目覚めし者
観月祭の最中、神殿の一室で裏手の森に視線を送る龍也は双眼鏡で森の奥を覗いている。そして、黒く邪悪な気が立ち込めているのを確認した。しかし龍也の位置からは詳細までは見えない。すると龍也は続けて、予め仕掛けておいた三体の使役獣を目覚めさせる。従者の男たちが設置したものだ。三体の封が解けると、それぞれ大犬、鷲、蛇の形をした使役獣が現れる。大犬と蛇はその場に留まり、鷲は邪悪な気が現れた方向へと飛んで行った。
龍也が使役獣の気配も含め森の奥を見ていると、どこからともなく金の光が閃光のごとく差し、鷲が向かったのと同じ方向に突き抜けた。龍也は思わず身を乗り出す。
「あの光か!?」
鷲と閃光が向かった先には人の形をした黒い影があった。その人の形の影はどうやら着物のような衣服を纏い宙に浮いているが漂う邪気があまりにも濃く、その姿や色彩ははっきりとは分からない。袖影から覗く細く傷だらけの腕で乱れた髪をかき上げると鋭い眼光であたりを見回す。周囲の木々や草花から生気を吸い取ると、その影の実態が濃くなっていく。そして神殿の方を睨みつけ、苦しそうに首元を抑えている。よく見ると、首元には幾重かに封じの札の付いた縄が絡まっている。首元だけではない。手首や足首にも同様に札の付いた縄が絡んでいる。縄を外したいのか、自らの手で首元を更に傷つけてしまっている。生気を吸い取られた周囲の木々や草花は項垂れながらも、その影を見守っている。
閃光が到達すると光の中から現れたのは体調2.5mほどの白虎の姿になったレオと杏那だ。レオは背に杏那を乗せ、閃光の如く空を駆け抜けてきたのだった。杏那はレオの背から降りると、邪気を放つ人の形をした黒い影を見据えた。影はレオと杏那に気づくと何かを訴えるように近づいて来るが、ほとんどが唸り声で言葉は聞き取れない。レオはもしその影が杏那に飛び掛かろうとすれば、すぐに取り押さえられるよう杏那の横に控えている。杏那は素早く両手を口の前で組み、黒い人影を見据えて祈りを捧げる。
『太陽の女神よ、天の光よ…。』
杏那が祈り始めるとすぐに邪気を放つ人影とレオ、杏那を囲むように辺りには風と光の盾が現れる。杏那の瞳が陽だまりのような金色に輝き黒髪は紫がかった銀髪になって光を放っている。そして神聖な気でその場が満たされる。居心地の悪い人影は益々唸り声を上げてもがいている。杏那はその様子を見て思う。
(今回は光の鎖は使わない方が良いわね。)
光の鎖は対象の動きを抑えるために杏那が使う技の一つだが、杏那は目の前にいる人影の傷だらけの身体を見て光の鎖を使うのをやめた。そして杏那の静かでありながら気高く美しい声が響く。
『光のベールを、森神様に捧げます』
杏那が呟くと陽光を思わせる眩い光の糸で織られた薄い衣のような光の束が、杏那の手から黒い人影へと伸びていき優しく柔らかく包み込む。これにより動きが制限された人影はまだ小さな唸り声を上げている。杏那は人影の動きを抑えることに成功したことを確認すると祈りを続ける。
『降り注ぎ闇を照らすは神の愛。浄化の光よ、森神様の枷を解き、蝕む闇を祓い給え。』
黒い人影を包むベールが一層光を増し、人影は陽だまりのような温かさと優しさに包まれる。そして首元や手首、足首に絡まっていた縄や札が塵となって跡形もなく消えていく。人影を覆っていた邪悪な気も消え、傷だらけだった体は美しい肌を取り戻した。邪悪な気が消えたのを確認し杏那がベールを緩めると本来の姿が現れた。先ほどまで乱れていた髪は艶を取り戻した深緑色の豊かな長髪、萌黄色の袍に千歳緑の袴という神職のような装いをしている。杏那がベールを解き、光を収めると、本来の姿に戻ったその者は地面に倒れ込んだ。いつの間にか人の姿に戻ったレオと杏那が駆け寄って支える。風と光の盾が消えるのと同時に、レオの視界の端ではこれまで盾の外にいた鷲が飛び去る姿が捉えられていた。
「森神様ですね。大丈夫ですか?」
「わ、わたしは…」
「森神よ、一体何があった?」
レオが聞くと森神はレオの方に視線を向ける。
「これは白虎様?お二人が私を助けてくださったのですね。なんとお礼を申し上げて良いものか。…貴女様は先ほどの光…太陽の乙女様ですね。」
森神はまだ声に力はないが、意識もしっかりしており会話ができるようだ。
「すまないが、あの神木のそばに連れて行ってはもらえないだろうか?」
森神が二人に頼むと、二人は快く森神を支えて神木の前に座らせる。森神が神木に背を預けると、顔色が少しだけ良くなった。
「この神木がそなたの住処か?」
「はい、白虎様。神木の気のおかげで回復が早まるのです。ありがとうございます。…少し力が戻って参りました。」
森神は力なく微笑んだ。
「辛いところすまないが一体何があったのか聞かせてくれるか?」
「はい、勿論でございます。」
森神は頷くと静かに話始めた。
「もうどれほど前のことかはっきりとは覚えていないのですが、ある日、神木を出て森の見回りをしていたところ、一人の若者に出会いました。この辺りはほとんど人の立ち入らぬ地。久しぶりに話した人との会話につい嬉しくなり、迂闊にも心を許し、自分が森神であることを話してしまったのです。その若者は私に興味を持ったようで、何度か私に会いにきました。しかしぱたりと往来は途絶え、私もその若者のことを忘れた頃、この森の至る所に封じの呪詛がかけられていることに気づきました。その影響で、私の動ける範囲も狭まりました。しかしそれさえも罠だったのでしょう。呪詛の影響の少ないところで休んでいたところに、その若者が再び現れ、私を術で従わせようとしたのです。しかし私はこの森からは動けぬ身。それを知らない若者の術は失敗し、連れていかれずに済んだものの、この森を守る役目を負う私にはこの森の至る所にかけられた封じの影響が現れ、徐々に身動きもとれないほどに呪詛の影響を受けました。そうして月日が流れ、私の力も尽き土の中で眠りにつきました。そんな中、さきほど突然、呼び起されたのです。突然のことで訳が分からず、身体を締め付ける呪詛に苦しんでいたところ、あなた方が現れ忌々しい呪詛から解き放ってくださったのです。」
「そうだったのか、経緯は良く分かった。まだ力も回復しきっていないところ、丁寧な説明に感謝する。今日はもうゆっくり休んでくれ。」
「森神様、お話ありがとうございます。」
「お礼などとんでもないことです。助けていただいたのは私の方です。本当に助かりました。ありがとうございます。」
「また様子を見に来る。」
「ありがとうございます。」
森神は二人を見送ると神木の中へと消えていった。レオは再び虎の姿となり、その背に杏那を乗せると、神殿とは逆方向に走り去って行った。
一方、神殿の一室から様子を伺っていた龍也は、森の中で光が収まったと同時に邪悪な気配が消えたことを察し、ある確信を持っていた。
「やはり読みは当たっていたようだ。こちらも早く回収して今日は帰ることとしよう。」
龍也は爽やかな笑みを浮かべ、再び護符を指に挟み呪文を唱える。
「我ここに命ず。留まりし場より影を率いて帰られよ。」
龍也の呪文に反応した大犬、鷲、蛇の使役獣は影となって水宮家の蔵へと自ら帰っていく。仕掛けを設置した木の根元にあったはずの置物も護符も跡形もなく消えている。龍也は影の動きを確認すると、自らも水宮家の屋敷へと帰ることにした。




