落とし所
私にはもはや苦しみも怒りもなく、ただ耐え難い寂寥と、漠然とした不安があるのみである。すべきことはいくらでもあったがそれに着手する精力、根気はとうに失われている。なぜこのような状態になったかわからない。つむぐ言葉は端からリフレインし、脳の余計な逼迫となっている。
人をおそれるようになったのはいつからだろう。世間とはすなわち気移りの流体であることに気がついたのは。その気移りに合致しようと地に這いつくばり、靴をなめ、それでいて感傷も感動も起こらない。あるときは人を殺してやろうと思い、つぎの瞬間にはどうでもよくなっている、不可解、疲労とも言い表せぬ何か。この何かのために私はつね日頃から無感動、無抵抗のまるで人形じみた平穏を享受している。
平穏。それならばそれでいいではないか。十分に満足して生きていけるのではないか。だが、満足とは、満ちて足りること。それは理想であり空論。思い込みである。
ならば己が不幸であるというのも思い込みか?
(ちげえねえ)
アドラー曰く、感情とは目的のため行使されるのだという。怒りは相手を支配するための道具。少年が皿を割ったから怒るのではなく、怒りたい気分のとき、都合よく皿を割った少年がいたから「ちょうどいい」トピックとして怒るのだと。
おなじく、悲しみたいから涙を流すのだ。泣きたい気分のときに感動映画を観るみたいに。
(そりゃああんまりにもフキンシンってやつじゃないかい?)
ヒロインが死んだから悲しいのではなく、悲しみたいときにちょうどヒロインが死んだ。
(まあたしかにウツのときは涙すら出ねえもんだが)
悲しみの「素地」ができていなければ、悲しむこともできない。
(そうだ。感情がプールされてなけりゃスイッチは発動しねえ。泣ける人間はその点健康なんだ。生活で溜め込んだささやかな不幸をある日一気に発散する、そのための不幸、そのための感動小説)
不幸は娯楽ではない。
(不幸のない人生は退廃さ)
何をもってして不幸なのか。どれこそが不幸とよべるのか。
(どれでもいいんだよ。幼児をみてみろよ、靴下がうまく履けねえだけでもこの世の地獄みたいにギャン泣きだぜ)
被害者意識を手放すことが幸福へのいちばんの近道である。傷つくことは愚かである。傷をいつまでも引きずるのは、もっと愚かだ。
(嘆くことで癒される傷があるとしても?)
それを利用する者がいる。
(ビジネスってそんなもんだ。メディアだってそうだよ。より可愛く、美しい不幸を映したがっている)
美しい不幸。
(そうだ。自業自得でない、わかりやすい不幸)
殴られて育った少年。
(かわいそうに)
少年はいつしか自らの境遇に疑念を抱く。
(なんて理不尽)
くすぶっていた憎しみが時を経て燃え上がる。
(少年はこの憎しみを愛で打ち消そうと考える)
少年は少女を誘拐した。
(少年はボランティア活動に勤しんだ)
少年は少女を殴った。
(少年は勉学に勤しんだ)
かつて養育者にそうされたように。
(せめて自分は与えられる人間になれるように)
少女へと苦痛を与えた。
(人々の笑顔を)
少女の苦しむ姿が。
(みたいと思った)
何よりも心を穏やかにさせた。
(少年はひとりの心優しき少女と出会う)
やがて十年が経つと。
(やがて十年が経つと)
少女は身も心も朽ち果てて。
(少女は見目麗しい女性へと成長し)
彼女は廃人同然だった。
(彼女はあらゆる男から求婚された)
少年は少女をいたぶるのに飽きて。
(少年は少女をいたわるのを忘れず)
少女の首へと手をかけた。
(少女もまた少年をいっとう愛していた)
少年が少女の首に指を力強く食い込ませると。
(少女は少年の首に腕をまわし)
首を絞められた女の目から無抵抗と放心の涙が零れた。
(彼へとあどけないキスの雨を降らせた)
Misfortune is like a snowball rolling down a hill.
(どうもいけねえな。可動域が広すぎる。初期設定は変わらないのに)
少年の過去は変わらない。だったら同情も変わらないはず。
(犯罪者になっちまったらそれはもう話が別なんだよ)
加害者はかつての被害者。
(そうかもしれない。だったら、なんだ? ずっと被害者でいればずっとカワイソウでいられるってかい? ずっとお利口なシンデレラかい?)
可哀想という客観的な認識を永続的に維持することはできない。哀れみは風化する、あらゆる感情と同じく。それに、被害者意識をもつ者は幸福になれない。
(では、被害者でも加害者でもなくなればいい。それらは過去の領分だ。過ぎた日の不幸より、今を生きるのさ)
そのようなことを考えるには、私はあまりにも傷を負いすぎている。
(怠慢だな。怠けたいから怠ける。テイカーのままでいたい、与えるのが面倒くさくて億劫だから、己の不幸をこれ見よがしに転がして言い訳してるだけ。
ときに、めでたしめでたしの語源を知ってるか?)
愛で甚し。非常に喜ばしい、素晴らしい。
(人が生まれてきたらめでたしめでたし、赤ん坊はことごとく愛おしむべきだ。赤ん坊側もまた、可愛さや庇護欲といったエンタメを供給している。そう、すべての人間関係は等価交換なんだ。赤ん坊の頃からな。
人間関係は、等価交換。例外はない。相手に出せるチップは自分の中からひり出せ。人生をめでたくするのはすべて自分の実力にかかっている)
自らを労ることは社会人の必須技能。自分のことすらままならないで、誰かは救えない。人は育てられない。
自己処理の方法は己で学ぶしかない。すべて人生は独学である。無条件の愛とは自らの内部に形成される。「愛されなかった」を言い訳にはできない。
他人が投げた石で負った傷を、自分で手当てしなければならない。
不幸は妄想。ユーモアですらない苦労譚は耳障りな物乞い。
自分の人生を歩んでいけない者に明日はない。退廃と泥濘に浸かりたいのならば、心で被害者であり続ければいい。
誰も責任をとらない。私の過去を弁償、補填してくれる者はいない。それは私のせいではないのに。
愛おしく思われることに価値がある。
(自分からも含めて、な)
「自分を大切に」というスローガンは、畢竟、誰もあなたを真に大切にするのは不可能だから、せめて自己防衛はしろということ。
(何もかも環境のせいにするのは簡単だ、自尊心が傷つく必要がない。それよりも現在に目を向けて、過去を手放し、被害者であることを辞めたほうがよほど有意義だと思うがね)
それは健常者の発想。健常者の賢明で残酷な拡声器である。
(気づいたんならそこでやめりゃあいい。変わりゃあいい。出発点は自分で決めるんだよ。人生の出発点は)
終着点を決めるほうが今の私にとってはスムーズである。
(捨てるんじゃねえぜ、手放すんだ。過去の怒りを認めろ。認めたうえで、それをコントロールしろ。嘆け。自分のために、今こそ思いっきり嘆け。嘆く時間が人生には必要だ。すぐにはできないだろうが、自分を赦せ。自分の感情を、怒りを、嘆きを悲しみを──赦してやってくれ)
……結局、そこが、あなたの落とし所。




