端正な顔を、指でなぞる。顔など知らなくても会話は成り立つけれど、カードを集めるのが好きな性分には逆らえない。




「グラン・カジノの運営をあのタイミングでリークしたことで、ホテルに宿泊していた黒羽会長に大事はなかった。SIOは最重要人物の保護に加えて、国内でのカジノ運営を炙り出せて一石二鳥と言うところか。しくじれば国家問題になりかねないプロジェクトに、SIOお抱えの君が一枚も二枚も噛んでいたことは想像できる。だが、レオンのサイバーテロは違う。グラン・グループの事後処理に徹しているはずのSIOが、レオンにまで手を伸ばすとは考えにくい」

「だから、僕の独断だと思ったんだ?」

「君の存在は前々から知っていた。SIOの前には、香港の独立運動組織と動いていたそうだな」




カードを持っていたのは、相手も同じようだ。ゲームスタート。




「そんなに目立ってたつもりはなかったんだけどな」

「正直、神出鬼没の天才ハッカーさんとこんなに早く接触できるとは思っていなかった。実際俺はこうして調査するまで、君はSIOの人間だと思っていたんだ」

「防衛関係者でもないのにSIOの存在を知っているだけでも、十分ツウだよ。防衛省内に世間には非公表の内密組織があるって事実だけでも、政界をひっくり返さんばかりのネタなのに」

「国家が武力の所持、行使が認められていない現状において、ネックとなるのが情報戦である以上、他の先進国にならい諜報組織を置くことは不可欠になる。言い分だけは正論だが、実質は戦後GHQの指示でろくに整備もしないまま成立した組織だった。防衛庁から省に昇格したことでようやく各国と渡り合えるようになったが、そこに関わっていたのが君のような、国籍も所属も不明、あるいは所持していない、裏の社会を渡り歩いてきたハッカーだ」




相手の話に一呼吸置かれたところで、オレンジジュースを口にする。渇いていた喉を癒すように、冷たく流れていく。




「防衛省の昇格と同時に、大幅な人事入れ換えによって内部は一新された。特殊情報部も例外ではなかった。それまでの主に内閣、政権に寄った業務を中心に行う一部署にとどまっていた頃とは一線を画し、非公式組織でありながら省の核を担う部署となった」




自分が辿って来た道であっても、第三者の口から聞くと、面白いほど他人事のように思えた。その道の入門向けにまとめられた本を斜め読みしているような、そんな感覚だった。




「その影響力は、内政にとどまらず外交、海外諸国との政治的駆け引きにも大きく表れるようになっている。最早当初のCIAの非公開日本支部というポジションから、防衛省所属という名を被る独立した組織になりつつある。赤坂本部にしてみても、母体依存からの脱却という意味でむしろ独立志向を奨励していた立場であり、大きな問題とはならないはずだった」

「ある疑惑が、浮かぶまでは」




彼の語りに割り込んだのは、特に意図してのことではなかった。テレビのナレーションのように淡々と紡がれていく「歴史」は、本の中の物語でもあり、また僕にとっては、紛れもない過去であった。




読者が語る物語と、登場人物が語る物語は、同じストーリーではあっても、決定的な違いはあるはずだ。




「人事異動の直前、前の本部長は、異動じゃなくて年齢と体調を理由に退任した。その5日後に、前本部長は急な心不全で亡くなっている。防衛省になって新しい人事が発表されたのは、その3日後。この正式発表の前に、本部長代理となって祀られたのは、当時の情報部一課の一エージェントだった。異例の抜擢を受けた今の本部長へ変わったことが、SIOの急成長と拡大に関連していることは明らかだった」




黙々と作業をしていたシュウさんを、目線だけで伺う。特に反応はない。意識して、声のトーンを下げた。




「不思議に思っていた人間も多かったはずだよ。だけど、赤坂本部が推進していた人事改革ということもあって、口を出す人はいなかった。今思えば、そこが落とし穴だったんだ。僕みたいな第三者から見ても、特に留意することもないくらいの不自然さに過ぎなかった」




嘘だ。




あの時、勘づいてはいた。




他人事だと割り切って、触れなかっただけだ。




目の前で崩れ落ちていった、宿り木に。





もう一度、カウンターの向こうの彼に視線をやった。




目が合うことはない。




「すでにSIOは、防衛省管轄でありながら実質的にはCIAとの連携を一層強化した独立組織になりつつある。今の本部長と、彼が作った勉強会「明衛会」が、その推進派の筆頭だ。ゆくゆくは内閣の一省庁というポジションを出て、日本っていう国家からも逸脱した組織として独立するのがその理念だ。今はそのために赤坂を通じて、総本部に寄り添っている。でも、それはアメリカ側に属すためじゃない。中から食い潰すためだ」




確信した時にはあまりに遅く、毒の芽はすでに組織の深く侵食していた。




毒に冒された宿り木を、少し離れたところから見ていた。




「名ばかりの国防組織内の一団体に、世界最大の軍事国家に牙を剥くほどの力があるとは思えない。バックを辿るのは骨が折れたよ。最初は中東の原理主義グループやKGBみたいな対米の急先鋒を追ったけど、真っ向から喧嘩を売買している彼らのやり口にしては、遠回り過ぎていた。そうやって一つ一つ潰していくうちに、最近になってやっと、それらしい影が見えてきたんだ。予想以上に大きくて、国境も人種も問わず深く根付いている組織だった。地道に、目立たず、でも確実に世界をひっくり返そうと動き続けている集団、それが」





“クリスタ”




見事に声が被ったにも関わらず、僕も彼も笑わなかった。




ジャズアレンジバージョンのアニソン集は、昭和の歌謡曲特集に変わっていた。名前は忘れたけど、20歳で引退して結婚した女性歌手の伸びやかな声が、静かな店内を巡っている。オレンジジュースのグラスに手を伸ばすと、溶けた氷に混じって薄くなった黄色が、底に少し残っているだけだった。




「ところ構わず飛び回って調べまわったのも、無駄ではなかったようだな」




先に喋ったのは彼の方だった。安心したのか緊張したのか、どっちつかずの声だった。




「君がレオンのサイバーテロに関わったという推測は確かにあくまで仮説だった。だが、これではっきりしたよ」




仮説が的中した割に、僕よりも低いその声は、哀愁とすら言えるような空気感に満ちていた。




「君はSIOの関係者でありながら、国防及び内政維持というその理念を大きく逸脱し、民間企業へのクラッキング及び個人情報の流出という反倫理的な行為に携わった、という事実がね」

「そんな堅苦しいものじゃないよ」




喉の渇きを少しでも和らげようと、意識してゆっくりと喋る。




「あれはただの宣戦布告。君の言った通り、グラン・グループの摘発は確かにSIO本来の理念に叶っていた。でもレオンは違う。経済界にしてみればそのショックは大きいけど、国政や海外情勢への影響と言えばせいぜいセキュリティ問題が喚起された程度だ。レオンが、政治的権力を持っていなければね」

「…つまり」




それまで流暢に話していた彼が、一瞬言葉を詰まらせた。ちらつかせたカードを、注意深く観察している、といったところか。




もはや、手の内を明かすことすらゲームの醍醐味だ。




「いたんだよ。レオンの取締役会に、クリスタのメンバーが」




応えはなかった。もしもし と尋ねると、少し遅れてああ と、それからすまない と返ってきた。何に対して謝ったのかわからなかったので、ううん と言っておく。




「表向きは一部の社員と顧客情報の流出問題ってことになったけど、情報管理部に侵入できたおかげでクリスタの手がかりを掴むことができた。クリスタメンバーのその取締役には、相当な打撃になったはずだよ。万全なはずのセキュリティを突破された挙げ句、こっちはいつでもばらまけるような秘密を握った。情報管理の責任者が裏組織のメンバーであり、その組織を資金源にしている、っていうね」

「それが、目的だったのか」

「言ったでしょ。宣戦布告だって」




形成逆転。こちらの手札は減ったけれど、相手は確実に揺さぶられている。




「と言っても、僕は実質何もしてないよ。情報管理部に入りこんだのも、使い捨てになるウイルスソフトを開発したのもそれを仕込んだクラッカーも、幹部の情報を調べあげた情報屋も、全員顔も名前も知らない」

「だろうな。ログや形跡を辿ってみても無駄だった。組織の特定はおろか、共通点すらわからなかった」

「サイバーテロ組織とか国家級の集団とか報道されてたけど、どこからそんな推測が出てくるんだろうね」

「火の立たないところに煙は立たない」




予期せず呪文のような言葉が聞こえてきて、喋ろうとしていたことが頭から飛んだ。その少しの間を口をつぐんだと思ったらしく、電話先の彼は穏やかに、だけど鋭く畳み掛けてきた。




「確かにリストアップされた容疑者たちには、個々でも組織的にも、繋がりはなかった。と言うよりも、確認できなかったと言う方が正しいな。だが、分析を進めていくと、共通点とまではいかないまでも、彼らにある特徴があることがわかった」




一呼吸の間が、異様に長かった。




「なぜ、彼らの所属がわからなかったか。答えは簡単だ。彼らは、どこにも所属していなかったんだ。学校にも、企業にも、特定の団体にも」





選んだカードは正しかった。




出す順番も間違えなかった。




手札も充分にあった。





「君も知っての通り、いくら厳重に防御しても、回線や痕跡を辿れば個人の特定など造作もない。問題はその先だ。行き着いた点と点を結ぶ作業がうまくいかなければ、駒である個人がわかったところで無意味だ。今回はそこが最大の難関であり、また糸口でもあった。世間的にどのグループにも属さないという事象は、裏を返せば社会から隔絶されている、というヒントにもなる。社会的に切り離されており、なおかつ高度なテクノロジーを持つ者たち。そう考えていけば、自ずとある構図が浮かんでくる」





要因は、ただ一つだ。





「教育や就労、その他あらゆる社会的拘束と無縁である者たちが、自分たちと同じ立場にありながら絶大な実力とカリスマ性を持つ者に個々に賛同した」





彼が持っていたカードが、ジョーカーだった。





「貧困街出身の天才ハッカーである君に、ね」




カードゲームなのに、チェックメイトだ。





「君は彼らを煽るだけでよかった。次のターゲットとそれらしい理由があれば、能力を持て余し、活躍の場を求めているアマチュアたちはこぞって自身の得意分野で貢献しようとする。そこまで見込んで、君は敢えて自ら手を汚すことはしなかった。彼らも最終的な君の目的を知ることのないまま、君の駒となっていたんだ」




そうか、と前触れもなく合点がいった。




今プレイしているのは相手を読んで手の内を明かしていくカードゲームであっても、あれは、レオンの時は、チェスだった。




敵のキングを引きずり降ろすために、僕は駒を動かして、盤上から見ているだけでよかった。





「つまり、勝負に勝って、ゲームに負けたんだね。僕は」

「ゲーム、ね」




呼吸のついでに吐き出したような言い方だった。そこには、俺とおまえとは違う という意図が間違いなくあった。




「僕はそう思ってるよ。君は違うかもしれないけど」




だからどうという話ではない。彼には家族がいて、会社がある。僕には何もない。それだけだ。




「確かに、暢気に楽しんでいる暇なんてない。だが、必要なら喜んで参加するさ。駒になるのも悪くない」

「みたいだね。向き不向きはともかく」

「プレーヤーがいないんだ。好きに動けばいいさ」

「君のお祖父さんは?」

「あの人だって、キングに過ぎない。そもそもこれは依頼でも指示でもないんだ。ただ、ベクトルが同じなら連携をとりたいと思ってな」




レンケイ と声に出してみる。




彼なりに選んだ言葉なんだろう。協力というには利己的で、手助けというには対価の大きいこのゲームにあたり、同じ陣営に入れることはなく、かといって野放しにはしてくれないはずだ。




それでも





「いいよ。僕が必要なら」




僕にしかできないことを、存分にやらせてもらうのみだ。




「感謝するよ」

「そんなのいいって。目的は同じなんだから」

「ああ。影でのさばる鉱石を、同じ影から追い出してやるさ」

「意外とブラックなんだね」

「どうも」




渾身の誉め言葉を綺麗にスルーした彼が、じゃあ と切り出したの止める。




「僕も、一つだけ忠告させてほしいんだ」

「何なりと」

「君自身は、総本部には所属していないんだよね?」




そこまでで、言わんとしていることがわかったらしい。短い笑い声のあと、事前に用意していたかのように、彼は応えてきた。




「出しゃばっている自覚はある。祖父も、俺にはこちら側の跡を継がせる気はないらしいし、俺自身もできることなら表の事業に関わりたいと思っている。だけど、そうもいかなくてな。俺よりも先に足を突っ込んだバカを、引き戻さなきゃいけないんだ」




その声は、御曹司でも、やり手のビジネスマンのものでもなかった。




「守れないなら、せめて盾になる。それだけのことだよ」

「そのために、望んでもいないゲームの駒になるの?」

「多分、望んではいるんだ。同時に、このまま何も起こらないでいればいいとも思っている。俺にもよくわからない」




ふうん としか言えなかった。彼にもわからないことを、僕が理解できるはずもない。




「君には滑稽かもしれないね」

「うん、正直。でもそれが淋しいことなんだなっていうのは、何となくわかるよ」

「君はずっと一人でやってきた。その生き方を卑下することはない」




身体の中の空洞感が疼く。また大きくなるのかもしれない。




ありがとう、とは言わなかった。気休めに気休めで返すのは、余計に空っぽになるだけだ。




こうして余裕のある生活を送れるようになった今、ボロボロになって生きていたあの頃も、もはや懐かしいとすら感じられる。なりふり構わず這いずりまわっていたあの時代があって、今、この街で日々を過ごしている僕がいる。




不満も不自由もない。なのに




「何が、間違っていたんだろう」




どうして、彼のような人間と、僕とは違うのだろう。




「一概に間違いだったとも思えないが」

「何が?」




咄嗟に問い返して、話がかみ合っていないことに気付いた。なんでもない と言い直す前に、彼はすでに喋っていた。




「レオンからクリスタの一員を炙り出したことで、奴らには確実に、よかれ悪かれプレッシャーになった。ソルトや総本部の意向にはなかったとはいえ、陣営全体の日和り主義に火種を投げ入れた結果になった。これからほぼ間違いなくクリスタの存在、そしてその意するところに本格的に捜査の目が向けられるようになる。君はきっかけを作ったんだ。正義を語る偽善者たちを表舞台に引っ張り出して、決着をつけさせる戦いの、な」




気遣ってくれたのか、それとも敢えて話の流れを読まなかったのか、とにかくフォローしてくれたらしいことはわかった。今度は、きちんとお礼を言うことができた。同じ気休めでも、慰めより評価の方が受け入れやすい。




しばらく、無言が続いた。僕の方はもう話すことはなかった。前とは逆に僕がじゃあ、と言うと、彼がもう一つだけ、と話を持ち出した。




「個人的な話になる」

「いいよ。なに?」

「君の隣人のことだ」




来るとは思っていた。個々の人間関係においてという意味では、彼にとって僕は味方ではなく、ただの邪魔者だ。




「時期を見て引っ越すつもりだよ。あの人を巻き込むつもりはない」




言葉は選んだが、嘘はついていない。




「これ以上は危険が増すだけだ。必要なら、彼女の前から姿を消してもいい」

「俺個人としてはそこまでする必要はないと思っている。だが、彼女との接触は避けてほしいとは言うつもりだった」

「大丈夫。心配しなくていいよ」




彼女は、僕を必要としてくれていた。彼の、僕が今話をしている相手のために。




僕は違った。僕の隣人は、彼女じゃなくたっていい。





「なんなら僕が出ていったあとでよければ、君があの部屋に住んでもいいよ」

「気遣い痛み入るよ。だが、それじゃ意味がない」

「どうして?」

「どうしてって」




会話はそこで終わった。僕が電源ボタンを押したからだ。彼の戸惑ったような言葉に被って耳に入ったのは、低くて野太い、猛獣みたいな叫び声だった。




電話は来ない。僕の方からもかけなかった。盗聴や逆探知対策はしてあっても、屋外で電波を発すれば記録が残る。バッテリーが半分以下になっていたので、そのまま電源を切った。画面の暗転とともに鳴った電子音に、再び怒声が被さる。




「んの野郎、てめえって奴ァ!!」

「なんだよ!!いてっ、離せ!!」

「仕事中に女とよろしくやるとはいい度胸じゃねえか!!しかもよりによってルナちゃんに手出しやがって、このケダモノが!!」




口喧嘩とも言えないような大騒ぎは、店の奥からだった。特に興味は湧かなかったので、スツールに座ったまま、すでに空っぽのグラスをもう一回口にして傾ける。




「バカ言ってんじゃねえよエロ親父が!!どういう目してたらそういう風に見えんだよ」

「鼻の下伸ばしながら女に手出してる奴に言われたかねえな」

「伸ばしてねえよ!!手も出してねえ!!やべえのは目じゃなくて頭みてえだな」




毎度の下世話な競り合いは、もはや名物を通り越して日課にすらなっていると思う。店を開ける前に掃除をするのと同じような習慣なんだろう。内容をいちいち聞くよりは、ちょっとしたBGMのように考える方がちょうどよかった。




その日常茶飯事のののしり合いは、今日はいつもと違っていた。




男二人の怒鳴り声に、笑い声が被さっていた。




若い女の子の、何かが弾けているような大笑いだった。




奥に目を向けても、仕切りの向こうは見えない。暗い入り口からの笑い声は次第に途切れ、やがて静かになった。




大丈夫?とかすいません というやり取りがあったのち、ようやくシュウさんがバーカウンターへ戻ってきた。続いて、いつにもましてぶすっとした晃斗と、その後ろに、女の子がついてきた。長い黒髪のその子は、お腹を抱えながら、肩で息をするようにやっとのことで歩いている感じだった。




「悪いな、シン。もう一杯いるか」




答える前に、シュウさんはオレンジジュースのお代わりを注いでくれた。空のグラスを渡し、オレンジ色の新しいグラスを受け取る。




「うん、ありがとう」




その声で気づいたように、女の子は顔をあげて僕を見た。条件反射で笑みを作ると、彼女も微笑してぺこり と頭を下げた。




「ルナちゃんも、何か食べてくか?」




謎の女の子はルナというらしい。シュウさんの接し方を見ると、割と親しいようだ。晃斗の方とも、カウンターから席へ通されながら自然に会話をしている。




「今日はいいや。お金本当になくて」

「いいって。うちのバカが粗相したお詫びだ。好きなもんご馳走するよ」

「粗相ってなんだよ、俺は」

「バカなのは認めるんだな」




明らかに苛立ちを隠していなかった晃斗だったが、いつものように反論せず舌打ちだけで終わらせた。一方、するりと僕の隣に座った彼女は、そういうことなら、とメニューを開いている。




「一緒に見てもいい?」




長電話をしていたこともあり、小腹が空いていた。はい と応えてくれた彼女の顔は、どこかで見たような面影があった。




「ルナちゃんって言うの?」




いきなり聞いたにも関わらず、彼女はやっぱりはい と頷く。




「黒羽ルナっていいます」






笑顔を保つのが一苦労だった。





目だけで、マスターを窺う。彼も、目だけで頷いてみせた。





思わぬところで、思わぬ収穫だ。





僕は、”ジョーカー”に向けて、よろしく と握手を求めた。






next





どうも、最近企画小説に浮気していました、楪美です。


今回は厨二ハッカーシンちゃんVS二枚目(?)ビジネスマンユキさんの頭脳ゲームでした。

なんかCIAやら防衛やら株やらハッキングやら難しい言葉ばっか使ってますが、要はなんか裏深いんだなあというのをぼんやり感じ取っていただければ嬉しいです。ハイ。


設定作るのもですが、それをこう文章に起こすとどうしても説明っぽくなっちゃうのが自分であんまり綺麗じゃないなあと思ってしまいます。

分かりにくい部分も多いかと思いますがご堪忍を…。

いずれ別途組織図とか略称のまとめ作りたいと思ってます。




次回はとりあえず難しい話は置いときますが、またまたシンちゃんイケメンのターン。好きなんです、この子♥



おつきあいありがとうございました!!

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