①
教室の窓から穏やかな春の風が、俺の目の前を悠々と通っていった。普通なら、「今日は良い天気ですね」と語りかけているようだが、今の俺には「はんっ」と鼻であざ笑ってるようにしか思えない。
大抵春風の俺だが、思わず「静かにしろって言ってんだろ・・・」と口に出してしまった。
けれど、真夏のアブラセミ並みに騒々しいクラスに俺の呟きなど聞こえているはずもない。
そろそろずっと立っているのが本当にしんどくなってきた。それもこれも全部、学級委員に俺を推薦した奴のせいだ(面倒くさがって俺に押し付けた奴ともいう)。
鴎栄中学に入り、約二週間たった今日。中学の学区内にある小学校が三校ほどなので、同級生と仲良くなるのに時間など、殆ど必要なかった。
ところが、その中にも例外というものがある。現に俺がそうだ。俺――宮島瞬一が通っていた小学校は中学からすれば学区外だ。けれど、俺の住んでいる場所が学区内なので、小学校時代の友達の殆どとおさらばしなきゃならなかった。
別に、友達と離れるのは心細いと言うだけで、それほど俺の生活に支障はない。どうせ、中学でも友達作りは出来るのだ。
問題なのは、おさらばしたい存在と同じ学校ということだ。
誰か、という説明は必要か・・・?俺的にはいらないと思うぞ。このまま話が続いていけばおそらく、確実に登場する。
少し言っておくと、まずそいつに合う熟語は「悪魔」。いや、「魔女」かな?「般若」とも言うかもしれない。四文字熟語だと、「自信過剰」「傍若無人」「我田引水」「自分勝手」・・・なんか意味の似てるのが多い。
数学でいう反比例。みんなはちゃんと比例してんのに何でお前はそんなに捻くれてんだよ!と図を描くのに物凄くイラつく奴だ。
全然少しじゃなかったが、まぁ、これほど俺はそいつとは関わりたくないわけだ。
なのに全く・・・
ふと、近辺から声が聞こえてきた。
「・・・うっわー何このクラス。うじゃうじゃうるさいんだけど」
教卓の脇で、右肘で頬杖をつき教卓を見ないようにそっぽを向いた。
そのまましばらく仏頂面を続けてると、突然とんできた拳で右肘を前方へ思いきり叩かれ、手のひらから外れた俺の顎は見事に教卓を強打した。
「っで・・・!っお、おま、藤田っ、痛いじゃねぇか」
拳を解かないまま睨んできた。怖いから、その拳は解いてほしい。
「痛くしてんだから当たり前よ。んなことはどうでもいいの、この状況をどうにかしなさいよ。あたしが大事な睡眠取ってる間に、なんで動物園になってんだか」
さっきまで何もせずに寝ていたお前が、何故ずっと立って皆をまとめようと必死だった俺の主導権を奪い取ろうとしているのだろう。
「いやぁ、班決めをしようとしたらこんな感じに・・・」
更にきつくこちらを睨む。自分のせいでないはずなのに、しどろもどろ喋ってしまうのが悲しいところだ。
「ったく、役立たずねー。そんなだからいつも何か押し付けられた上にあんたが怒られんのよ」
関係ねぇだろが、と内心毒づく。大体、そういう場合はお前のせいで怒られてんだよ。
「何、班決めだっけ?んなもんはねぇ、こうやって決めんのよ」
言うが早いか、藤田は拡声器を最大音量にして叫んだ。
「今から出席番号順で班を発表をしまぁーす!」
おいおい、ここまで話をぶった切ることはないだろうが。半ば諦め顔で藤田を見ると、なんとまあ堂々とした顔つきで、あたりを見回している。勝負が始まった途端すでに勝ち誇った顔ができるのはこいつくらいなもんだ。
皆は何が起こったかわからずにこちらの方を見た。一瞬静かになったものの、すぐさまなんでだー、ちゃんと決めろよー、とブーイングが巻き起こる。
「るせいっ、さっきまでくっちゃべってた奴が何言ってんの。今文句あんなら、うちが聞くわよ。愚痴は後で宮島が聞くから」
皆は黙るしかない。こいつに口で勝とうなど、愚痴を聞いた俺が藤田を説得させられるくらい、無謀だ。
何も見ずに班を順に言い始めた。――あぁ、席が出席番号順になってるからか。何気なく自分の席へ目をやり、自分は誰と同じ班になるかな。と、教卓を指でカタカタ鳴らしながら思った。同時にその一つ後ろで空席を発見した。休みはいない、隣に立っている藤田のだ。
「・・・木之元。三班、桑原・・・」
四〇人を五人ずつでちょうど八班になるはず。ということは・・・
はたと気がつき、鳴らしていた指を止めた。
あれ?俺の計算間違ってるんかな?首を捻って思案に暮れていると、脇から「顔キモいんだけど」と釘をさされた。
「・・・高木、塚田。五班・・・」
これだと俺・・・いや、ないだろ。クラスも一緒、委員も一緒、帰り道も一緒だと、俺の逃げ道がないじゃないか。
「・・・七班、あたし、こいつ」
おっとーまさかの代名詞が投入。すかさず、俺は口を開く。
「質問。こいつとはどいつのことだ。世の中にはこいつと呼ばれるにふさわしい奴は山ほどいる」
せっかくうちが言ってやってんのになんで横から口挟むかね。と思ってるのが凄いよく分かる口調で教えてくれた。
「あんたに相応しい称号でしょうが」
何故だぁぁああ―――っ!と叫びたくなる自分を抑えながら、後頭部に両手を当ててその場に沈み込んだ。
同じ!?あれか、出席番号という時点で藤田は図っていたのか?
「はい、班割りは以上!今すぐリーダー決めてうちに報告ね」
あぁ・・・明日から学校へ行くの考えようかな。学級委員なんか尚更ヤル気がしねぇよ・・・。
浮かび上がる気配のない俺に、上から声が降ってきた。
「ねぇ、誰がいいと思う?」
これからどうやって学校生活を送るか真剣に考えている最中に、リーダーなんか真剣に考えてられっか。この際リーダーなんてどうでもいいんだよ・・・。
順に名前を挙げられたが、人物を思い浮かべる暇も無くほとんど聞き流した。
「あーもー誰でもいいって・・・」
そう口走った瞬間、一瞬にして藤田が気持ち良さそうに大量の空気を吸いこんだ。
「だってよ!七班リーダー宮島ねっ」
跳ね上がるようにして藤田を見上げると、そこには悪魔の微笑が浮かんでいた。
藤田は口元に手をあて細めた目で俺を見下した。
「ちょっとなぁーにーその顔―?あんた、誰でもいいって言ったでしょうが」
「ま、待て。それはだな、俺でなければってことで・・・」
慌てて立ち上がり撤回を訴えるが、そそくさと藤田は聞けぬ振りをするため他の班へリーダーを聞きに行った。
藤田は諦め、同じ班の他三人にも同じことを言おうとしたとき、目を合わせた途端に首と手を同時に振られた。
班の唯一の女子(と言ってみる)水無月には先手を打たれ、悪気はなかったのと両手で拝まれたので、いやいや平気ですよと愛想笑いをした。諸君、藤田ばかりを見ていると、顔は普通でも女子は皆天使のように見えてしまうものなのだよ。
他男子一人の本居がそれに便乗してか口パクで「悪い、お前藤田と仲良いと思ってさ」と言っている。裏切ったなぁーっ!本居を思いきり睨みつけてから再度頭を抱えて居座った。
俺が諦めたのを見計らってか、藤田が戻ってきた。
「百面相下手ねー。さっきのなんかアヒルが死ぬ前の顔みたいだったけど」
・・・だぁーれがアヒルだ、お前なんか年中コブラみたいな顔しやがって。
そんな反発は、俺の睨み顔をアヒル顔と言われたことのショックの後に出てきたものだった。
藤田は更に深く沈む俺をケラケラ笑いながら再びクラスの指揮を執り始めた。
「はい席ついてぇー!リーダーは班名簿の紙取りに来いっ!」
さすがに俺も席に戻ろうと、リーダーという甲羅を背負いながらゆっくりと立ち上がった。一番に藤田から差し出された紙を受け取ろうとした時、彼女は珍しく俺の顔を見て微笑んだ。
なんだ、ちょっとは気にしてくれて―――
「宮島、リーダーの長もよろしく」
言うまでもなく、甲羅の重さに耐え切れなくなった俺は再度沈み込んだ。
「お前も災難だったな」
てめぇも共犯だろうが。本居の口調は、草野球で仲間が三振を取ってしまった時にどんまい次行ってみよう、と声をかけるような軽さだ。
俺は力任せに拳を打ち付けると、机の上の弁当が三センチ飛んだ。
「おま・・・っ!人事だと思って。これはもう人為的犯罪だぞ!訴えたら勝てる気がしてきた」
湯鳶はひっくり返っていない弁当に安堵しながら、哀れむ視線を俺に向けた。
「俺も被告人が藤田じゃなければ勝つに賭けるけど」
その言葉が見事に撃沈した為、あぁ、そうだろうな・・・と嘆くしかなかった。
昼休みに同じ班の男子三人で、割に合わずひとつの机を囲んでちまちまと弁当を食べている。
何故三つの机をくっつけて食べないのかというとそれは几帳面な女子のやっていることで、男子は皆椅子だけ持ってきたり机の上に座ったりでてきとうだからだ。俺らにもプライドというものがあり、周り奴らに女々しいなど思われたくない。まぁ、そんなプライドも美人さんに否定されるとあっさり砕けてしまうが。
俺らの班もそうだった。さっきは水無月を普通などと言ってしまったが、改めて班で集まって見ると、上の中くらいだと思う。美人というよりは着物が似合う若いお母様のような人だった。その水無月さんが「こうはどうかしら?」と言えば、譲らないと思ってた事も真っ向から押し通せず、むしろ「とても良いと思います」などと口を緩めて言ってしまうのだった。ただ、先に藤田が俺らのプライドを破壊するがな。
「なぁ、水無月さん良くね?」
本居がせまい机で身を乗り出したので、反射的に俺と湯鷹は身を反らせた。
「何だよいきなり」
俺がムスッと黙ったので、湯鷹が反応を示した。
「俺水無月さん狙おっかなぁ~」
手のひらに顎を乗せて気味悪く口元が歪ませている本居に、二人は呆れるしかなかった。
俺は「無理だ」と正直に言った。続いて湯鷹も同じくと手を挙げた。
「んだよ、ちょっとは手伝うとか気の利いたコト言えないのかよお前ら。自分だけだと思って調子に乗って」
後半のセリフは俺に向けられた。
「は?なんで俺が調子に乗れるんだ」
本居は半分羨ましそうに半分からかい口調で俺を指差した。
「藤田ちゃん」
湯鷹が慌てて俺を押さえつけようとするが、弁当箱の蓋を投げつける方がコンマ一秒早かった。綺麗に水平に飛んだ蓋は見事に額に命中し、スコーンという透明音と共に本居はその場にうずくまった。
「ってー、何すんだよ」
「本居てめぇ、勘違いも甚だしいわ。すっからかんな頭鳴らしやがって」
湯鷹は俺と同じ小学校なため、藤田のことを良く知っている。勿論、あまり俺がこういう話題が好きではないのも分かってくれていた。
「まぁ、宮島も落ち着いて。本居、飲み物買ってきてくれないか」
なんで俺が・・・とブツクサ文句を言う本居だったが、ここで恩を売っといて後で宿題でも手伝わせようとする下心が見え見えだ。
即座に起き上がった本居は、抜け目なく湯鷹から硬貨を受け取った。
「宮島は?」
「あぁ、えぇーっと・・・いや、なんでもいい」
こういうのは限りなく迷ってしまう性分なので不本意だが本居に選択を委ねた。自動販売機にあるのは大体飲めるので、さほど心配する必要もない。
俺は後で払うと言い、本居をさっさと退場させた。
本居が去った後、さっきの会話を思い出したのか湯鷹は苦笑した。
「ちょっと大変な友人に捕まっちゃったね」
俺は虚をつかれて、ははっと取ってつけたように声を上げてしまった。
湯鷹が気を利かしてくれたみたいだが、大げさすぎたのでは、とも思う。
昔から藤田勘違いはよくあって、聞き飽きて何度も言われると癪に障ることはある。だが、もう諦めているのも事実だ。さっきの場合はただ苛立ちと本居に対する態度が組み合わさっただけで、いつもだったらあんなに過剰反応するとは思わない。
こちらからあまり深く関わるつもりもないし、向こうが必要なときに扱使うだけ。俺としては、中学までは学校で顔を合わせなければいけない為仕方がないと思ってる。それが過ぎるまで待つしかないんじゃないか。
が、だ。やはり中学に入ってまでからかわれるのは避けたい。ここだと冗談じゃ納まらないのだ。嘘だと否定はしても、一緒にいたのは否定できない。広がる噂に足止めするのは厳しい。
少しは手加減してもいいんじゃないかな、と思うんだが・・・
「で、藤田のことどう思ってんの」
あまりに唐突な質問で、グリンピースを口に放り込んだ勢いのまま喉へ吸い込んでしまった。
むせてしまい胸を叩いていると、湯鷹は片手を挙げて懺悔した。
「ごめん、俺はからかってないよ。真面目に聞いてみただけ」
「・・・っん、あ、いや分かってる」
落ち着くため飲み物を含もうとしたが、今本居に頼んだことを思い出して更にむせた。
こいつ俺に本音を吐かせようとして本居を追い出したな。
「宮島は藤田と離れたいと思ったことないのかなって」
湯鷹め・・・少しはオブラートにでも包んでくれよ。
動揺を隠すため空咳をしてみたが、上手く場が締まらなかった。
「そりゃ、しょっちゅうあるさ。けどまぁ逆らうのも何だし・・・」
これは半分嘘で半分本当だ。逆らうとそれの反発がかなり手厳しいのもあるが、何かとやっぱり何でも出来る藤田を頼りにしてしまうからだ。学力はもちろん運動や行動力だって、どうみても普通の一般人の頂点に位置する(あれでもテスト成績は学年一だ)。
同じ班になれば作業は手伝ってもらえる上、何かと俺をリーダーにしたがる為上手く班の意見やレポートがまとまると先生のお褒めに預かってもらえるのは大抵俺だ。
湯鷹は鋭い質問を投げつけた。
「何で逆らったら駄目なの?」
「いや、怖いし、弁解は面倒くさいし」
俺の言うタイミングに合わせて湯鷹は口を挟む。
「嫌われたくないし、とか」
もしマンガにでも描かれてたら、冷や汗を垂らしながら目を見開いて湯鷹を見つめてるに違いない。
「ん、んなこた、言ってねーよ」
湯鷹はふーん、と含み笑いをした。
こういうときの湯鷹は大抵自分の思ってることを言わないときだ。甘いトコをついてじわじわと追い詰めて無理やりコトを吐かせるであろう。
その手には乗らないぞと強気にでた。
「それにな、俺はとっくに藤田に嫌われてるんだぞ」
「じゃあ、尚更藤田を怒らせてでも離れて平気じゃないのか」
その言葉を脳に理解させて五回ほど文をリピートさせてから自分が墓穴を掘ったことに気がついた。
湯鷹は自分の勝利を確信したように優雅に笑みを浮かべた。
「宮島と藤田の友として思うけど、もう少し藤田のこと、分かってあげると良いんじゃないかな?」
これには首を傾げた。この流れからこのアドバイス、湯鷹の意味するものがいまいち伝わらなかった。だが湯鷹は完全にコトを掴んだらしく、笑ったまま答えてくれそうもない。
俺は曖昧に、かなぁーと誤魔化しといた。
これ以上詮索されることもなく話が区切れ食事を再開すると、紙パックを抱えた本居が戻ってきた。
「並んだ、超並んだ。なんかぁ前の女子がずーっと自販前で長考しててー」
本居は席についた途端、聞いてもいないのに勝手に過程を説明し始めた。はいはい、と相槌を適当に打ちながら買って来てもらった飲み物を開けようと・・・
「なんじゃこりゃ――!」
俺も目の前には「これうちちっちゃい頃からめっちゃ好きー」とか女子が言っていそうなピンク色の紙パックが転がっていた。
湯鷹は既にツボに入っており、体をくの字に折り曲げて引き笑いしていた。
「おい本居てめぇ、なんだこれは」
「そうそう、そのいちごミルクと午後ティーでずっと迷っててー」
誰が女子の話をした!
「お前何でもいいとは言ったものの、わざわざこんな飲みもん買ってくるか普通」
暗黙の了解と言ってもいいほどこのいちごミルクは女子しか所望しない。間違ってもヤローが買うものではないことくらい知っている。ちなみに男子はエメラルドマウンテンだ。
本居だって分かってるくせに、こやつわざと買ってきおって。
心底疲れたように椅子の背もたれに体重をかけながら、本居はもうーと声を上げた。
「ほんと、ちょーハズかった。ハズ過ぎて持ってくる途中で「あぁーこんなの宮島頼みやがってー」って大声で叫んじゃったくらい」
本居はセリフの部分を再現するように片手メガホンをつくって叫んだ。
とうとう抑えきれなくなった湯鷹は後方へ跳ね上がって、甲高い声で笑い声をあげた。
つられて本居も笑い、教室にいる男子は皆いちごミルクを見て笑いの合唱が伝染した。
本居の奴一発殴んないと気が済まねぇ・・・と思ったらさっさと他の男子グループのところへ逃げて過程を明らかに大げさに伝えていた。
早々諦めた俺は、本居は藤田に似ていると思いこの類を殴れる奴などいないと無理に開き直ってみた。
が、弁解が行き届かないことと俺の飲み物がこれしかないことからストローをチビチビ口に含むと予想外の濃い甘さに、一パック飲める気がしなかった。
こんなに二八〇mlが辛いなんてあるのか!
放課後に会議室で学級委員会があると聞き、それに向かう途中で三階から一階の会議室までその時使うであろう資料の運搬を頼まれてしまった。
先生は勿論藤田のみに頼んだつもりだった。だが例のごとく「宮島君も同様に心優しいので手伝ってくれると思います」なんて抜かしやがって。だいだいなんだ同様にって。誰もお前が心優しいなんて一言も言ってないだろうに。おかげで、当初持っていくはずの三倍の資料を頼まれてしまった。
本居他男子に助っ人を要請したが、代わりに「いやぁ俺らじゃなくて良かった」などと口々に安堵の言葉をもらった。嘘でも「いいなー女子と」と言われて方が一緒に行く俺としてはまだ傷つかなかったさ・・・。
「・・・知ってるか。お前異性の幼なじみってのは周りから羨ましがられるはずなんだぜ」
俺を置いて行きそうなくらいずんずん進んでいく藤田は、面倒くさいのか振り向きもしない。
「何自慢したいわけ?俺の幼なじみは頭が良くて美人さんで運動神経抜群で四文字熟語で例えるなら才色兼備ですって言っとけばいいじゃない」
はて、もしや俺にはもう一人幼なじみがいるのだろうか?
実際重量三キロ体感重量三〇〇キロの資料の束を両腕で抱え持ちながら廊下を歩いていると、同学年の男子が通りすがりに哀れむ視線を垣間見せた。
なんとも惨めな光景なので、どうせなら思いっきり笑うか冷やかすかにして頂きたい。
アバウトにしか道を把握していない俺は前を行く藤田に目をやると、資料を気にしてるのか何度か足の動きが鈍いときがあった。
明らかに持ちにくそうな筒状の模造紙数本と大量の辞書が入った籠を、藤田は持つ時かって出た。持てると思ったのだろうが少し多すぎたようだった。
「お前さ、手持ち多くないか」
藤田は歩みをピタリと止めた。
反射的に俺も足を揃えて止まった。そして首をすくめディフェンスモードに入った。やべ、プライド刺激したか?
「・・・重いけど何」
いつになく手足の飛んでこない反応に毒気を抜かれ、そのタイミングで痛恨の一言が飛び出した。
「少し持とっか?」
両腕の資料を片腕のみに持ちかえた瞬間、空いた片手に遠慮なく重さがかかった。
突然の重さについていけなくて一瞬呆気にとられたが、かろうじで明らかな疑問が滑り出た。
「・・・少しって意味知ってるか」
「国語3が国語10に聞いてんじゃないわよ」
例え国語が1だとしてもこれくらい正解するわ。
「この量だと表現はな、少しでなく全てと・・・」
「いやぁーさすが宮島。全て、持ってくれるなんて気が利くぅ~」
目の前の藤田は目を細めて白い歯を綺麗に魅せた。
俺はなんだかんだ言ってこの笑いに弱い。これを断っても次の切り札が待っているわよ、と言われているかのような笑顔は藤田特有だ。
スキップをしながら藤田はどんどん遠ざかった。が途中で何を思ったか振り返った。
「ねぇ、喉渇いたでしょ。飲みモン買いに行ったる」
昼の騒動ですっかり水分不足だった俺には願ってもない申し出だが、同時にもうすごく既視感を覚える。
「落ち着け。俺はまだ何も言ってない。」
藤田は同じく軽快なステップを踏んで引き返してきた。
「だから先に言ってあげたんじゃん」
質問内容を理解しろ国語10!
「そうではなく、飲みたいなどと一言も言ってないんだが」
「今言った。それでおっけー」
言うが早いか、俺の両手が塞がっているのを良いことに藤田は勝手にポケットから財布を取り出した。
更に財布を開いて中身を確認までし始めた。今日の所持金は四百円(ビンボー学生ですいませんねぇ)。今日は塾で急ぎの帰りのため二一〇円をバスに使うとなると、一〇〇円のお茶は一本しか買えん。
臨港バス十分、徒歩で約三〇分程度の道のりを想像して一気に顔が青ざめた。
「お、お前くれぐれも二本それで買うなよ!」
といっても藤田が忠告など聞くはずもないので財布奪還を試みたが、しまった。両手は完全資料で埋まってる。おまけに重いとなると動きなど俊敏になるわけがない。前が見えてるのがせめてもの救いだ。
結局小走りしながら資料が落ちていないか確認するので精一杯だった。
その間にも藤田は無駄にくるくると歩き回りながら先を行った。
「あ、勿論飲みモン買ったら資料持つの手伝うから」
手伝うという単語が見事に藤田と一致しなかったため、俺は疑わしげに確認を求めた。
「ホントに本当か」
「ホントだってば。それまで頑張って一階までよろしくー!」
そう言うなり藤田は全速力で走りだして自販に向かった。
全く・・・お前帰り道に俺の足腰がボロボロになったらどうしてくれんだ。ただでさえ今結構資料で下半身がきてんのに。
そうは言っても階段で藤田を見失ったので諦めてゆっくり徒歩にした。
改めて会議室に向かうルートを思い描いて・・・
「自販機の隣じゃねえーか!」
「は~い、ちゃんと緑茶にしたよー」
疲労が溜まりに溜まった俺の判断力じゃお目当ての教室に着いたかどうか思考が追いつけなかったが、藤田の声がするのが何よりの証拠だ。
「・・・地味じゃないかそれ」
ハーフペットボトルを眺めながらため息をついた。
ビンボー学生はなぁ、賢いからお茶や牛乳など家庭にあるものは買わず、カルピスとかわざわざ金を出して買うものを選ぶんだぞ。
「何、やっぱりいちごが良かったわけ?」
「んなわけあるかバカ・・・ってお前何いいもん買ってんだ」
奪われないのを良いことに、俺の前で大きく五〇〇mlのペットボトルを見せびらかした。
「だってクーのオレンジ、これしかなかったんだもん」
嘘だ!お前絶対でっかいから先に見ただろーが。
藤田は飲み物を始めに持っていた資料に差しこみ、俺の腕から半分以上の資料をひったくった。素直に今はありがたい、がしかし。
「これだと客観的に、俺があまり手伝わなかったようにも見えるが」
会議室にそのまま入る気満々の藤田は営業スマイルになりつつ顔を振り返らせた。
「飲みモン買ったら資料を持ってあげる約束だったじゃない?」
このほぼパーフェクトな詐欺に引っかかった俺がいけないのだろうか、疑問に思う。
ドアを開けると大きな楕円のデスクには空き席が並んで二人分しか見当たらなかった。
「遅れてすみません」
俺まだ言ってないぞ?と思ったら猫被った声の藤田だった。
資料を奥のホワイトボードの脇に置きに行く際、小声で藤田を呼んだ。
「何かおとなしくないか。いつもならすみませんなんて丁寧語使わないだろ」
瞬時に肘鉄が食い込み、脇腹に激痛が走る。
「ほっんと失礼。先生がいんのよ、成績に関わったらどうしてくれんの」
なるほど大人しいはずだ、この自称優等生め。
席に着くと既に委員会は始まっているらしく、紙が配布されてあった。
ところがそれだけでは、今は何を議題にしているのか何をやっているのか読み取れない。
右隣の藤田も同じくハテナなため(こいつの場合聞く気もないが)左隣の同い年らしき女子に声をかけた。
「あの、今何をしていたところで・・・」
ここで、敬語を使うはずのセリフが途切れることになる。
「何でしょう」
俺の一文字目の発音で気づいてくれたのか、彼女はすぐにこちらを向いてくれた。
優しい焦げ茶のセミロングに緩いカールが乗っかった髪が、第一に俺を魅了した。
「え、と、何を見ればいいのかを・・・」
あぁ、と硬さがとけたようなチルドレンフェイスを見せつつ優雅なオーラを醸し出す。
「上から二番目の今年の学年誌についての項目で、これで決定して良いか皆さんに確認しているところです。」
最後にダメ押しのような白百合の笑顔は終始見れず、初めのコンマ五秒程で目を逸らすことになった。
「あ、ありがとうございます・・・」
やべ、頭どうかしたかな。この方の周りだけピンク色のお花畑ビジョンになっとる。
小さく会釈するだけで何頭もの蝶々が発生するようだった。
彼女が元のように前を向いてからも暫くビジョンに浸ってると、突如右足の先が悲鳴をあげた。
「い゛っ・・・!」
思わず連動して声を上げると、周りからの視線の的にされた。
「す、すみません」
軽く頭を下げて、進行を促すように先生に手を差し出した。
そして、悲鳴を上げさせた当事者を見る。
「・・・お、お前足先に踵は痛い」
「痛くしてんだから当たり前だっつの。何回も言わせんなバカ」
そして全く反省の色を見せずむしろ俺を睨みつける始末だ。
「んで、今どこだか聞いたんでしょ。さっさと教えなさいよ」
「・・・上から二番目の学年誌ンとこだと」
ここでむすっと黙らせない藤田は恐ろしい威圧感を持っている。
さっきの彼女を見たばかりな為、いつもの邪悪なオーラが三割り増しに見えてしまった。
先生が手を二、三回ほど鳴らすと理由もなく皆がそちらを向いた。
「では改めて聞くが、誰か学年誌の編集長を頼む。推薦でも構わないぞ。」
・・・!推薦という単語に物凄く敏感な体質の俺は身震いした。
何気なく先生他前に立つ奴は、何かと立候補の他に推薦をつけたくなるようだ。立候補が出なかった時の保険のようだが、高確率で使う羽目になる。そしてその時に採用されるのが高確率で俺のようだ。
何故冴えないお前が?という疑問はそろそろ出てこなくなった頃だろう。
何をひっくり返しても藤田のせいだ。天地なんか既にあいつがひっくり返してるんじゃないか。
「先生」
案の定隣から声が上がった。
俺の危険ランプが激しく点滅・・・いや待てよ、あいつこんな澄んだ声帯だったか?
「おっじゃあ三橋、頼むぞ」
聞きなれない名前に戸惑っていると、不意打ちのようにいつもの大声が場を一蹴する。
「せんせー、編集長って一人なんですか?大変そうなので二人いても良いと思うんですが」
先生は予想していない質問に、明らかに即席の返答をした。
「別にいいんじゃないか?副って奴か?」
「あたしやる」
これには驚いて藤田を凝視してしまった。俺・・・じゃないのか?
藤田はただ先生のほう向いていて視線は俺を掠りもしていない。
「通知表に載りますよね」
さすがの先生も目を泳がせた。
・・・先生、怒っていいですよ。普通そんな事公言しないですって。
「あ、あぁ載るんじゃないか?」
先ほどから疑問系は先生のたじろぎ度を示している。今最高潮らしいが、こんな所でマックスだと後が持たないことを俺は良く知っている。
「・・・えぇとじゃあ三橋と藤田で、学年誌の原稿を去年のを参考にしながら考えてくれ。期限はこちらでは特に決めない。というのも発行が七月の夏休み一週間前だからそれまでに原稿を完成させてくれ。印刷は一夜あればなんとかいけるので一日前でも平気だ。」
一夜で三年×六クラスの何百の原稿を全校生徒分印刷・・・先生達はいつから体育会系になったんだろう。
「勿論、ここまで野放しにするのだから苦情などの責任問題も君たち持ちだ。あまり突発的なことを書いて当日校長先生を驚かさないように」
そうか、それまで校長にも見せないのか。思い切ったというかある意味危ない橋というか・・・。今時の中学生は無鉄砲すぎて校長などに目もくれてないというのに(ちなみに俺が小学校で校長の存在を知ったのは卒業式)。
藤田なら校長を心臓麻痺にしかねない。
「そして編集長・・・らは丸々一ページと少し多いが編集後記を頼む。えーと、どちらが書く?」
聞くまでもなく奴が手を挙げた。そして俺は今から占いをすれば百発百中だろう。
「お、藤田頼む」
先生が体を引き気味に応える。
「全部私が書かなければならないんですか」
こいつは書きたいのか書きたくないのか分からない、と顔をしかめた先生。
来るな来るな・・・俺は咄嗟にこの場から立ち去りたくなった。
俺は縮こまる様子を藤田に見られたような気がして隣を見上げてみると、こちら側からは口が右上がりに見えた。
「文章得意な人、あたし知ってるんですよ」
俺は苦手苦手っと。
「そいつ何度作文コンクールに入賞したことか」
「ハードル上げんな馬鹿やろう」
思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞いだが後の祭り。
藤田は俺の手首を引っ掴んで俺と立ち上がった。
「とゆーことで、宮島さんと頑張ります!」
俺のいうことは何もない・・・強いて言うのであれば占い当たったな、と自分を褒めるくらいだ。
先生は目を丸くさせながらも、そろそろ勝手にしてくれと言いたげに分かったと言った。
「・・・あぁ、じゃそろそろお開きだ。原稿が早めに貰えるのを楽しみにしている」
初めの緊張感はどこへ行ったのか、あっさりと第一回学級委員会は終了した。
会議室の人口密度が静かに減ってゆく中、藤田は俺を挟んで三橋さんに声を投げかけた。
「編集長、よろしく。なんかあったらうちに言ってね」
お前、何様だ。・・・と言いたいところだが藤田より役に立てる自信もない為口を挟めない。
三橋さんはそれを嫌味にとることもなく、お花畑ビジョン再発(俺フィルター搭載)。
「こちらこそよろしくお願いしますね。頑張っていい物、作りましょう」
こちらの方を向いている今がチャンス!とばかりに、俺は出来る限り自然さを全面に出しながら三橋さんを見つめた。
「さ、先ほどはどうも。お陰で、とても助かりました。」
「どういたしまして。お役に立ててほっとしました。」
三橋さんは、ははっと声を上げて笑った。そのギャップが素晴らしくて俺の頬は緩みまくりだ。
「編集後記、頑張って下さいね。期待しています。」
「も、もちろん。作文は俺の得意分野ですから、必ずや満足の行く物に仕上げますよ」
面白い方ですね、と微笑みながら三橋さんは去っていった。
あぁ、ちゃんと自己紹介するの忘れた・・・そして下の名前を聞くの忘れた。なんて俺は頭の回転力と行動力の乏しい男なんだろう。
ため息をつきながら資料の後片付けをしている俺を、藤田がマイナス二〇℃の目で睨みつけた。
「・・・あんた国語、いつから10だったの?」
馬鹿を言うのはよしてくれ、俺は万年国語3の男だ。
周りに人がいないのを確かめてから、俺はその場に座り床に額をつけた。
「頼む藤田っ!文章書いてくれ!」
「ふざけんな、いくらあんたがスライディング土下座をしようとも一人で全部書くわけあるかい」
作文コンクールなんか入賞どころか学校から選ばれる出品にさえ載ることのなかった俺が、丸一ページ文章で埋めれるはずがない。
どうにかして(三橋さんの応援の下)まともな文をつくりたいものだ。
承諾してくれる気配が全くないため、怒鳴られ覚悟で少しだけ攻めてみようと試みた。
「・・・ジュース、さっき奢ったよな」
藤田は目潰しをする勢いで俺の目の前に二本指を突き出した。
「あとクー二本」
二本か・・・落ち着け、考えろ。えーっと、小遣いが一ヶ月三千円で、既に六百円程度使ったから、いやそういや湯鷹とボウリングに行くような、あと本居に借りた小銭がいくらかあったような気が・・・
「プラス、中谷シュー」
「おま・・・!あれ一個二八〇円するんだぞ。」
「いいじゃない。近所のよしみで四〇円引きでしょどうせ」
こういう時とばかりに食べたいやつを上げたな。
俺と藤田の家から徒歩五分の田舎商店街に、中谷屋という自称洋菓子店が存在する。
そこに売ってあるシュークリームの種類が一つしかないため中谷シューと呼んでいる。
大抵中谷シューと呼んでいるのは昔からの常連客くらいだ。
「でもさ、あそこのおっちゃんたまに俺だけ割引無しにするときがあるんだが」
「あたしが言えば一〇〇円引きにでもなるし」
藤田は既に契約成立とばかりに鼻歌まじりで帰る用意をしていた。
ダメだ・・・話が覆せなくなった。反論、というよりは愚痴をこぼした。
「・・・でも、やっぱ中谷シューは高いような」
「何、アンタは書いて欲しいの欲しくないの?」
俺は、是非ともよろしくお願いします。と再度頭を勢いよく下げた。
会議から一週間ほど経つが、なかなか学年誌は順調に進んでいた。俺と藤田、三橋さんは大抵毎日放課後残っていた。思ったより考える内容よりも単純作業が多く、資料をまとめるだけで俺の気力と体力は半分ほど奪われてしまう。藤田は相変わらず三橋さん(フルネームは三橋朋深さん)を何様なのか扱き使うようにしているが、三橋さんは嫌がる様子もなく帰り際に毎回「いつも上手にまとめてくれて本当助かるわ、ありがとうね」と藤田には、もったいなさ過ぎるありがた過ぎるえら過ぎる言葉withスマイルを聴かせてくれる。
俺はこの台詞聴いて一日の疲労を綺麗に取り除いてからでないと、帰れない日課になりつつある。
問題の編集後記はクー一本と中谷シュー一つで、なんとか藤田と交渉成立した。
今日はその例のブツを買いに行くべく、放課後に湯鷹を引き連れた。勿論(?)本居は誘うわけがない。騒がしい上、理由に藤田が絡んでるとなれば更にウザさが増すだろう。
「ほほう、関わりたくないのに奢ってまで書いて欲しかったとは」
「やめろ。お前本居が移っただろ、日に日にウザくなってくのが目に見える」
湯鷹はいつものように片手をあげて謝った。癖になってるんだか何だか知らないが、段々誠意が薄れてきている気がする。
「それにしても中谷シューっていうのはそんなおいしいの?」
俺は思わず沈黙をつくってしまった。
別においしくないというわけではない、が特別おいしいわけでもない。所謂普通の味に過ぎないのは確かだった。
「・・・慣れてるから、かな」
「え?味が?」
「ま、それもあるか。多分小さいころからシュークリームと言えば中谷しか家族が買ってこなかったからだろ。おかげで買う方も助かるし。・・・はぁ」
助かると言った割にはため息がでた。湯鷹に気付かれなくて幸いだ。
もちろん何度か藤田にシュークリームを買わされる時、違う洋菓子店に行ったこともある。だがそのたびに俺はどんな種類のシュークリームを買うべきか死ぬほど迷うのだ。結局決まんなくて買ってこなかったり、二個買ってきたりしてしまう。
藤田は好きなシュークリームが食えればなんでもいい奴なので細かいことは注文しないが、性質が悪いことに買ってきた後その味に文句を言うのだ。なら最初から言えっ!という話なのだが、藤田曰く、どれがおいしいか分からないから宮島が選べ、だそうだ。こちとらそれが分かったら苦労はしない・・・。
なので、小二で初めて俺が直接中谷屋の店へ買いに行ったときは驚いた。まさかプレーンシューを売りにするしかない洋菓子店があるとは・・・!(一応注意書きすると、中谷屋を馬鹿にする気はない)
それから、おっちゃんと親が気が合うせいか居心地が良い店だと感じた俺は、学校が終わると最大で週四くらいのペースで通っていたものだ。藤田は勿論俺が何も言わなくてもついていった。
「・・・でも、藤田は高値の花だよ」
無意識に俺の眉が少し寄る。いつもより僅かだが湯鷹の声のトーンが低い、というか感情がこもってないというか・・・まぁ気にしなければそんなでも無かったかもしれない。
「はぁ?あれがか?」
「はいはい、宮島に対する態度を除けばね。それに普通に考えてあの子はお高いよ。成績トップ運動神経抜群、容姿だって悪くても上の中だろ。それが地味な幼馴染にベッタリじゃあ周りもがっかりするだろうね」
「悪かったな地味で。ただそれには少し語弊がある。俺は元から地味だったわけではなく、藤田が目立っているおかげでそばに居る俺が地味に見えてしまうだけだ。」
「それを堂々と言えるところは藤田似だよ・・・」
湯鷹が哀れむように両手を肩で広げたところで、ちょうど中谷屋についたので俺は止まった。
ここは商店街の端にある、意外と人通りの多いところに面している。残念なのは何故か表に深緑の暖簾が掲げてあって、変な上に目立たないというなんとも意味の分からない装飾がしてあることだ。
俺は毎度この暖簾をくぐる度に、果たして今日は何人もの人がこの暖簾をくぐったのだろうと思っている。
初めて来た湯鷹には場所が分からなかったらしく、俺が指して教えると少し驚いて呟いた。
「何ここ・・・日本風洋菓子店?」
それではもはや和菓子だ。
「らっしゃい!・・・おっ、久しぶりに顔出すなにいちゃん。姉ちゃんはどうした」
豪快に笑う声と既に毛のない頭が眩しいここの店長中谷さんは、現在三八歳と商店街の中じゃ若造。明るくて大らかな性格から地元の人からはこよなく愛されている(この店が愛されているかどうかはまた別だが)。
「いや、今日はあいつに頼まれて来たんだよ」
「おう、姉ちゃんにか。元気にしてるってか?」
「元気過ぎて一回検査入院と、かにならない限り」
おっちゃんは相変わらずだな、と胸を反らせながらまたもや豪快に笑った。
「そっちのにいちゃんは初めて見る顔だな。お友達かい」
「同級生の湯鷹です」
頭が良さそうに見える爽やかな笑顔を振りまく湯鷹。(実際頭も良いので口にすることが出来ない台詞)
「じゃんじゃん買ってくれ。なんせにいちゃんが収入源なんだから」
またもや豪快に笑う中谷のおっちゃんだが、これには俺らもあながち冗談ではなさそうなので笑うことが出来なかった。
「まぁ、じゃあ今日もプレーン一つで」
「プレーンって言うなプレーンって。列記とした中谷屋名物特製シュークリームだっつの」
「はいはい、列記としたね」
聞き飽きてきた台詞なので軽く流すと湯鷹は嘘くさい笑みを浮かべた。
「宮島そんなこと言っちゃダメだよ。中谷屋名物特製シュークリームはこの店の看板洋菓子だから」
おっちゃんはシュークリームを箱に詰める手を止め、手を叩いた。
「さすがにいちゃん!初めての来店でちゃんと理解してくれて嬉しいぜ。今度来たとき百円引きにしてあげるからな」
「ちょっとちょっと、俺は今回何円引いてくれるのさ」
「あぁ?そろそろプラスしたいところだが、姉ちゃんにけちだと思われるのはさすがに残念だからまぁ・・・五〇円くらいは引いてやるよ」
思わず五〇円かあ、という言葉を飲み込んだ。
しょうがない、引いてもらえるだけ感謝しよう。
「どーもです・・・」
「なんだなんだ、もう少し誠意を込めて!なんちって」
大口をあけるのでシュークリームに唾が飛んでいないか心配になった。
「そういや、にいちゃんと姉ちゃんはもう付き合ってんのか?」
会計している最中にふとおっちゃんはそう言った。
動揺してしまった俺は十円玉を落としてしまい、慌てて掴むもまた落とし結局のところ湯鷹が見かねて拾ってくれた。
「は、はあ?ちょ、おっちゃん。付き合うも何も・・・どう考えても藤田は俺のこと、そんな風に見てないだろ」
「そうかい?まぁこれからか。学生時代の恋、つーのは甘酸っぱくて初々しいのが売りだからな」
何でも商売と結びつけて全く・・・別に高校生はそんなのを売りにしているつもりはない。
「勝手に妄想でもしといてよ。俺はそんな気全くないから」
「なんだなんだ冷めてんなあー」
期待はずれとでも言いたげに頭を掻いたおっちゃんに、湯鷹は淡々と嘘くさい笑顔で言った。
「そんなこと無いですよ。十円玉を二回も落とすくらいですから」
それもそうか、とにやりとおっちゃんが目を細める。
湯鷹・・・お前実は腹黒星からやってきただろ。
俺が睨むと、いつものごとく慌てて片手を挙げて懺悔した。
そして俺は、心の底からこの謝り方に誠意は存在しないと確信した。
「シュークリームって早く食べなきゃいけないんじゃないの?」
弁当の脇においてある買ってから二日立った中谷屋の箱を見て、湯鷹はもっともな反応を示した。
「別にあいつなら大丈夫だろ。前は二週間経ったの食ってたし」
「・・・藤田の胃は鉄、を通り越してプラチナ辺りまでいったか?」
俺の中でプラチナの品が下がる・・・是非とも錆びて欲しいものだ。
別にわざとではない。朝は忙しいというか、頭がそこまで回る暇がないというか・・・。
「ま、大方玄関に置いてあんのに朝すっかり持ってくんの忘れたとか、どうせそんなとこだろー」
本居の軽薄な言葉に、俺は箸で挟もうと思った卵焼きを思わず突き刺してしまった。
「それにしても・・・ようやく持ってきたのはいいけど、いつ渡すつもり?」
湯鷹は優雅に保温性の水筒に入っている紅茶を飲みながら昼食を取っている。
「本当は今の昼休みに渡すつもりだったんだが、さすがに他の奴のいる前では・・・」
「お、なんだ。人目を気にするってことは、藤田をいっちょ前に女としてみているわけだな」
「お前は話題がそれだけしかないのか。偶にはもうちょいまともな話題を探して来い」
「だってー俺女子系の話がいいしー水無月さんとしゃべる機会そんなないしー」
椅子に寄りかかってブー垂れる本居に、まだ話していないとっておきの話題を見つけた。
「そーいや、学級委員会で三橋さんって言うめちゃくちゃ可愛いお方発見した。しかも俺と一緒に学年誌の編集ページ担当」
勢い良く前に乗り出した本居は真剣に俺の顔を見つめた。
「よし、編集ページは俺に任せてくれ。」
すかさず現実を突きつける。
「藤田同伴」
「・・・いやあー宮島編集頑張れよ、友人として応援してる」
この性格はある意味一番世渡り上手そうだ。
「でもさー・・・それって、こうなんか微妙な空気にならない?」
「そうか?藤田が上から目線でモノを言って三橋さんが笑ってその通りに動いて俺が黙々と自分の作業に入るとちょうどいい空気なんだが」
二人は想像したのか、確かにそういうパターンもあるのかと納得のしたように顔を見合わせた。
「っていうか、結局宮島もなんだかんだで同じページ担当しちゃうんだな」
「いや、あの決定の仕方は不可抗力というか」
誰が何を言っても藤田が事の発端であれば誰も逆らえないであろう。
「いいなーそういう幼なじみ欲しいー。どっかにいないかね」
残念なことに、幼なじみはタイムマシンがないと作れないことを本居は知らない。
「宮島は藤田と幼なじみになりたくなかった?」
湯鷹の問いかけに行き詰まってしまった。俺はこの関係を断ち切りたいとは思ったことはない。ただ、それ以上に踏み込みたいとも思わない。
ただ、中学に入ってからか俺はあいつとの距離が掴めないでいた。踏み込んでいないギリギリなのか。離れてきてるのかそれとも実はもう踏み込んでいるのか・・・。
「あ?そんなことは」
「なに、なりたいって?」
意地悪くにやける本居に、俺は運悪く反応してしまった。
「・・・どう考えても、あんなのより三橋さんが幼なじみだったらほうが良かっただろ」
お、言い切るね~と本居は面白そうに笑う。湯鷹は何言ってんだか、とあきれたように手を広げた。
そのとき、俺はふと何か違和感を覚えてしまった。
・・・まさか藤田が俺のことでも見ていたのだろうか、と思うほどの違和感。
いつもどおりの放課後がやってくると、俺らは大体パソコンルームへ向かう。そこで編集を行うのだった。
ところが、今日は珍しくホームルームが終わると藤田は俺を待たずに先に向かっていた。シュークリームを渡すのに最適だと思っていた時を逃しどうしようか悩みながらパソコンルームに入ると三橋さんの姿が見当たらなかった。
唯一いる藤田はパソコンを使わずに紙の上にペンを走らせていた。
「・・・今日、三橋さんお休み?」
「・・・」
「なぁ、今日三橋さ・・・」
「学欠ですが何か」
いつに無く会話の歯切れの無さに俺は全身がビビる。
こういうことは前にもあったかな・・・いや、そう滅多に起こる現象ではなかった気はするが。
「・・・今日はやんなくていいって先公に言われたから、帰っていいよ」
「帰っていいよ、って・・・」
普段の藤田なら「あたし帰るね」か「じゃあ帰り暇だから奢って」とでも言いそうなものなのに。
俺は不本意ではあるが、こう言われた以上今日はおとなしくすると決めた。
なので微妙な空気の中、シュークリームを藤田に突き出す羽目になってしまった。
「あ、じゃあ・・・ほい、お前が頼んだシュークリーム。五〇円引きだったぜ」
三秒間くらい箱を空中に静止させたが取る気配もないので、仕方が無く藤田のいる机の少し間を空けて置いた。
すると、藤田はいきなり目を剥いて俺を見た。
「・・・こんの面食いヤロー!」
「はぁ!?」
俺が藤田の突然の台詞に一声あげると、藤田はスイッチが入ったように動きしまいにはバタンという音と共に教室を出て行ってしまった(忘れずにシュークリームを持っていくところはいつも通りだが)
「あいつ、どうしたんだ・・・?」
今思えばこの時点で既に、俺は藤田に踏み込んでいたに違いなかったのだろう。
カタカタ、カタ、カタカタカタ・・・
カリカリ・・・―――――――バサッ
「あ、この紙・・・宮島君、ここの質問先生に聞いた?」
「え・・・あっすんません、まだッス」
「えーとじゃあ、明後日までにお願いしていいかしら」
「あ、はい・・」
バサバサガサゴソ、カリカリカリ・・・
「・・・。」
・・・・・・・・カタ、カタカタ・・・はぁ
伝わりにくいことこの上ないが、この情景の伝えにくさも負けてはいない。情報量でいったらほぼ最大限である。
賞味期限切れシュークリーム逃亡事件から五日経ったが、藤田は一向に視聴覚室に顔を出さない。おかげ様で俺は三橋さんと二人きりで向かい合ったまま作業を進めている。ただ、今まで藤田が全てを仕切っていた為、ほとんどよく分からないまま曖昧に誤魔化している部分も少なくない(特にページ配分が分からなくて、三橋さんと悪戦苦闘しながら大体の原稿量を考えた)。
まぁ、来ない原因は分からないわけでもないがだからといって、こうも避ける理由が分からない。
正直俺は幼なじみが藤田だと、あの時湯鷹に言われるまで意識したことはなかった。腐れ縁とは何度も思ったが・・・。
藤田とは正負の足し算イコールゼロ、というか酸とアルカリの中和というか、凸凹なはずなのに上手くはまってしまい、おまけにS極とN極は引きつけられてしまうものなんじゃないかと思っていた。
だから、逆に藤田が宮島が幼なじみじゃないほうがいい、なんていったところで俺は特に痛くも痒くもないだろう。
なのに、なんでかそういうときに関して神経質というか、もうちょっと別にその細やかな気持ちを向けるべきものはあるだろうと思う。
考え事をして知らぬうちに手を止めていた俺をみて、三橋さんが悟ったように声をかけた。
「未央ちゃん、大丈夫かしら」
「・・・あ、ええ、どうなんでしょうかなあ」
未央というのが藤田の下の名前であることに気づいたのは、返事をした後だった。
そうだ、あまりにも似つかわしくない可愛いネームなもんですっかり忘れてた。幼稚園のときは未央ちゃん、と呼んでた気もしなくはないが。いや、正確に言えば小学二年くらいまでか・・・?
「同じクラスだよね?何か体調とか悪そう?」
「いや、特には。休んではいないんすけど、珍しくこの頃帰り奢れとか言わなくて・・・あ、べべ別にいつも奢ってるわけじゃないのですがね。ほら、あいつ超我が儘だし」
なんだか変なことを言ってしまっているような気がして、まともに文が口から出てこない。
三橋さんはそんな俺を変な目で見ることもせず―――というかそこまで気にもせず、マイペースに話を続けた。
「未央ちゃんのことだから、なんか悪いものでも食べてお腹壊したーとかなら安心するけど」
片手を頬に添えて、軽く冗談っぽく笑う三橋さん。俺は思わず引きつった笑顔にしかならなかった。
冗談じゃない、その論からすると一番確率の高い原因は俺のあげたシュークリームになってしまう。
「それにしても、本当に大丈夫かしらこの学年誌。明日が締め切りだというのに・・・」
「ですねー・・・ってえ、それじゃあこの先生の質問今日行かないとやばくないっすか?」
「え・・・あ、あらホントだわ。すっかり忘れてた!」
慌てて立ち上がろうと椅子を後ろへ押した三橋さんだが、椅子の足がコードに引っ掛かってしまい運悪く転倒してしまう。
日にちの間違えに、思わぬこけっぷり・・・こういう天然素材は時に男心をくすぐってしまう。藤田には到底縁があるとは思えない素質だ。
「だ、大丈夫ですか」
内心微妙に乙女化している俺は、三橋さんに手を差し出そうとするとこちらも運がついていないのか積み重なっているプリントが前に倒れていく。
ここからは少し俺にとってスローモーションとなる。
机から紙の雪崩が発生し、それを拾おうとするが三橋さんに差し出した手の方がコンマ2速かった為そこまで上手く体が動いてくれない。
そのまま体制を崩してしまった俺は結局床にダイブしてしまった。
「あ、ごめんなさ―――」
その時改めてこの状況に俺の血は吹きだす勢いで頭に上っていく。
三橋さんとの距離は定規じゃ詳しく分からない程の至近距離。思春期男子を沸騰させるには充分なシチュエーションだ。
慌てて顔を離したが、三橋さんは頭をどこか打ったのか、苦痛そうに目を瞑っていた。
心配になって少し近づきながら、もう一度大丈夫ですかと問い掛けようと―――
ガララッ
誰かと思いドアの方を向くと、俺はさっきの沸騰が嘘のように血の気が引いていく。
・・・見てはいけなかった、資料を抱えて仁王立ちしている藤田など。
―――無表情のまま冷酷極りない視線をこちらに向けている、藤田など。
さて、俺が三橋さんの顔の脇に両手をつき体が覆いかぶさっているようなこの格好をみた藤田が思うことはどれでしょう。
一、うん、三橋さんは椅子でこけて宮島は資料を落としちゃってそれを拾おうとしたのよね、しょうがないよ
二、へーうちがいなくてもプロレスやるくらい元気だったのね
三、え、宮島うちがいない間に三橋さんにそんなことを・・・
おいちょっとまて、三は一番恐ろしい濡れ衣だ。なんとしてでも誤解を解かなければ。
一は理解力と俺との信頼性が長けてればたどり着く選択肢だ、藤田俺はこんなときだけお前を信じる。
二に関しては自分で考えといてなんだが全くもって意味が分からない。もはや嫌みとしか言いようが‥
「‥元気そうで何より」
「二番かぁぁー!」
「はっ何?」
「あ、いえ、なんでも・・・っていうかあれだ、これはだな、意図的に倒れたわけではなく故意に起きてしまい―――」
マッハで起き上がりながら説明してると、ゆっくりと三橋さんが起き上がる。
「いたたっ・・・あれ、未央ちゃん来てくれたの?良かっ―――」
バンッ
遮るように藤田は資料を机の上へ力強く置く。
その音に俺と三橋さんは途端に口を紡いでしまった。空気が異様に重い。
誤解・・・しているわけじゃなさそうだが、納得しているようにも見えない。
恐る恐る藤田の顔を見ると、表情は変わらず無であり感情が読み取りにくいことこの上ない。
「・・・明日でしょ」
締め切りのことだろちゃんと分かってるよ俺、と首を縦に小刻みに振る。
「だったら、ちんたらしてないでちゃっちゃと作業終わらせろ―――!」
この声が引き金となり、俺らは死に物狂いで作業をこなし始めた。
でも、何故だか俺は藤田の顔面に現れていたのが怒りのようには見えなかった。